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今度の標的はサムラコウヤクサトシですか?


 案の定障害者叩きが始まった。公務員、生活保護の次は障害者だ、障害者が標的になるだろうとは思ってたけど。まだ調査も何も行われていない、障害年金の話なんか全く出てない段階から、いきなり厚労相が障害年金叩き始めてたし。

 さすが弱者いじめで定評のあるアベ政権。
 クソ保守やネトウヨはさぞかし歓喜してることだろうね。君らは弱者いじめが大好きでたまらないものね。

 ていうか、障害者手帳と医療助成の区別もついてない馬鹿がいたことには、さすがにびっくりだわ。「障害者手帳」と障害者自立支援(医療費助成)は別物なのに。
 ただでさえ、医療助成が「障害者自立支援」って制度になって、共産党とかが猛抗議してるのに。ああ、クソ保守には共産党やその支持者の声を聞く耳なんか持ち合わせていないか。

 しかも、たまたま見てたTVでアホコメンテーターが「2級に該当するなら障害年金もらえばよかったじゃないか」とか。確かに法律上障害者手帳と障害年金は同じ用件で同じ等級になるって建前になってるけど。現実にはそんな簡単に障害年金なんてもらえないっつーの。ふざけんなよ。無知は黙ってろ、って言いたくなるわ。

 しかも、またしても「我々の税金我々の税金」って。
 あのなあ。確かに年金会計に税投入されてるけど、年金って基本は年金保険料で運営されてるんだぞ。障害年金も例外じゃ無い。俺らが自分らで、働けるうちに払った年金保険料を、働けなくなったらそこから返してもらってるって言う、そういう話だぞ。無知にも程がある。

 ふざけんじゃねえよ。

 人が払った保険料から、人並みに働けなくなったから生活に支障が出る分をいくらか返してもらってるだけの話なのに、税金泥棒呼ばわりとかいちゃもんつけるとか。てめえらの方がよっぽど泥棒じゃねえか。

 テレビ寄生虫といいネトウヨといい保守政治家といい、ほんとこの国は人間のクズが支配する国なんだな。こんな国に未来なんか無いよ。というより、さっさと滅びて欲しいわ。

 自殺に失敗したの、今激しく後悔してる。

 やっぱり暴力革命が必要ですか? この国。

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友達よこれが私の2014年です


 昨年末。愛知県の高校教員になって半田市に移住し、同級生の中では一番のご近所さんになったMN君から、鹿児島黒豚が送られてきた。
 お礼の電話をしたらスーパーサイエンスハイスクールの話とかでえらく盛り上がって長電話になってしまったのだが、そろそろ切ろうかというときに、突如彼はこんなことを言い出した。

「実は5月に入籍しまして」

 何故今頃になって言う。

 明けて平成26年。
 今年は何故か年賀状が多かった。
 そんな中でも大親友HT君は、近年は毎年年賀状を送ってくれる。ペン書きで一言書き添えてある。

「去年彼女が出来ました」

 うん。前回は別れた後に聞いたから、それよりかはマシかな。

 世間で言うところの9連休が明けて学校の冬休みもそろそろ終わるという今日この頃。こっちから出した年賀状の返礼も、そろそろ減ってくる。
 17年前ポストペットで知り合って以来の、一つ上の女性から。脈無しなのに何故か年賀状のやりとりは続いている。

 旧姓xx
「結婚してはじめてのお正月を迎えました」

 あれ? 去年と住所一緒だよ?

 先ほど妹から、明後日帰るとメールが来ました。また急な話だなと思ったら、両親は去年のうちから知ってました。

 今年も平常運転です。

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原点を探して


 最近になってふと思い出したことがあって、名古屋市昭和区にある八事まで行ってみた。

 八事には中京大学の本部キャンパスがある。19歳の頃、浪人2年目の私は、千種の河合塾に通いながら空き時間に市バスに乗って八事の中京大学に通うという生活を送っていた。
 中京大学に通っていたわけでは無く、キャンパス内にある放送大学愛知学習センターに通っていたのだった。その当時の自分は高校の同級生とすら連絡を取ることも無く無意味な空回りとしか言えない浪人生活を送っていた。2浪が決まったとき、私の中には大変な焦りがあった。このまま大学に入っても、同い年の連中とは2年分の差がついてしまっている。何とか取り戻せないものか。

 そんなときたまたま放送大学のパンフレットを手に取り、予備校に通う傍ら先行して大学の授業も受けておこう、と思ったのだった。
 親からも無茶だと言われたが、結果的にはこれで良かった。闇雲に受験勉強をするのでは無く、何のために勉強をしているのか、理由と目的をはっきりさせることが出来た。
さらに言えば琉大に入った後幾つか放送大学の単位を認定して貰ったのだが、まあ実質これのおかげで卒業できたようなところもある、のだがこっちはむしろ情けない話なのであまり深くは書かない。

中京大
八事交差点
 まあ、そんなことはさておいて。八事の中京大学である。写真奥の建物がそうなのだが、私が通っていた頃はこの建物はまだ未完成で、一部の教室と購買だけが使えた、ような記憶がある。

 手前の交差点寄りの所にサンクスが写っているが、ここは当時はサークルKだった。ユニーグループが一体何をしたいのか、私にはわからないが、当時はサークルKだった。お昼はだいたいここで買っていたのだが、ごくたまに、道を隔てたところにあるジャスコで買うこともあった。
ヅァスコ八事

 自分の記憶だと、左手にマクドナルドがあったように思うのだが…。これは記憶違いかも知れない。ちなみに現在はマクドナルドは地下のフードコートの中にあった。こんなフードコートは無かったと思う。学割を設定している店もあって、実質的に中京大学の学食の役割を担っているようだ。

 店舗内の写真はさすがに撮れなかったのだが、この中には食品売場もある。総合スーパーなのだから当たり前だ。というか昔はそこで飯を買っていたのだ。中京大の目の前にあることもあって、レジを打つ店員は学生バイト風の人が結構いた。

 そのうちのある一人の店員のことを思い出した。それが今回の話の、そもそもの始まりである。
その年の6月か7月頃だっただろうか。ある日、自分と同い年ぐらいのひょろーっとした若い学生風の男性店員が、おばちゃん店員に叱られているところを目撃してしまった。端で聞いてたら正直割とどうでもいいレベルの話だったし、何よりそんな目につくところで店員を叱責されても客としては困る。そう思ったので、私はその二人に近づいた。
 私が具体的にどういう行動を取ったのかは、全く覚えていない。もしかしたら途中で回れ右して何も見なかったことにして逃げ去ったのかも知れないが、その後すぐ地下鉄に駆け込んで電車の中で高揚していた記憶があるので、たぶん何かはやったんだろう。

 その学生がどうなったのかは、もちろん知らない。仮に同い年ならもう38ということになる。今頃は大阪辺りででも就職して、それなりに元気に働いているのだろうか。

 折角出てきたので、もう少しいろいろ見て回りたい。
 この八事からは、名古屋市営住宅の島田住宅行きのバスが出ている。
島田ゆき
 放送大学に通っていたところは、バスの標識案内を見たところで「フーン」としか思わなかったものだが。リトバスアニメが放映された今となっては、もう激しく反応してしまう。

 そのままこっちに向かっても良かったのだが、バス路線図を見ていたら気になる地名があったので、そっちに行ってみることにした。
八事バス停

川澄町
 川澄町。
 名古屋市立大学の南側に当たる。

 川澄舞は田村ゆかりで、川澄綾子がやったのは美坂香里、なのだが、何故か当時はあまり騒がれなかった。二人とも1つ下なんだということを知ったときは、ああまたかよという気分だった。堀江由衣で既に通過済みだったから。

 いいえ、私は井上喜久子さんより1つ下の16歳です。

 折角ここまで来たので、地下鉄桜通線で一駅移動して、御器所駅前に行ってみた。
 御器所近辺は、昔は「阿由知」という地名で、現在も道路名にはその名前が残っている。読みは「あゆち」。
阿由知
 残念ながらタイ焼き少女が走ってくることは無い。

 この阿由知という地、この近辺も含めて昔は池の多い土地で、元々は阿由池という池があったらしい。ここから桜通線で北に2駅行くと今池という駅があるが、その辺りも含めて、東は現在の日進市にいたる地域は広大な湿地帯だったらしい。この阿由池がなまって愛知となり、この湿地帯を所轄する郡は愛知郡となり、その名前が現在の愛知県の由来となっているのである。

 ちなみにこの阿由池、痴話喧嘩じみた伝説があって、男が自分を取り合って喧嘩することを嘆いた女がこの池に身を投げてしまった、とか言うような内容だったような。で、一節によるとこの男女というのは中大兄皇子・大海人皇子・額田王の3人なんだとか。それで、身を投げた池の周囲が額田郡と名付けられたのだとか。
 …はい、ちょっと調べて貰えれば、おかしいところだらけなのすぐわかりますね。この話、何の本に載ってたんだっけかなあ。学校で配られた何かだと思うんだけど。いいかげんなもんだ、学校が配る本なんてモノは。最近の教科書なんて右翼政治家が自分の思想に基づいた教育をしたくて、正規の手続きひっくり返して押しつけるシロモノなんだしね。

 ここから、桜通線を南方向に乗って、終点徳重まで。ここはさすがに、鍵とは何の関係も無い。…はず。そういう話は聞いたことが無い。

徳重駅前の池

 そして、徳重バスターミナルで地下鉄原行きの市バスに乗車。
 この途中にあるのが。
島田緑地
島田黒石
 はい、この辺が島田地区ですね。だからなんだって感じですが。
 この辺りは名古屋市内でも里山が残っていた場所だったのが、最近のもうバブルも遠い昔になった今になって、急激に開発が進み出して地元じゃ反対運動が起きてて、河村市長にとっては市民税減税以上に頭の痛い問題になっているのだとか。

 この後地下鉄原駅に着き、鶴舞線で西方向に。
 目指す場所はここ。
川名公園
 はい、厳密にはKeyじゃ無いですね。でもまあ、ONEってファンの間では事実上のKey作品とみなされてるし。

 この川名公園には、名古屋最初の生物共生空間(ビオトーブ)であるトンボ池がある、ということでそれを見てみようと思ったのだが。何か、無くなっていた。跡地らしいものはあったんだけど。
 これはどういう事情なのかよくわからない。いかにもその辺りの事情に詳しそうな人はいたんだけど、何かめんどくさいことになるのがいやで何も訊かず帰ってしまった。

 この時点でもう夕方になっていたので、地下鉄で久屋大通駅まで行ったあと、そのまま帰った。

 帰りの電車の中ですんげ気の利いたフレーズ幾つか思いついたんだけど、メモっとかなかったもんだから、忘れてしまった。
 て言うかもう2ヶ月前だし。

 自分探しとか、もはやそういうレベルじゃねえわ。

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何かの病気です


 体調不良のためリトバスは後回しにさせて下さい。

 自分に限らず、全国的に体調不良が蔓延している。
 今年の夏は生命の危機を感じるレベルの異常気象だったし、そこで無理をした分、体にかなりのガタが来ているのはまあ当然といえば当然だ。今年の冬は救急車の出動回数が増えるのではないだろうか。

 今年の夏といえば、こんな事があった。
 8月の、一番暑い時期だっただろうか。午後3時頃、時間としても最も暑い時分に当たる。名鉄瀬戸線のとある駅のプラットフォームにある待合室に、高校生のカップルがいた。冷房など無く窓が開け放たれていたから、外から歩きながらでもよく見えた。別にいかがわしいことをしていたわけではない。見つめ合っていた。ただ見つめ合っていた。トロントロンの目というのはこういうのを言うのか、と咄嗟に思うくらい、熱く見つめ合っていた。

 こいつらやばい、と思った。主に熱中症的な意味で。

 しかしそこで二人に声をかける勇気が私にあろうはずもなく、何も見なかった振りをしてその場を立ち去り、改札口の駅員さんに待合室に熱中症の高校生がいるとだけ告げて、駅を立ち去った。

 私は余計なことをしたのだろうか。

 この冬は体調不良の人がきっと多いので、町中で突然倒れる人も出るかもしれない。町中で抱き合って倒れている高校生の男女がいたら、そのときはやっぱり躊躇無く救急車を呼ぶべきでしょうか。

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仕事の受注とか


一年とちょっとくらい前、具体的に言うと去年の3月とか4月辺り。実はその頃には、もう景気回復してきたなという実感があって、仕事の受注増えてきましたねとか普通に会話してるのが聞こえてきたりしてた。

ところがその後、日本の景気は再び暗転。したと言われてるけど、実際の所そんな簡単に状況が変わるわけがない。ギリシャ危機だの中国の景気減速だのいろいろ理由付けされてたけど、中国が景気減速したつったって恐慌になったわけでも無しそんな急激に受注が減るわけがない。実際今そんな事殆ど言われないしね。ギリシャに至っては、一番影響食らったはずのドイツが割とピンピンしてんだから。
為替や株式の投資家やそのアドバイザーは、大口投資家はギリシャの選挙結果は緊縮派敗北を織り込み済み、って言ってて、実際そうだったんだろうけど、いざ結果が出たら何かの力が働いたかのように相場急落の方向に持ってかれちゃった。エコノミストからも困惑の声が出てたのが印象深かった。

原因がわかったのは数ヶ月後。自民党総裁選で安倍晋三が勝ったら、待ってましたとばかりに相場好転。
実体経済が変わってないのにそんな簡単にね、相場なんて急変しないんですよ。変わるとしたら、元々変わるべき状況にあったのに今まで押さえ込まれていたか、急変するくらいのお金持った誰かが介入してきたか、どっちかなんですよ。
どっちにしたってね。そういう事をやった誰かがいて、安倍政権樹立の見通しが立ったらそいつらは相場上昇の方向に持って行った。これに反論があるのなら是非お聞きしたい。

一年前って言ったら、民主党政権下。民主党政権への賛否はともかく、その頃には既に景気回復は始まっていた。けど、民主党政権で景気回復されたら、困る人達がいたんだろうね。だから、景気回復のチャンスを潰しちゃった。自民党政権になってから証券市場はやたら活気づいてるけど、実際の雇用や生活の方、どうですか? 去年の春は確実に増えてる実感があった仕事の受注とか、今どうですか? 増えてるならそれでいいんですけど。

ちなみに証券会社の自民党への肩入れぶりってハンパないよ、てことは申し添えておこう。講演とかで株価上げるには自民党が選挙で勝つのが一番とか言い切っちゃうくらいだから。
日本の投資家は右寄りの思考持った人に偏っちゃってるから、今まで特に何も言われてこなかったんだろうけど。そもそもまずここだよね。アメリカだと左の視点持った投資家とか普通にいて、それでバランスとってるのに。

ま、今日の所はこのくらいにしといてやる。

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共産主義は労働を尊ぶ思想なり(本文とは微妙にずれてる)


 中東連鎖革命のおかげで、臨時収入が入りました。民主主義万歳。
 ということで、前から欲しかった佳奈多キーボードを買うことにしました。
 なので今日、帰りに大須のゲーマーズに寄ってきました。
 
 そうしたら店内で、うだつの上がらない男に話しかけられました。場所が場所なのでうだつの上がらない男はいっぱいいますし、もしかしたら同志かもと思い、とりあえず無視はしないことにしました。
 
男:「ちょっとお話ししていいですか?」
草:「話だけなら」
男:「あの、今ちょっと派遣切りにあっちゃいまして」
草:「あー。仕事だったら、今はちょっと紹介できないですねー」
男:「いえ、そうじゃなくて」
草:「?」
男:「あの、助けて欲しいんです」
草:「は?」
男:「…助けること、出来ませんか?」
草:「出来ません」
 男は去っていきました。
 
 
 明らかに怪しいですね。
 
 
 オタクって、何か昔から、詐欺まがいの行為の標的にされやすいですけど。また何か、オタクを狙ったブラックビジネスみたいなものが流行り始めているのかもしれません。
 
 皆さん、どうかご注意ください。
 
 
 
 ちなみに、お目当ての佳奈多キーボードは売り切れでした。前回見たときに既に残り1個だったので無くて当然なんですが、もしかしたら追加入荷が入ってるかもと思ったのですが。
 こうなったらネットショップを当たるしかないです。
 
 できれば週明けから職場で使いたかったんですけどねー。
 
 
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インフルエンザ以外の何かwith荒野草途伸


 もう何年前の話だろうか。
 ペルソナウェア(現キャラリナ)のパチモンである「任意たん」というものが流行したことがある。
 それが、ペルソナウェアの会社から著作権法違反で訴えられて、以降「あれ以外の何かwith任意」とか「伺か」とか名前が変遷したり海賊ゲリラ配布サイトが横行したりしたようであるが、荒野草途伸は「任意たん」にはあまり興味がなかったので、この辺の経緯は詳しくない。
 だが、その海賊配布サイトの一つが、配布リンクと一緒にリンク集と称して、荒野草途伸のKeySSへのリンクを張っていて、「いったいどういうことですか」と問い合わせが来たことがある。こっちとしては青天の霹靂であった。
 
 流行というのは、このように突然無関係の人間を巻き込む恐ろしい現象である。
 
 
 さて。問題のインフルエンザである。
 今年、というか今年度という言い方が正確であろうか、H1N1型のインフルエンザが流行しているらしい。一昔前なら「Aソ連型」という呼称の方が一般的だったようだ。この呼称のせいで日本で反共感情が広まったのかと思うと、口惜しいことこの上ない。別にスターリンがウイルスをまき散らしたわけでもないし、そもそもスターリンを共産主義者呼ばわりされるのは左翼としては心外なことこの上ないのだが。
 
 まあいい。とにかく、H1N1型というのは、いわゆるA型インフルエンザの亜種であるらしい。特徴としては、「咳(せき)や鼻水等の気道の炎症に伴う症状に加えて、突然の高熱、全身倦怠感、筋肉痛等を伴うことを特徴とします。」(参考:瀬戸市健康課:新型インフルエンザに関する情報についてということらしい。
 
 そして。荒野草途伸は、水曜日にこの症状が全て出た。
 
 経緯をざっと説明すると、年明けぐらいから疲れが抜けない状態が続いていたのだが、1/14の金曜日まではその程度だった。この日は、岡崎市民会館で開かれた益川教授の講演会を聞きに行っていた。
 変調はこの後からである。講演会の内容と感想をざっとブログにまとめようと思ったのだが、どうにも頭が働かない。まあ一日ぐらい置いてもいいだろうと思い翌日に作業を回すことにし、その日はさっさと寝てしまった。
 
 翌、土曜日。体が動かない。否、無理すれば動くし、トイレには行かなきゃいけないので全く動けないわけではないのだが、何か作業を出来る状態ではとてもなかった。
 結局この日は、昼過ぎまで寝ていた。
 
 日曜日も同じような状態だった。ブログの更新は諦めた。そして、やたら咳がよく出るようになった。
 だが、この時点でまだ、「自分は風邪である」という自覚はなかった。体がだるいのも咳が出るのも、20年来の日常茶飯事のことだからである。「ああ、またか…」という一種の諦め以外の思考は、無かった。
 
 月曜日。朝起きたら、咳混みが酷くなっていた。さすがにこれは風邪か…? と思ったが、休むほどではないと判断し(休んだら収入減るし)、いつも通り家を出た。
 着いたら、欠席者が一人出ていた。他に、風邪の症状を呈している人が一人。ちょっとまずいかも…? と思ったが、自分はまだ動ける状態だったので、ビタミンC大量摂取で乗り切る方針を決めた。
 
 火曜日。欠席者が3名に増加。午後になって、インフルエンザであることが判明。9名のチーム中3名がインフルエンザ発症。1/3である。しかも、自分も既に風邪の症状を呈している。これは緊急事態だと、ようやく理解した。
 
 
 そして水曜日。朝。動けない。マジで動けない。とりあえずトイレに行きたかったが、それすら出来ない。
 咳が酷い。痰は真っ黄色。熱は動けないから測れないが明らかに高熱。倦怠感どころではない、動けない。全身筋肉痛。加えて頭痛。
 これがただの体調不良なら栄養ドリンクでもぶち込んで何とか動くところであるが、状況から察するに明らかにインフルエンザであると判断し、午前中は諦めた。ここでまだ「午後はいける可能性がある」と思っていた辺り、判断力が著しく欠如していた証拠である。
 
 2時間ほどして、なんとか這って動けるまでにはなったので、まずはトイレに行く。その後熱を測ったら、40.2℃。若干良くなってこの熱なのだから、さっきは一体何度だったのか。
 
 とりあえず、病院に行かなければならない。市役所に電話したら、品野と末広と宮前に医院があると言われる。品野と末広は全く知らない。宮前のK内科は、5年前の沖縄移住前にかかりつけ医だったところなので、ここに行くことにした。
 
 インフルエンザを発症した旨電話したら、すぐ来てくれと言われた。ので、すぐ行った。朦朧とした意識の中、何とか現状を説明する。すぐに奥のベッドに隔離された。粘膜検査と血液検査をされた事は覚えている。
 
 何十分か、1時間以上経ったのか、記憶が無いが、診察に入る。
 検査結果は、A・B共に陰性。
 
 …どういう事?
 
 医師も、「これは絶対インフルエンザだと思ったんだが…」と頭を抱えていた。
 とりあえず一日様子を見ようと言うことになり、念のためにタミフル二日分と、抗生物質と解熱剤を処方された。
 
 帰宅して、もう何もしたくなかったが、とりあえず経過報告を義務づけられているので電話をする。明日再検査するので明日もいけない旨伝える。まあ、これで明日は電話しなくて済む。
 
 
 その後、解熱剤のおかげか体は幾分軽くなった。これを機会に貯まった文書を書き上げてしまおうかと思ったが、何を書くつもりだったのか忘れてしまっていた。
 
 
 翌朝。症状はさらに悪化していた。解熱剤が切れたのと、夜が冷え込んだことが重なった為だろう。夜中にエアコンを入れるとブレーカーが落ちて余計大惨事になるので、風邪でも暖房を入れることが出来ない。自分の部屋は断熱性最悪の欠陥住宅なのに。
 マジ深夜電力契約して欲しいんですけど。
 
 
 朝一で医院に行くつもりだったが、動けない。とにかく動けない。トイレも行けない。美少女がお漏らしすれば喜ぶ人間もごく一部にはいるが、30男がお漏らしして喜ぶ人間がいるとは思えない。人としての尊厳がかかっていた二時間であった。
 
 10時半頃になってようやく動けるようになったので階下に降りてみたら、母親が倒れていた。どうやら、自分と同じ症状にかかったらしい。
 
 送り迎えを期待していた人物が同じ病に倒れたとあっては、医院には行けない。
 とりあえず午前中に医院に行くつもりだったのを夕方に延期しようかと思っていたら、母親が送るだけなら出来ると言い出した。
 病状は同じなのでどれだけやばい状態かはよくわかるし、正直そんなやばい状態で運転されるくらいならタクシーで行った方がマシだし、ちょうど帰省していた妹もタクシー使った方がいいんじゃないかと言っていたが、結局母親が送ることになった。
 どうせ医院行くなら母親も一緒に診察かかったらどうかと言ったが、それは嫌だという。忙しいからとか何とか言っていたが、何か作業や仕事が出来る状態ではないのは同じ病状の自分が一番よくわかってる。たぶん、何らかの医療不信みたいなものが根底にあるのだろう。
 
 ともあれ、午前の診療時間ぎりぎりに医院に行くことが出来た。鼻の粘膜を取られて、待つこと数十分。結果は、やはりA・B共に陰性。
 
 結局、「極めてインフルエンザに似ているが、インフルエンザではない何か」というほか無いようだ。ただ、二日間とも、白血球値が異常値を示しており、二日目は特にかなり高い値を示していたので、ウイルスなり菌類なり何らかの白血球の攻撃対象になる生命が侵入していることは間違いないようだった。
 
 医師からは、「解熱剤なり栄養剤を打つなりするしか打つ手がない」と言われたので、とりあえず解熱剤注射と栄養点滴を受けておいた。医師からは「打ちたいならいくらでも打つから」と言われたが、そんな何本も打たれても却って不安になるだけなので、一本だけにしておいた。
 
 
 結局、翌日も休んで、土日もずっと寝たきりえだった。その間、帰省していた妹にも感染してしまい、妹は有給を一日延長する羽目になった。
 月曜の朝には何とか動けるようにはなった。インフルエンザ組は既に出てきていた。
 結果論から言えば、自分はインフルエンザより厄介な病気にかかっていたことになる。しかし「インフルエンザ」ではないので、公欠にはならないし自宅待機命令が出ることもなかった。
 お役所仕事とか良く言われるが、民間だって大して変わらないものである。
 そして発熱してから10日経った。その後、自分の隣の席の人が「インフルエンザ以外の何か」で二日間休み、そしてさらにその隣の人がどうも体調不良の様相を呈している。
 同じ室内で、二つのウイルスが平行して流行しているようだ。
 
 
 ところで話は変わるが、最近のオタク文化は「けいおん!」のようなアニメ系と「東方」のような同人系が平行して流行しているようである。しかし、世間一般で「流行」として取り上げられるのは、どちらか一方でしかない。
 
 流行というのは、かくも不可解なものである。
 
 
 
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──書き換えることが出来るだろうか。日本人の、その常識を。


 出来れば思い出したくないし忘れるように努力しているにもかかわらず周りの言動によって強制的に思い出させられてしまう日というものがある。2月14日など、その最たる例であろう。
 12月24日は、我々鍵っ子にとっては「キムチラーメンを食べる聖なる日」であり、そういう意味では忘れてはいけない日なのであるが、しかし、別の、間違った定義を強制的に思い出させられてしまうことが往々にしてある。
 ここで笑って返してしまうのは、日本人の悲しい性と言えよう。欧米人やムスリムなら、己の信念を書けて議論をふっかけるところである。
 …昔は自分もそのくらいの気概はあったんだがな。鍵っ子として弱くなってしまったということだろうか。
 そんな事は置いといて、今年の12月24日は「Rewrite予約開始日」が重なるという、二重の意味で忘れてはいけない日なのである。
 そんなわけで、今日は帰りがけに大須でRewriteの予約をしてから、尾張瀬戸駅のラーメン屋でキムチラーメンを食って帰った。
 Rewriteの予約は、ゲーマーズとGoodwillどっちにしようか迷ったが、ゲーマーズは何か混んでてめんどくさそうだったので、Goodwillにした。GoodwillならEdyも使えるしね。
Rewrite予約票
 沖縄にいたらGoodwill北谷店で予約したんだろうなあ、年百万の不労所得を得られるようになって沖縄に戻りたいなあ、でも年百万じゃギャルゲー買うの厳しいかなあ、とか現実的なんだか非現実的なんだかわからない願いを心に巡らせながら、店外へ。
 店を出たら、ちょうど矢場町から瀬戸駅前行きのバスが出る時間と合っていたので、それに乗って帰ることにした。ら、30分以上も待たされた。起点の名鉄バスセンターから停留所3つしかないのに、何でこんなに遅れるんだか。しかも後から来るはずの三軒屋行きが先に来るとか。どうなっとるんだ。しかも新出来町でその三軒屋行きのバスが故障して動かなくなってたし。
 道が混んでいたのでバスだと電車の倍の一時間半かかったが、しかしおかげで参考書がかなり読み進められたのでよかった。電車やバスの中だと勉強がはかどるのは何故なんだろう。但しクロスシートに座ったときに限る。だからロングシートしかない地下鉄名城線は使えない。て言うか名城線なにげにループしないし。大曽根か矢田か名古屋港で止まっちゃうから、一日中乗ってられないし。全然関係ないがトランパスあと2ヶ月で販売終了てどういうことだ。マナカとか、鍵っ子の俺には全然関係ないし。
 瀬戸駅に着いて図書館で本の手続きをしていたら、ちょうど目の前で帰りのバスが出てしまった。…まあ、どのみち駅ビルのラーメン屋でキムチラーメンを食べる予定だったからいいのだが。…コンビニでカップ麺とキムチを買って帰るという選択肢もあったのだが。
 キムチラーメンは、まあそれなりの味だった。本来台湾ラーメンの店だから、そこはあんまり期待しちゃいけない。どうでもいいが、何故名古屋人は台湾とかナポリとかベトナムとか、中京圏と全然関係ない地名を食べ物に冠したがるのだろう。
キムチラーメン
 食べながら、「七瀬留美の偉いところはちゃんとラーメン全部食い終わってから店を飛び出したところだよな」等と考えていた。普通は、感情的になって食べずに店を飛び出すか、泣きながら食べてそのまま居続けるかのどちらかである。
 勘定を済ませて店を出たら、既に帰りのバスが止まっていた。あと1分出るのが遅かったら、三十分待ちさせられるところだった。
 帰りのバスの中で、ふと気づいた。
 折原浩平は毎年12月24日にキムチラーメンを食いに行っているが、必ず「女の子と一緒に行っている」のである。つまり、12月24日に取るべき正しい行動は、「男一人でキムチラーメンを食べる」のではなく、「誰でもいいから女の子と一緒にキムチラーメンを食べる」なのである。
 この歳にして、とんでもない間違いに気づいてしまった。しかしこれは、改めろと言われて簡単に改められるものではない。日本社会の常識は未だ「12月24日は恋人同士で過ごすのが最良である」という間違った認識に支配されており、「誰でもいいから異性とキムチラーメンを食べる」という方向に向かう気配は全く無いからである。
 ──書き換えることが出来るだろうか。私の、この運命を。
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更新履歴_Twitter履歴_2009年分


 トラブルがあって、怒りで眠れなかったです。ようやく眠気が来たけど、朝一でカード会社と保険会社に電話しなければならないので、そのままバスの始発まで起きていて、着いたら速攻電話して、さっさと片付ける方向で行くことにした。もう、面倒なことは早く片付けたい。
 つーか、何でこう厄介なことばかり起こるんだ。ここ数ヶ月、自分、まるでクレーマーのごとくあちこちに苦情言いまくってるよ。もちろん、言わなきゃこっちが困るから言ってるんだけど。
 そんなわけでまたしても早朝の空き時間が出来たので、せっかく作った自作のTwitter発言編集ツールを使って、2009年分の発言をHTML化してアップしてみました。
 Twitter履歴_2009年分
 もう一年以上前の発言ばかりです。総選挙直前辺りから、iAcnに勧められて使い始めたTwitter、最初はTwitter自体がなんなのかわけわかんなくて、とりあえずBLOGに書くほどでもない様なレベルの言いたいことを書いておけばいいのかなあと思っていたら、リツイートだのフォローだの意味わからん単語が飛び交いだして、何かもう意味わからんやっぱりやめようかとも思ったが、当時は暇だったためか(今も、昔に比べればずっと暇だが)、改めて見返すと結構な数を呟いている。
 …うん、丁度、前の会社の仕打ちに我慢なら無くなって、会社辞めて、一旦実家に引き上げることに決めて、その準備を3ヶ月かけてやっていた時期なんだよな。
 とりあえず、今後当分は、4半期毎にまとめをアップしておこうかと思う。
 …て言うか、「日常の愚痴」、3年ぶりの更新なんだよな。当初コンセプトの愚痴系文章は全部BLOGに書くようになったし、評論系文章もついGoogleのスコアが高いBLOGの方に上げてしまうし。 
 …ちょっと、このカテゴリの存在意義を、考え直さないといけないな。タイトルは変えるつもりはないけど。
 あと、最近書いた文書は一応PCブラウザ・携帯ブラウザ両対応を視野に入れて作るようにしてるんだけど、ここのトップページは、携帯向けにはちょっと…というデザインなんだよなあ。見れないことはないんだけど。…まあ、個別の文書自体は、文章ばっかだから別に問題無いだろうけど。
 だが、そんな事言ったら未だに旧世紀の遺物であるFRAME使ってる「Key系ページ」なんか、携帯完全無視の姿勢丸出しなんだけどどうなんだという話になるが。でも、何故かここのコンテンツ、携帯からのアクセスが多いんだよなあ…。
 どういうことやねん。
 それはさておき。今後HTML5が普及し始めたら、CHTMLとの両対応路線は難しくなるんだろうなあ。Ajaxは、文章中心の自分のサイトでは使う意味無いと思って無視したけど。
 いやしかし、HTML5も、今のところ要するに「JAVAスクリプトのGUI実行領域をHTML上で定義出来るようになりました」というそれだけの話でしかないようだし、それだとやっぱり、現状の自分のサイトでは使うメリットは薄いなあ…。まあ、完成は10年後だというから、今後どういうものになっていくのか全く判らないけど。
 逆に、HTML5を追っかけていれば、とりあえず10年は食っていけるというわけだ。仕事の上では。あくまで。
 ああ、でもHTML5向けのAPIWebサービスを作ってみる、というのも面白いかもしれないなあ。…実用に耐えうるようなものは、自分がHTML5を習得する前に、どうせ秀才達が全部作っちゃうんだろうけど。
 …なんだか予想以上の長文になってしまったな。しかも、どちらかというと、昨日の話題の中に盛り込んだ方が良かったような内容だ。
 …まあ、いいか。どうせ20人くらいしか閲覧しないような弱小BLOGだ。11/19の記事は桁違いの1500アクセスを超えたが。しかし、これは明らかに広告効果によるものだ。まあ、この辺の分析結果も、いずれ書こう。
 さて。そろそろ始発の時間だ。カフェインを摂取してサプリを飲み、今日一日を乗り切らなければ。
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遺言状には「葬式はするな」と書いておこう、自分は。


 Twitterの方では書いていますが、日曜日に母方の祖父が亡くなりました。ああ、Twitterの内容もまとめて文書化しないといけないな、いや、そんな事は後回しだ、もっと優先順位の高い事から片付けないと…。
 9月の祖母の時と違って地域や組織やらの因習が絡んでえらい大変な葬儀で、自分はそういう因習とか大ッ嫌いだから本当は関わりたくなかったんだけど、叔母の家族が超バテバテなの見てさすがに何もしないわけにもいかないと思い、とりあえずやれる事だけやってきました。
 月曜日が友引だという事で火曜日に葬儀をやったのですが、缶コーヒー2本にエスカップ2本飲んで、なんとか葬儀は乗り切って、それでも疲れてるから一般道で渋滞に捕まったらかなわんと思って高速飛ばして(東海環状自動車道建設反対派だったのに、品野インター使ってしまった…。)、家に帰り着いたら、半分錯乱みたいな精神状態に陥って、幸か不幸か肉体的に動けなくなったので大人しくしているしか無くて、しかし夜は全然眠れず、昨日の夜になってようやく正常化したというところです。
 …葬式なんてやりたくないものですね。いろんな意味で。
 祖父は、もう自分が子供の頃から既に糖尿病とか煩ってて、今回も一年前から入院してて、半年弱前に医者から「覚悟しておいて下さい」と言われていたのですが。しかし精神力(そうとしか考えられない)で半年生き続けて、死に顔もまるで「自分はまだ生きたいんだ」と言っているかのようで、なんだかやるせない気持ちになりました。
 自分なんか、「俺の寿命は33までだからもう既に死んだも同然」なんてほざいてるのに、この差は一体何なのか。
 父方の祖父は7年前に既に無くなっているので、これでもう残ってるのは母方の祖母だけです。
 いとこと話していたら、いとこの会社(決して大きくはない)でも親類の葬儀が続出しているという事で、いわゆる「団塊の親」世代がどんどん無くなっていく時代に入っているのでしょうか。
 「人はいつか死ぬものである、死んだら土に還るのだ」と、自分は唯物論者なのでこう割り切れますが、そうでない人はきっともっと辛いでしょうね。
 しかし、葬儀をやったH会館の不手際ぶりは、目に余るものがあった。母親があんまり言うなって言うから、敢えて言わないけどさ。
 とりあえず、予定を全面組み替えしないと。やる事は山積だが、選択と集中、やれる事とやれない事の区別つけて、再計画し直さないといけないな。
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