遺言状には「葬式はするな」と書いておこう、自分は。


 Twitterの方では書いていますが、日曜日に母方の祖父が亡くなりました。ああ、Twitterの内容もまとめて文書化しないといけないな、いや、そんな事は後回しだ、もっと優先順位の高い事から片付けないと…。
 9月の祖母の時と違って地域や組織やらの因習が絡んでえらい大変な葬儀で、自分はそういう因習とか大ッ嫌いだから本当は関わりたくなかったんだけど、叔母の家族が超バテバテなの見てさすがに何もしないわけにもいかないと思い、とりあえずやれる事だけやってきました。
 月曜日が友引だという事で火曜日に葬儀をやったのですが、缶コーヒー2本にエスカップ2本飲んで、なんとか葬儀は乗り切って、それでも疲れてるから一般道で渋滞に捕まったらかなわんと思って高速飛ばして(東海環状自動車道建設反対派だったのに、品野インター使ってしまった…。)、家に帰り着いたら、半分錯乱みたいな精神状態に陥って、幸か不幸か肉体的に動けなくなったので大人しくしているしか無くて、しかし夜は全然眠れず、昨日の夜になってようやく正常化したというところです。
 …葬式なんてやりたくないものですね。いろんな意味で。
 祖父は、もう自分が子供の頃から既に糖尿病とか煩ってて、今回も一年前から入院してて、半年弱前に医者から「覚悟しておいて下さい」と言われていたのですが。しかし精神力(そうとしか考えられない)で半年生き続けて、死に顔もまるで「自分はまだ生きたいんだ」と言っているかのようで、なんだかやるせない気持ちになりました。
 自分なんか、「俺の寿命は33までだからもう既に死んだも同然」なんてほざいてるのに、この差は一体何なのか。
 父方の祖父は7年前に既に無くなっているので、これでもう残ってるのは母方の祖母だけです。
 いとこと話していたら、いとこの会社(決して大きくはない)でも親類の葬儀が続出しているという事で、いわゆる「団塊の親」世代がどんどん無くなっていく時代に入っているのでしょうか。
 「人はいつか死ぬものである、死んだら土に還るのだ」と、自分は唯物論者なのでこう割り切れますが、そうでない人はきっともっと辛いでしょうね。
 しかし、葬儀をやったH会館の不手際ぶりは、目に余るものがあった。母親があんまり言うなって言うから、敢えて言わないけどさ。
 とりあえず、予定を全面組み替えしないと。やる事は山積だが、選択と集中、やれる事とやれない事の区別つけて、再計画し直さないといけないな。
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