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処理水(スタァライトパロディ4コマ)


 トリチウムというのは三重水素のことで、陽子・中性子・中性子の3つから原子核が構成されているので、トリ(=ラテン語で3の意味)と付いているんですね。
 原子核が陽子のみの安定同位体と違って、β崩壊を起こしていく放射能です。その為、IAEA(国際原子力機関)による管理対象になっています。

 トリチウム水海洋廃棄に際しIAEAが監査して、「今回はしょうがないから容認するけど、今後も国際的監視は続けるよ?」と、釘を刺しているわけです。IAEAの監視じゃ無く、国際的監視とわざわざ言っているわけです。仮免許みたいなもんです。お墨付きなんて貰っていません。
 ところが、岸田政権やマスコミは「IAEAがお墨付きを与えた!」と明らかな誤報を垂れ流し続け、その為多くの日本人は何か勘違いをし続けたままです。

 ちなみに、IAEAの事務局長は監査結果を伝えに東京に行った翌日に、福島に行って現地の人達と話をしています。
 岸田文雄は2ヶ月近くも経った今日になってやっと福島に行ったらしいですが。


8月前半の日本人へ


今日8/6は広島に原爆が投下された日ですが
8月はこの後

8/9 長崎原爆投下
{1945年}

8/13 沖国大米軍占領事件
(沖国大米軍ヘリ墜落事件)
{2004年}

8/15 終戦記念日
{1945年}

といった日が控えています。
特別何かしろというつもりはありませんが、頭の片隅には置いておいて貰いたいです。


延期無し!デスマーチと化した健康保険証統合問題


 マイナンバーカードの問題が止まらない。終わらない。未来を。目指して。マイナカードを選ばれるカードにする努力を続ける。それが岸田自民党のジャスティスらしい。

 今日は健康保険証のマイナカード統合に関して岸田文雄が記者会見するというので、一応話だけは聞いてやるという感覚で中継を聞いてみた。

 わざわざ記者会見開いて言うような内容じゃねえだろ、としか思えなかった。

 というか、「資格証明書と両方から選べる」だの「選ばれるマイナカードを目指す」(※選ばれる云々以前に強制統合されるから反感買っている)だの、「電子化推進のために健康保険証のマイナカードへの統合は予定通り変えない」だの。
 アンタ何言ってんの? としか。

ちなみに上記発言のダメだし一応書いとくと。

「資格証明書と両方から選べる」
 →選べはしない。連繋してない人は最大5年間資格証明書が使えるだけ。使えない人もいる。
「選ばれるマイナカードを目指す」
 →選ばれる云々以前に、健康保険証が廃止されたらマイナカードとデータ連繋して使うしか無い。
「電子化推進のために健康保険証のマイナカードへの統合は予定通り変えない」
 →健康保険証の電子化は別にマイナカードで無くても出来る。

 端的に言って、何が問題になっているのか全く理解していない印象だった。

 何が問題なのかわからないなら、黙っていればまだいいものを。わざわざ記者会見開いて「予定は一切変えません」とか。
 推進派からすら、今のマイナ保険証の進め方は問題だという指摘が出ているのに。一体何が彼らをそうさせるのか。情報システムに対する無知が彼らをそうさせるのか。

 今更ではあるが、マイナンバーとマイナンバーシステムとマイナカードとマイナカードへの健康保険証の統合は、それぞれ別の問題である。当然、それぞれに対して賛否は割れる。
 マイナンバー制度には賛成だが保険証をデータ連繋して統合されるのはさすがに困る、という人は多かろう。

 医療情報というのは究極の個人情報で、漏れれば場合によっては深刻な差別や人権侵害にも繋がる。だからこそ、税務情報だけでなく今後行政情報や信用情報と結びついていくマイナンバーシステムとリンクさせてはいけない。
 健康保険証を今後電子化するにしても、マイナカードやマイナンバーシステムとは完全に切り反して構築しなければならない。

 それを突然統合すると言いだした挙げ句、健康保険組合が全くシステム対応していない補助も支援もしない状態で期限だけ切って進めたもんだから、健康保険情報を手入力でマイナンバーシステムに入力するという到底「システム連携」とは言えない前世紀的な作業が、今でも行われている。
 まさに基本設計のミスに他ならない。

 設計が間違っているのだから、選択肢は本来2つしか無い。
 設計からやり直すか、そもそものシステム導入計画を中止するか、だ。

 ところが岸田自民党政権は、「設計の誤りも修正せずにそのまま進める」という、誰も考えつかないような最悪手を取ったのだ。
 それで泣きを見るのが自民党の連中なら、まあ別に構わんか自業自得だ、となるのだが。実際に泣きを見るのは現場の人間だ。

 システム開発で使われる用語にデスマーチというものがある。
 いつまで経っても終わらないプロジェクトに従事していると、そのうちSEに死の行進を奏でる幻聴が聞こえてくるものが現れることから生まれた言葉、と言われている。
 そういう状態に陥ること自体、トップが無能な証拠なのだが。仮に陥ってしまった場合は、トップはプロジェクト中断を含めて改善策を講じなければならない。

 そういう事が出来ない組織は、得てしてブラック企業である可能性が高い。

 さて。明らかにデスマーチがかかり始めている健康保険証統合問題を、中止も改善も出来ずひたすら精神論を唱えるだけの岸田自民党に、国のトップたる資格はあるのだろうか?

 仮にもITで飯を食ってきた私からしたら、当然「否」としか答えようが無いのだが。
 非IT系の日本人におかれましては如何ばかりか。


めーでー 2023 いん じゃぱん


 実は労働組合というものに入ったことがない。

 ぶっちゃけ、関わったことすら殆ど無く、最初に入ってしまったブラック企業に勤めていたときに(派遣元は沖縄に本社があったので)沖縄県労連にメールで相談したことがあるのと、13年前の沖縄県知事選の際に連合沖縄に軽く挨拶しに行ったことがある程度だ。
 つまり、沖縄の労働組合としか接点が無い。それですら、10年以上前の話だ。

 そういう意味では、メーデーというのは自分には関係の無いイベントだ。

 メーデーの由来は、一時期マルクスの誕生日だという説がTwitterで流れたが、どうもこれは「クリスマスはキリストの誕生日」並みのガセネタだったようだ。

 現在では、この説が主流らしい。
「メーデーの由来は、1886年5月1日にアメリカの合衆国カナダ職能労働組合連盟が8時間労働制を要求して行ったストライキがきっかけとされています。その後、世界的に毎年5月1日がメーデーとされており、労働者が団結して権利を要求する日となっています」
 ──Bing検索を元にしたchatGPTによる回答。

 (但し、フランスが起源だという説もどこかで見たような気がするので、この説が本当に正しいかはわからない。)

 興味深いのは、アメリカ起源説を採れば、労働者が要求していたのは賃上げでも経営権でも無く、8時間労働制だったという点だ。
 今の日本の労働者でも、賃上げよりも8時間労働制の遵守を求める声は大きい。
 言うまでもなく、ブラック企業に潰された身である荒野草途伸は、8時間労働派である。

 5年前のネット労働運動の高揚と”働き方改革”実現要求では、労働者の間でも8時間労働派と、超過勤務手当を当て込んだ長時間労働派が対立した。
 ナショナルユニオン的には連合が長時間労働派、全労連が8時間労働派に組みした。ここだけを見て、20世紀以来の日本のナショナルユニオンの対立しか頭にない専門家からは、この対立構図を連合と全労連の路線対立という問題の矮小化をされてしまった。が、実際には非組織労働者も巻き込んだ労働者同士の利害対立という、1つの歴史の節目だったのだ。

 尚、この”働き方改革”は、超過勤務手当を負担に感じていた大企業経営者の一部が8時間労働派の主張を支持したため、結局総労働時間の規制という方向性でまとまった。が、無償で労に勤しむことを美と考える自民党はこの法案を骨抜きにしてしまい、現在でも尚、長時間労働は根絶されていない。

 この3年間、コロナ禍という一種の世界大戦状態にあったために、労働者も経営者も政治家も、思考がどこか明後日の方向にとんでしまっているところはあるだろう。コロナ禍で長時間労働はむしろ悪化したのだが、それをテレワークのせいにしたがる輩などがいたせいで、何が問題なのかということをみんな忘れてしまっているように感じる。
 しかし、本気でアフターコロナを目指すのであれば、日本が抱える構造的問題である長時間労働の問題、それが今なお改善されていない現実に目を向けねばならない。

 メーデーというのは良い節目だろう。労働組合とか、そんなのは関係なく。

 


現実世界の少子化の話


 IT界隈に身を置いているせいなのか、少子化対策、と言われても実はあまりピンとこない。
 その頭数、人間である必要があるか? 自動人形で良くないか? という考えがどうしても来てしまう。
 頭数が多い方が生活や経済は豊かになる、というのは歴史が示すとおりなのだが、一方で技術力で頭数の少なさを補ってきたのも人類の歴史だ。

 ちなみに、ここでいう自動人形とは、自動制御機械とかArtificial Intelligence とか、そういった類のもののことである。日本だと、この20年あまり、生身の人間を自動人形扱いして使い潰してきて全てを台無しにしてきた不幸な歴史があるので、敢えて念押しをしておく。

 つまりは、技術の進歩を信じている我々としては、少子化という社会現象をそこまで恐れる必要は無いのでは無いか? という疑問を提示したくなる。
 もう少し正確に言えば、多産奨励を以て少子化対策としている自民党政権のやり口は大きな落とし穴がある、という話だ。

 極論を述べれば、これから生まれてくる子供が全員一生働かなかったら、どうなのか。
 我々はそれでも社会がまわるなら別に問題無いと思っているが、右の連中からしたらこんな筈じゃ無かったとなるだろう。

 実際の所、問題はもっと深刻だ。これから生まれてくる子供にしても既に生まれてきてしまった大人にしても、普通に働いたところでまともな収入なんか無い。稼ごうと思ったら死のリスクを受け入れねばならない。
 ついでに言えば、また昔話かと思われるだろうが、まともな収入も無しに死のリスクを強要されていたのが、我々氷河期世代だ。私は生き延びてしまったが。

 まあ、これから生まれてくる子供がどういう判断を下すかはわかるはずも無いのだが。多産奨励というのはあまり賢い方法とは言えない。現代日本で重要な政治テーマに据えるような話では無い。
 もしかしたら、個人の判断など許さないお国の為に働いて死ね、という方向に持って行きたい連中もいるのかもしれないし、そういう連中からしたら重要テーマなのだろうが。

 
 もちろんこれは、「少子化対策として多産奨励する」という政策についての話である。
 少子化だろうか多子化だろうが関係ない自分は子供が欲しい、と思っているのに、経済的な理由で子供が作れないというのであれば、それは政治の責任だろう。

 少子化とか多産とか関係なく、子供を支援する、というのは文明国家の責任だ。
 今の日本は、「子供」では無く「子供のいる世帯」を支援するという前提で全ての話が進んでしまっている、という事も指摘しておこう。N分N乗とかいう独身搾取制度が浮上しているのは、まさに典型例だ。

 ちなみにN分N乗方式というのは少子化対策として最近自民党方面から持ち上がってきている話である。戦後のフランスで導入された、所得税の課税単位を個人単位では無く世帯単位にすることで、子供のいる世帯に属する人間には減税する(=独身者には増税になる)という政策である。
 が、正直な話、それって因果関係ちゃんと検証されてんですか? としか言い様が無い。
 フランスがこの制度を導入したのは、1946年。第2次世界大戦が終了して、全世界的にベビーブームが起きた時代である。日本では第1次ベビーブームと呼ばれて、その時産まれた人達は団塊世代と呼ばれている。
 日本やフランスに限らず、アメリカでもドイツでもソ連でも中国でも、世界中の殆どの工業国で人口が増加した時代だ。そして、その殆どの国は、日本を含めてN分N乗方式は導入してはいない。
 一体何を以て、N分N乗方式が出生率向上に寄与したと主張するのか? というそもそも論がある。

 まあ、伝統的家族観を党是に据える自民党からしたら、世帯単位の課税という思想は魅力なのだろう。
 まさに、手段の為には目的を選ばない、という内海課長的発想だ。

 翻って、では技術力で少子化を補って行くにはどうしたらよいか。
 新技術を生み出す技術というのは、残念ながら未だに未完成だ。
 であれば、教育の向上、技術力の向上しか無い。別に技術者ではなくても、使い方ぐらいはわかります、という人間を増やしていく他無い。

 この場合も、個人単位の支援というのが重要なポイントになる。
 親の収入や価値感のせいで進学先どころか就職先も制約される、というのは我々の時代にはよくあったし、残念ながら今でもある。
 就職先まで親の収入で左右されるなんて論外だし、実際そういうのは就職差別として法律で禁止されているのだが、現実にはそういうところがまだある。
 差別を禁止したら社会が分断されるとかアホなことを言い出す右右な人間が国会議員やってるような悲惨な国なので、そういう理不尽も残ってしまうのだろう。

 それはさておき。
 家族のせいで人生をフイにするくらいなら、家を飛び出して自分の意思で動きなさい。国が支援するから。
 ぐらいのことを言うのが文明国家日本の有り様では無いのか。

 家を飛び出した人が全員高等教育を受けるはずは無いのだが、それでも今不利益を被っている人を救済していけば、それは本人の為にも社会にとっても有益だ。

 使い潰す為に埋めよ増やせよとするよりも、少子化でも救済される国の方が、よほど将来性があるのでは無かろうか。


少子化と育児問題とリスキリングと不安定な生活問題の違いを教えてください


 少子化対策とか育児支援増税とか防衛増税とか防衛費増とか反撃能力保有とかリスキリングとか賃上げとか、いろんなウンコをいっぺんに岸田自民党から投げつけられて思考停止になりそうです。もしかしたらそれが奴らに思惑なのでは無いかとも疑いたくなります。

 ひとまず、自民党の連中が育休中にリスキリングとかアホなことを言って炎上しているので、それに関連することを書きたいと思います。自民党は官僚の原稿のせいにしたがっているらしいですが、いいえ、言ったのは自民党の人間です。自民党の議員の質問を受けて自民党の総理が答弁したのが事の発端なんですから。

 さて。もう早くも1ヶ月近く前の話になりますが、今年の年賀状の中に、瀬戸に住んでいる高校の同級生からのものが1通含まれていました。結婚の報告でした。高校の同級生なので、私と同じ年齢です。もしかしたら、これでついに高校の同級生で結婚していないのは私だけになったかもしれません。
 以前から言っていることですが、私は好きで結婚してないわけでは無いということを、念押ししておきます。

 高校の同級生の方は年賀状1通しか情報が無いのでこれ以上のことは書けません。
 他には、大学の同級生で、愛知県で就職して結婚して子供2人出来た奴からも来ていました。その彼からの年賀状には、愛知に来て4月で10年になると書いてあって、ああもうそんな年月が経ったのかと遠い目になりました。

 その大学の同級生の話はたぶん以前にも書いたと思うのですが、今回の話で重要な点なので、改めて彼の略歴を書いておきます。


 彼は鹿児島県出身で、1999年に琉球大学物理学科を卒業しています。私は2浪していますが彼は現役で補欠入学しているので、私より年齢は2つ下になります。
 在学中から高校教員になると言っていました。彼に限らず琉大物理学科の卒業生はだいたいがそうです。

 しかし当時は就職氷河期で、一応公務員である教員採用試験はもの凄く狭き門でした。卒業してすぐに教員になった人間は、私の同期生ではひとりもいません。
 ついでに言うと、民間企業で就職が決まったのもたったの3人でした。40人近く卒業生がいたので、就職率は1割切っていたのです。一応は国立大学の理系学科なのに。これが就職氷河期と呼ばれる時代です

 さて、その後教員志望者は臨時教員などを務めながら何とか少しづつ採用試験に合格していったのですが、件の彼はなかなか合格できませんでした。沖縄県や鹿児島県だけで無く、九州各地で臨時教員をしながら教員採用試験を受けまくっていましたが、なかなか合格できませんでした。
 中には、臨時教員の口すら無い年もあり、長崎のソニーの工場で非正規労働者として働いていたこともありました。ちなみに、この時に現在の嫁と知り合ったようです。詳しくは知りませんが10年近く付き合っていたようです。しかし結婚は出来ませんでした

 そのうち彼は35才目前になってしまいます。殆どの県で、教員採用試験は30~35才が受験年齢上限です。彼は相当思い詰めていました。当然です。
 そんな折、愛知県教育委員会が高校教員採用試験の年齢上限を撤廃しました。私はこれを知って、彼に愛知県ならどうだと勧めてみました。その年彼は愛知県の教員採用試験を受けました。1次試験は通ったので、私は愛知県特有の事情などの面接のアドバイスもしました。その結果かどうかは知りませんが、彼は愛知県の高校教員として採用されました。

 採用後は、部活の顧問をしているので無休で土日出ているとか最近話題になっている問題の一例とかの話も聞きましたが、彼に関してはとにかく安定就職が出来た満足感の方が大きかったようです。
 そして翌年の年賀状で、結婚の報告が来ました。
 更にその次の年には、長男誕生の連絡が来ました。
 そして更に次の年には、長女誕生の連絡が来ました。

 つまり、正規雇用されて3年で、結婚して2人の子供が出来たわけです。
 繰り返しますが、嫁とは10年近く付き合っていたのに結婚もせず子供も作っていませんでした。


 この事例を見て、どう思われるでしょうか?

 大学入試風な選択問題にしてみましょうか。

問.上記の文章を読んで、少子化対策に有効と思われる政策を答えよ。

1.伝統的家族観を奨励普及させて非正規でも結婚と多子出産をするよう促す。
2.臨時教員の定員を縮小して工場非正規労働者の数を増やす。
3.非正規雇用でも結婚して子供を作るように未婚者への増税を行う。
4.安定した生活ができる正規雇用を確保できる政策を行う。
5.国立大学の卒業生にリスキリングを行う。


 正答は勿論、4です。

 留意すべきは、これはあくまでも「少子化対策」に対して有効な政策である、という事です。
 育児支援とは、全くとは言いませんが、別の問題です。
 リスキリングは、全く別問題です。リスキリングしたから正規雇用されるなんてのは、自民党の幻想です。

 正直な話、私には(現実の)子供がいないので、育児問題は余りよくわかりません。何が育児支援に有効なのかと訊かれても、答えられません。
 しかし、少子化とか結婚しない出来ない問題に何が有効化と問われれば、自信を持ってというか怒りを込めて、安定した雇用だと答えます

 賃上げよりも、こちらの方が重要です。ぶっちゃけ。

 正直に言って、立憲民主党などの野党も、ちょっとこの辺をちゃんと理解していない節はあります。
 しかし、そもそも論として全く関係無い話を「これが解決策だドヤァ」と出してくる自民党よりは、幾分マシだと私は思います。

 しかもその関係ない(当然イミも無い)話の為に増税するとかほざきだしてやがるわけです。

 少子化と全く関係無い話と言われるでしょうが、防衛増税というか反撃能力の名の下にトマホーク買う為の増税という話もあります。実際、これは少子化対策とは全く関係ないです。
 ですがこれも、そもそも必要の無い反撃能力の為に増税するとか国債増発するとか言い出してるわけでして。もしかして何か利権とか利益誘導でも絡んでいてその為に公的支出したいのかな? と勘ぐりたくなります。

 まあ自民党にどういう事情があるかはは憶測でしか物が言えないですが。確実に言えることはこれです。

国民には安定した生活が必要である。
安定した生活の為には安定した雇用が必要である。
雇用が安定すれば子供を作る人は増える。
リスキリングも反撃能力も少子化対策にはならない。

 思考停止から復帰して書いたので、今日はこのくらいで。さて、ところで私の娘の神楽ひかりがどこへ行ったのかご存知ありませんか?


例えばぼっちは議員になれるか


 秋アニメ(※2022年10-12月期放送アニメ)で、「ぼっち・ざ・ろっく」というのが放送されていた。Twitterでトレンド入りもしているので、ご存知の方も多いだろう。

 主人公の後藤ひとり=ぼっちちゃんが女子高生仲間と一緒にライブハウスでのし上がっていく話、ではある、一応。
 まず「ぼっちちゃん」というあだ名が酷すぎるというのはあるのだがそれはさておき。このぼっちちゃん、ギターの演奏配信で稼げるくらいの腕前を持っているのだが、ぼっちでコミュ障でひきこもりで空気が読めないという、およそチームとか組織とか社会に適応できなさそうな子である。
 そういうところが共感されたのか、あるいはそういう子を見て優越感に浸る人間が多いのかは知らないが、とにかく「ぼっち・ざ・ろっく」の原作コミックスは重版を重ねても追いつかないくらい売れているらしい。

 ところで、上で挙げた「ぼっち」「コミュ障」「ひきこもり」「空気が読めない」は、それぞれ症状としては全くの別物、独立した症状である。現実でも併発している人が多い為よく誤解されるが、別物である。ぼっちでもコミュ力高くてアウトドアで察しのいい人はいる。

 というより、「ぼっち」という単語自体未だネットスラングの域を出ておらず、明確な定義があるわけではない。私も細かく覚えていないが、数多くの分類がされている。

 政府レベルだと「孤独・孤立」という用語があるようだ。菅内閣の時に某野党議員が国会で質問したことがきっかけで、内閣官房に孤独・孤立対策担当室というのが設置されている。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kodoku_koritsu_taisaku/index.html

 が、元になった質問自体が「んん? んんんん?」と言いたくなるような内容だったからか、日本政府の考えている孤独孤立というのは心身障害や社会的被害者という捉え方をされているようだ。
 勿論そういった人達が少なくないのは事実である。だがぼっちという言葉の範疇で考えると、ベン図の中の円でしかない。
 ぼっちの分類の中に孤高系ぼっちというのがあるが、そういった人達からはむしろ政府が俺らの生き方に介入するなふざけるな、とすら言われるだろう。

 ただ、孤高系ばかりがぼっちでは無い。好きで孤独でいたいわけではないぼっちもいる。「ぼっち・ざ・ろっく」の中で、ぼっちちゃんのこんな台詞がある。

「空いてるんじゃないんです。空けてるんです」

 結束バンドが全然結束していなかったシーンでの台詞であるが、そうかこういう人もいるのだと改めて気づかされた。同時に、ぼっちで無い人にはなかなかその状況に気づきづらいという事も示唆しているエピソード、とも言える。

 翻って政治の話である。ぼっち対策にしろ孤立対策にしろ、間違った政策で社会を誘導してしまうととんでもないことになるので、当事者の意見を反映させることは不可欠である。
 ところがぼっち、と言うかぼっちちゃんのようなタイプのぼっちは「社会が怖い」とか言って逃げ出しかねないので、意見を汲み取るのは難しい。
 ネットでパブコメ募る程度なら意見を寄せる人もいるだろうが、これが立法措置が必要だとなった時に、統一協会の被害者救済法の時みたいに大揉めにモメて署名が必要だ請願が必要だ議員に説明が必要だ記者会見が必要だとなったときに、一体誰が表に出る当事者になるのか。

 ぼっち代表として議員を出せば、多少話は早くなるだろう。だが、議員になるには選挙で当選する必要がある。ぼっちがどうやって選挙で勝つのか。もっと正確に言えば、どうやってぼっちが組織相手に勝つのか。

 民主主義とは良く言ったもので、誰が議員になるかという事に社会の有り様が反映されている。
 ぼっちは議員になれるか。


カルト規制法に思うこと。


 昨日、カルト宗教への寄付行為に「配慮義務」を課す法律が参議院で可決し成立した。
 私は宗教2世ではあるが統一協会ではないし、記者会見にでている人ほどの深刻な経験は(この件については)していない。が、しかし他人事とも思えず気をもみながら推移を見守っていた。

 法案に賛成した議員もいれば反対した議員もいる。
 あの内容ではダメだと反対した人、無いよりはましなのだからまずは通そうという人。どちらの理由も理解できる。今回通さなければカルト宗教への規制そのものが不要という流れになっていただろう。
 一方で全会一致で可決されていれば、これで立法措置は取った統一協会もカルト宗教もこの話はおしまいもうするな、と言い出す輩が沸いて出ただろう。
 賛成多数で可決、という結果は全体で見れば妥当な結果なのだろう。

 もちろん、カルト宗教を規制する法律の話はこれで終わらない。終わらせてはならない。
 今回はマインドコントロールとはなんぞやという議論がなされることもなく、法律には書き込まれなかった。法学だけでなく宗教学心理学等の専門家も交えて、議論を望みたい。
 また、成立した法律はあくまでも寄付行為に関するものであり、(進学などの)社会的行動に制約を課すことに対する規制は全くの手つかずである。
 これら全て、来年1年かけて議論してほしい。

 さらに言えば、カルト集団というのは実際には宗教に限らない。自己啓発とかネットワークビジネスといったものもあるし、ブラック企業と言われる会社の中には、カルト的な性格を帯びているが故にそうなったところもある。
 率直に言って、どんな集団でもカルトに転落する危険性はあるのだ。政治でも、趣味の集まりでも、その辺の仲良し集団ですら、カルト集団に転落する危険ははらんでいる。
 それを防止するための法律。ガイドラインでもいい。そういうものを作る努力を止めないでもらいたい。

 来年一年、マインドコントロールとカルトについてじっくり腰を据えて議論してもらいたい。


陰キャと反革命


 コロナ対策どうすればいいか誰もわからなくてとにかく行動制限するしか無かった2年前。
 でもおかげでそれまで人間扱いされてなかった陰キャに人権が与えられた。
 ヒトリデイルコトハ正義だった。僕たちの革命だった。

 今、かつてほどの行動制限は必要無くなっている。
 それでも不満を持ちマスクを取れ黙食するな昔に戻せと叫ぶ人達を見ると、彼らは次に陰キャの人権を剥奪しろと言ってくるんだろうな、と、容易に予想がつく。


消費税減税では無く現金給付を行うべき理由


 消費税の件でTwitterで吠えたので、現時点での自分の見解をまとめておく。
 理由と題に書いたので、まずは理由を列挙しておく。

・恒常的な現金給付で社会の安定を図るべき。
・生活課税である消費税の税収は全額生活支援に充てるべき。
・財源を所得税に頼ると高額所得者がデカいツラをする。
・消費税減税は低所得者に恩恵がない。
・消費税の逆進性は1980年代のデータを元にした話。

 以下、各項目についてそれぞれメモ書きを付しておく。

・恒常的な現金給付で社会の安定を図るべき。

 2020年の一律10万円給付は失敗などではない。意味が無かったと叫んでいるのは自民党とその周辺だけ。多くの調査結果で生活支援という意味では効果があったと結論づけている。

 日本は起業が少ない挑戦者がいないと昔から言われますけど、生活の保障が無いのに誰が挑戦なんかするか馬鹿、としか言い様がないんですよね。

 生活を安定させ、社会を安定させて、初めて経済の安定がある。(※安定しない経済成長など、それはただのバブル、暴走だ。)財政は経済が安定してから立て直しの方法を議論すればいい。(※再建しなくていいとは言わない。)何が成長して何が収入源になるかなんて、最初からわかってたら苦労しませんよね?


・生活課税である消費税の税収は全額生活支援に充てるべき。

 題字通りで趣旨としてはこれ以上書くことが無いので、消費税収を全額給付による生活支援に充てた場合の試算を書いておく。

 2020年並みの10万円給付を毎月やるには、約151億円の財源が必要。全額消費税でまかなう場合、消費税率は76%にする必要がある。(※財務省公表令和4年度収支に基づき、消費税率1%につき2兆円という前提で計算。)
 消費税率を現在の10%税率を維持したまま全額給付に回した場合は、毎月1万3千円給付できる。高額所得者には雀の涙かもしれないが、月7万円で生活している人には1万円は大金である。生活支援という意味では十分意味がある。
 尚、これを課税扱いにすれば、高額所得者からはある程度回収できる。それらは別の生活支援の財源に充てる事が可能だ。よって、維新が主張するようなベーシックインカムの為の年金制度や生活保護制度などの切り捨ては必要無い。現行の福祉制度を維持したままでも定額給付は実現できる。

 ちなみに、給付対象に所得基準を設けるのは、今の日本の制度下では望ましくない。効率が悪く却ってコスト増になることと、それをやっても不公平は解消しないという2点が理由だ。
 市役所で年収判定をするときには住民税課税対象額を用いるが、これの計算には分離課税扱いの所得が入ってこない。配当や証券売買で高収入を得ている人でも給付対象になってしまい、却って不公平になる。
 課税の仕組みを別途考える必要があるが、一律に給付して課税で回収した方が公平である。

・財源を所得税に頼ると高額所得者がデカいツラをする。給付財源は全員負担の消費税の方が望ましい

 デカいツラというのはまあ感情論であるが、高額所得者がいないと生活支援が成り立たないというのは理屈はともかく現実的にあまり望ましいことではない。実際、高額所得者に有利な税制にしないと日本から出て行くと脅迫されて歪な財政社会をつくられた歴史がある。結果論としてはこんな惨状を作られるくらいなら出てって貰った方が良かったし、だからこそお前らなんか要らん出ていきたいなら出ていけ、と言えるぐらいにしておかないとただの貴族制社会になってしまう。
 所得税は教育やインフラなどの社会作りに充てる。生活支援の財源は何らかの形で全員が負担する。このような形にするのが望ましい。法人税は人間ではない存在が払う税なのでまた話が違ってくるが。

・消費税減税は低所得者に恩恵がない

 現在の消費支出が少ないのだから、支払っている消費税額も少ない。だから減税されても恩恵はない。当たり前。
 ちなみに、消費税を減税・廃止しても、生活必須経費である家賃や交通費は下がらない。
 家賃は同じ契約が続く限り上がることはあっても下がることはないのが現実。法律で決まっているわけではないが、それが実社会の現実。それ以前に、居住専用であれば消費税は非課税扱いなので、消費税がなくなっても家賃が下がるわけがない。(在宅勤務やテレワークの普及で今後この居住専用というのが焦点になってくるだろうけど。まあ税率云々とは別問題である。)
 交通費(運賃)は鉄道もバスもタクシーも届け出制(事実上の許認可制)で、消費税率とは連動しない。
 携帯電話や光回線も、総額込みの契約で支払額が消費税率とは連動していないのが実態なので、おそらくは下がらない。

・消費税の逆進性は1980年代のデータを元にした話。

 現在は生活・消費スタイルがまるで違っているので再検証するべき。特に固定費の概念がまるで違っていることに留意しなければならない。

 現在、固定費として大きいのは携帯電話。これが無いと生活にも就労にも支障が出る必須アイテムだが、1980年代には個人向けの携帯電話は存在しなかった。
 逆に1980年代当時は固定費とされていた食費や光熱水道費は、今は所得によって支出額が随分違う。固定などではない。金の無い人間がUber EATS頼んだりしない。
 逆進性云々を論じるなら、家計における固定費が今どうなっているかを精査しないと意味がない。いつまでも1987年と同じ生活をしていると思っているようでは困る。

 ちなみに、悪税とかいうレッテル貼りは、これはもう本当にお話にならない。悪税なら何で先進諸国は軒並み導入してるんですか? としか。

・財政の安定化という意味で消費税を当てにするのは筋が違う。

 生活支援に回せ、という話と被るのだが。

 消費税は生活に課せられる税である。実際にはBtoB取引への課税額も大きいが、生活に課せられる割合が多くて、影響も大きい。だからこそ天動説の如く消費税減税を唱える連中が出てきてしまうのだが。
 ただ、生活課税であれば生活支援に全額回すのが筋であって、税収の安定の為にと言うのはこれは筋が違う。借金が多いから増税したいという話なら、それは応能負担の税を増やすべきである。払える人間が払わないと借金なんて返せないでしょう? 当たり前。

 更によろしくない話として、自民党政権下のこの10年で、消費税が何に使われてるかわからない、敢えて言えばこれはてめえらの利益誘導だろと胸ぐら掴みたくなる使われ方がされてる、という状態が横行している。
 給付の是非とか生活支援のあり方は議論の余地があるにしても、こういう異常な使い方は正さなければならない。


 正直、私は経済や財政が専門ではないんで、いろいろツッコみたくなる人はいるだろう。大いに議論して貰いたい。ただ、一億総中流はとうの昔に終わったんだという事は、くれぐれも忘れないでいただきたい。