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寝坊は自己責任か?


目覚まし2個、「起床装置」でも起きられず… JR九州駅員が寝坊 始発電車に乗客乗れず
https://mainichi.jp/articles/20200608/k00/00m/040/066000c
#毎日新聞 #ニュース

5:20起床なのに就寝が0時20分頃って、これ就寝自体が遅いよね。
寝れなかったのか、それともそんな時間まで業務をしていたのか?
一応5時間寝てるわけだし、それで二度寝するって、これ疲労が酷かったか病気抱えてるかのどちらかとしか考えられないんだけど。職員を指導して解決する問題じゃないぞこれ。

寝坊はとかく自己責任・本人の資質の問題にされがちだが、実際には他の原因があることが多い。
放置していい話では無い。


ツヨシの青い空


すっげだるい。マジだるい。だるいなんてモンじゃ無い、午前中はほんとこのまま一生を終えるのかしらんとか思った。

先週頭に双極性障害(躁鬱病)の躁が突然来て、その後ずっと現在に至るまで欝が続いている。自分の場合の欝は、気分が滅入るというのもあるが、思考回路から消化器系から循環器系から、あらゆる体内器官をサボタージュに追い込んでくれる割と性質の悪い鬱状態なので、本気で何も出来なくなる。寝たきりだ。いや、それでも寝れるならいい、そこで「眠いのに寝れない」が発動すると、ほんともう、誰か殺してくれと思うことすらある。

暗い話から始めてしまった。
ほんとは明るい内容の動画の話なのに。

今から7年前、浦添で転職したばかりの頃、自分は当時珍しく元気で、このままなら普通の人と同じ人生歩けるとか思い込んでた頃。
物理学科の同級生で今は福岡にいるTN君が、結婚することになった。
しかし割と急だったので、沖縄にいる連中は殆どがいけない。そこで、TN君と同じN研究室出身で、TN君の人生のライバルであるNT君が、色紙にみんなのお祝いメッセージを集めるため、沖縄本島北部の辺土名高校(当時のNT君の勤務先)から南部のニライカナイ橋(この辺には同級生住んでないんだが…)を経て那覇空港から福岡空港を経て結婚式場に辿り着く、というとりあえず感動しとけ系の動画である。

ほんとはもっと前にアップしたくて、NT君以外の出演者全員の了解は取れたんだけど、主役のNT君がクビを縦に振らなかったので、お蔵入りになってしまった。

今回、ほんのちょっとした気まぐれで、事後承諾という形でアップすることにした。…よく考えたらこれ、BGMも許諾とらんといかんはずだが…まあ文句言われたらその時に対応しよう。

 ちなみにこれ撮影しているとき、ちょうど沖縄県は、現地では国政選挙より重要という沖縄県知事選挙のまっただ中だった。大田革新県政の副知事だった仲井眞弘多と、大田革新県政与党の中心的存在だった沖縄社会大衆党委員長の糸数慶子の、大激戦がくり広げられていた。
 そんな中我々は、読谷村役場だの沖縄電力本社だの普天間基地の目の前にあるキンタコだの、そんなところをうろついて怪しい行動を繰り返していたのだ。ちょうどニライカナイ橋で撮影を始めた頃、一台の沖縄県警のパトカーがやってきて、我々と少し距離を置く形で停車して、中から我々を監視し始めた。
 ちなみにこの時のNT君の姿は、動画の通り空手着に日の丸はちまきという、どう見ても一般人を超越していた姿をしていた。沖縄にはこんな恰好でうろついている奴なんざぁ、いない。否、本土にだっていない、たぶん。少なくとも愛知県と福岡県にはいなかった。

そんな苦労もあって作成された動画なのである。このままお蔵入りというのも勿体ないと思い、また既に沖縄県外に移住した人は殆どが見ていないと思われる為、今回UPすることにした。

うお、以外と文章長くなっちまった…。一言程度で済ますつもりだったのに…。

 しっかしまあ、この頃は元気あったなあ…。あのときの元気の100分の1でも、欲しいわ…。

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中二病


 16日に受けた検査の結果が出た。検査そのものの結果は、全く問題無いというものだったのだが、医師から「問診などから判断して、慢性疲労症候群の疑いがある」と言われた。
 この病名を聞いたとき、正直、愕然とした。と言うのも、この病名は自分にとって決して縁のないものではなかったからだ。
 小説桜落葉陶芸部でも冒頭で少しだけ触れているのだが、中二の時私は原因不明の病気で半年ほど学校を休み、入院までしている。目覚めると既に夕方で、日が暮れるとともに眠気が襲ってくる、赤い夕日しか記憶に残らない日々。入院時には毎日毎日嫌になるほど検査を受けながら結局何の病気かわからないまま退院した。
 秋の終わりに体力が少し回復したので復学して、そのまま卒業し、高校も特に問題無く進学している。ただ、結局病名はわからなかった。
 その後、妹が全く同じような症状でやはり学校を休んで入院してしまった。この時妹に下された診断が、「慢性疲労症候群」であった。私自身はその頃既に通院はしておらず当然医師の診断も下されていないのだが、状況判断からして自分もこの慢性疲労症候群であったと考えられる。
 その当時、慢性疲労症候群は「原因不明」且つ「治らない病気」と言われていた。
 そもそも、アメリカで最初にこの症例が報告されたのが自分が入院したかしないかぐらいの頃であり、伝染病なのか遺伝病なのか精神疾患なのか内分泌系の異常なのか、否それ以前に症例の切り分けすら出来ないという状況であったのだから、致し方ない。
 二十歳で琉大に入って最初の健康診断の時、問診票の既往歴に「慢性疲労症候群の疑い」と書いたところ、問診担当の研修医がそれをみてものすごく申し訳なさそうな顔をしながら「これってまだ治ってないですよね…?」と訊いてきたので、その時点ではまだ不治の病のままであったのだろう。
 それを書いた所為か知らないが、その後大学の医療センターから訳のわからない強制治療みたいな事をされておまけに金銭トラブルになったこともあり、正直うんざりして、その後この病歴のことは出来るだけ書かないし言わないようにしてきた。
 ただ、その頃から「自分の体の中には爆弾を抱え込んでしまっている」という意識が、心のどこか、潜在意識の中に影を落とすようになっていた気がする。
 その後紆余曲折ありながらも何とか就職し、価値観にもよるが一応問題無いと言えば問題無い生活を送ってきたので、この病名のこと自体すっかり忘れていた。なので、今の精神科の主治医にもこのことは伝えていなかった。
 そして今日、爆弾は破裂した。否、破裂が確認されたと言うべきか。
 考えてみれば、うつ状態・体力低下・1日12~20時間の睡眠と、中二の時の症状と今の症状は酷似している。再発したと考えてほぼ間違いないだろう。
 ただ、改めて調べてみたところ、20年経っただけあってだいぶ研究も進んでいるようで、もはや不治の病というわけでもないらしい。それには少し安心した。
 とりあえず、沖縄の国立病院にもその分野に詳しい医師がいるとのことなので、来週にでも診察を受けてみるつもりだ。
 これとは一応別件になるのだが、休職期間が今年いっぱいに延長されることが決まった。高齢・障害者雇用支援機構というところが実施しているリワーク支援制度を使って職場復帰訓練をしようとしたのだが、通例だとだいたい3ヶ月くらいかかるケースが殆どとのことで、会社や精神科の主治医と相談の上で、今年いっぱい休職するという事で方針が決まった。
 ただ、この時点では慢性疲労症候群の事は誰の頭にもなかったので、もしかしたら状況が変わってしまうかもしれない。まあ、中二の時もちゃんと復学できたので、全然悲観視はしていないのだが。
 ちなみに、先日職場の同僚から12月に結婚式をする旨連絡のメールが来た。7月にも一人結婚式を挙げているので、結果的に自分の休職中に同じ部署から二人も結婚することになる。
 人が休職してる間に…と、さすがにこちらはちょっとごちりたくなるが、どうしようもない事である。それにまあ、自分には藤林杏がいるし。二木佳奈多もいるし。
 とりあえず、中二の頃の状況を思い出しながら、いろいろ対策を考えてみたい。
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