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科学的検証は福島にはあっても辺野古には無い


 福島での”処理水”放出で、自民党政権は散々「科学的検証に基づいて」という言葉を繰り返している。しかし、沖縄の辺野古新基地建設では到底科学的検証を行ったとは言えないまま、工事が強行されようとしている。

 まず、ここまでの経緯をおさらいしておくと。

 ここで、以下のような要検証項目が洗い出される。

  1.  最大で水深90メートルとされる軟弱地盤に、水深70メートル前提の杭を打ち込むことで対応出来るのか。
  2.  杭の材料には結局何を使うのか。長さが増えるなら当然質量は大きくなるので、それも考慮しなければならない。
  3.  杭を打ち込むこと、或いは杭の材料によって海洋環境に与える影響はどうなるのか。

 これらの事項について、日本政府は何らの回答も示していない。検証実施中なのか検証着手すらしていないのかすらわからない。

 こんな有様で、「科学的検証は行われました」などと、到底言えない
 にもかかわらず、工事を先に進めようとしている。

 ”処理水”の件で散々科学的科学的と言いながら、大浦湾埋立では科学的検証を行わない口にしないあまつさえ無視するとは、一体どういう事か

まさか、「福島と沖縄では適用される物理法則が違います」とでも言い出すつもりか。
(言うまでも無いが、そんなわけは無い。)

 このような欺瞞に満ちた非科学的なことを続けていれば、行政も政治もどんどん信頼を失っていくことだろう。
 その先に待っているものが何かは、さすがに私にはわからないが。


処理水(スタァライトパロディ4コマ)


 トリチウムというのは三重水素のことで、陽子・中性子・中性子の3つから原子核が構成されているので、トリ(=ラテン語で3の意味)と付いているんですね。
 原子核が陽子のみの安定同位体と違って、β崩壊を起こしていく放射能です。その為、IAEA(国際原子力機関)による管理対象になっています。

 トリチウム水海洋廃棄に際しIAEAが監査して、「今回はしょうがないから容認するけど、今後も国際的監視は続けるよ?」と、釘を刺しているわけです。IAEAの監視じゃ無く、国際的監視とわざわざ言っているわけです。仮免許みたいなもんです。お墨付きなんて貰っていません。
 ところが、岸田政権やマスコミは「IAEAがお墨付きを与えた!」と明らかな誤報を垂れ流し続け、その為多くの日本人は何か勘違いをし続けたままです。

 ちなみに、IAEAの事務局長は監査結果を伝えに東京に行った翌日に、福島に行って現地の人達と話をしています。
 岸田文雄は2ヶ月近くも経った今日になってやっと福島に行ったらしいですが。


科学と政治が交叉するとき物語が始まる


 何故かTVも新聞も取り上げようとしない、だが重要な争点としなければならないことが、今回の総選挙にはある。
 科学と政治のあり方だ。

 人類は進歩的生命である。その粋たるものが、科学だ。科学が文明を発展させてきた。
 自然科学は工学や医学、農学の礎である。また、法学や経済学、経営学に代表される社会科学は放っておけば混沌に陥りがちな文明社会にレールを敷いてくれる。人文科学は人間の本質を追究し、またその行動を整理し記録する、謂わば文明の土台作りをしてくれる。
 人類全体にとって、科学は欠かせないものだ。
 日本学術会議の分科会では、第一群が人文・社会系、第二群が生命科学・医療系、第三群が(生物学を除く)自然科学、と分けられているらしい。だがこれらは対立するものでは無く、むしろ相補的な関係にあるのである。好き嫌いならまだしも、どれが役に立ってどれが役に立たないなどという言動は、全く意味を為さない

 鉱物資源が多いわけでも広大な農地があるわけでも無い日本は、科学を軽視して生きていくことなど出来ない。幸い、多くの日本人はここまでは理解してくれる。
 だが、何故かここでおかしな方向に走り出すものが少なくない。その中の典型例が、「科学とは、科学技術=工学(工業技術)の事だ」とばかりに、工学とそれに直接資する物理や化学を偏重する言動をとるものがいる。
 「それが何の役に立つんだ?」という頭の痛くなる言葉を、一体何百回聴かされたことであろうか。

 無論私は工業も物理も否定するつもりは毛頭ない。私はこれでも物理学科卒だ。だが、先に述べたように、科学とは相補的なものだ。本気で工学を発展させたいならば、自然科学に限らず人文社会領域でもありとあらゆる分野を底上げしていかねばならない。
 智嚢とはそのように涵養されてゆき、それが新たな発見を生み出してゆくものだ。これは勿論工学に限らず、他の全ての「科学」に対して言えることだ。

 コロナ禍においても同じ事が言えるだろう。政府が自ら任命した医学者ですら、政府与党に軽んじられるのが日本の現実だ。日本国産のワクチンがなかなか作れないのも、生命科学に於いて短期利益ばかりを追い求め基礎研究を怠ってきた結果だ。
 そして、短期利益至上主義の犠牲になっているのは、何も生命科学だけでは無い

 近年日本人若しくは日本生まれのノーベル賞受賞学者が増えているが、彼らはコメントを求められる度に、基礎研究の重要性を訴える。科学者からしたら至極当然のことなのだが、「科学=科学技術」と勘違いしている日本人、とりわけ一部の政治家には、これだけ口を酸っぱくしていっても尚届かないという事なのだろう。

 事実、今回の総選挙でも「科学技術」の振興を唱えておきながら具体策は出さず、基礎研究の充実には一切触れず、あまつさえ法で定められた日本学術会議の推薦候補を未だに任命しないという、謂わば科学サイドへの敵対行為を続けている政党がある。
 今年のノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏(※愛媛県生まれだがアメリカ国籍を取得している為現在は日本人では無い)に至っては、受賞に当たっての記者会見でこの日本学術会議の問題に関してはっきりと苦言を呈している。
 どういうわけか、これ以降真鍋氏の言動を日本のマスメディアが伝えることはなくなってしまったが。

 上述の政党に比べれば、まだずっとマシな政党は確かにある。そこそこ本気で、科学重視・科学振興を考えているのだろう。だが一方で、過去に反科学的なカルト集団を党内に引き入れそれに対して一言の反省の弁もない政党と手を組んでもいる。そこが解せない。
 また、こういう「マシな政党」であっても、下の方の候補者や地方議員、党員にまで行くと「自分は数学や物理がきらいだったから」というクソ下らない理由で科学を敵視している愚か者がいるのも、事実である。
 正確に言えば、数学や物理だけが科学では無いということをきちんと教えてこられなかったこの60年あまりの日本の教育、そしてその方針を定めてきた政治にこそ責任があるのだが。

 科学と政治のあり方。そして実際に現場と向き合う行政と科学のあり方。日本の没落とそれに拍車をかけたコロナ禍の最中の総選挙だからこそ、それを争点とし論戦を交わして貰いたかったものなのだが。それにはあまりにも、選挙期間も有権者の意識も、足りなさすぎるのだろう。

 奇跡に近い閃きを発動させる天才でも現れない限り、は。


temp_20180922_xsread_RT編集用workspace_沖縄社会経済3_文化と未来


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https://twitter.com/shimagurumi/status/1043062270262009856
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18歳以上の県民みんなが持ってる投票権大事な大事な一票沖縄の進路を決められる自分はデニーさんが知事になったら、今から親になる人が助かると思うし
https://twitter.com/hotarubasi/status/1042281129431130112
新時代沖縄は県民みんなで切り拓く!この一週間、各地を周ってそう訴えてきました。今週日曜、新時代を先取りし、県民の皆さんが舞台に上がるイベント


【明日の天気】3連休2日目 秋分の日の23日(日)は、北海道から九州の広範囲で秋の空気に包まれ、日差しが届いてお出かけを楽しむことが出来る天気とな


サッキー3分クッキング


#沖縄県知事選2018

創作用の方で公開しようかと思ったけど、もろ選挙ネタなのでやっぱりこっちで公開することにする。

「サッキーマウス」の意味を知らない人は、是非こちらのドキュメントをご参照下さい。


じいちゃんと雪風


 熊本というと、ボンタンアメを思い出す。母方の祖父が昔繊維工場の人事部長をしていて、求人の為良く熊本に行ってお土産にボンタンアメを買ってきていたとかで、母親も私もよくボンタンアメを貰っていた。

 その祖父が海軍で駆逐艦乗りだったという話を以前Twitterでした。 


 その続きに当たる話である。

 昨年秋に2年以上待たされてようやく艦これに登録できたこともあって、この駆逐艦って具体的にどれなんだろうと思って、ちょっと調べてみた。

 私自身や、母親経由で、祖父から聞いた話の内容は、このようなものである。

・一度も撃沈されたことが無かった。
・戦艦大和と同じ艦隊にいたことがある。
・艦内で新聞を発行していた。
・戦闘中に監視員が操舵士の肩を蹴って面舵取り舵の指示を出していた。
・潜水艦を見つけると、すっ飛んでいって爆雷を投下して、速攻で逃げて戦艦の陰に隠れていた。
・米国艦船と戦闘終了後、沈む米艦相手に敬礼代わりの霧笛を鳴らしたところ、相手からも沈む直前に霧笛が帰ってきた。洋上に浮かんでいる米兵がいたが、下手に助けると捕虜収容所で酷い扱いを受けるので、缶詰などを投げてその場を去った。
・米艦隊の襲撃を受けた際に、全速力で入道雲の中に逃げ込んで難を逃れた。
・沈んだ他艦の救助した兵士が結局死亡した際に、棺桶がないので代わりに筏を組んで棺桶代わりにして、水葬した。
・どっかの島でサトウキビを大量に買い込んで予備食料にしていた。
・(自決用の?)手榴弾が艦員全員に支給されたが、外洋に出るとそれで爆弾漁をして魚を捕っていた。
・敗戦直後はイギリス軍の捕虜収容所にいた。

 これらの話を元に艦これwikiやwikipediaを調べたところ、どうやら「雪風」で間違いなさそうという結論に至った。

参考:
艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*:http://wikiwiki.jp/kancolle/?%C0%E3%C9%F7
Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E9%A2%A8_%28%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6%29
 これらの記載を基に検証すると。

・一度も撃沈され無かった
 →駆逐艦で敗戦まで生き残ったのは響と雪風のみ。
・戦艦大和と同じ艦隊にいたことがある
 →沖縄戦に向かう大和に雪風が同行しているとの記載あり。
・艦内で新聞を発行していた。
 →敗戦後雪風が引揚げ船として運用されていたときに、艦内新聞を発行していたとの記載あり。
・戦闘中に監視員が操舵士の肩を蹴って面舵取り舵の指示を出していた。
 →艦長が目視で砲弾を回避する為航海長の肩を蹴って指示を出していたとの記載あり。
・潜水艦を見つけると、すっ飛んでいって爆雷を投下して、速攻で逃げて戦艦の陰に隠れていた。
 →(特に記載を見つけられず)
・米国艦船と戦闘終了後、沈む米艦相手に敬礼代わりの霧笛を鳴らしたところ、相手からも沈む直前に霧笛が帰ってきた。洋上に浮かんでいる米兵がいたが、下手に助けると捕虜収容所で酷い扱いを受けるので、缶詰などを投げてその場を去った。
 →レイテ沖海戦の米駆逐艦ジョンストンとの話のことか?
・米艦隊の襲撃を受けた際に、全速力で入道雲の中に逃げ込んで難を逃れた。
 →(特定の記載を見つけられず)
・水葬
 →白木の棺桶で水葬したとの記載あり。これは流石に(戦時という状況を考えて)Wikipediaの記載が間違いと考えるのが自然。
・どっかの島でサトウキビを大量に買い込んで予備食料にしていた。
 →(特に記載を見つけられず) 
・(自決用の?)手榴弾が艦員全員に支給されたが、外洋に出るとそれで爆弾漁をして魚を捕っていた。
 →(特に記載を見つけられず)
・敗戦直後はイギリス軍の捕虜収容所にいた。
 →復員輸送艦絡みの話か?

 「一度も撃沈され無かった」という時点で既に二択になってしまうところが、正直絶句したが。ともあれ、「響」の方も調べたが全然エピソードが違うので、雪風で間違いないだろう。

 ちなみに、艦これでは荒野草途伸は雪風はまだ入手していないので、ゲーム中での雪風の扱いがどういうものなのかはあまりよくわからない。なので、祖父の話を含む史実のみについて語る。

 これらの話を聞いたのは、殆どが自分がまだ小学生自分の頃の話で、(記憶が確かなら)主に従兄弟がせがんで話をしていたことだったように思う。
 そうやって昔話をしているとき、爆弾漁だのサトウキビだのの話をしているときは割と楽しそうに話をしていたものだった。特にサトウキビは随分思い入れがあったのか、サトウキビがスーパーで売られているのを見ると買い込んできて、(当時もう既に糖尿病を発症していたので)祖母に怒られていた。

 が、戦闘の話はそんなに多くを語ったわけでは無かった。
 唯一詳しく話してくれたのが、アメリカ艦(駆逐艦ジョンストン)とのエピソードである。
 爆弾漁だのサトウキビ買い込みだのをしていたので、食料には割と余裕があったのだろう。wikiを読んでいると随分たくさんの兵士を救助したようだが、これも食料に余裕があったからこそ出来たことだったのだろう。(別で読んだ文献によると、助けて自艦に乗せると食料がなくなるからと沈んだ他艦の兵士を見殺しにしたケースもあったらしい。)

 (wikiによると)唯一の例外が、沖縄に向かう大和に同行していたとき、だったようだ。
 「宇宙戦艦ヤマト」が大人気だった時代だったので、従兄弟としては大和の話を聞きたがっていたが、祖父は逆に大和との話は殆ど語ろうとはしなかった。ただ、「大和はとにかく大きかった」としか語らなかった。
 ただでさえ大和撃沈の際の凄惨さは文献を当たれば簡単に伝わってくるほどのものである。加えて、それまで遭難兵は基本救助してきた雪風が、大和の時だけは見殺しにせざるを得なかったのだから、それは相当な精神的な過酷さだったのだろう。

 余談になるが、私が琉球大学に合格して沖縄に発つ前に祖父母の家を訪れたとき、祖父は部屋に引き籠もってしまって会ってはくれなかった。今思えば、「沖縄行き」というその言葉自体に、トラウマを持ってしまっていたのだろう。ただ、その当時の自分は、その事に全く気づくことが出来なかった。

 わからなかったと言えばもう一つ。小学生時分に従兄弟と話を聞いていた頃、同じ船の乗員は全員生き残ったという話を聞いたとき、私はこう尋ねた。「じゃあ、陸軍より海軍の方が安全だったの?」と。祖父は一言だけ答えた。

「船さえ沈まなければね…」

 その言葉の意味も自分には当時は理解出来なかった。というか、この文章を書く為の調べ物をして、ようやく気づいたバカタレなガキである。

 その祖父も、5年半前の2010年に亡くなった。奇しくも、私が沖縄県知事選の支援にのめり込んでいたときである。
 ただ、亡くなる直前に面会することは出来た。その時点で医者からはいつ死んでもおかしくない状態から半年以上経っていると言われている、と聞かされていた。面会した祖父は眠っていたが、私が病室に入ると目を覚ました。何か言葉を発そうとしていたが、それが何かはわからなかった。ただ、最後の最後まで、生きようとしていた。


辺野古新基地で失業する人々



 上の画像。アクセル・ワールド17話の1シーンが映り込んでる奴ですが。この背景の海岸は、「辺野古ビーチ」というらしいです。

 もちろん、実際にはそんなビーチはありません。おそらくは、辺野古から大浦湾を挟んだ対岸にある、カヌチャベイリゾート内にある屋嘉ビーチをモデルにしているものと思われます。

 さて。この屋嘉ビーチがあるカヌチャベイリゾートですが。大浦湾から辺野古崎を望む眺望がウリです。
 高級リゾートホテルなので貧乏人は気軽に泊まれないのが腹立たしいところですが、巨大施設である分、地元の雇用には大いに貢献しています。経営しているのは沖縄の大手リゾートグループの、かりゆしグループです。

 ところが。このカヌチャベイ、今存亡の危機に立たされているのです。財務上の問題とかではありません。むしろ経営は好調です。なのに、日本政府によって潰されようとしているのです。

 原因は。まともに知識のある人ならもう、わかるでしょう。辺野古崎一帯を埋め立ててV字型滑走路と軍港付きの米海兵隊基地を新設しようという、”辺野古新基地”計画です。

 前述のように、カヌチャは辺野古崎の眺望がウリです。それを丸ごと埋め立てられた挙げ句、上空は海兵隊のヘリやらオスプレイやらがぶんぶん飛び交うことになる。
 高級リゾート地としては台無しです。
 ここ、高級パックツアーと企業の社員向け保養地としての借り上げが収益の柱なんですから。いや、もしかしたら、軍オタだとかその手の人が泊まるようになるかもしれません。でも、到底逃げた客の穴埋めになどならないでしょう。

 収益が悪化したら、経営は維持出来ない。最悪維持出来なくなって閉鎖。閉鎖までは行かなくても、人員整理は免れないでしょう。
 地元の雇用は壊滅です。

 なので。カヌチャは当然、新基地計画には大反対です。カヌチャの入り口には客にも通行人にも見えるように、どでかい「新基地反対!」の看板が立っています。そりゃそうですよ、死活問題だもの。
 親会社のかりゆしグループも、当然反対運動に入っていて、かりゆしグループ会長の平良朝敬氏は、1月の名護市長選でも、今回の沖縄県知事選でも、反対派の支援に回っていて、革新勢力顔負けの運動を展開しています。そりゃそうですよ、会社の存亡に係わるもの。

 「新基地が出来れば新たな雇用が生まれる」
 沖縄の(特に南部の)人ですら、そういう誤解をしている人が多いようですが。とんでもない。むしろ、基地が出来たら雇用は奪われるんです。

 他に普天間の代替先が無い、それもウソです。もっといろいろ案が出てるのに、全部日本政府が潰してまわってるんです。アメリカからは、「本当に辺野古でいいのか?」と、何度も念押しされてる位なんです。
 なんでそこまで辺野古に固執するのか、それは知りませんけどね。最近は沖縄軍用地主の半分以上が東京の人だとか、そういうところと関係あるんですかね?

 ということで。辺野古新基地は、沖縄経済にとって、百害あって一利無しなんです。
 反対するの、当たり前でしょ? バカだから騙されてる、ってんなら別だけどさ。

 11/16選挙の反対派の一覧はこちらの記事を参照して下さいな。

 以上。


北へ-4日目、知床


 4日目は知床。今回道東に行った最大の目的地でもある。
 2日目でも書いたように、知床へはレンタカーで行くことにした。斜里から定期観光バスを乗り継げばオシンコシンの滝までは行けたのだが、今回はどうしても羅臼側まで行きたかったので、車を借りることにしたのだ。
 摩周駅から釧網本線を北上して、知床斜里駅へ。世界遺産指定地への入口ということもあってか、駅舎が真新しく綺麗だ。駅前にあるバスセンターの事務所がレンタカーの営業所も兼ねていて、そこで手続きを済ませる。
 借りた車はプリウス。軽自動車よりもちろん若干高いが、ガソリン代を考えれば殆ど代わらないはずだし、それならばガソリン消費量の少ない車に乗った方が環境にも優しいというものだ。それに、プリウスなら乗り慣れているから運転しやすい(=事故の危険が少ない)というのもある。
 自分で運転する以上、途中で眠くなっては困る。ので、まずは近くのセイコーマートでペットボトルのコーヒーを2本調達。そして、知床国道へ。ひたすら北上し、まずはオシンコシンの滝を目指す。
 40分ほどでオシンコシンの滝に到着。
オシンコシンの滝
 次に、知床観光の拠点地であるウトロ地区へ。10時前にウトロ地区に着き、道の駅とかいろいろ観光客用の施設に入ってみる。
 知床観光船に乗ろうかと思っていたが、知床岬まで行く便が朝の8時台1便しか無いようで、もちろん既に出てしまっている。車を返す時間が17時であまり時間の余裕もないし、知床岬まで行かないなら無理に乗る必要もないかと思い、そのまま北上することに。
 20分ほどで知床自然センターに到着。ここから先はバスに乗り換えになる。途中の知床五湖までは一応マイカーでも行けるのだが、そこから先はマイカー乗り入れ禁止になっている。そして、知床五湖ではバスへの乗り換えが出来ないからだ。
 自然センター内の切符売り場でカムイワッカ湯の滝までの往復乗車券を買う。知床五湖で途中下車も出来るらしい。一緒に貰った時刻表によると、10:20のバスがすぐ出るようだ。なのでセンターを出てバス停の方へ向かうと、目の前でバスが行ってしまった。次のバスは10:40。20分のロス。時間の余裕がないのに、ちょっと痛い。
 10:40、バス乗車。車内放送で注意事項や案内などが流れるが、その中で「カムイワッカ湯の滝は落石の危険があるため、現在1の滝までしか行けない」という内容が。秘湯として有名な4の滝には行けないらしい。
 ・・・なんか、あまり行く意味がない気もしてきたが、もう乗ってしまったので仕方がない。せっかくだから車窓から見える知床の絶景を楽しむことにする。バスが走り続けているので写真がうまい具合に取れなかったのが残念。
 11:20、カムイワッカ湯の滝到着。
カムイワッカ湯の滝入口
 この滝を流れる水は、上流の硫黄山からわき出る温泉を源流としているため硫黄分が高く、酸性値が非常に高い。その為岩肌に苔などが生息していない為、水が流れていない所よりもむしろ滑りにくいとのこと。
 その案内通りに滝の中をひたすら突き進んでいくと、5分もかからずに1の滝に到着。あまりにもあっけない。
カムイワッカ湯の滝1の滝
 正直拍子抜けして、こんなことならすぐ帰ろうと思い、先ほど乗ってきたバスが11:33発なのでそれに乗車しようと滝を降りる。
 入口まで戻ったところで、バスが発車してしまった。またしても、目の前で。
 次に出るバスは、12:13。入口で突っ立っていてもしょうがないので、とりあえず1の滝に戻ってみる。と、ガイドの人に「もう少し先まで行けますよ」と言われ、行ってみることに。
 5分もかからずに、立ち入り限界点に到着。
カムイワッカ湯の滝限界
 近くの岩場に座って、滝の流れる様子を観察。岩が窪んで少し深くなったところで、子供が泳いでいた。
 ふと思いつき、その子供が立ち去った後でそのくぼみの脇に移動。靴と靴下を脱いで、足を浸けてみる。足湯でもしてみようという事だ。まあ、実際水温は30度くらいで決して熱くはないので、足「湯」と言うにはかなり無理があったが。しかし、暇つぶしには丁度いい。しばらくそうして時間を潰す。
 バスの時間が近づいてきたので、足を上げて靴下と靴を履く。と、その時誤って、胸ポケットに入れていたwillcom03を水の中に落としてしまう。カメラ専用にしていたのですぐに取り出せる胸ポケットに入れていたのだが、それが災いした。
 すぐに引き上げて操作すると、一応画面が出たので壊れていないのだろうとその場では思い、一安心。だが、結局壊れていたことが後に判明する。防水ではないので、酸性の水が中に入り込んで、時間差で中の回路が腐食したとか、そういうことなのかもしれない。とにかく、PHSとしては使っていなかったとは言え買ったばかりの機械が壊れてしまい、結構凹んだ。
 バスに乗り、今度は知床五湖へ。なんかもう見るかどうかどうしようか迷ったのだが、せっかく来たのでバス1本分の待ち時間で見れるだけ見ることに。
 案内によると、5つ全部見ると1時間半かかるとあったので、そのコースはパス。20分で回れるという2湖までのコースにした。
知床五湖1湖
1湖
知床五湖2湖
2湖
 戻ったら10分ほどまだ時間があったので、知床名物ハマナス何とかソフトというのを買って食べてみる。本当にハマナスが入っていたのかどうかはわからないが、普通のソフトクリームだった。
 13:15、バス乗車。知床自然センターに戻る。途中、沿道にキタキツネとエゾシカがいるのを発見。保護されているため人を恐れなくなっているとのことらしいが、こんな簡単に見られるとは思わなかった。今回は遭遇しなかったが、この分だとヒグマにも結構簡単に出くわしたりするのだろう。
 ところで。狐といったら沢渡真琴と藤林杏、鹿は久弥直樹で熊は坂上智代なので、知床は鍵っ子にとっても特別な場所とも言える。・・・というようなことを、バスの車内で考えていた。すぐにこんな発想に至るあたり、つくづく自分はバ鍵だと思う。
 知床自然センターに戻り、再びプリウス乗車。知床峠を越えて羅臼に向かうことにする。カーナビが知床横断道路をいつもの案内色と違う色で表示するものだから進むべき方向を間違えてしまい、途中で折り返す羽目に。これでまた15分ほどロスした。
 14時過ぎに、羅臼ビジターセンターに到着。環境省が運営する知床国立公園の羅臼側の拠点である。そして、ここのすぐ近くに間欠泉が吹き出す場所があるらしい。
 行ってみたら、間欠泉が吹き出す間隔は50~70分ほどとある。今ここでそれだけの時間を待つのは厳しいので、帰りに時間があったらまた寄ることにして、いったんそこを発つ。
羅臼の間欠泉
 14時半頃、道の駅らうすに到着。車を降りて海の方を見ると、佳奈多にはっきりと見える島影が。北方領土・国後島である。
 道の駅の中にある展望所に行って、写真を撮る。
国後島・1
国後島・2
 200Mpxのカメラで撮ったため写真だとあまりはっきり映っていないが、実際にはもっとはっきりと島影が見えた。それこそ、人が手を振っていたら解るのではないかと思うくらいに。
 北方領土は二島返還が現実的だと自分は思うが、こんなにはっきりと島が見えると、感情的にはやはり国後島は日本固有の領土なのだと思う。
 ただ、国後島をよく見ると、周りは断崖絶壁だらけ地形は山地だらけで、島自体の土地の利用効率はあまり高そうには見えない。返還されても開発には巨額の費用がかかるだろうし、今の日本にはそこまでのカネはない。島自体よりもむしろその周りの経済水域に返還の利益があるのだろうなと思う。つまりは竹島や尖閣諸島と同じ話であるが、しかし国後島には現在ロシア人が住み着いているし、いざ返還されたら彼らの存在を全く考慮しないわけにも行くまい。そこまで考えた上で返還のメリットが差し引き後プラスになるのか、正直どうなのだろう。
 というようなことをつい考えてしまう。ふと脇に目をやると、カモメが1羽、すぐ近くの欄干にとまっていた。

 カモメにすれば、人間同士の国境問題などまるで関係ないのだろう。きっと好き勝手に知床半島と国後島を往復したりしているのだ。否、案外カモメにはカモメの問題があって、知床のカモメと国後のカモメで縄張り争いをしたりしているのかもしれないが。
 この後、ひかりごけの自生地に行こうとしたが、なんか場所がよくわからず通り過ぎてしまい、折り返そうにもそうするための場所が見あたらず、結局20分ぐらい走ったトンネルの手前で折り返して、羅臼市外に戻った。明らかに時間が無いので、ひかりごけは諦めた。
 知床峠に向かう途中、再び羅臼ビジターセンターに寄る。さっきよりもやたら車が多い。間欠泉に向かうと、大量の人がぞろぞろと戻ってくるところだった。かなりイヤな予感がしつつも間欠泉の前まで来ると、調査員とおぼしき人二人が撤収作業をしているところだった。吹き出し口からは湯気が立ち上っている。どうやら、つい今し方、間欠泉の吹き出しが終わったところだったようだ。
 バス2回に続き、またしても、僅かな時間差で機を逃してしまった。
吹き出した後と思われる間欠泉
 もと来た道である知床横断道路をひた走り、知床峠へ。写真を撮る時間ぐらいはありそうだったので、駐車場に車を止めて、撮影。
羅臼岳
 写真は羅臼岳。山あいから国後島も見えたのだが、写真にはうまく写らなかったので割愛。
 あとは、ひたすら斜里に向かって車を走らせるだけ。正直時間ぎりぎりだったが、何とか17時に間に合った。ガソリン価格は188円/l。与那国島よりはずっと安い。
 この後は、17時半の列車に乗って摩周駅に戻り、宿へ。宿に戻ったらどっと疲れが出た。食事をして、書いていなかった前日の記録を書き終えたらもうそれ以上何もする気力が無く、風呂にも入らず寝てしまった。
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しんかい6500


 今日は、那覇港で行われた「しんかい6500」の一般公開に行ってきた。
 「しんかい6500」とは、日本政府(独立行政法人海洋研究開発機構)が所有する有人の調査研究用潜水艇で、約6,500mの深度まで潜ることが出来る。
 ちなみに、世界には6,000m級の潜水艇は4カ国5隻(アメリカ、フランス、日本、ロシア。ロシアは2隻保有)あるが、この中でも6,500mまで潜れるのはしんかい6500ただ1隻である。
 そして今回、沖縄近海での調査のついでに、那覇市並びに国際環境情報センターの共同イベントということで、一般公開が行われたのだ。
 まあ、これ以上文章で書くこともあんまりないので、以降は写真での説明とさせていただく。

那覇港に停泊するよこすか
那覇港停泊中の、支援母船よこすか。
ちなみに後ろに見えるのは那覇港の向かいにある米軍那覇軍港。
よこすか側面
よこすかの側面。ピンボケでスマン。
よこすかクレーン
よこすかの後部についているクレーン。これを使って、しんかい6500を分離・収容する。
しんかい6500前景
しんかい6500前景。
しんかい6500前部機器類
前部についている機器や覗き窓など。
しんかい6500側面
しんかい6500の側面。木で出来た箱のようなものが浮力材。直径数ミクロンの中空ガラス球を樹脂で固めて作ってある、らしい。
しんかい6500後部
しんかい6500後部。
登場通路
この通路を使って、しんかい6500に乗り込む。ちなみに定員は3人(操縦2名+調査員1名)。
自販機
しんかい6500のすぐ脇に、コカコーラの自販機が置かれていた。調査が終わった後、しんかい6500を見ながらコーラでくつろぐのだろうか(笑)。

 
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更新履歴_族と日の出と海上基地と


 新年早々微妙なことが続いている気がする荒野草途伸であります。
 と言うか、自分のことではないのですけど、涼元悠一が自身のウェブサイトで9月にKeyをクビになっていたことを発表して、結構ショッキングです。
 しかもその後の某巨大掲示板並びに某巨大ソーシャルネットワークで、これに絡んで非常にどす黒い展開になってしまっていますし。
 まあ、自分はソーシャルネットワーク嫌いなので巨大掲示板(と言うか葉鍵板)の方しか見ていないのですが。そっちから見た流れをざっと言ってしまうと
1/1 13時頃:suzumoto.jp更新。涼元悠一、「ビジュアルアーツクビになった。仕事ください」と告白。
1/1 15時頃:某巨大ソーシャルネットワークで、麻枝准が「一緒に仕事したくない社員」について吐露。その社員について「半年で十数日(月に約二日)しか出社していない」と非難。
1/1 17時頃:麻枝准、某巨大ソーシャルネットワークを突如退会。
 って感じらしいです。葉鍵板では、麻枝信者と涼元信者の全面戦争に発展してしまっています。
 はぁ。自分どっちも好きなんだけどなあ・・・。年明け早々、なんなのかねこれは、という感じです。
 まあ、それは置いといて。自分が1/1に経験したことでも。いやね、バスに乗ってたら暴走族に襲撃されたんですよ。いや大した話じゃないんですけどね、魁先生がナイフで刺された事に比べたら、何もなかったに等しいくらい。でも話のネタにはなるから載せる。
 ということで、日常の愚痴「族と日の出と海上基地と」、更新。
 ところで話変わるけど、2日にはホームセンターの抽選会で自転車が当たった。
 ・・・いやー、当たったのはいいけど、自分もう自転車持ってるんだけどなー。先月買ったばっかの。なんかこう、微妙。
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