アニメ最萌2008


 アニメイトの行列の様子をHT君に実況メールを送ったら「こんなメール送ってくれるな」と言われてかなり凹んでいる荒野草途伸です。
 まあ、送るな言うんだったら送らないけどさ・・・なんか彼最近昔と言動が違うから、どう対応して良いか解らんよ・・・。
 とまあ、プライベートな愚痴は置いといて。もっと楽しいネット上の祭典の話をしよう。
 アニメ最萌トーナメント2008
 http://friend.45.kg/saimoe2008/
 まあ、ここ数年毎年行われている、この一年間に放映・後悔されたアニメの女性キャラクターの総評価の場と言ったところか。
 とはいえ、作品そのものの評価・人気も少なからず(というか、かなり?)入ってくるので、結構業界人も注目しているイベントなのでは? という気がしている。
 このトーナメントで上位入賞したキャラが出る作品は、だいたいトーナメント終了後、続編の制作が決定してますから。
 そんなわけで、コミケに並ぶ夏のオタ風物詩に成長しつつあるアニメ最萌。今回は、CLANNADキャラが出場しているということで、荒野草途伸も結構本腰入れたいところですよ。(入れる、ではなく、入れたい、というあたりが何とも…だが)
 ということで。とりあえず第1目標。

 仁科りえ 優勝。

  ・・・いや、冗談抜きで、仁科は結構行くと思いますよ。原作と違ってアニメでは顔もちゃんと出てたわけだし。でも、あれ、仁科りえってアニメではどんな姿してたっけ。いかん、ちょっとDVD見直して確認せねば・・・。
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アニメイト那覇国際通り店オープン


アニメイト那覇国際通り店オープン
 正直、コミケよりきつかった。(開店初日に行ってみての感想)
http://www.animate.co.jp/animate/map/west/naha/naha.html
 朝10時から開店ってあったのでまあ11時過ぎくらいに行けば早朝待機組の行列もはけて丁度いいだろう、ぐらいの気持ちで10時半ぐらいに家を出て23番の久茂地経由のバスに乗った。しまった松尾バス停が最寄りなんだからすぐ後に着ていた21番の牧志経由に乗った方が良かったんだと気づくも時既に遅しで仕方ないから県庁北口で降りて国際通りを歩いていったら、海邦銀行を過ぎた交差点の向こうにアニメイトの小さな看板が。
 おおここかと入ろうとしたら入り口の前になんかものすごい数の人の群れが。傍らを見るとそこにもなんか行列が出来ていて、「最前列」とかある。どうやら、入店待ちの行列らしい。
 通りを見渡すと、葉留佳地平線の佳奈多・・・とまでは行かなくとも、目視できる範囲まで行列が続いていることはわかる。一体これは何事だと、もし自分が情報を知らなかったら叫んでしまっているレベルだ。私が沖縄を知るこの10数年で、国際通りでこんな行列が出来ていたことなど、記憶にない。ましてや、今や観光客専門商店街と化し地元民向けの店がほとんど無くなってしまったこの国際通りで。
 何はともあれ、最後尾を目指してみる。結局、100m先の、JAL CITY沖縄がある交差点まで行って、さらにそこから路地に入って50m過ぎて、ようやく最後尾にたどり着けた。最後尾の看板に、「3時間待ち」とある。
 そして看板を持ったお兄さんから説明を受ける。来客数が多いので、20分の入店制限を行っているとのこと。て言うか、3時間?と、改めて考えてみる。3時間待ちというのはいくら何でも想定外だ。炎天下というほどの気温ではなかったが、沖縄の日差しはしっかりと頭上から照らし尽くしてくれている。帽子も水も、何の準備もしてきていない。だが。何故か迷うこともなく、私は列に並び始めていた。やはり鬱状態で判断力が鈍っているのだろう。
 暇だからiAcnにメールしたら、「クリスピークリームみたいだ」と返信が返ってくる。
 そして待つこと20分。やっと、列が少し動く。入店制限20分だから20分おきに人を入れ替えてそれで列が動く、ということのようだ。そう考えると3時間というのもあながち誇張ではないようだ。
 3時間って言ったら、コミケで7時に列に並び始めて10時に入場するのに匹敵する時間じゃないか。それを考えると、

コミックマーケット = アニメイト那覇国際通り店

 という等式が成り立つ。
 ラジオ沖縄が取材に来ていた。当然だ、何しろコミケ並みなのだから。
 そして、遅々として列は進む。途中の、波照間という居酒屋(?)の前に、こんな看板が立っていた。
アニメイトのレシート持参で1ドリンクサービス
 さすがウチナーンチュ。商魂たくましい。
 14:20頃。ようやく、通りの行列から建物前の集団に昇格する。隣の、大学生ぐらいの女子二人組がこんな会話をしていた。
「総入れ替えなら時間指定した整理券配ってくれればいいのに」
「ここまで並ぶなんて想定してなかったんじゃない?」
 うむ。確かに、誰も想像していなかっただろう。たかが南の島の30万都市にアニメショップが開店したぐらいで、こんなに人が押し寄せるなんて。私も想定していなかった。沖縄に、こんなにたくさんのオタクがいるなんて。
 だが、考えてみれば昨年エヴァンゲリオンの新劇場版が公開されたときも、立ち見の行列が出来ていたのだ。コンベンションのコミックライブでも、サークル数こそ少ないものの入場者自体は結構な数が並んでいてカタログが売り切れるくらいである。潜在的需要はあるのだ。
 そもそも、那覇市の人口は確かに30万だが、那覇都市圏として考えるとその人口は75万人に達するのだ。合併すれば政令指定都市に移行できるレベルである。大都市には必ず少なからぬオタクが生息する。にもかかわらず、沖縄にはこれまで彼らの需要欲求を満たす対象がほとんど存在しなかったのだ。
 故に、この行列はまさに、現代沖縄人民のフラストレーションを象徴するものであるとすら言えるのだ。
 14:47。ようやく、建物の中に入れてもらえる。これで入店…かと思いきや、4Fのフロアに、また謎の人海が。今度は座っている。どうやら、またここで待たされるらしい。文字通り気が遠くなりそうだったが、座れたので、ぶっ倒れて人に迷惑をかけることは避けることが出来た。
 自分たちが座っている集団の目の前に、さらに別の集団が座り込んでいる。ひょっとして、さらにあそこに並ばされるのかと思ったが、40分ほど待った後彼らを横目に店内に入れてもらえた。最終的に、4時間半待ちだったことになる。
 4時間半と言えば朝5時半にコミケ会場の入場列に並び始めて10時に一番乗りで大手サークルを目指すレベルである。実際にはそこまでやる人間は稀少であることを考えると、

コミックマーケット ≦ アニメイト那覇国際通り店

 という不等式が成り立つ。
 店内の様子は後述。とにかく、ざっと見て回ることしかできない。て言うか、レジ待ちの行列が凄くてまともに商品を見て回る事何て出来やしない。どうせ20分しか時間が無いし、店内の様子だけ把握して電撃G’sだけ買ってくことにして、レジ待ち列に並んだ。
 そして20分。
 先ほどの待機フロアに再び通される。そして、先ほど眼前にあった集団の中に加えられる。レジ待ち組の待機プールだった。レジ精算を座って行列待ちするのは、いくら何でも初めてだ。
 大昔に作ったポイントカードの精算に手間取ったこともあって、最終的にレジ精算が終わって建物を出たのは、17時前。外にはまだ、行列が残っていた。
 一息入れようとパレット久茂地の方に向かうと、噴水の前で青い袋を手にした女子二人が座っていた。青い袋とはつまり、アニメイトのビニール袋である。理屈抜きで、「同志だ」と感じた。
 
 その後、別件を済ませてバスで帰る途中、店の前を見たら、列は20mほどに縮小していた。それでも、列が20mということは建物前と建物内にまだかなりの人数がいたという事だ。
 閉店までにさばき切れたのだろうか…? と余計な心配をしつつ帰路に。
 ちなみに店内の様子であるが、店自体は決して広くはない。広くない上に、フロアの半分以上をコミック・雑誌のコーナーが占めてしまっており、CDやグッズの占める割合が少ないなと感じた。
 ぶっちゃけ、サンデーだのジャンプコミックスだのといったメジャーな本や雑誌はよその書店で手に入るのだから、そんなもので貴重なスペース消費したりせずにもっとCDとか充実させて欲しいと思った。
 ただ、少ないスペースの中で画材や同人誌までも扱っており、手広く商材を揃える意欲は感じられた。今回はある意味非常時だが、もう少し客入りが落ち着けば、待機列用に使ってしまっているスペースを店舗用として拡張することも出来るし、そうすれば結構な品揃えが実現できると思う。需要があることは今日一日で証明されたのだから、是非努力していただきたい。
 と、まあ店の感想も書いてみた。なんにせよ、アニメイトが沖縄に出来たことは歓迎である。日経も沖縄で印刷が始まるし、次はいよいよテレビ東京系列の沖縄進出カナ?カナ?
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沖縄の国境はどこだ


 7/3付けの八重山旅行記でも書いたように、台湾絡みの問題をちょっと考えてみる。
 今はもう事実上解決したことになっているが、つい先月まで日本と台湾の関係は少なくとも政治的には一触即発で戦争状態になる状態にあった。
 そもそもの事の発端は、6/10に日本領内である尖閣諸島で海上保安庁の巡視船が警戒活動をしていたところ誤って近くで操業していた台湾の漁船にぶつかってしまった。その際に海上保安庁側は、船長を拘束し、船も持って行ってしまった、ということに端を発する。この行為自体は確かにちょっと問題があったし、それについては最終的に海上保安庁側も謝罪している。
 ところが。これに関し尖閣諸島を自国の領土とする台湾が過剰反応した。どう反応したかというと、国家のナンバー2に当たる行政院長が、国会での答弁で「日本との開戦も辞さない」という発言をしたのである。
(7/3付けの文書では私はこの発言を馬英九 国家主席のものと書いてしまいましたが、これは間違いでした。済みません。)
参考:「戦争も排除せず」尖閣問題で台湾行政院長(msn産経))
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080613/chn0806132028016-n1.htm
 尖閣諸島を巡っては、以前から台湾でも確かに自国の領土という主張を元に日本の取り締まり活動に対して抗議活動などが行われてはいた。(最も、尖閣諸島問題初期に於いて台湾国民自体はそれほど活発な抗議活動は行ってはおらず、香港あたりの「民主化」活動家が煽って現在のような状況にしてくれたようだが)。が、今回のこの発言はあまりにも物騒すぎる。何しろ、「戦争する」と言ったのだ。しかも、そこらのゴロツキ活動家などではなく、国家のナンバー2が。いかな国会議員の誘導尋問によるものとはいえ、これは穏やかではない。
 ちなみに、旧ソ連や中国、北朝鮮ですらも、国家の重鎮が表舞台で「日本と戦争する」などと発言した記録はない。当たり前だ。いかに仮想敵国といえども、国家の首脳陣が軽々しく戦争の可能性を口にしていいものではない。戦争は遊びではない。国家と国民の存亡がかかった滅ぼし合いなのだから。
 逆に言えば、もしそれが口に上ったなら、その国は日本と戦争する気満々ですよと捉えなければならない。
 つまりは。今の台湾は、場合によっては日本と戦争する意志が十分にあると見なさなければならない。北朝鮮以上に、日本にとって危険な存在なのだ。
 実は、台湾との戦争の危機は、今回に始まったことではない。1972年に沖縄が米軍支配から解放されて日本の領土として復帰したとき、当時の国民党独裁政権はこれを阻止しようと戦争準備を行い、実際出兵寸前にまで至ったのである。ただこれは、国民党独裁政権のバックボーンであったアメリカの圧力によって中断されたが、日本領である沖縄県が国民党政府軍によって攻撃にさらされる危険性は十分にあったのだ。
 さて。話を現在に戻すと、台湾の現政権は、今年の総統選で親日の民進党から当時の独裁政党であった国民党に戻っている。
 ここで改めて念押しをしておくと、国民党(中華民国国民党)は、決して親日などではない。8年間にわたる民進党政権のおかげで、日本人の間にはすっかり「台湾は親日」というイメージが染みついていて、その所為で国民党までもが親日であるかのように誤解している人もいるようだが、これは全くの間違いである。前述のように、独裁時代には日本への出兵を企てるような、むしろ危険な反日政党であるとすら言えよう。
 以上を考えると、台湾と日本との戦争勃発は、決して夢想語りなどではない。国力が疲弊し戦争遂行能力など無いに等しい北朝鮮などより、よほど危険性は高いと言える。
 以上を考えると、日本政府並びに日本の世論は、台湾首相の発言にもっと過激に反応してもよかった。「戦争だと?ふざけんな!」ぐらいの発言があってもよかったとは思う。ただ、実際のところ政府にも世論一般にも、そのような意見はあまり見られなかった。自分自身もそうなのだが、あまりにも過激すぎる発言故に「少し落ち着いて様子を見よう」という空気が大勢だったのだと思う。結果としてこの問題が穏便に解決したので、まあこれはこれで正解だったのかなと思う。
 しかし、あきれ果てるのはクソウヨ/ネットウヨどもの二枚舌っぷりである。
 北朝鮮がミサイル実験を行ったとき、朝日新聞が社説で冷静な対応を呼びかけたところ、彼らはこれに対して猛烈なバッシングを加えた。ところが、より戦争の危険が大きかったこの問題に関して、彼らは一転して「冷静な対応を」などとのうのうとほざいているのだ。いったいこの豹変ぶりは何なんだろうか。
 さらに言えば、彼らの発言の中には看過できない内容がある。つまり、「台湾と戦争したって、勝てるから問題無い」というものである。
 確かに、単純な軍事力の比較で言えば、台湾海軍と海上自衛隊の戦力差は歴然としている。総力戦に持ち込めば最終的には勝てるだろう。「戦争には」。
 だが。彼らクソウヨの節穴のような目には全く見えていない事柄がある。それは、「台湾と戦争になったら、沖縄県、少なくとも八重山地区は間違いなく戦場になる」ということである。
 少し調べればわかることであるが、日本の最西端である与那国島から台湾まではわずか110Kmあまり。石垣島よりも近い。その石垣島も、台湾までの距離は300Km弱で、400Km以上離れた沖縄本島よりも近い。
 そして、この両島には自衛隊・米軍ともに軍事基地が一切無い。石垣島には海上保安庁の石垣海上保安部があるが、海上保安庁は所詮は海上警察である。いくら何でも軍艦、しかも対中国戦を想定して十分な訓練をしている台湾海軍に勝てるような装備など持ち合わせているはずがない。そして、与那国島に至っては海上保安庁の基地すらないのだ。
 これら八重山諸島から最も近い自衛隊基地は、宮古島にある航空自衛隊の警戒基地であるが、あくまで緊急発進用の戦闘機を配備しているのみで、ここの装備だけでは制空権を制することすらままならないし、ましてや台湾軍の上陸を阻止するなど到底無理な話である。
 台湾軍を牽制するにはやはり海上自衛隊の艦船が必要であるが、八重山諸島から最も近い海上自衛隊の基地は、沖縄本島の与勝半島にある。与那国島からは600Km近くも離れている。
 ちなみにこの与勝半島には米海軍のホワイトビーチ基地があるが、米軍はこと台湾戦に関しては全く動かないと見るべきだろう。なぜなら台湾はアメリカにとって日本と同様の軍事同盟国であり、台湾の軍備はそのほとんどがアメリカからの供与によるものですらあるからだ。そもそも、沖縄の米軍は日本を守ることを前提に配備されていない。
 以上を考え合わせると、台湾が奇襲作戦で侵攻してきた場合、まず間違いなく与那国島は占領されるだろう。下手をすれば西表・石垣も占領され、宮古沖で決戦ともなりかねない。最終的に台湾軍を撃退できたとしても、これらの島々は戦場になってしまう事は間違いないのだ。
 先島諸島が戦場になる。米軍は支援してくれない。彼らクソウヨどもの頭には、こういった事は頭にあるのだろうか。無いのなら無知不見識のそしりは免れない。
 それとも、わかってて敢えてこういうことを言っているのだろうか?
 北朝鮮がミサイル実験をしたときは、東京にミサイルが飛んでくる危険性があった。だから彼らは大騒ぎした。だが、台湾との戦争で沖縄が占領されることはあっても、東京や福岡が占領されることもミサイルが飛んでくる危険性もない。だから彼らは平気で言うのだろうか。台湾と戦争したって勝てる、と。
 「沖 縄 な ん て ど う で も い い」。
 これが彼らクソウヨの本音なのだ。
 彼らクソウヨは、沖縄の独立には強硬に反対する。それは、沖縄が独立すればそこが中国の勢力圏化に入ってしまい日本の権益が失われるからだという。その主張には、沖縄県民の利益不利益のことなど、一切考慮に入っていない。彼らクソウヨのエゴイズムしか見えてこないのだ。だからこそ、沖縄県民は「独立」という最終カードを手放そうとしないのだが、彼らはどうやらそれすらも理解できないらしい。
 彼らのいう日本の国境は、本当はどこにあるのだろうか? そんな事を疑いたくもなる。
 こんなクズどもが国士を気取りネットを中心に政界にまでのさばっている。そして反戦左翼カブレにまでこんな事を指摘されてしまう。こんな国の現状を、憂えずにいられようか。
 
 
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無為な日々


 目が覚めたら夕方の17時だった。何時間寝てたんだ俺。15時間か。
 明日で今週最後の平日だということに気づいた。まだ水曜だと思ってたのに。仕事してるときなら得した気分だが、そうでないから逆に損した気分だ。とりあえず明日は昼間動けるようにしとかないと、昼間の用事済ますのが週明けになっちまう。
 PHSをwillcom03に変えることにして、昨日届いたのだが。bluetouth機能がプリウスのカーナビと連動しない。なんか全体的にキー関係の使い勝手悪いし、スタイラスも小さくて扱いづらいし。ATOKじゃないし。ワンセグもRBCとQABが受信できないし。保存メディアもmicroSDだから今までのminiSD使えないし。変えた意味ねー。
 幸いsim交換で今までのW-ZERO3esも使えるので(いちいちサインアップし直さないといけないが)、当分こっちを使い続けることになるだろう。あー、無駄な買い物をした。
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連続壊滅


 5月に新しいパソコンを買って旧PCはファイルサーバにしていたら、先月旧PCが勝手に電源が入ったり切れたりするようになった。もう壊れてると思ってNECのExplessサーバのHDナシアウトレット品が1万4千円で売っていたので注文して、それがやっと先日届いた。そしたら、そいつのセットアップもしていないうちに、今度は5月に買ったパソコンが完全に動かなくなった。
 ど う す れ ば い い ん だ
 ちなみに自分自身は相変わらず壊れっぱなし。通院間隔が3週間から1週間になった。これでは迂闊に旅行もできない。
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水くさいって要するに水カビが生えた状態ですか?


 高校時代の部活の友達であるKS氏が、メール出しても宛先不明で帰ってきてしまうので、共通の友人でかつ小学校以来の友人であるMS君にメアド変わったのか訊いてみたら、知らないと言われた。
 まあそれはいいのだが、ついでに書いてきた内容が
「連絡遅くなりましたが、先月結婚しました。新婚旅行で、沖縄に行ったら、よく、突然の雷雨にみまわれました(*_*)」
 ・・・おい。結婚するなんて一言も聞いてないし、呼ばれりゃ行ったし、そもそも沖縄来てんだったらせめてその時点で連絡しろよと。
 高校時代まで結構仲のよい友達だっただけに、かなりショックだ。
 ていうか、また一人独身仲間が減った…。


八重山旅行記_4日目~5日目


4日目
<9時半・石垣>
 今日は与那国まで行く予定。海底遺跡の半潜水艇の予約を入れたら、今日は風が強いので出航は難しいかもしれないと言われた。まあ、仕方ない。
 とりあえず10時半までに空港に着けばいいので、1時間弱時間がある。どうしよう。カツオ以外のみやげ品を物色するか。
<10:10石垣空港>
土産物屋はまだ空いていなかったので、そのままバスで空港へ。
着いたら、もう搭乗開始直前だった。時間を30分間違えていた。危なかった。
<11時与那国着>
 与那国島は晴れ。飛行機の窓から台湾まで見えたらしいが、通路側座席だったので自分は見れなかった。まあ、後で最西端まで行ったときに見よう。
 与那国-花蓮直行チャーター便実現!なんてポスターが貼られている。
 海底遺跡の船は出航することになった。11時半まで空港で待機。
与那国空港
※補足 与那国島からちょうど真西に行ったあたりにあるのが宜蘭で、その南に花蓮があるようだ。民進党の強い地域らしく、だからこそ与那国直行チャーター便なんてのも実現できたのだろう。
<11:48港着>
マイクロバスで船乗り場へ。これから乗船。人数は20名ほど。結構いる。
海底遺跡半潜水船
<13:11与那国沖海上>
海底遺跡は、波が荒くて水が泡立ってしまって、なんだかよく見えなかった。言われてよく見れば何となくそんな感じのものが見えるという具合。
それよりも、途中ので見えた奇岩の方がむしろ気になった。
帰り、少し船酔いした感じがする。正直乗り物酔いしたのは初めてだ。
※補足 途中で見えた奇岩は、立神岩というらしい。
立神岩
<13:58与那国空港>
 空港まで戻ったが、タクシーもなにもない。しばしどうしようかと呆然。海底遺跡船で一緒だったわりと自分好みのお姉さまがいて、やはりどうしようかと悩んでいるご様子。声をかけようかとも思ったが、しかしそれではまるでナンパではないか誇り高きオタクの中でも一際高潔な一族である我ら鍵っ子の矜持にかけてそのような破廉恥な真似は出来ないと、思いとどまる。
 そのうちレンタカー会社の人が来たので、1時間あまりしかなかったが車借りることにする。
<14時半頃日本最西端>
 道がわからず、途中2回も引き返した。牧場付近では、与那国馬の集団が道を塞いでいた。
 ようやく日本最西端まで到着。2008年6月の段階で、日本国内で最も戦争に近かった場所だ。最も、そんな空気はこの島のどこからも感じられはしないが。
 よく晴れているが、どこを見渡しても台湾らしきものは見あたらない。代わりに先ほどのお姉様の姿が。だが特に声をかけるわけでもなくお姉さまがいなくなるまでひたすら写真を撮る。十分な時間を見計らって駐車場に戻ると、ちょうど車が出ていくところだった。
 あまり時間がないので、後一カ所だけ行って空港に戻ることにする。どこにするか迷ったが、ここはあえてDrコトーとかではなく、アヤミハビル館に行く事に決めた。
 車を走らせていたら前の車に追いついてしまう。たぶん、さっきのお姉さまの車だ。これではまるでストーカーではないかと傍らに広がる大海原のごとくブルーになったが、途中でお姉さま車が左折したのをいいことにそのまま直進して、回避。
 そして道に迷った。
 さんざん走り回った後、ようやくアヤミハビル館に着いた。
道をふさぐ与那国馬
 道をふさぐ与那国馬
日本最西端
 日本最西端碑
西崎灯台
 西崎灯台
久部良漁港
 西崎から久部良漁港を望む
与那国沖
 台湾の島影は遂に見ることが出来なかった。
※補足 6月に尖閣諸島沖で海上保安庁の船と台湾の漁船が衝突した問題で、6/18に台湾の馬英九 総統(国民党)が「日本との開戦も辞さない」という言語道断の発言をしている。
 一応収束した問題だが、この件に関しては書きたいことがいっぱいあるので、後日改めて別の文書にまとめようと思う。
<15:08綾にはバル館>
最西端
レンタカーで少し迷った後、ようやくアヤミハバル館に着いた。30分ぐらいしか時間がない。
<15:36与那国空港>
搭乗締め切りぎりぎりに、何とか空港まで着けた。レンタカーのガソリン代は573円。何Lでこの値段かがわからない。
<16:37石垣空港着>
そういえば今日はまだ食事をしていないことに気づいた。予定ではこの後IS君他への土産物を選ぶ予定だが、先に飯を食おうか。しかし今食うと夕飯までとっても中途半端な時間になる。どうしよう。
バスが来たので、とりあえずターミナルまで行ってから考えることにする。
<17:23石垣バスターミナル>
とりあえずサンエーに行って石垣産米を買ってくることにした。離島桟橋の土産物品店でも売っていたのだから、間違いなく石垣土産だ。
これなら腐らない。
<19:19宿>
 日本で一番最初の新米である石垣産ひとめぼれ5Kgと、マンゴーカステラを買ってきた。どちらにするかは、HT君とIS君で話し合ってもらおう。
 あと、まあじゅんのチーズ工房というところに行きたいのだが、20時までなので一休みしたら行かなければ。
 結局飯は食ってない。どこにしよう。
石垣土産
<21:36宿>
 今日の夕食は、石垣菜海というところでイカスミチャーハンなど。3品も頼んだのでちょっと食いすぎ感。
 明日の飛行機の時間が8:30だが、空港行きのバスが始発に乗っても8:15にしか着かないことが判明。7:30発の白保行に乗って空港入口から歩くか、タクシーを使うか。タクシーも、こんな朝につかまらない気もするが。
<22:02宿>
窓の外を見ていたら、宿のすぐ隣がタクシーの営業所だということにきづいた。何ら問題なし。
荷物の片づけが進まない。というより気乗りしない。
5日目
<7:11宿>
どういうわけか4時ぐらいに目が覚めて眠れなくなってしまったので、「狼と香辛料」を読んでいた。
7:30にGS君が見送りついでに車を出してくれることになった。石垣滞在も後1時間強。結構充実した旅だったと思う。
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八重山旅行記_3日目


<Re:石垣>
 昨日はもう寝かかってると子にメール来たから無視しかけたぞと。まあこの時間もちと早いのだが。今日は朝から西表行くので。
 まあ、常識に従えば平日は無理だろうねえ。でも朝電話して「今日調子悪いので休ませてください」で、空港直行して石垣。どうせだから一泊して翌日は午後出社とか。
 自分も、二月に失恋したときは、やったぞ。日帰り下地島だったけど。まあ、電話受ける側の心証は、石橋さんにでも訊いて。
 それはおいといて、金曜か土曜の夜に時間取れるなら少し語る時間をとろう。ついでにおみやげも渡すよ。カツオの切り身でいいか?なんか安いから
※補足 昨晩来たIS君のメールへの返信である。HT君にもccしている。
<8時石垣港離島桟橋>
やまねこツアーの窓口で、ツアーの手続き。出航は9時から。予想外に時間が空いてしまった。
少し港でもぶらぶらしてくるか。
<8:50上原行船乗船>
時間が早くて外の店も閉まっていたし、結局港をうろついても無駄に暑いだけなので、ターミナルの中で石垣島ジェラートを食べながら「反貧困」を読んでいた。いろいろと考えさせられる。
9時に出航。
<10時上原港着>
そのままツアーのバスで浦内川遊覧船乗り場へ。
眠い。
遊覧船乗り場到着。折角持ってきた飲み物をバスの中に忘れる。しょうがないから乗り場で買った。水が1本150円。高い・・・。
10:35船着き場着。ここから滝まで、歩いて45分。
11:20カンビレーの滝着。マリュドュウの滝はいつの間にか通過してしまっていたらしい。ついた直後に、
前方を歩いていた女子大生とおぼしき集団に写真を撮るよう頼まれる。ついでに自分も撮ってもらった。船の出発まで1時間。少し休んでから戻ろう。
11:50展望台着。マリユドウの滝への道は閉鎖されていた。代わりに展望台からマリユドウの滝を望む。望遠レンズがないのが惜しいところだ。
船の出発まであと40分。10分ほど休憩してから再出発しよう。
浦内川その1
浦内川その2
浦内川その3
 以上、浦内川。沖縄本島ではあり得ない広さ。
カンビレーの滝
 カンビレーの滝。平たい滝だ。聖地らしい。
マリユドの滝入り口
マリユドの滝
 マリユドの滝は展望台からしかみれなかった。滝壺に落ちた人がいて閉鎖されたらしい。
<12:17船着き場着>
帰り道は行の倍きつかった。
着いたはいいが、船がまだ来ていない。木陰でしばし休憩しつつ、IS君へのメール文面をあらかじめ打っておくことにする。
<13:11バス乗車>
疲れた・・・この後食事らしい。
ここはまだPHSが繋がらないのでIS君にメールが送信できない。
道行く途中いくつか、リゾートホテル建設反対の立て看がたっていた。どうせ、地元とろくに話し合いもせず西表に合わないような東京思考のホテルでも建てようとしてるんだろう。困ったものだ。
13:15食事会場。時間がないから30分で食えとか言われる。そんな。飯ぐらいゆっくり食わせい。
14時星砂の浜着。もう疲れていて正直動きたくない気分だったが、まあ折角なので降りてみる。
さっきの山道歩きでズボンが汚れていたので靴も脱がずに海に入ってみる。水がとても温かい。
14:20星砂の浜発。次は温泉。やっとゆっくり出来る。
上原集落のあたりから、ようやくPHSの電波が入るようになった。
星砂の浜
青い魚がいた
<14:50西表島温泉着>
 日本最南端の温泉、西表島温泉に到着。乗っていたバスは2種類のコースの混乗で、ここから西表島温泉に行く人と由宇島に行く人に分かれるのだが。
 バスから降りたのは自分一人だった。温泉、人気無いのか・・・?
 温泉は、普通の内湯と露天、それに男女共用の露天が4つもあり(水着を着る)、特に共通露天は傍らに小川が流れその周りは全部森林という、最高の環境であった。
 まだ出来たばかりの新築で、客もあまりおらず、殆どの浴槽を独占状態。とても贅沢な1時間を過ごせた。
 湯温は本来33度だが、沸かして41度にしてある、とあった。しかし、湯温よりも露天風呂を囲っている石だとか途中まで行く道の方が遙かに熱い。要するに炎天下にさらされてた石が遠赤外線効果で必要以上に熱くなってしまっているという事なのだろう。さすが、最南端の温泉故の現象である。
 大変に満足して、16:10迎えのバスに乗車。大原港に向かう。
<16:40上原港>
バスに乗って10数分したら、突如西表島交通の本社で降ろされてしまった。どうやら、違うバスに乗せられたらしい。
事務所で呆然と待つこと数分。「港まで送ります」というので、バンへ。上原港に着いて、「本当は大原港から乗る切符だけど、上原港から帰れるよう手配した」とのこと。この辺の対応は意外と素早い。この手際の良さは、本土観光客を何万人も裁いてきた実績故か。
17時発の石垣行きにて帰途につく。
<18時石垣港>
 離島桟橋前のジェラート屋で、もずくビネガーと石垣マンゴーのダブルを頼む。どっちも売り切れと言われる。仕方ないので、ハイビスカスと泡盛のダブルにした。
 HT君とIS君からメール。おみやげは土曜日に渡すことに。カツオはHT君に拒否られたので却下。IS君からはこの件に関して反応なし。
 この日の夕食は、ひらのやという日本蕎麦屋で、本邦初というゴーヤそば。まあ、まずくはなかったが、蕎麦好きとしては蕎麦を食べているという感覚はあまりなかった。
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八重山旅行記_2日目


 2日目。目が覚めたら10時半だった。当然、昨晩計画していたツアーには全く間に合わない。それどころか、大半のツアーがもう出発後だろう。
 初っぱなからいきなり計画が狂ってしまった。
 とはいえ何もしないのも時間がもったいないので、とりあえず離島桟橋まで行ってみる。
 ここから先は、PHSから随時自分のアドレス宛に送ったメモメールを適宜補足する形で掲載していく。
<11:00竹富発>
 8:30のツアーを申し込むはずだったのに、気がついたら10:30だった。
 呆然とするも、宿にいても仕方ないので、とりあえず港とバスターミナルのある方角まで行ってみる。
 離島桟橋のターミナル内にある観光センターで訊いたら、竹富島行のツアーならあるとのこと。竹富島はなんか石垣観光としては当たり前すぎる感がしてきのりしなかったが、この際仕方ない。そもそも、そんな当たり前がいやならツアーなど申し込むべきではないのだ。そもそもの予定では、波照間行の切符だけ買って自力で有人最南端にたどり着くはずだったのだから。
 11:00に出航。船の揺れが心地いい。
<11:15竹富島着>
すぐにグラスボートに乗る
7人しかいない。
竹富島グラスボート
<12:45竹富島>
水牛車観光待ち。
12時すぎていたので大親友のIS君にメール送ろうかと思う。
ついでにいうとPHSのバッテリーが少なくなってる。
水牛車
<13:33竹富港>
13:45には出航する。
14時にはは石垣に着いてしまう。かなり時間が空く。どうしよう。
波照間まで行って戻ってこれるか?
<14:13登野城>
 波照間行は、行って戻って来れないこともなかったが、15分しか滞在時間がとれなかったため、断念。
 とりあえず730交差点にある八重山そばの店で昼食。紅芋麺八重山そば。GS君には800円以上の昼食をとるよういわれたが、750えんだった。すまん。
 ていうか、器でかっ
八重山そば紅芋麺
※補足 この器は愛知県常滑産らしい。
<15:00石垣BT>
石垣BTで全島フリーパスを買い、そのまま白保行きのバスに乗車。とりあえず白保まで行って、その後半島先端の平野まで行く予定。
白保行きバス
<白保>
15:30白保着。
とりあえず16:10の平野行きまで40分あるので、白保の海でも見てこようと思う。
<16:11白保発>
 白保バス停から徒歩6分ほどで、白保海岸に着いた。なにもない海岸だったが、白保の海は美しかった。とりあえず靴脱いで足だけ海に浸かってみた。
 案内看板によると、ここには昔旧日本軍の飛行場があったらしい。なるほどそれで新石垣空港もここに作ろうという話が出たのかもしれないが、。
 こんな美しい海を埋め立てて空港を作ろうなんて、そりゃ犯罪レベルだ。
白保海岸
※補足 前述の通り石垣空港は規模が小さく滑走路も短いため、大型ジェット機の就航が出来ない。その為、現空港に変わって新しい空港を作ろうという計画が20年以上前からあった。当初、その予定地に選定されていたのがこの白保海岸沖合であったが、その沖合にアオサンゴの群生地があるなどの理由から地元やWWFなどの猛烈な反対運動が起き、大田革新県政時にいったん白保案が取り下げられ仕切直しとなった。その後、紆余曲折を経て白保より数Km 北にあるカラ岳陸上への建設案が正式決定され、現在工事が進められている。
参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E7%A9%BA%E6%B8%AF
<17:13平野>
 17時過ぎに平野バス停着。ここから平久保崎灯台まで歩いていくつもりだったが、最終バスが17:20と、どう考えても間に合わない。タクシーを呼べるような場所でもないので、しょうがないからこのままここで引き返す。
 て言うかなんか天気雨降ってるし。ここからじゃ海も見えないし。またPHSのバッテリー警告が出だしたし。
平野バス停
 この後、帰途の途中でサンエーの石垣シティに寄る。石垣牛ハンバーグでも売っていればと思ったが、それはなかった。代わりに鰹が超安かった。切り身が280円とか。
<「この石垣牛は偽物だ。食べられないよ」>
 ふと思い出したのだが、たつひでの理想のタイプは栗田さんだと学生時代に聞いた記憶がある
 それはいいとして、今日の夕食は豪勢なものにしてみた。石垣港の近くの月桃庵というところで、石垣牛ステーキコース9000円。
 一口食べただけでお腹いっぱいになってしまうくらいうまかったです。(もちろん、残さず食べましたけどね)
 どうです士郎さん、これだったら文句はないでしょう。
 まあ、敢えて言うならば、塩味がきつすぎて素材の味が殺されてしまっているところがあったことかな。見るからに若手のシェフがついたのが敗因か。
※補足 この日の夕食は、前日GS 君に言われたとおり、豪勢に行くことにして、石垣牛を食ってみることにした。GS君は、名前が「士郎」というだけあって、食に対して決して妥協はしてくれない人だからだ。
 本当は、3000円という値段をフリーペーパーで見てこの店に決めたのだが、3000円というのはNZ産牛肉の値段であって、石垣牛は9000円からとよそより高かったのだが、店に入ってしまったのでしょうが無いからここに決めたという経緯がある。
石垣牛サーロインステーキ
<Re: すげー>
これでもう、明日から100円マックでもいいよね
※補足 GS君から「あなたの凄さに感服」というメールが来たことへの返信。
 疲れたのでこの日は速攻で寝た。IS君からメールが来たが、返信は翌朝にすることにする。
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八重山旅行記_1日目


 AN君からメールが来たのは、出発の数時間前だった。自分からのメールだと気づかなかったらしい。しかも、メール送信時点で那覇にいるとかある。さらには、同じ大学の同級生のGS君も4月から石垣に赴任しているとのこと。夜3人で飲む機会を設けたいが、AN君はその日先約があるため難しいという話。とりあえず自分が石垣空港に着いたら迎えに来てくれるので、そのとき話そうという事に。
 石垣行きの飛行機は、なぜか出発が大幅に遅れる。今回も含めて旅行中はとにかく本もたくさん読もうと思い、まずは機内で岩波新書の反貧困を読み始める。
 石垣空港は、小さな空港だった。なにより、一般的な日本の空港にある、ターミナルビルから飛行機に直結する移動廊下(あれ、なんて言うんだろう?)が、無い。全便、昔ながらのタラップから駐機場の路上に直接降りてバスまたは徒歩でターミナルビルに向かう。
 空港には既にAN君が来ていた。なにげに顔を合わすのは、2年ぶりくらいだ。近況などを話しながら、宿のある石垣市街地登野城地区へと向かう。
AN君「宿は、どこ取った?」
草途伸「えっとねー。地図見ればわかるんだけど。あー、このチサンリゾートの」
AN君「チサンリゾート!いいとことったな」
草途伸「の横の、なんか名前忘れたけど素泊まりの宿。」
AN君「・・・。」
草途伸「場所は覚えてあるから、行けばわかると思う。」
 車を走らすこと10数分。港の近くの登野城地区に着く。AN君、入るべき道を一生懸命探す。そしてそれらしき道に入ると、宿の看板があった。
宿すとりーと
 扉を見ると、「まず携帯に連絡しろ」とかある。
宿すとりーとドア
 電話したら、今出かけているのでとりあえず中に入ってくれ部屋は302号室だと言われたので、とりあえず荷物を下ろして中に入っていく。
宿すとりーと部屋内部
 ここは、楽天トラベルで1泊2000円ネット付きという文句に惹かれて思わず予約してしまった「宿すとりーと」というところなのだが、なるほど2000円の宿というだけある。ちなみにクーラーは有料、冷蔵庫や電子レンジは共用だ。ネットは、LANコネクタらしきものが見つからない。どうやら部屋で使えるわけではないようだ。これはかなり誤算。
 後日石垣市内を散策したら、この手の1500~2000円クラスの安宿は石垣市内にたくさんあるようで、中には朝食(と言ってもトーストとコーヒーだけのようだが)までつくところもあるらしい。まあ、沖縄本島にも数年前からこのくらいの値段の宿はいくつか増え始めていたが、だいたい部屋が個室ではなく共用で、このくらいの値段だったはず。そう考えるとここは個室なので、本島よりは割安という事になる。
 いったん荷物を置いてAN君の車に戻る。AN君はその日用事があったが、GS君の勤め先が定時制で夜は10時くらいまで仕事な為、時間が取れるのは日曜日のこの日ぐらいなので、AN君が予定を変更して時間をとってくれるとのこと。感謝。
 19時半くらいに待ち合わせの約束をして、いったん解散。近所を見て回るがてら、必要な物品を買ってこようと外に出る。離島桟橋とバスターミナルの位置を確認後、730交差点にあるコンビニで飲み物を仕入れる。(ちなみにこの730とは、沖縄が米軍支配下にあった当時車が右側通行だったのが、解放後日本国内の法に合わせて左側通行に変更された1978年7月30日のことと思われる。)
 せっかくなので地元産の飲み物を買ってみようと思い、こんなのを買ってみた。
ゲンキクール
 19時半になって、AN君が夫婦でタクシーで迎えに来る。飲む気満々だ。既に名前は忘れてしまったがタクシーで5分ほどの居酒屋まで行く。AN君の教え子がバイトしている店らしい。
 ちなみにGS君は、これまたその日法事があったとかで那覇におり、20時半過ぎになるとのこと。何でこの日に限ってみんな那覇に。GS君が来るまで3人で話しながら飲み食い。イカキムチがうまい。AN君の嫁のYさん(35歳)が友達を紹介してくれるとかいう話に内心超期待してみたりする。
 21時頃にGS君が来る。元気そうだ。去年までは人間関係とか何やらでちょっと人間不信入っていてかなりやばい感じがした彼だったので、少し安心した。
 GS君が来た後は、なぜか荒野草途伸の大親友であるIS君の話題で盛り上がる。何故大親友なのに旅行に来ることすら話さなかったのかと言われ、とりあえず、メールだけ打っておく。その後もひたすらIS君談義。彼もまさか、400Kmも離れた海の向こうの島で自分が酒の肴にされているとは思わなかったろう。
 あと、2000円の宿を取ったことに文句を言われた。金稼いでんだからもっといい宿に泊まれよという、そういう説教をされた。隣にあるチサンリゾートとの落差があまりに大きすぎたらしい。
 GS君から、「宿はもういいから、メシに金をかけろ。明日から、朝は100円マックでもいいから、昼は800円以上の八重山そばを食べなさい。夜は3000円以上のメシを食いなさい」と言われた。まあ、確かにせっかく来たのだから、地元のうまいものを食っておくに越したことはないので、これには素直に頷いておく。
 23時頃に居酒屋を出て、宿まで歩いて見送り。「素泊まり」の看板を見てGS君、改めて先ほどの言葉を繰り返す。
 そして解散。
 もらったフリーペーパーを見ながら、明日はどこへ行こうかと思案。その中に、波照間経由で西表東部へ行くツアーの広告があったので、波照間行きはいったん中止にしたがこれにしてみるかと、8時起きして観光会社まで行ってみることにする。
 眠くなるまで本を読んで、就寝。
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