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沖縄振興策を斬ってみる~2.DFSギャラリア沖縄~


DFSギャラリア沖縄とは、那覇市のおもろまち駅前にある、某世界資本が出資している観光客向け巨大免税店のことである。
(参考:Wikipedia「DFSギャラリア・沖縄」)
自分が記憶している限りでは、これの構想が出たのは自分が福岡勤務している時代だったので、2000年~2003年ぐらいの間だろうか。朝日新聞福岡版の片隅に小さく、「自民党の地方議員が沖縄にブランド品の免税店を作ることを企画している」というようなことが書かれていた。
この記事を見た時自分は、「何てバカな事を。て言うかこんなアホな企画実現するわけねー」、と思った。
ところが。数年後、沖縄での働き口が見つかって、転居したところ、それは実在してしまっていた。しかも、那覇新都心の中心駅の駅前という超一等地を全占拠する形で、である。
これを見た時、自分は文字通り開いた口がふさがらなかった。
ではここで、DFS沖縄の何が問題なのか、それを列挙してみよう。重要性は敢えて低い順に挙げていく。
まず、「県外の人間しか使えない」という点である。この点は県内の人間でも航空券さえあれば利用出来るように改善されたらしいが、それも最近の話である。どのみち航空券がなければ使えない。
免税店という性格上そうせざるをえないということなのだろうが、結果としては「沖縄県民にとってメリットがない」施設という事になる。
道の駅の成功例でわかるように、観光客にとって使いやすい施設というのは、地元の人間にとっても使いやすい施設なのである。沖縄の事例で挙げれば那覇の公設市場も該当するだろう。地元の人間を排除した施設など、はっきり言って論外である。
次に、「ブランド品しか置いてない」という点である。これは運営会社の方針なのかなんなのか知らないが、普通の人間は買わないような高級ブランド品しか置いていない。
「免税価格でブランド品を買う目的で沖縄に来る人を呼び込みたい」という思惑があるらしいが、はっきり言って甘いと言わざるをえない。何故なら、そういうブランド志向を持った人間は「旅行先」にもブランド価値を求めたがるからである。どうせ旅行に行くならニューヨークやパリに行きたい、とその手の人なら考えるだろう。
そして。そういう指向を持たない、言い方はまずいかもしれないがまともな人間なら、旅行に行ったら「現地のお土産」が欲しいと思うものである。
何が悲しくて、沖縄に来てまでグッチやシャネルを買わないといけないのか。
それでも万一、たまたまDFSまで来て、ブランド品を買う人間がいたとしよう。実は、これこそが最大の問題である。
簡単な算数のお話だ。お土産を買う予算には上限がある。そこで、DFSでブランド品を買ってしまう。当然、残金は減る。ホテルや飛行機代は後から減らすことは出来ないので、そうなると、地元産のお土産品を買う予算を減らす、ということになってしまう。
この「予算には上限がある」という点が大事なのである。
少し個人的な話になるが、1995年に琉大に入って沖縄と関わって以来、大なり小なり違和感を感じていたことがある。それは、沖縄の人は、どうも本土の人間(特に観光客)はみんな金持ちだと勘違いしているのではないか? ということである。(無論全ての沖縄県民がそうだと言うつもりはない。)
実際には違う。殆どの観光客は、なけなしの金とまではいかなくても、それなりに苦労して蓄えたお金を使って、沖縄に旅行に来ているのである。中には、うなるほどの金と暇を持った人間もいるようだが、そんなものは例外中の例外と考えなければいけない。
お土産予算には上限があるのだ。
その限られた予算の中で、出来るだけ県産品を買ってもらわなければいけないのである。それなのに、DFSはその県産品を買う予算を奪い取っているのである。
最後に。立地の問題である。冒頭で触れたように、DFS沖縄はおもろまち駅前という、那覇新都心の中心駅の、駅前のほぼ全てを占領して建設されている。
これが、観光客の玄関口である空港の近くに設置されていれば、自分もここまで文句は言うまい。だが。新都心という場所に置いたことで、県外の人間にとってもメリットが薄くなっている。わざわざモノレールで20分もかかる場所に置く意味が、どこにあるのだろうか?
そしてそれ以上に重要なのが、土地活用の発想というか、基本である。駅前の一等地と言ったら、商工業住宅を問わず、何にでも活用出来る、使い方次第でいくらでも金の成る木に育てることが出来る土地である。中学校、否小学校の社会科レベルの話である。
そこを、地元住民が事実上使えない、観光客専用施設が丸ごと占領している。
常軌を逸しているとしか思えない。
こんなものは観光立県政策でも何でもない。無知蒙昧、恥さらしの象徴である。「沖縄の政治家はこんなにおバカなんですよ~」と県外に広く喧伝しているようなものである。
ではDFSはどうするべきか。建物は既にあるのだから、いくら無駄な施設だからと言ってわざわざ壊してしまうのも勿体ない。また、今DFSで働いている人の雇用の問題もあるだろう。
一つの案として、全くの私案であり一笑に付してもらってかまわないレベルであるが、こんな活用法はどうだろうか。
扱う品物を、沖縄の県産品を中心に、沖縄周辺の、鹿児島や奄美、台湾、上海といった物産を集める様にする、という風にしてはどうか。農産品・工業製品は問わない。書籍でもいいだろう。
あくまで一案であり、最良の案だとは思っていない。みんなで良い案を持ち寄るのがよいだろう。ただ、とにかく、施設のあり方は「沖縄中心」という発想に改めるべきだ。沖縄県民も自由に利用出来るようにするのは言うまでもない。
「免税」にこだわる必要はないと思うが、どうしてもこだわりたいのであれば秋葉原のように「観光ビザを持っていれば免税」という手段もあるだろう。
と、とりあえずDFS批判はここまでである。
正直、ここまでの言い方をするつもりはなかったのだが、仲井眞陣営は伊波陣営の政策を大パクリしているくせに、どこぞのアホ保守市長が「伊波陣営はイデオロギー先行だ」とかふざけた事をのたまったようなので、頭にきてやった。
反省はしてない。

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大人のツインテール


ツイッターの方にはちょっと書きましたが、今沖縄に来ています。
もともと、JALのマイレージの期限切れが迫っていて近いうちにどこかで消費しないといけないのだけど、いったいどこで時間を取ろうかと思っていたところ、たまたま11月前半にまとまった時間がとれることになったので、急遽来沖することにしました。
決めたのが、先週末です。…閑散期だから宿も飛行機も取れたけど、通常期や繁忙期だったらこんな真似は出来なかったよなあ。iAcnから昔「君はいつだって行き当たりばったりだ」と言われたことがありますが、本当にその通りですね。
何はともあれ、約1年ぶりの沖縄です。旅行というより里帰りみたいな気分です。親戚は一人もいないけどね。残念ながら。ぐすん。こんなはずじゃなかったのに…とか愚痴る時期はもう過ぎたな。
つーことで、今は久茂地の一泊3千円の安宿に滞在中です。…客単価の向上に貢献できなくて済みませんねえ。そりゃカネがあればラグナとか泊まりたいんだけどね。
でも、このデフレ時代に、客単価の向上とか目指すのもあまり現実的でなくなってる気もするんだけどなあ。むしろ、客単価の安さを武器にしていく戦略も考えておいた方がいいんじゃあないかと。無論、沖縄県民の労働条件を犠牲にしてはいかんけど。
本題。
せっかく沖縄来たので、行きつけだった美容院で髪を切ることにしました。まだ前の会社で働いていた頃に職場の同僚より発動された「改造計画」(参考)の一環として紹介された、ミムデオムという美容室です。
その美容室は、沖縄起つ直前に行ったので、やはり約1年ぶりです。専属のスタイリストさんは健在でした。
そこで、以前から疑問に思っていて訊いてみようと思っていたのだけど、訊けていなかったことを今回訊いてみました。
「ここの女性のお客さんで、ツインテールにしたいという人っています?」
「…ツインテール?」
「ほら、あの、髪を二つに分けた」
「うーん、そういうお客さんはいないかなあ…」
「そうですか。いや、『大人にも似合うツインテール』というのは絶対存在するんじゃないかと思って、訊いてみたんですけど…」
「…。」
スタイリストさんは黙ってしまった。本来ならここで、「ツンデレにはやはりツインテールが最良でありその元祖は七瀬留美で云々」と話を繋げるつもりだったのだが、返事が返ってこないので話が続かなくなってしまった。
やはり、大人のツインテールなどというものは幻想なのだろうか。オタクの世界ですら、ふざけた幻想はぶち壊されてしまう時代だしなあ…。
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北へ-8日目・釧路


 iAcnに指摘されて、最終日分をアップしていないことに気づいた。
 ・・・とは言っても、最終日は特に書くようなこともなかった。
 飛行機が午後だったので午前中に釧路湿原を廻る定期観光バスにでも乗ろうかと思っていたのだが、気が付いたら10時半で観光バスの出発時刻どころかホテルのチェックアウト時刻も過ぎている有様だった。
 しょうがないので、そのまま空港に向かうことに。ホテルのすぐ隣りに、フィッシャーマンズワーフMOOという施設があって、そこから空港行きのバスが出ているので、とりあえずそちらに向かう。
 またしても目の前でバスが行ってしまった。
 まあ、でもこの場合全く急いでいなかったから、さほどショックでもない。せっかくなので、フィッシャーマンズワーフMOOをちょっと見ていくことにした。
 簡単に言えば、地元産海産物のお店が並んでいる複合商業施設と言ったところか。ただ、地元直販という事だからなのか、よそで買うよりもずっと安い。蟹とか鮭とかイクラとか、1000~2000円くらい安い感じがした。
 そういえば石垣ではカツオがバカみたいに安かったしなあ、輸送費とか考えるとそのくらいの値段の差は出てしまうのだろうか、今燃料高だし価格差はもっと大きくなってるかもしれないなあなどと考えつつ、家族への土産に毛ガニとイクラを購入。あと、自分の昼食用に鮭いくら丼を持ち帰りで買った。
 この後は、釧路空港へ行って昼食を食べて時間を潰しながら飛行機を待ち、14時過ぎにJAL便で中部空港へ。
 荷物が死ぬほど重かった。
 以上で、今回の北海道旅行は終わり。今回は道東中心で、道央・道南は完全無視の行程だったが、いずれ機会があったら今度は鉄道で北海道入りして道南も廻ってみたい。
 ・・・その機会がいつ来るかわからないが。もしかしたら定年後になったりして。
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北へ-7日目、根室


 7日目。5泊滞在した弟子屈摩周温泉の宿を発って、摩周駅へ。この日は根室方面へ向かった後、釧路に戻って一泊する。
 8時半発の列車に乗る。なんか今までよりも異様に混んでいる。それでも、座れはした。超訳資本論を読んでいたが、途中で寝てしまう。
 気が付いたら釧路駅だった。ここで花咲線に乗り換え。根室本線って、釧路までは根室本線と名乗るくせに釧路から根室に向かう路線は途端に通称が変わってしまうのは、どうしてですか?
 荷物が超重いので、いったん泊まる予定の宿に行って荷物を置いてくる。宿の方向はわかっていたはずだが、途中で「本当にこの道であっているのか?」という迷いが出て何回か無駄な往復をしてしまい、結局1Kmの道を30分近くかけて宿までたどり着いた
 宿に荷物を置いた後、コンビニで新聞などを買って、再び釧路駅へ。すぐに、乗車予定の快速ノサップが来る。
快速ノサップ
 ここでもどういう訳かやたら人が多い。しかも、背広姿の人とか、観光客以外の利用がやたら多いようだ。本気で座れるかどうか心配だったが、何とか座る場所は見つけた。
 根室まで2時間。超訳資本論を読み終えて日経新聞を9割方読んだところで、根室駅に着いた。小さな駅だ。
 駅横にある根室バスのターミナルに行って、納沙布岬までの往復乗車券を買う。11:15、発車。
 途中、「歯舞」というバス停があった。歯舞諸島の歯舞と同じなので「?」と思ったが、あとで聞いたところによると、元々根室半島の先端部あたりには「歯舞村」というのがあって、歯舞諸島もこの歯舞村の所属だった(だから歯舞諸島?)そうだ。歯舞村は現在では根室市と合併しており、故に歯舞諸島は根室市域という事になるらしい。
 (北方領土の他の島は、それぞれに根室市とは別個の自治体が、本来は存在する)
 約40分で目的地の納沙布岬に到着。
 どういうわけかしらないが、右翼のDQN車が大量に来ていて、駐車場を占領している。何をしに来ているのか知らないが、決して良い気分ではない。
 でかい建物がいくつも建っている。どれも、北方領土返還祈願と関連した建物ばかりだ。そして、「日本最東端」という文字はどこにも見あたらない。
平和の塔
返還祈願の鐘納沙布岬の碑
 納沙布岬の端っこまっでは、柵で遮られていて行けなかった。ロシア云々という事では決して無く、単に危ないからという理由だろう。そしてそこにもカモメはいた。
納沙布岬のカモメ
納沙布岬灯台と貝殻島を望む
 納沙布岬灯台と貝殻島を望む
 近くにあった資料館のような所に入ってみる。北方領土返還祈願の署名というのがあったのでとりあえず書いておいた。この名簿は毎年内閣に持って行って云々あったが、しかし日本政府にこんな名簿を毎年持って行ったってあまり意味は無いのでは?と思った。持って行くならロシア政府でなければ意味は無い気がする。
 外に出たら、パンパンと爆竹を鳴らす音が聞こえた。何事かと思ったら、どうやら、集結している右翼どもが何か勝手に自分らのイベントをやっているらしい。正直、ここまでやられると迷惑以外の何物でも無い。死ねばいいのに。
 帰りのバスまで時間があったので、土産物品店で昆布クッキーと根昆布を買う。まだ時間があったので、ベンチに座って日経新聞の残りを読んでいた。右翼どもの車が見える位置にいたので、どうせなら朝日新聞を買ってきてここで読んでやれば良かったと少し後悔。赤旗ならもっと効果大だが、さすがにそれはコンビニで売ってない。
 根室駅に戻ると、雲行きが怪しくなっていた。列車に乗り込んですぐに、降り出す。傘を持ってきていなかった(というか稚内の宿に忘れた)ので、この点は運が良かった。ただ、座る位置を間違えて東根室駅(日本最東端の駅)の写真を取り逃がしたのは残念。
 16時頃に釧路駅に着き、宿へ。何故か、どっと疲労感が襲ってくる。7時に朝食を食べたはずだが、何故か異様に空腹感があった。この宿は食事無しなので、コンビニで買ってきたサンドイッチとパックドリンク3本を一気に平らげる。北海道限定というわけでもないので、ドリンクの写真は特になし。
 明日は最終日。飛行機に乗るまでの時間に釧路湿原をめぐる観光バスに乗ろうかどうか悩む。疲れていたので、とりあえず寝て、翌日起きた時点の体調で決めることにした。
 一応この宿も温泉付きだったのでとりあえず入浴して、仁科りえ支援の呼びかけをブログでして、寝てしまう。北海道も、残りいよいよ、あと一日。。。
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北へ-6日目、小清水原生花園


 仁科りえ惨敗のショックで寝込んでいた荒野草途伸です。
 さて、北海道旅行6日目は、釧網本線を北上し、臨時駅「原生花園駅」近くにある小清水原生花園に行ってきました。
原生花園行ききっぷ
 10:21摩周発の快速しれとこに乗車。
快速しれとこ
 途中の浜小清水駅で、DMV(Dual Mode Vehicle)を発見。
DMV
 傍目からはただのボンネットバスにしか見えない。ホッカイドウ物語・わたしのボンネット。
 11:47、原生花園駅着。
原生花園駅
 とりあえず、文章で書くと「花を見てきた」で終わってしまうので、写真をずらずらと並べておくことにする。
(クリックすると拡大写真が見れます)
案内看板
アカバナエゾノコギリソウベンケイソウ?エゾカワラナデシコ
ハマボウフウハマヒルガオナミキソウ
ハマナスハマナスの実海岸に生えてる何か
濤沸湖

 左上から、
アカバナエゾノコギリソウ、ベンケイソウ?、エゾカワラナデシコ
ハマボウフウ      、ハマヒルガオ 、ナミキソウ
ハマナス        、ハマナスの実 、海岸(に生えてる何か)
濤沸湖

 駅に戻ると、踏切のところでなにやら人だかりが出来ていた。どうやら、先ほど浜小清水駅に止まっていたDMVが、こっちに向かって走ってくるらしい。慌てて撮影体制に入る。
走るDMV
 辛うじて撮影できた。
 ところでこのDMVであるが、あまりにも有名になりすぎたせいか「沖縄にもDMVを導入すべきだ」とかアホなことを言い出す人間がたまにいる。
 が、そもそもDMVというのは既存の鉄路を利用できるところにそのメリットがあるわけで、鉄路が全く存在しない沖縄で導入しようと思ったらまず鉄道路線を敷設するところから始めなければならない。そんなことをするくらいだったら、普通の電車を走らせた方がよっぽど輸送・対費用効果は高い。どうしてもバス路線と連動させたいのであったらガイドウェイバスを導入した方が建設費も車両費も安くて済む。
 結論を言えば、沖縄にDMVを導入するメリットは全く無いのだ。既存鉄路や旧国鉄の廃線後がある他県とは違うのだ。
 話が逸れてしまった。とりあえずこのあと網走駅まで行って、2日目に撮れなかったオホーツク号の写真を撮ってきた。
オホーツク号
 ・・・なんか、別にこの写真を撮ったからなんなのだという気がしないでもないが。
 この後、駅前のローソンで新聞を買い、帰りの列車が来るまでそれを読んで過ごす。やけに馴れ馴れしいおばちゃんが女子高生二人組に「高校野球残念でしたね」とか話しかけていたが、高校生は明らかにウザそうだった。
 このおばちゃん、結局自分と同じ列車に乗ったのだが、車内でも男子高校生4人組に同じようなことを話しかけていた。そんなに人恋しいのかと突っ込みたかったがしかし関わりたくなかったので無視していたら、今度は自分の方に来て104ってドコモでないと使えないんですかとか訊いてくるから番号案内は携帯では使えないと思いますよと一言だけ答えておいた。
 宿に戻ったら、また疲れが出た。翌日はこの宿を発つので、撤収準備に入る。そして宿で出る大量の食事のおかげで体重は65Kgに増えていた。
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北へ-4日目、知床


 4日目は知床。今回道東に行った最大の目的地でもある。
 2日目でも書いたように、知床へはレンタカーで行くことにした。斜里から定期観光バスを乗り継げばオシンコシンの滝までは行けたのだが、今回はどうしても羅臼側まで行きたかったので、車を借りることにしたのだ。
 摩周駅から釧網本線を北上して、知床斜里駅へ。世界遺産指定地への入口ということもあってか、駅舎が真新しく綺麗だ。駅前にあるバスセンターの事務所がレンタカーの営業所も兼ねていて、そこで手続きを済ませる。
 借りた車はプリウス。軽自動車よりもちろん若干高いが、ガソリン代を考えれば殆ど代わらないはずだし、それならばガソリン消費量の少ない車に乗った方が環境にも優しいというものだ。それに、プリウスなら乗り慣れているから運転しやすい(=事故の危険が少ない)というのもある。
 自分で運転する以上、途中で眠くなっては困る。ので、まずは近くのセイコーマートでペットボトルのコーヒーを2本調達。そして、知床国道へ。ひたすら北上し、まずはオシンコシンの滝を目指す。
 40分ほどでオシンコシンの滝に到着。
オシンコシンの滝
 次に、知床観光の拠点地であるウトロ地区へ。10時前にウトロ地区に着き、道の駅とかいろいろ観光客用の施設に入ってみる。
 知床観光船に乗ろうかと思っていたが、知床岬まで行く便が朝の8時台1便しか無いようで、もちろん既に出てしまっている。車を返す時間が17時であまり時間の余裕もないし、知床岬まで行かないなら無理に乗る必要もないかと思い、そのまま北上することに。
 20分ほどで知床自然センターに到着。ここから先はバスに乗り換えになる。途中の知床五湖までは一応マイカーでも行けるのだが、そこから先はマイカー乗り入れ禁止になっている。そして、知床五湖ではバスへの乗り換えが出来ないからだ。
 自然センター内の切符売り場でカムイワッカ湯の滝までの往復乗車券を買う。知床五湖で途中下車も出来るらしい。一緒に貰った時刻表によると、10:20のバスがすぐ出るようだ。なのでセンターを出てバス停の方へ向かうと、目の前でバスが行ってしまった。次のバスは10:40。20分のロス。時間の余裕がないのに、ちょっと痛い。
 10:40、バス乗車。車内放送で注意事項や案内などが流れるが、その中で「カムイワッカ湯の滝は落石の危険があるため、現在1の滝までしか行けない」という内容が。秘湯として有名な4の滝には行けないらしい。
 ・・・なんか、あまり行く意味がない気もしてきたが、もう乗ってしまったので仕方がない。せっかくだから車窓から見える知床の絶景を楽しむことにする。バスが走り続けているので写真がうまい具合に取れなかったのが残念。
 11:20、カムイワッカ湯の滝到着。
カムイワッカ湯の滝入口
 この滝を流れる水は、上流の硫黄山からわき出る温泉を源流としているため硫黄分が高く、酸性値が非常に高い。その為岩肌に苔などが生息していない為、水が流れていない所よりもむしろ滑りにくいとのこと。
 その案内通りに滝の中をひたすら突き進んでいくと、5分もかからずに1の滝に到着。あまりにもあっけない。
カムイワッカ湯の滝1の滝
 正直拍子抜けして、こんなことならすぐ帰ろうと思い、先ほど乗ってきたバスが11:33発なのでそれに乗車しようと滝を降りる。
 入口まで戻ったところで、バスが発車してしまった。またしても、目の前で。
 次に出るバスは、12:13。入口で突っ立っていてもしょうがないので、とりあえず1の滝に戻ってみる。と、ガイドの人に「もう少し先まで行けますよ」と言われ、行ってみることに。
 5分もかからずに、立ち入り限界点に到着。
カムイワッカ湯の滝限界
 近くの岩場に座って、滝の流れる様子を観察。岩が窪んで少し深くなったところで、子供が泳いでいた。
 ふと思いつき、その子供が立ち去った後でそのくぼみの脇に移動。靴と靴下を脱いで、足を浸けてみる。足湯でもしてみようという事だ。まあ、実際水温は30度くらいで決して熱くはないので、足「湯」と言うにはかなり無理があったが。しかし、暇つぶしには丁度いい。しばらくそうして時間を潰す。
 バスの時間が近づいてきたので、足を上げて靴下と靴を履く。と、その時誤って、胸ポケットに入れていたwillcom03を水の中に落としてしまう。カメラ専用にしていたのですぐに取り出せる胸ポケットに入れていたのだが、それが災いした。
 すぐに引き上げて操作すると、一応画面が出たので壊れていないのだろうとその場では思い、一安心。だが、結局壊れていたことが後に判明する。防水ではないので、酸性の水が中に入り込んで、時間差で中の回路が腐食したとか、そういうことなのかもしれない。とにかく、PHSとしては使っていなかったとは言え買ったばかりの機械が壊れてしまい、結構凹んだ。
 バスに乗り、今度は知床五湖へ。なんかもう見るかどうかどうしようか迷ったのだが、せっかく来たのでバス1本分の待ち時間で見れるだけ見ることに。
 案内によると、5つ全部見ると1時間半かかるとあったので、そのコースはパス。20分で回れるという2湖までのコースにした。
知床五湖1湖
1湖
知床五湖2湖
2湖
 戻ったら10分ほどまだ時間があったので、知床名物ハマナス何とかソフトというのを買って食べてみる。本当にハマナスが入っていたのかどうかはわからないが、普通のソフトクリームだった。
 13:15、バス乗車。知床自然センターに戻る。途中、沿道にキタキツネとエゾシカがいるのを発見。保護されているため人を恐れなくなっているとのことらしいが、こんな簡単に見られるとは思わなかった。今回は遭遇しなかったが、この分だとヒグマにも結構簡単に出くわしたりするのだろう。
 ところで。狐といったら沢渡真琴と藤林杏、鹿は久弥直樹で熊は坂上智代なので、知床は鍵っ子にとっても特別な場所とも言える。・・・というようなことを、バスの車内で考えていた。すぐにこんな発想に至るあたり、つくづく自分はバ鍵だと思う。
 知床自然センターに戻り、再びプリウス乗車。知床峠を越えて羅臼に向かうことにする。カーナビが知床横断道路をいつもの案内色と違う色で表示するものだから進むべき方向を間違えてしまい、途中で折り返す羽目に。これでまた15分ほどロスした。
 14時過ぎに、羅臼ビジターセンターに到着。環境省が運営する知床国立公園の羅臼側の拠点である。そして、ここのすぐ近くに間欠泉が吹き出す場所があるらしい。
 行ってみたら、間欠泉が吹き出す間隔は50~70分ほどとある。今ここでそれだけの時間を待つのは厳しいので、帰りに時間があったらまた寄ることにして、いったんそこを発つ。
羅臼の間欠泉
 14時半頃、道の駅らうすに到着。車を降りて海の方を見ると、佳奈多にはっきりと見える島影が。北方領土・国後島である。
 道の駅の中にある展望所に行って、写真を撮る。
国後島・1
国後島・2
 200Mpxのカメラで撮ったため写真だとあまりはっきり映っていないが、実際にはもっとはっきりと島影が見えた。それこそ、人が手を振っていたら解るのではないかと思うくらいに。
 北方領土は二島返還が現実的だと自分は思うが、こんなにはっきりと島が見えると、感情的にはやはり国後島は日本固有の領土なのだと思う。
 ただ、国後島をよく見ると、周りは断崖絶壁だらけ地形は山地だらけで、島自体の土地の利用効率はあまり高そうには見えない。返還されても開発には巨額の費用がかかるだろうし、今の日本にはそこまでのカネはない。島自体よりもむしろその周りの経済水域に返還の利益があるのだろうなと思う。つまりは竹島や尖閣諸島と同じ話であるが、しかし国後島には現在ロシア人が住み着いているし、いざ返還されたら彼らの存在を全く考慮しないわけにも行くまい。そこまで考えた上で返還のメリットが差し引き後プラスになるのか、正直どうなのだろう。
 というようなことをつい考えてしまう。ふと脇に目をやると、カモメが1羽、すぐ近くの欄干にとまっていた。

 カモメにすれば、人間同士の国境問題などまるで関係ないのだろう。きっと好き勝手に知床半島と国後島を往復したりしているのだ。否、案外カモメにはカモメの問題があって、知床のカモメと国後のカモメで縄張り争いをしたりしているのかもしれないが。
 この後、ひかりごけの自生地に行こうとしたが、なんか場所がよくわからず通り過ぎてしまい、折り返そうにもそうするための場所が見あたらず、結局20分ぐらい走ったトンネルの手前で折り返して、羅臼市外に戻った。明らかに時間が無いので、ひかりごけは諦めた。
 知床峠に向かう途中、再び羅臼ビジターセンターに寄る。さっきよりもやたら車が多い。間欠泉に向かうと、大量の人がぞろぞろと戻ってくるところだった。かなりイヤな予感がしつつも間欠泉の前まで来ると、調査員とおぼしき人二人が撤収作業をしているところだった。吹き出し口からは湯気が立ち上っている。どうやら、つい今し方、間欠泉の吹き出しが終わったところだったようだ。
 バス2回に続き、またしても、僅かな時間差で機を逃してしまった。
吹き出した後と思われる間欠泉
 もと来た道である知床横断道路をひた走り、知床峠へ。写真を撮る時間ぐらいはありそうだったので、駐車場に車を止めて、撮影。
羅臼岳
 写真は羅臼岳。山あいから国後島も見えたのだが、写真にはうまく写らなかったので割愛。
 あとは、ひたすら斜里に向かって車を走らせるだけ。正直時間ぎりぎりだったが、何とか17時に間に合った。ガソリン価格は188円/l。与那国島よりはずっと安い。
 この後は、17時半の列車に乗って摩周駅に戻り、宿へ。宿に戻ったらどっと疲れが出た。食事をして、書いていなかった前日の記録を書き終えたらもうそれ以上何もする気力が無く、風呂にも入らず寝てしまった。
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北へ-3日目、摩周、阿寒、釧路トライアングル


 目が覚めたら朝の4時過ぎだった。軽く小腹が空いた感があるが、朝食がちゃんと出るから我慢する。と言うかそれ以前に食べるものがない。
 とりあえず、風呂に入ってくることにする。こういう時、やはり温泉地は良いなと思う。
 風呂から上がったら5時半くらい。昨晩、どうせ遅くまで寝てるだろうという事を見越して朝食の時間を8時半にして貰ったのだが、ちょっと失敗だった。まあ、どのみち5時半に朝食というのは無理なのだが。
 散歩ついでに近くのコンビニを探してみようと思い、外に出る。
 地図によると、直線距離で300mちょっとの所にセイコーマートがあるはずなのだが、間に釧路川が横たわっていてそのまま直進することはできない。大きく回り道することになる。
 その途中にあるセブンイレブンはすぐ見つかったのだが、ここに入るつもりはなかった。なぜなら、セブンイレブンはクレジットカードが使えないから。もうどこのコンビニでもカードかEdyかどっちかは使えるというこのご時世に、何故最大手のセブンイレブンはこういう方針をとるのだろうか。
 ということで、カードが使えるセイコーマートの方を目指す。途中道の狭い登り坂に出くわし、一瞬道に迷ったかと焦ったが、Googleマップの道の幅は実際の道幅とは全く一致しないというのが常なので、とりあえずそのまま進む。
 結局、コンビニはすぐ見つかった。6時開店なのでまだシャッターが閉まっている。5分ほど待って、店内に入った。
 趣味の一環として、地元の飲料を買ってみる。
まろやかフルーツ
 8時半、朝食到着。煮物が付いていたのだが、椎茸が入っていたのは軽くショックだった。調べてみたら、弟子屈は天然の椎茸が特産らしい。思わぬ落とし穴だ。
 まあ、これが無くても量としては十分なので、問題なし。
 10時過ぎに一度出かけてみることにする。とりあえず摩周湖に行こうと思いバスセンターに向かったら、目の前でバスが行ってしまった。次のバスは12時過ぎ。外で待っていてもしょうがないので、いったん宿に戻る。
 12時前に再度宿を出る。釧路川沿いに歩けば摩周駅の方が近いことが解ったので、駅からバスに乗ることにする。
 12:10,摩周駅前発。12時半頃に摩周湖第1展望台に到着。快晴。霧の一粒もない。そして摩周湖は感嘆の声が漏れるほどよく見えた。
摩周湖右側
摩周湖中
摩周湖左側
 ところでこの摩周湖、なんでも晴れた状態で見ると結婚できないという噂があるらしい。・・・まあ、何の根拠もないよね。うん。
 ところで、今回の旅行に当たって妹にまりもを買ってきて欲しいと頼まれていた。荒野草途伸はシスコンだから妹の命令には絶対服従なので、当然まりもを買ってこなければならない。
 ・・・と言うことを書くとまた怒られそうなので上に書いたことは誇張だと言っておくが、しかしまりもは買ってくるつもりではあった。しかし、摩周湖の売店にはまりもはなかった。まあ、まりもは阿寒湖の生き物であって摩周湖の生き物ではないのだから、無くても仕方がない。
 ふと、次のバスが国立公園線という阿寒湖畔まで行くバスであることを思い出す。いくら何でも阿寒湖畔でまりもが売っていないはずはない。が、それ以外の今後行く予定である場所でまりもが売っている保障は全く無い。
 と言うことで、急遽予定を変更して阿寒湖畔まで行くことに。
 バスに揺られ1時間。15時に阿寒湖畔に着く。弟子屈とは打って変わって、見るからに大観光地だ。巨大なホテルがたくさん建ち並び、「まりも まりも」と謎の歌が流れている。そんな中に、「まりも会館」なる建物を発見。
まりも会館
 だが別にここでまりもを売っているわけではなく、組合か何かの建物のようだった。だが、隣の店でまりもを売っていることが確認できたため、とりあえず安心。
 せっかく阿寒湖まで来たので、遊覧船に乗ってみることにする。阿寒湖畔に浮かぶチュウルイ島というところにまりも保護センターがあって、そこまでを船で往復する形になっていた。ちなみに船の切符に先ほど街で流れていた謎の歌の題名と歌詞が書いてあった。「マリモの唄」作詞/岩瀬ひろし。
 チュウルイ島到着。上陸時間が15分しかないので、あまりゆっくりは見れなかった。ここで展示してあるまりもは天然の、阿寒湖底から採取したものだそうだが、観光シーズンが終わったら必ず元あった場所に戻す決まりになっているのだそうだ。
巨大まりも
 まりも会館の隣の店に戻り、まりもを物色。途中他にも店はたくさんあったのだが、この店が確実にカードが使えるようだったので、そこで買うことにした。とりあえず適当に何種類か選んでレジに持って行く。レジのおばちゃん、カードの決済方法がわからない。現金で払ってくれみたいな顔をされるが、こっちはカードが使えるからという理由でこの店を選んでいるのだから、それは出来ない。
 結局、奥からこの店で唯一カード決済機の使い方が解るという人が出てきて、無事決済は完了した。しかし、カードの決済なんてそんな難しいことでもないのに、やり方が解るのが一人しかいないなんて、問題だ。みたいなことを、その決済してくれた人が言っていた。自分もそう思う。
 さて。用は済んだ。摩周温泉に戻らねばならない。どうやって戻るか。実は、行きに乗ってきた国立公園線というバス路線は網走から右回りに観光地を巡る路線で、逆回りはない。なので阿寒湖畔から摩周温泉に行くには知床ウトロ号という定期観光バスに便乗するしかないのだが、これが出るのは朝の8時前。当然、それまで待つことなど出来ない。
 仕方がないのでタクシーで帰ろうと思う。バスが1600円だったので、その4倍としても6千円くらいで帰れるだろう、ちょっと高いが致し方ないと思い、観光センターに行ってみる。
 観光センターから地元のタクシー会社に電話。いくらくらいかかるか訊いてみたら、返ってきた答えは12000円。
 ・・・冗談じゃない。それだけあったら、阿寒湖畔のいいとこのホテルに1泊出来るじゃないか。時間にして40分だと言うし、なんでそんなにするのか納得できなかったので暫し交渉してみるも折れる気配がないので、別の方法を採ることにする。
 観光センターの人と相談して、いったん釧路駅までバスで出て、そこから釧網本線で摩周駅に行けば4000円で帰れることがわかる。ただし、その時間からだと接続がものすごく悪く、釧路駅で2時間待たされた挙げ句帰り着くのが23時過ぎ。
 ちょっと悩むが、他に選択肢は無い。観光センターの人に礼を言って、バスセンターに向かう。
 まず、バスが出るまで1時間。その間にバスの切符を買ってしまう。幸い、カードが使えた。全く問題無く。
 17:35、阿寒湖BT発。普通の路線バスが、道東の原野をひた走る。途中、北26線北25線北24線と、よそではあり得ないようなバス停名が続いてゆき、ああ北海道だなと妙なところで納得する。
 2時間ほどで釧路駅に着く。釧路駅の店は既にその殆どが閉まっていた。時間をつぶせるような適当な場所もない。仕方ないので、切符を買ってホームのベンチで待つ。時間が経つにつれ、だんだんと冷え込んでくる。昼間に出てきたので半袖で十分だと思い、羽織るものを持ってきていない。寒い。ここは北海道なのだと、改めて思い知らされる。
 21時過ぎに耐えられなくなり、運動して体を温めようとホームと地下通路の間の階段で昇降運動を始める。と、何故か駅員がやってくる。洞爺湖サミット直後の厳戒態勢の中、階段で無意味な往復運動をしている怪しい男を尋問するためにやってきたのかと一瞬身構えるが、そうではなかった。
 しばらくして摩周行きの列車がホームにやってくる。駅員はその案内のために来ただけだった。出発30分前に暖かい車内に入ることが出来たのは、不幸中の幸いだった。安心したら、眠気が襲ってくる。終点が摩周なので、そのまま寝てしまうことにする。
 23:13、摩周駅着。駅前にはタクシーが2台待っていた。昨日自分が来たときには1台も待ってなかったくせに、とちょっと拗ねてみる。が、どのみち徒歩で行ける距離であることが既に解っているので、歩いてホテルに向かう。
 ホテルに着くと、誰もいない暗いフロントに自分の部屋の鍵が置いてあった。勝手にとって部屋に戻ると、しばらくして電話がかかってきて、食事をどうするのかと訊かれた。帰ってこないから向かいの空き部屋に置いてあるというので、疲労困憊だったが移動して食べた。ちなみに毛ガニが出た。
 あまりにも疲れたので、風呂にも入らず寝てしまう。翌日は7時出発。ちゃんと起きれるのか。
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北へ-2日目、JR北海道


 2日目は移動日。ほぼ丸一日かけて、稚内から道東の弟子屈町(摩周駅)まで移動する。
 出発は朝7時。夜結局寝付けなかったので、そのまま起きておいて、コンビニで朝食と新聞を買う。6時半に宿を出て、稚内駅へ。
 特急の切符は、JR北海道のサイトであらかじめ予約してあったので、みどりの窓口で受け取るだけ。JR北海道は進んでいる。
スーパー宗谷。写真は旭川駅にて
 7:10発スーパー宗谷1号に乗る。豪勢にもグリーン車。何故グリーン車にしたかというと、スーパー宗谷のグリーン車の窓側席は、パソコン用のコンセントがついているからだ。この点でも、JR北海道は進んでいると思う。
 JR各社で最初にクレジットカードが使えるようになったのはJR九州だが、JR北海道もJR九州も、経営的に本州3社に比べて決して好条件ではない。だからこそこうやって知恵を絞った顧客サービスが登場してくるのだろう。窮地を転じて好機と為す。新幹線の収益にあぐらをかいているどこぞの会社とは雲泥の差だ。
 バッテリーの心配をすることもなく、車内で小説の執筆をする。快適。窓の外にはサロベツ原野。時折ホルスタイン牛の姿が見える。おかげで何とか2話まで書き終えることが出来た。
 10:44,旭川着。次に乗る網走行きのオホーツク号が来るまで30分近くあったので、ちょっとだけ途中下車してみて、旭川駅前の様子を見てくる。
旭川駅前市街
 旭川市は35万都市なので、那覇と同じくらいの規模ということになる。が、なんとなく旭川のほうが都会のように思えるのは気のせいだろうか。旭川に嫉妬。
 まあ、旭川は札幌・稚内・網走・富良野各方面に通じる鉄道が全て集まっている交通の要所だから、人口規模以上に商業が発展していてもおかしくはない。
 やはり鉄道か。鉄道は大事だ。
 11:19発オホーツク3号に乗車。ここでもコンセントが使えると思ってグリーン車の窓側席を取っていたのだが、残念ながらオホーツク号にはそういう設備はなかった。仕方ないので買った新聞を読んで、読み終わったら寝てしまう。まあ、前の晩寝ていないから丁度よかった。
 気が付いたら、網走駅に着いていた。というか、着いてだいぶ時間が経ったところで、乗務員に起こされてやっと気が付いたようだ。大爆睡していた。終点で良かった。
 自分が降りたらすぐに、列車は札幌に向けて出発してしまった。頭が惚けていたため、列車の写真を撮るのを忘れていた。後日網走駅に行く時間があったら、撮りに行こう。
 予定では網走駅で1時間の待機があって、この時間をどうやって潰そうかと悩んでいたのだが、特急車内でオーバースリープしていたおかげでこの時間はだいぶ潰れたようだ。反対側のホームには、既に釧路行きの列車が止まっていた。
 跨線橋を渡ってホームに着いたが、列車の扉はまだ開かれていなかった。未来への扉はまだ開かれていない。俺の進むべき人生の道は、一体どっちだ。
 というか、正直、眠い。
 10数分したら扉が開いたので、速攻で乗り込む。しばらくうつらうつらしていたが、直に気を失ってしまった。途中、原生花園駅のあたりで目を覚ましたような記憶はあるが、とても写真を撮っているような状況ではなかった。まあ、これも後日行ってくるからいい。
 そして気が付いたら、摩周駅だった。列車が着いて、しばらくしてようやく目が覚めた。たまたま摩周駅で対向列車の待ち合わせがあり長時間停車していた為、降車することが出来たが、これがなかったら乗り過ごすところだった。超危なかった。
 摩周駅は霧雨。霧の摩周湖という言葉は有名だが、それで霧の摩周駅というわけでもあるまい。というか、摩周駅というのは摩周湖に特に近いというわけでもなく、元々は弟子屈駅という名前だったのを観光アピールのために知名度のある「摩周」に名称変更しただけの駅名だ。
 摩周駅から宿泊場所のホテル摩周まではさほど遠くはないはずなのだが、もう日が落ちていたしそれに霧が深いので、万一道に迷ってしまっては困る。荷物も重いし。と、15分くらい悩んだ挙げ句、タクシーを呼んでホテルに向かった。
 19時過ぎに宿泊場所のホテル摩周に到着。ここで5泊する予定。
 部屋は和室。正直、上等。このシーズンにこの部屋で2食付きで7千円ちょっとというのは、かなり安い。
ホテル摩周和室
 夕食も結構な御馳走だ。しかも部屋食。
一日目夕食
 正直、一人分としては量が多い。学生の頃ならこれくらい軽く平らげたものだが・・・。
 結局、若干残した。まあ、イカとか椎茸とか、自分が食べられないものがその殆どではあるが。
 夕食後は、今後のプランを立てる。とりあえず、5日に知床まで行くことに決めて、現地のレンタカーを予約しておく。ネットも問題無く使えるからありがたい。
 22時頃に風呂に入る。単純弱食塩泉、らしい。温泉としては一番ありふれた種類だ。すぐに他の人も入ってきてしまったので、軽く済ませて出てしまった。まあ、24時間いつでも入れるし、それに5日間もあるのだから。
 昼間寝たから夜はまた寝れないかと思ったが、23時過ぎにはもう眠気が襲ってきた。寝ない理由も特にないので、寝てしまう。
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北へ-1日目、稚内


 なんとなく北に旅立ちたくなった。
 というのはちょっと嘘で、実は八重山に旅行する段階から、北海道旅行もセットで考え合わせてはいた。理由は単純で、「日本の東西南北全ての端を制覇したいから」というものであった。制覇と言っても実際に行った場所が自分の領土になるわけではないからこの表現は適切ではないのだが、まあ、気分的なものと受け取って貰ってかまわない。
 何故こんな心境になったのかはよくわからないが、まあ自分という存在を見つめ直してみたかったのかもしれない。
 ただこういう国境を廻るみたいなやり方を取ると、まるで、国家や民族というものに縋らなければ自己定義の確立すらままならない右翼連中みたいでちょっと嫌だが、まあしかし自分の住んでいる足下である国土を見て回るというのは、決して悪いことではない。そう思い、とりあえずそういう方向で計画を進めていた。
 だが、八重山旅行記でも書いたように、日本の最東端と最南端は、実は一般人が行けないところであることに気づいたのだった。しょうがないからとりあえず最西端の与那国島だけは行ってきたのだが、今回は最北端である宗谷岬と、一般人が行ける限界である納沙布岬に行ってこようと、プランを立てた。
 そして一日目。中部国際空港からANAが稚内まで季節運行しているので、それを利用することにした。沖縄からだと1泊しないと乗り継げない組み合わせだが、どうせ実家に帰る予定もあったし、それは問題無い。それに、なんとなく「乗り継ぎに羽田を使う」というのが当たり前すぎてなんかイヤだった。東京一極集中に対するささやかな抵抗である。
 11時に中部国際空港着。手荷物預け所で、係の人から「天候の関係で、旭川か札幌で降ろされるかもしれない」と言われる。マテ。そんなとこで降ろされても困るんだが。というようなことを言ったら、「稚内まで運送するという契約になっているので、手段は解らないが稚内までは到着できるよう手配する」とのこと。
 限りなく不安な旅立ちになってしまった。て言うか、稚内(宗谷岬)は、到着当日の午後に見て翌朝は朝一で道東方面に移動する予定になっているから、例えば旭川で降ろされたら鉄道で3~4時間かかるから、付く頃にはもう夕方。もう暗くなってるかもしれない。
 いきなりピンチだ。
 まあ気に病んでも仕方ないので、機内で読書にふける。「『超訳』資本論」。資本論は読んだことがなかったし今まで読む気も起きなかったのだが、やはり労働経済学の基礎となっている書物だから、せめて入門書くらいは読んでおこうと思い読むことにした。マルクスの言い方は無駄に難解だが、内容自体はそんなに難しい物ではないようだ。
 飛行機は無事稚内に着いた。だが、天候はあいにくの雨。風も強い。空港内に、石垣の観光看板が掛かっていたのでちょっとびびった。稚内市と石垣市は姉妹都市らしい。
 空港を出て左手に赤いバスが止まっていたので、乗り込む。地元の宗谷バスが運行する、稚内市街地へのバス。赤い色が昔の名鉄バスそっくりなのでてっきり名鉄グループ化と思ったら、東急グループらしい。(参考:wikipedia
 稚内市街に行くと宗谷岬へは逆方向になってしまうのだが、空港から直接宗谷岬へ行く路線がないので、致し方ない。それに、宿に先に荷物を置いておきたかった。30分ほどバスに揺られる。料金は一律590円。空港バスとしてはそんなものなのだろうが、地元の路線バスも兼ねているらしいことを考えると、ちょっと割高という気がしないでもない。
 宿近くのバス停で降りる。すぐみつかる。が、「食事処」とかあるから、一瞬本当にここが宿なのか迷ってしまう。
宿うぶかた看板
 しかも玄関はともすれば民家のそれだ。
宿うぶかた玄関
 勇気を出して入ってみたら、フロントがあったので安心した。チェックインを済ませ、部屋へ。早速LANケーブルのコネクタを探すが、無かった。どうやらはずれ部屋だったらしい。とは言え無線LANがすんなり使えたので、こちらの方は問題なし。やっぱ、ネットが使えないと、いろいろ活動に支障を来すからねー。自分の場合。
 30分ほど休憩した後、日本最北端の駅、稚内駅へ。
稚内駅
 ・・・想像していたのより、ずいぶん小さい。写真で見るとそうでもないよう見えるかもしれないが、はっきり言ってちょっとがっかりレベルである。まあ、稚内市なんてそれほど大都市でもないし、しかも市の中心部は南稚内駅周辺みたいだから、これくらいの規模でしょうがないのだろうか。
 ついでに、日本最北端の線路も見てきた。稚内駅を北進して、ちょっと路地に入るとすぐにそれはあった。
日本最北端の線路
 ・・・稚内駅以上にがっかり。いや、昔読んだ鉄道関係の本では、もう少し趣がある雰囲気があったように思うのだが・・・。線路縮めたんだろうか。
 というか、日本最南端の駅が未だに「西大山駅」(鹿児島県)になっている。まあ、連続した線路の云々みたいな注釈が書いてあるし、実際赤嶺駅はモノレールの駅で鉄路の駅ではないのだが。なんか釈然としない。
 駅近くの食堂で、食事をすることにすることにする。頼んだのは「かにラーメン」。
稚内かにラーメン
 1500円。頼んでみたら意外にでかくて、ちょっと冷や汗ものだった。
 隣の老夫婦が、店主に「これは札幌ラーメン?」と訊いていて、「稚内ラーメンですよ」と店主は答えていた。「わっかないラーメン」といえば、「おじゃまんが山田くん」に出てくるラーメン屋の名前なので、幼少の頃からその名前だけは記憶に刻まれてはいたのだが、実際店に出回るのは札幌ラーメンか旭川ラーメンばかりなので、稚内ラーメンを食べる機会はこれまで無かった。
 だが、遂にそれを食すときが来る。
 味は、まあまあだった。くどすぎず、あっさり系の味。量が多かったのでスープは全部飲みきれなかったが、もちろん蟹は全部食った。蟹も昔は食えなかったんだけどなあ。
 宗谷岬行きのバスは、16:20に出る。先ほどの店内に、「バスセンターで往復券を買えば割安」というチラシが貼ってあったので、とりあえずバスセンターを探すも、見つからない。案内看板が全く見あたらないのだ。なんて観光客に不親切なんだと雨降りの中ちょっと不機嫌になる。
 結局、バスが走ってきた方向から当たりをつけて、稚内駅の前から北に延びる小さな路地の先に、バスセンターがあることを突き止めた。カウンターで往復券を買い、暫し待つ。
 バスは定刻通り来る。車窓を楽しもうかと思っていたが、先ほどたらふく食ったせいか急激に眠気が襲ってきて、意識不明の状態に陥ってしまった。
 気が付いたら、宗谷岬。バスは別にここが終点というわけではなく、さらにその先の小学校まで行くので、もしここで目が覚めなかったら乗り過ごすところだった。本当に危なかった。
 宗谷岬は、土産物店や民宿が建ち並ぶ、もう見るからに観光地という感じだった。とりあえず最北端の碑の前まで行ってみる。
日本最北端の碑
 だが、ふと気づくと左手の方に、何か岩礁が見える。どう見ても、この碑よりも明らかに北だ。
平島?
 あとで国土地理院の正確な地形図で見てみたら、明らかに宗谷岬よりも来たに、平島・弁天島という二つの島がある。この島がロシア領という事もないだろうから、間違いなく日本の最北端はこの弁天島だ。つまり、日本最北端は宗谷岬ではない。
 私の行ったところは最北端ではなかったのだ。
 だ ま さ れ た。
 しかしこの島まで行く手段はおそらく今の自分にはないので、諦めるしかない。時間もないことだし。結局、この旅自体が「虚構の自己満足の国土探訪であった」ということなのだろう。
 早くも一日目にして、旅の目的の虚構性を暴かれてしまった。まあ、いい。この度の目的はもう一つあって、温泉宿でゆっくり小説を書こうというのもあるのだから。だが、それは明日以降だ。て言うか、まだあらすじが固まっていないし。
 帰りのバスを待つ。バス停に、旅人が書き残すノートがあったので、自分も一筆書き残そうと思った。が、既にノートがいっぱいだった。
 このまま何も書かずに返るのもシャクなので、財布の中にあったゲオのレシートの裏に「2008/8/2 荒野草途伸参上」と書いて、間に挟んで帰ってきた。
 そして帰りのバスの中ではまた爆睡していた。
 駅についてもまだ眠くて、いったん宿に戻ったらそのままばたんきゅーしてしまった。気が付いたら、もう夜の22時過ぎだった。
 風呂は夜中に入るなと言われていたし選択もしないといけなかったし薬を飲むための飲料も必要だったので、とりあえずまずは近くのセイコーマートに走った。
 なんか、品揃えが結構面白い。北海道らしいと言うか。焼きもろこしとか売ってるし、おにぎりも「鮭わさびマヨ」とか「筋子」とか。それに値段がなんとなく1割ぐらい安い気がする。
 とりあえず旅行に行ったら地元の飲み物を飲んでみるのが自分のセオリーなので、「ソフトカツゲン」という乳酸飲料を買ってみた。
ソフトカツゲン
 メロン味もあったのだが、とりあえず普通のにしといた。明日機会があったらメロン味の方も飲んでみよう。
 とりあえず、今日の旅としては以上。明日は7:10発の特急宗谷に乗らないといけないので、早く起きないといけない。おいおいこんな時間まで起きてて良いのか? ていうかいっそ、このまま起きてるか? へたに寝ると起きれなくなりそうな時間になってるぞ。
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八重山旅行記_2日目


 2日目。目が覚めたら10時半だった。当然、昨晩計画していたツアーには全く間に合わない。それどころか、大半のツアーがもう出発後だろう。
 初っぱなからいきなり計画が狂ってしまった。
 とはいえ何もしないのも時間がもったいないので、とりあえず離島桟橋まで行ってみる。
 ここから先は、PHSから随時自分のアドレス宛に送ったメモメールを適宜補足する形で掲載していく。
<11:00竹富発>
 8:30のツアーを申し込むはずだったのに、気がついたら10:30だった。
 呆然とするも、宿にいても仕方ないので、とりあえず港とバスターミナルのある方角まで行ってみる。
 離島桟橋のターミナル内にある観光センターで訊いたら、竹富島行のツアーならあるとのこと。竹富島はなんか石垣観光としては当たり前すぎる感がしてきのりしなかったが、この際仕方ない。そもそも、そんな当たり前がいやならツアーなど申し込むべきではないのだ。そもそもの予定では、波照間行の切符だけ買って自力で有人最南端にたどり着くはずだったのだから。
 11:00に出航。船の揺れが心地いい。
<11:15竹富島着>
すぐにグラスボートに乗る
7人しかいない。
竹富島グラスボート
<12:45竹富島>
水牛車観光待ち。
12時すぎていたので大親友のIS君にメール送ろうかと思う。
ついでにいうとPHSのバッテリーが少なくなってる。
水牛車
<13:33竹富港>
13:45には出航する。
14時にはは石垣に着いてしまう。かなり時間が空く。どうしよう。
波照間まで行って戻ってこれるか?
<14:13登野城>
 波照間行は、行って戻って来れないこともなかったが、15分しか滞在時間がとれなかったため、断念。
 とりあえず730交差点にある八重山そばの店で昼食。紅芋麺八重山そば。GS君には800円以上の昼食をとるよういわれたが、750えんだった。すまん。
 ていうか、器でかっ
八重山そば紅芋麺
※補足 この器は愛知県常滑産らしい。
<15:00石垣BT>
石垣BTで全島フリーパスを買い、そのまま白保行きのバスに乗車。とりあえず白保まで行って、その後半島先端の平野まで行く予定。
白保行きバス
<白保>
15:30白保着。
とりあえず16:10の平野行きまで40分あるので、白保の海でも見てこようと思う。
<16:11白保発>
 白保バス停から徒歩6分ほどで、白保海岸に着いた。なにもない海岸だったが、白保の海は美しかった。とりあえず靴脱いで足だけ海に浸かってみた。
 案内看板によると、ここには昔旧日本軍の飛行場があったらしい。なるほどそれで新石垣空港もここに作ろうという話が出たのかもしれないが、。
 こんな美しい海を埋め立てて空港を作ろうなんて、そりゃ犯罪レベルだ。
白保海岸
※補足 前述の通り石垣空港は規模が小さく滑走路も短いため、大型ジェット機の就航が出来ない。その為、現空港に変わって新しい空港を作ろうという計画が20年以上前からあった。当初、その予定地に選定されていたのがこの白保海岸沖合であったが、その沖合にアオサンゴの群生地があるなどの理由から地元やWWFなどの猛烈な反対運動が起き、大田革新県政時にいったん白保案が取り下げられ仕切直しとなった。その後、紆余曲折を経て白保より数Km 北にあるカラ岳陸上への建設案が正式決定され、現在工事が進められている。
参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E7%A9%BA%E6%B8%AF
<17:13平野>
 17時過ぎに平野バス停着。ここから平久保崎灯台まで歩いていくつもりだったが、最終バスが17:20と、どう考えても間に合わない。タクシーを呼べるような場所でもないので、しょうがないからこのままここで引き返す。
 て言うかなんか天気雨降ってるし。ここからじゃ海も見えないし。またPHSのバッテリー警告が出だしたし。
平野バス停
 この後、帰途の途中でサンエーの石垣シティに寄る。石垣牛ハンバーグでも売っていればと思ったが、それはなかった。代わりに鰹が超安かった。切り身が280円とか。
<「この石垣牛は偽物だ。食べられないよ」>
 ふと思い出したのだが、たつひでの理想のタイプは栗田さんだと学生時代に聞いた記憶がある
 それはいいとして、今日の夕食は豪勢なものにしてみた。石垣港の近くの月桃庵というところで、石垣牛ステーキコース9000円。
 一口食べただけでお腹いっぱいになってしまうくらいうまかったです。(もちろん、残さず食べましたけどね)
 どうです士郎さん、これだったら文句はないでしょう。
 まあ、敢えて言うならば、塩味がきつすぎて素材の味が殺されてしまっているところがあったことかな。見るからに若手のシェフがついたのが敗因か。
※補足 この日の夕食は、前日GS 君に言われたとおり、豪勢に行くことにして、石垣牛を食ってみることにした。GS君は、名前が「士郎」というだけあって、食に対して決して妥協はしてくれない人だからだ。
 本当は、3000円という値段をフリーペーパーで見てこの店に決めたのだが、3000円というのはNZ産牛肉の値段であって、石垣牛は9000円からとよそより高かったのだが、店に入ってしまったのでしょうが無いからここに決めたという経緯がある。
石垣牛サーロインステーキ
<Re: すげー>
これでもう、明日から100円マックでもいいよね
※補足 GS君から「あなたの凄さに感服」というメールが来たことへの返信。
 疲れたのでこの日は速攻で寝た。IS君からメールが来たが、返信は翌朝にすることにする。
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