「自分が生きる理由、それは今現在ここに自分が存在していることだ」というのは荒野草途伸が10年近く前から主張してきたことなのですが、この度その台詞を刹那・F・セイエイにパクられてしまいました。
サンライズに武力介入してもいいですか?
と、これだけ書くとただのキチガイにしか聞こえないので、もう少し書こう。
上記の、生きる意味は自分が存在すること云々というのは、ほんとの話である。
以前、「自分みたいに心を病んだ人間であれば一度くらいは自殺を考えたことがあっても良さそうなものなのに、自分には未だかつてそういった心境になったことが一度もない」ということに気づいた。
次にその理由として「おそらく自分には、生きるための明確な目的なり理由が、はっきりと存在しているからだろう」という第一段階の結論を得た。
しかし、その目的とか理由とかが、すぐに言葉として表現出来なかった。というより、簡単に言葉で言い表せる単純なそれを、自分は持ち合わせてはいなかった。思索した結果行き着いた結論が、「どんなに理屈をこね回そうが、今自分がここにいるという事実、それ自体を覆すことは何人たりとも出来ない」=「自分の存在は否定出来ない」=「それこそが自分が存在する理由」というものだった。
正直この理屈は自分でも理解するのが難しいと思うくらいなので、他人に理解して貰うのはもっと難しい。
実際、こんなことがあった。
割と最近の話だが、職場のリーダー候補生向けのヒューマンスキル研修があった。「自分が存在する理由」というテーマが出たので、私は自信たっぷりに前述の理論をとうとうと語った。
返ってきた言葉は、「そんなの偽善だ」だった。
偽善とか言われても自分が存在する理由が今ここに自分がいることだというのは紛れもない事実なのだしそれを偽善と言われてしまってはつまり自分の存在理由は偽物だということになってしまいつまりは自分の存在そのものが否定されたことになってしまう、人間の存在が否定されるということはそれ乃ち死を意味するわけだからあなたは私を殺したも同然だ、だからお前は殺人者だ!
と言ってやりたかったが、大学の同級生ならともかくさすがに職場の同僚相手にそんな口叩くわけにも行かないので、黙っていた。
とりあえず一般人相手だとだいたいこういう事態になるので、このことはなるべく割と親しい人にしか話さないようにしてきた。
とは言え、これから先「それガンダム00のパクリだろ」とか言われるのはもっと嫌なので、一応ブログに書き残しておくことにする。
て言うかねー。刹那のあの台詞の使い方が、あまりにも軽々しすぎて正直怒りすら感じてる、ってのもあるんだけどねー。
まあ、たかが作り話のアニメなんだけどさ。て言うか、どうせアニメ語るんなら、鍵っ子としてはガンダムなんかよりCLANNADを語りたいんだが。BS-iの放送が東京より3週間も遅れてる所為で、話題の主流から取り残されちゃってる感がすごくするんだよね・・・。て言うかこれまでだって、主流だった事なんて一度もないんだけど。
それでも自分は、生き続けている。
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生きる意味
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