1985年1月28日。長野県長野市の大安寺橋で日本福祉大学の学生らを乗せたバスが川に転落し、乗客の半分以上が死亡する大事故がありました。全国的な扱いはどうだったのかわかりませんが、東海地方では連日ニュースで取り上げられ、小学生の間でも話題になる程でした。
当時三重県伊勢市に住んでいた11歳の麻枝准少年は、この事故を見て何を思ったのでしょうか。
11話。1期からの通算で35話目にして、ついにリトバスの世界観が明らかにされました。…というには、ちょっとあっさり流してしまった気もしますが。
…いや、違いますね。原作だとここで全部説明しきってるんですけど、アニメはこの辺りで改変入れてることが確定したので。まだ全部じゃないです。
次回は小毬の、原作で言うところの「最後のゆめ」に該当する話になるわけですけど。このお話、1期24話で既にやってるんですね。なんか中途半端な形で終わりましたけど。なので次回は、この続きをやることになるのでしょう。
前回の記事で3つ挙げた疑問点のうち、2つはこれで解決することになるでしょう。もう一つも…おそらく次回で回収するんじゃないでしょうか。とことん恭介視点であり、恭介の驕りと焦りがダイレクトに世界に繁栄されてしまっている。といったところなのかな。
それを象徴するかのような恭介の台詞が一つあります。「鈴は可愛い女の子。ずっと側で見ていたかった」。いや、ただのブラコン発言だろといってしまえばそれまでなんですが。
どういう意味にせよ恭介は鈴を溺愛していて、何が何でも鈴だけは助けたかった。から、鈴以外で唯一無事だった理樹に「鈴を守る使命」を植え込もうとして、その為に鈴かわいいよ鈴状態にしていた。というのがアニメの設定なのかな、と。原作だとこれは要素の一つであってもっと複雑な事情があるんですけど、そこは尺の都合とかで単純化されたんでしょう。
他の人間を犠牲にし、理樹に一種の洗脳を施してまで、妹である鈴を守ろうとした。9話に出てきた「人の倫理を踏みにじり」という言葉の意味を、ここに置いているのかも知れません。
エンディングタイトルが「遥か彼方」ですしね。だからこの曲は特別なんですよ…。
アニメの内容とは外れてしまいますが、原作サイドからの補強点として。この恭介の今の心境と同じになっている子がもう一人いるんですね。二木佳奈多です。
どういう経緯でこの世界に入ってきたのは今以て不明ですが、佳奈多ルートの台詞から、何が何でも妹の葉留佳を守り切るという意志を持ってこの世界に来ていることがわかります。発想は同じなんですが、目的は正反対なので、当然恭介と佳奈多は対立関係にあります。…というのは佳奈多編のお話になってしまうんですけど、どうせ深くやらないんだろうし。
そして。この考え方自体に異議を唱えている子が、小毬になるわけですね。誰かを犠牲にして生きのこるなんておかしい、みんなで生きのこる方法を考えよう。小毬なら当然こう考えるはずです。
だから恭介の裏をかいて鈴に何か吹き込んでるんですね。あと小毬と佳奈多は微妙に仲が悪い…って、これはアニメではやらなかったなあ、そういえば。
さて。今回久々に女の子メンバーズが復帰しました。ずっとどこかに隠れて理樹と鈴を見守っていた。と、簡単に言ってしまえばそんなところでしょうか。そしてリトバスメンバーズの結集でこの世界が作られたことを恭介は語っています。映像的には、波紋の上を光の玉が飛び交う場面ですね。
が、一方で恭介はこんな事も言っています。無数の光の玉が昇華していく廊下で、「みんなと過ごしたこの場所を見て回るか」と、こう言っているのです。リトバスメンバーだけじゃない。この世界にいた全員が、恭介に協力していた。ということが、ここからは読み取れます。
1期で恭介は、野球の試合を行う為に、方々に頭を下げて回ったと語っています。表向きは試合への協力依頼ですが、これは裏側では、救済世界への協力を学校の生徒から関係者から、手当たり次第頼んで回っていた事の示唆でもあるわけです。佐々美一派や高宮勝沢も含まれるのか? 含まれるんでしょう。本人だからこそ、何度も何度もループさせられた高宮さんはブチ切れてるんです。
この「手当たり次第頼んで回る」という描写は、クドわふたーでも出てきますね。こっちは対象が全地球規模になってましたけど。
さて。次回は、謙吾にして「悪の化身」と言わしめる、小毬ちゃんのお話。全然関係ないけど、小毬のどSっぷりって美魚や佳奈多にも匹敵するような気もする。
--------------