「派遣法改悪案」は「ブラック企業支援法案」


 労働者派遣法に関して、先週末に野党の要求を呑むとかいう情報が出てきて「ホンマかいな?」と様子見してたら案の定、修正もへったくれも無いそれどころか8日に採決という情報が入ってくる、もう大混乱状態である。

 要するに、金曜日に大阪のバラエティー番組に出演して遊んでいたアベ晋三が土曜日に帰京して「派遣法を採決してから翌週に安保法制を」(修正は一切無し)という指示を出したらしい。
 ほんと状況わかっとんのかと思うが、まあ所詮、2014年雪害で山梨封鎖状態になった時に支援者と料亭で天ぷら食ってたような輩だし、ほんと何も理解していないのだろう。
 派遣法の何がいけないのかも、理解していないし、そもそも理解する気が無いのだろう。

 安保法制に対する国会前集会への反応を聞いていると、どうやら自分の目の前でなんかやられるのはそれなりに効果があるらしい。
 だったら俺も、東京まで出てアベ晋三の目の前で労働者虐殺政策撤回を迫るしか無いのだろうか。

 まあ、それは今夜中に検討するとして。

 とりえあず、Twitterでうpしたと告知したビラ2枚

http://bunsyo.kouyaxatosi.info/img/201508kxzihou.pdf
http://bunsyo.kouyaxatosi.info/img/201509kxzihou.pdf

 これ、PDFなので、第二号の本文の内容をBLOGに転載しておく。
第一号はBLOG転載済み。)


「派遣法改悪案」は「ブラック企業支援法案」

 9/10の日経新聞1面に「残業代ゼロ法案」(通称:過労死促進法案)は次の国会に先送り(※この情報自体は先月半ばに既に出回っていたはずなのですが…。)という記事の中で、しれっと「労働者派遣法の可決は9/10」という内容が記されておりました。

 日経新聞というと、財界経団連の機関誌で、アベ自民党が推進している「アベノミクス」を全面支持しています。
 そして「労働法制改革はアベノミクスの3本めの矢である」として、労働者虐殺政策でしか無い労働法制改革(労働者派遣法、残業代ゼロ法、解雇要件緩和、特許権の会社帰属化、等)を全面支持しています。

 そんな日経新聞なので、派遣法審議に関わる自民党の重要人物から何らかの情報を得て書いたのでしょう。少なくとも、自民党は9/10に「可決」を狙っているようです。
 アベ自民党は、派遣労働者を生涯奴隷として縛り付けておく為の法案を、取り下げるどころか数々の欠陥指摘も無視して可決させる準備に入ったようです。

 労働問題に詳しい弁護士で、ネット上でも数多くの情報発信をしていらっしゃる、佐々木亮弁護士という方がいらっしゃいます。その佐々木弁護士が、先日Twitter(@ssk_ryo)でこんな事を仰っていました。
附則9条問題があまり話題にならない・・。マニアック過ぎたか・・。:【マニアック】派遣法案附則9条問題の解説と迫る強行採決の危険!(佐々木亮) – Y!ニュース   Twitterに飛びます→

 付け加えれば、付則9条だけでは無いのです。例えば、最大の焦点となっているみなし雇用義務制度の適用条件には、付則でこんな内容が書いてあります。
「但し専門的業務に携わるものを除く」
 しかも明文では書かれていません。C言語のポインタでも使っているかのようにあちこちの条文にジャンプして、ようやく内容がわかるようになっているのです。
 まさにアベ自民党の国民を騙す姿勢が凝縮された条項です。
←(派遣法の複雑さを解説した記事です。)
 他にも、わかりづらい言葉でどうとでも解釈出来るような文章が並んでいて、ブラック企業経営者なら平然と自分の都合の良いように利用できる条文がたくさんあります。この先不利益な扱いを受けた派遣労働者が法律を盾に戦うと、ブラック経営者が独自解釈でねじ伏せる、そういう未来しか見えないのです。

 貴族が俺が法律だとばかりに奴隷を好きなようにこき使う。時の支配者はそれを黙認またはお墨付きを与え、見返りを得る。一体いつの時代の話でしょうか。
 現代日本の話です、と言わざるを得無い日が、残念ながら近づいています。アベ自民党の暴走を止めない限り。


犬山でのこと


 先日8/30の全国一斉反アベ行動で、自分は大垣・豊橋・犬山・川名(名古屋市昭和区)の各集会をハシゴした。どれも主目的は「戦争法案」であり、労働法制に触れているところはなかった。
 理由はわからない。保守派の、特に経営者層の中には、「労働法制には賛成だが戦争法案には反対だ」という人もどうやらいるようなので、労働法制は棚上げして戦争法案反対で「一点共闘」ということだったのかもしれない。

 私の立場はあくまでも「反・労働者虐殺政策」だ。
 が、歴史的経緯を見ても、そういうことを本気でやらかしてくる内閣は、第一次安倍内閣と第二次安倍内閣、この2つ以外にもあるのだけど、とにかくこの2つが突出している。
 なので、「反アベ」という「一点共闘」で、私は行動を共にすることに決めた。

 大垣や豊橋の話も十分書くに事足りる内容はあったのだが、とにかく今すぐに書かねばならないことがあるので、犬山での一件に絞って書く。

 犬山駅前の参加者は、だいたい100名前後という感じだった。もう少し少なかっただろうか。それでも、いわゆる「左翼活動に熱心な定年退職者」といった人達だけではなく、自分と同世代かもう少し若いくらいの人も結構いた。集会が終わる頃には4割くらいになっていただろうか。

 参加者が一人づつスピーチをする時間があった。私は開始冒頭からいたのと、外見が若く見えるからか、「若い人からも一言」とマイクを渡された。

 正直な話、「戦争法案」で何か語れるほどの見識は、自分は持ち合わせていない。前述のように、自分はあくまで「労働派」だ。そして、反アベ派だ。

 だから、派遣法のことを語った。
 戦争法案よりも先に、労働者派遣法が衆議院で強行採決されたこと。先日18日に60日が経過して、派遣法に関しては「60日ルール」の適用が可能になったこと。元々9/1施行と書いてあったのを、それまでの成立が厳しいからとみなし雇用義務規定が適用開始になる10/1前日の9/30に変更しようとしていること。この改正案は派遣労働者の為のものだと言っているが、法案を読めばそんなの全くの逆だということ。そしてなにより、それらのことに殆どの日本国民が騙されているのだということ。
 こういった構図が、アベ政権の本質であり、戦争法案と全く一緒だ、ということも付け加えておいた。一応戦争法案の集会だから。というか、それも事実だし。

 たぶん、上記のようなことを話したと思う。終わりの方では、自分自身の経験だとかその後いろいろあった事やら何やらで感極まって言葉が出なくなりそうになったが、それでも何とか喋りきった。

 その場にいる、少なからぬ人達がうんうんと頷いてくれていた。先に言った、同世代くらいの、子連れだとか独身男性だとか、そういった層だ。
 この人たちみんなが派遣労働者というわけではないだろう。派遣労働者の比率は、実はそこまで多くはない。だが、そこまで少ないわけでもない。自分は正社員でも、自分の家族や友人、親戚、同級生といった交友関係のある人の中に、「ハケン」が一人もいない人を見つける方が、むしろ難しいのではないか。

 自分のことではなくても、かといって他人事でもない。それが、「ハケン」や派遣法の問題なのではないか。
 私自身、その光景を見るまでその事に気づかなかった。

 日経新聞の情報によると、政府自民党は派遣法は来週9/10に可決させる方針らしい。観測気球的な記事で、確定ではないかもしれない。が、アベ自民党政権はそういう日程も視野に入れているという事だ。

 詳しく説明するのも難儀なくらい、この改悪派遣法は複雑で狡猾なやり方で、派遣労働者の権利を奪い取っている。
 それを残り一週間でどう説明して理解してもらって反対に回ってもらって声を上げてもらうか。

 基本単独行動しかできない自分には、今のところ道筋すら見えない。

 とりあえず共産党含め野党諸氏には、例え戦争法案を止められたところで派遣法が通ってしまったのなら、それは野党のアベ政権に対する全面敗北なのだ、ということを肝に銘じておいてもらいたい。

 と、煽るぐらいしか今のところ思いつかない。


20150830全国一斉行動あとアベ自民党はもういいよ


 久々にWebプログラミングやろうとしてうまく行かなくて不貞寝してたら、もう18時前だった。
 やはり1テーブルとはいえ6時間でデータベース操作を伴うWebサイトを構築しようというのは無理だったようだ。ABJWdみたいにoutputだけで作るんだったら数時間でも何とかなるが、inputを伴うとなるとセキュリティを考慮しないわけには行かないし、(例え頭の中で済ませるにしても)ちゃんと設計やらんといかんし。最低でも1日はかかるわ。6時間でやろうとかバカすぎる。

 で、何をやろうとしていたかというと、明日8/30(日)に、反アベ政権の全国一斉行動があるのだが、赤旗で発表されたリストを、開催時間でソートした表が欲しいなと自分自身が思ったのと、どうも一部に漏れがある(少なくとも瀬戸市は漏れてた)ので、まあ共産党本部もてんやわんやで全部は把握しきれてないんだろうし、だったらいっそ自分達で開催情報を入力出来るサイトを作っちまえば良いんじゃ寝?(ピコーン)
 ってかんじで、作ろうとしたんです。先に書いたように、テーブル1つで済むはずだし。

 つーことで。

 東海4県のデータだけ、三四郎(まさかの三四郎)に打ち込んで時刻ソート表は作りました。

http://bunsyo.kouyaxatosi.info/bunsyo/silyou/20150830issei.htm

 まあ、必要な人はこうやって作れば良いって事で、今回は良いよね。。。

 荒野草途伸自身としては、先週来低気圧の所為なのか何なのか、あと詳しくは言わないけど満点取れたんじゃ無いかと思うくらい絶対受かると思ってた資格試験落ちてかなり凹んでた上に信頼してた人にも裏切られて、かなり体調悪めなのですが。
 まあ医者にも少しは外に出ろと言われてるので、自作のプラカードでも下げて、電車であちこち周ってこようと思います。

(こんな感じの奴です)
page001

page002

 戦争法案反対が趣旨みたいになってるけど、だがこの運動は我々労働派が乗っ取る
(言ってやった!)

 上記の表によると、朝一が大垣みたいなので、そこから豊橋まで行って蒲鉾買って、犬山か各務原まで行った後名古屋市内回ってリニモで瀬戸までもどろうかなー。とか考えてます。

 まあ、電車の時間とか次第でもありますけど。

 なんか雨みたいだし。あ、でも午後からは晴れるのか?

 て言うかそれ以前に、起きれるのか…?


8/23「荒野草途伸自分の後援会」お品書き


 もう前日になってしまったので、BLOGで見ている方の殆どはもう日付が過ぎてしまっているかもしれませんが。

 8/23(日)に、名古屋市港区金城ふ頭にある名古屋市国際展示場・ポートメッセなごや3号館にて行われる、「コミックライブ名古屋 サマースペシャル2015」にサークル参加致します。

 ジャンルは、昨年愛知ぽぷかる4で出展したのと同様、オリジナルご当地萎えキャラ「瀬戸川家」です。
 今回は、スマホ用ソーシャルゲーム「駅メモ」解説を瀬戸川家キャラで行わせる冊子を、新刊として出します。
(最初はコピ本として出す予定でしたが、ページ数が増えてホチキス留めが難しくなりそうだったので、急遽初のオフセット印刷と相成りました。)

瀬戸川家で語る「駅メモ」(新刊)
20150816駅メモ本告知用イメージ

 新刊の値段は300円となります。

 また、ぽぷかる4で、当時話題になっていた某自民党の某松島衆院議員に倣って”討議資料”と銘打って売り出し1枚も売れなかった例のアレを、今回は「うちわ」として売り出します。
うちわ裏032

 値段は、敢えて値下げせず、強気の300円で臨みます。

 またこちらの「うちわ」ですが、新刊の駅メモ本と一緒にお買い上げ頂いた場合は、セット価格ということで500円とさせて頂きます。

 また、やはりぽぷかる4で出したコピ本の”「リトルバスターズ!」に見るリーダー論”も残りがあるので、一応持っていきます。
 (ぽぷかるの時も何度も言いましたが、Webで公開している内容と同じです。)
 値段は100円です。

 8/23は安倍法案絡みで全国一斉行動があるらしくて、名古屋でも白川公園や名駅前でイベントがあるらしいですが、興味と時間がありましたら金城ふ頭にもお立ち寄り下さい。


「派遣法改悪案」あの衆院強行採決から60日が経過


 いや、もう19日だから61日経過だけど。

 ビラでも作って配ろうかとも思って文章を書いて実は印刷までしたのだが、配るだけの体力が無かった。

 8/18(火)で、「派遣法改悪案」衆院通過から60日が経過しました。
 これにより、アベ自民党政権はいつでも「60日ルール」(法案が衆議院を通過して参議院に送られた後、60日経っても採決されない場合は「参議院は否決した」とみなす事が出来るルール。60日ルールを適用したあとは、衆議院で2/3以上の賛成多数があれば再可決となり、法案は成立する)を発動することが出来るようになりました。

 派遣法は、2009年の年越し派遣村など、派遣労働者にまつわる諸問題を多少なりとも改善する為に3年前に法律に盛り込まれた、「みなし雇用義務規定」が最大の特徴です。
 派遣先の直接雇用義務違反があった場合に、自動的に派遣先の社員として雇用した扱いにするという、法的拘束力を持った規定です。
 しかし、改悪案ではこのみなし雇用義務規定を実質的に無効化する為に、複雑怪奇な追加や修正を加えていて、実質的にみなし雇用義務は発動できないようになっています。
 みなし雇用義務規定は3年前の成立の際に自民党の要求で施行時期を3年後とされた為、今年の10月1日にならないと有効にはなりません。そして今回の派遣法改悪は、法案提出時では9/1の施行となっています。
 さらに、成立見通し時期が後ろにずれ込むと、自民党は
10月1日の前日の9/30に施行日を修正しようという姑息で露骨なみなし雇用義務規定潰しを謀っている始末です。

 派遣労働者とは、本来「著しく専門能力の高い」スペシャリストを「臨時・一時的」に支援要員として入れる為の制度でした。しかし実態は、「練度の低い・経験の浅い」労働者を、正社員代わりに低賃金で常用雇用する為の手段、現代の奴隷制度を維持する為の手段として使われてしまっています。

 これを少しでも改善するはずだったみなし雇用義務規定を、財界経団連の支援を受けるアベ自民党は何が何でも潰そうとしているのです。

派遣法だけでは無い!まだまだ続くアベ自民党政権の労働条件悪化政策!

 アベ自民党政権が成立を図っているのは、派遣法改悪だけではありません。
 派遣法審議が大幅に伸びたたために今国会での審議入りは無くなりましたが、別名過労死促進法とも呼ばれる残業代ゼロ法を次の臨時国会で成立させるとしています。

 また特許法では、社員が発明した特許を、現在は社員のもの(または会社が買い取る)となっているのを、「最初から会社のものとする」とする改悪案が現在審議中です。

 雇用条件も、現在は(判例で)解雇前の事前交渉が義務づけられているのを、交渉無しに二束三文の解決金で解雇できるように労働基準法を改悪する動きも出ています。

 しかし、暗い話ばかりではありません。

 政府自民党の目論見では元々7月頭に参議院で可決・成立するはずだった派遣法改悪は、ネット世論を中心とした猛烈な反対の世論に審議先送りが続き、8月中の成立は絶望的となっています。
 このまま押せば、今国会での成立を阻止することは夢ではありません。
 生活・経済・社会の安定の為には、雇用の安定は何よりも不可欠です。社会の安定を破壊する結果しかもたらさない派遣法改悪に反対する声を、是非よろしく御願い致します。


真夏の夜の親告


ちょっと眠れなくていろいろ考えモード。
長くなりそうだったのでTwitterではなくこっちに。
TPPでほぼ協定の中に盛り込まれることになってしまったらしい「著作権法違反の非親告罪化」。
TPP交渉自体が暗礁に乗り上げかけているので、正直若干楽観視してはいるのだが、まあ問題点はきちんと整理しておかないとまた次同じ事が来たときに対処できない。

で、この問題に関していろいろ詳しい、てんたま氏(@tentama_go)のツイートに、こんな事例が。

これが純粋な「記事」であれば、批判だろうが提灯だろうが「これは引用だからそもそも著作権侵害には当たらない」と主張することも出来そうですし、警察としてもそれを考慮して事件化しない可能性が高そうですが。
問題は、単純コピーや二次創作の場合ですね。

あと、「収益性」という判断基準って、実際どうなの? というのもあります。

例えば、こんなケース。

あるアニメがありました。そのアニメは内容に問題があって、多くの視聴者からは駄作とみなされていました。
けれども、反対に熱心な信者もいました。信者はそのアニメの良さを知って貰いたい認めて貰いたいという一心で、そのアニメの「名シーン」をかき集めてMADを作りました。
けれども、アンチからしたらその「名シーン」こそがその作品の批判点だったのです。そのアニメはますます評判が悪くなり、売上は爆死となってしまいました。

この信者に、悪意はあったでしょうか。どちらかというと善意でしょう。売上を妨害する敵と戦っていたのでしょう。でも純粋に「収益性」でみれば、この信者のやったことは完全にアウトですね。
こんなケースも考えられます。

ある同人作家がいました。その人は、自分の作品で食べていけたら理想ではあるけどそれ以上に自分の作品が売れて名前が売れるたらいい、そんな風に思っていました。
その同人作家にもファンがいました。ファンは同人作家の為に必死です。なんとかして同人作家の作品を売って、同人作家の生活を助けなければならない。そう思って、作品の一部を無償配布したりしてかなり強引な売り込みをかけました。
おかげで、売れました。結構売れました。お金は入りました。でも、その強引な手法があだとなって、同人作家の評判は悪くなりました。売る為に何でもするお金が大事な奴だ、というレッテルが貼られてしまいました。

さて。この場合の「収益性」ってなんでしょう? お金だったら、いっぱい同人作家に入りましたね。収益性はむしろプラスですね。「収益」の基準をお金に置くなら。というか普通そうですが。
でも。この同人作家が望んでいたのは、「知名度」ですよね。で、その知名度はガタ落ちしてます。
でも一応お金は入ってます。「収益性」と「知名度」、天秤にかけてどっちを取るか。

 
現行の「親告罪」のままなら、特に問題はありません。判断するのは同人作家です。
ところが。これを全然関係ない第三者に委ねてしまうのが、「非親告罪化」です。勿論被害者の告訴意思は尊重する、とはされていますが、果たして実際告発が行われた後でどこまで自分の意志で判断できるか。
さらに問題は、「収益性」です。「収益性」がプラスですから、今回の「非親告罪化」では、これは告訴対象にはならないとされています。しかし、「告発」が行われたら、「知名度」が損なわれているという事実もあることから、警察は同人作家への聴取を行い、自ら被害を訴えるかの確認を取るでしょう。(まあ、この聴取は、「被害者の告訴意思を尊重する」という事でどんなケースであっても行われるはずですが。)ただ、このケースの場合、相当厄介な裁判になることが想定されます。
親告罪のままであれば、告発はせず示談で済ませた方が得策、と弁護士は助言するのではないでしょうか。勿論人によって考え方は違いますが。
と、ここまで書いていて気づいたのですが、アメリカって確か、「民事」と「刑事」で判断を統一する、という司法制度になっていたとか、そんな話があったような。日本のように、刑事では無罪だけど民事では損害賠償義務を負う、と判断が分かれる様なことが無い、というのをなんかで読んだような。
で、あちらさんの著作権絡みのロビイスト達って、ひょっとしてこの日本での民事と刑事の扱いの違いを認識してないんじゃ無いかと。だから民事裁判で勝つ為に、詭弁としか言えない刑事での非親告罪化を導入させようとしているのではないか?
と。まあ、これは今ふと思った憶測なんですが。

なので、逆に言えば、非親告罪化が導入されて、刑事では有罪になったけど、民事では勝訴して損害賠償義務は無し、という可能性もありますよね。上記のような複雑なケースだと。
でも有罪だから刑務所行き。著作権者は民事敗訴だからお金取れない。告発者は元々何の利益も無し。国は受刑者の刑務所暮らしの生活費負担しないといけない。誰も得しない。正に誰も得しない。そんなケースだって、あり得るのですよね…。

まあ、今回のこの「非親告罪化」、どうもアメリカだけで無く、日本国内の業界云々政治云々の思惑も渦巻いているような気がしてならないのですよね…。下手に書くと炎上しかねないので詳しくは書きませんけど。(いや私個人は炎上上等なんだけど、私一人の問題じゃ無いもんでね。)
で、そういう連中が「ガイアツ」をうまいこと利用して、あわよくばちょっとうまい汁吸ってみようかという思惑で、むしろ積極的にこの「非親告罪化」を受け入れさせてしまったんじゃ無いかと。そんな疑念すらあるんですよねえ。私の場合ですけど。
おー。結構長くなってしまった。140文字どころの騒ぎじゃ無いわ。


国崎をめぐる冒険  


ダラダラ執筆を先延ばしにしてたんだけど、観鈴の誕生日だって言うから頑張ってユンケル飲んで書き上げることにした。間に合うか?

その地名を見つけたのは、もう2~3年くらい前の話だったか。請負のライティングの仕事の関係でGoogle マップで三重県の地名を調べていたら、三重県鳥羽市に「国崎町」という地名があるのを見つけた。
読みは「くざきちょう」で、「くにさきさいこう」では無かった。鳥羽市は伊勢市のすぐ南でこの辺りには倉田山だの松下だのそういう地名がごろごろあったのだが、その時点では無視した。別に守秘義務では無かったが、無視した。

その後数年経って、というか今年の頭くらいに、そういえばあの国崎集落ってどの辺だったかなとふと思い出して、もう一度Googleマップで検索してみた。
こんなものを見つけてしまった。

https://goo.gl/maps/II6lw

そうだ、仰るとおりだ。これは美鈴であって、観鈴では無い。神尾観鈴とは何の関係も無い。潮騒で有名な神島が愛知県渥美半島の目の前にあるにも関わらず三重県鳥羽市の所属になっているとは言っても、神尾観鈴とは何の関係も無い。たとえその住所地が、国崎町であってもだ。

数週間後。私は鳥羽行きのJR東海「快速みえ」に乗っていた。国崎町に行く為に。

JS7613
JR東海鳥羽駅。
ちなみに、今回はJR東海の週末フリー切符を使ったので、JRを使ったが、名古屋駅からの本数だけなら近鉄の方が圧倒的に多い。国鉄時代には、参宮線の駅長が名古屋に出張に行くのに近鉄を使っていた、なんて話もあったほどだ。今はそれほどでも無い。

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駅前の案内板。ちゃんと「国崎」の地名の記載がある。
鳥羽市のコミュニティバスを使えば、若干遠回りにはなるが行けるようだ。折角の国崎だ、やはりバスで行くのが王道だろう。

道路を渡ったところにある三重交通のバスセンターまで行って、時間と料金を確認。時間にかなり余裕があったので窓口で切符を買おうとしたら、「往復ですか?」と訊かれる。当日中に往復するなら、フリー切符を買った方が安いらしい。折角なのでそっちにする。
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折角周遊券を買ったので、国崎より先の鳥羽展望台までいったん行って、そこから国崎まで折り返してみることにした。が、曇っていた所為もあってか、眺望はあまりよろしくなかった。

12時過ぎに国崎バス停に到着。
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鍵っ子よ、これが国崎バス停だ。

この写真の背景からも少しわかるように、漁村である。
が、AIRの舞台とは、…残念ながらかなりイメージが違う。
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気を取り直して、第2目的地の喫茶美鈴に向かってみる。

正直、タブレットでマップ見ながらでも、ちょっと迷った。そういう場所にある。
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しかも閉まっていた。
只の休業日というわけでは無く、もしかしたらもう営業はしていないのかもしれない。

とりあえず行くべき所は行ったので、海岸辺りをフラフラしてみる。なんか、それっぽい服を着てそれっぽい鞄を持ったそれっぽい年齢のそれっぽい男性が、前方を歩いていた。
案外知る人ぞ知る場所になってるのかもしれない。いやだって、Googleマップに表記されてるくらいだものね、そもそも。

よくみると、電柱のそこら中に「国崎町」という地名表記がある。
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落書きは気にしない。

思わず「国崎最高ゥ!」と叫びたくなるが、人形も持ってないし、その辺に学校も無い。
ただ、学校跡ならあった。
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…えーと。この建物、何か以前にネットの写真で見た覚えがあるんだけど。「AIRに出てくる建物に似てない?」という話で。私は特に似てるとは思わなかったのだけど。

まあ、いい。

一応海岸と堤防の写真も撮っておいた。
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はい、こんなようなのならどこにでもありますね。終了終了。カラスすらいやしねえ。

次のバスが2時間後だったので、結構待たされた。「乗らないのかい?」どころの話では無い。とっととバスに乗って戻りたい。

次のバスは国崎折り返しだったので、定刻よりだいぶ前にバス停に着いた。中に中学生が一人乗っていた。私が乗り込んでも降りようとしなかった。運転手が言った。
「降りないのかい?」

そっちかよッッッ!!!

鳥羽駅まで戻って、一応観光みやげコーナーではんぺんとか鮫ジャーキーとか見て回っていたのだが、何かもうぐったりしてきたので、予定より早くその次の快速みえで帰ることにした。
車内空いてたし、ポメラである程度文章打ってその日のうちにBLOGにアップすることも可能だったはずなのだが、何かもういつの間にか気絶していてそれどころでは無かった。

そして2ヶ月の月日が過ぎた。
今頃のアップである。
まあ、観鈴の誕生日には間に合ったから、結果オーライとしよう。現時点で20:10。よし、多分間に合う。

後書きとして。
三重県の伊勢市近辺だとか、名古屋市昭和区の辺りだとか、その辺の麻枝と縁のある土地の地名見てると、結構「んん?」という地名見つかるから。まあ、これは以前も書いたことなんだけどね。
 来年のサミット開催地に決まった「伊勢志摩」にしたってさ。志麻賀津紀と無関係だと思うか?


沖縄の戦後史を整理する


 自民党安倍一派が嘘八百田尚樹を招いて行った「勉強会」(実際には自己満足会としか思えないが…)で、またしても沖縄の戦後史に関するデマがクローズアップされているので、自分なりにまとめておく。
 まあ、自分が書かなくてもこの手の文献一杯あるから…と思って書くの控えていたのだが、やはり書かないと駄目だ。たとえ読むのが5~6人しかいなくても。
 本来なら参考資料を引用しながら書きたい所なんだが、その参考資料をきちんと保管していないという愚行を犯してしまったために、「どの参考資料」というのが明示できないのは申し訳ない、というのはあらかじめ申し上げておく。まあ、だいたい沖縄県内で発行されている書籍や新聞がベースだ。
 まずは、沖縄の「終戦」後の歴史から。一部の人はさすがにご存じだろうが、沖縄県内の「終戦」は、本土より約2ヶ月ほど早い。いや、実態を見れば、終戦などでは無く完全たる「大量殺戮に基づく殲滅状態の敗戦」なのだが。
 この大量殺戮は、米軍によるものもあれば、追い詰められた日本軍によるものも、両方ある。また、追い詰められて心神耗弱状態に陥って集団自決した例もある。もう一体どういう状態だったのか、今のネットスラングで言えば「カオス」である。たぶん多くの人には想像もつかないだろう、自分自身、とても想像がつかない。

 

 さて。このような熾烈な抵抗があったことから、(当初米軍は1945年の初頭には沖縄を制圧するつもりだったのだが、結局6月以降まで伸びてしまった)、生き残った沖縄県民や日本軍捕虜を大変に警戒していた。
 米軍による沖縄占領は(日本本土とは違って)一斉に行われたわけでは無く、まず本島周辺の太平洋・東シナ海からの海軍艦船からの艦砲射撃で、ある程度本島を焼け野原にした後(※ここのところなにげに重要なので留意)、本島中部の石川市(現在のうるま市石川地区)に上陸後、南北に別れて展開して、米軍が日本軍に勝ったところから順次制圧・占領が行われていった。
 前述のように米軍は熾烈な抵抗をした日本人を警戒していたことと、また住民が住んでいたところも焼け野原になってすぐには生活できないという理由から、米軍が設定した収容所に全住民を強制移住させる、ということを行った。
 収容所と言っても、本島の当時の生き残った住民全部を収容してるわけだから規模は大変大きく、万単位の人間がそこに住んでいた。アメリカは一応は「民主主義国家」という建前を持っていたので、その何万人もいる収容所で住民自治を行わせようとし、本島に10~20くらいあった収容所を「市」と銘打って、公選首長と議会を作ろうとした。
 但し、この「市」はあくまで鉄条網で囲まれた収容所に過ぎず、「市」同士の情報のやりとりは著しく制限されていた。物資も米軍から提供されていたので商売人の行き来というのもほぼ無く、全ては米軍の提供する情報によって統制されていた。
 この情報統制の手段として使われたのが、「うるま新報」(後の琉球新報)である。
 琉球新報という名は、戦前から存在した沖縄最古の新聞社から名前をとったものであるが、戦後に新しく出来た「琉球新報」は、元々は米軍の御用新聞として出発したものである。
 ところが、新聞の記事執筆や編集にはそれなりに高度な学識が必要とされるものであり、当時の沖縄には(※日本本土もだが)それが出来る人間があまりいなかった。やむを得ず、編集長池宮城秀意の人脈を頼って、思想の是非は問わず人材をかき集める結果となった。こうして集められた人材の一人に、後に沖縄人民党委員長となる瀬長亀次郎もいた。
(※この事を以て、「沖縄の新聞は共産党に支配されている」という主張の根拠にする者もいるようである。が、そもそも戦後の琉球新報が米軍の御用新聞として出発したことを考えれば、この指摘は当たらないものと考える。
 ただ、本来米軍の御用新聞であったはずの琉球新報にある程度リベラルな記者が入ったことで、収容所「市」間の情報交換はある程度正常なものになり、収容所解放・原住地復帰運動の原点ともなった。
 また、その後「沖縄毎日」や「沖縄朝日」「沖縄タイムス」(※本土の毎日新聞や朝日新聞とは直接関係ない)といった新聞社が発足し、沖縄の言論界はそこそこ報道の自由が担保されるようになった。
(尚、現存しているのは、琉球新報と沖縄タイムスの2社のみである。)
 政党の話が出たので、沖縄の政治史についても触れておこう。
 と思ったが、長くなってしまったので、これは別文書に譲る。
 さて。収容所「市」の話に戻ろう。
 この収容所「市」は「市」を名乗ってはいるものの、鉄条網で囲まれた閉鎖集落であり、そこに収容された人々は本来住んでいた場所から隔離されていたわけである。そして、米軍の情報統制により、自分達の家や畑が今どうなっているかということは、一切知らされていなかった。
 では、実際その私有地はどうなっていたのか。ぶっちゃけ言うと、その多くが米軍基地用地として無断使用されていたのである。
 沖縄の米軍基地建設に関して「銃剣とブルドーザー」という言葉がよく用いられるが、戦前の日本軍が銃剣で脅して土地賃貸契約を結ばせたのに対し、戦後になってからは収容所の外で勝手にブルドーザーが走り回り、収容所に入れられている人達は自分達の土地で何が起きているかすら知らされず自分達の住居を勝手に基地にされてしまい、事後で「現実を追認しろとばかりに契約を結ばされた」のである。(しかも当時の地代は二束三文だったらしい。)抵抗しても弾圧され、中には虐殺された者もいた。
 まさに略奪者、山賊行為でしか無い蛮行が平然と行われていたのだ。

 

 右翼がよく引き合いに出す、「普天間基地の周りは田畑しか無かった」という主張がある。そして、その”証拠写真”なるものも提示されている。ぶっちゃけ、大嘘である
 普天間基地の周りが田畑しか無かったわけではないことは、前述の通りである。
 そして”証拠写真”とされているものは、これは終戦直後に焼け野原にされた現在の宜野湾市周辺の様子である
(※特に現在の宜野湾市や浦添市周辺は、艦砲射撃に加えて日本陸軍の陣地があった嘉数高地の攻防で沖縄戦有数の激戦になった場所であり、周りは草木も生えないほどの焼け野原になっていたのである。)
 しかも住民は全員収容所送りにされていたのだから、その時点で人が住んでいなかったのは当たり前の話なのである。そんなときの写真を持ちだして「普天間基地の周りに人はいなかった」等と言い出すのは、事実誤認を通り越してただのペテン、詐欺である。

 

 ちなみに、戦前の普天間地区並びに宜野湾地区についての補足。(おおむね、普天間基地の北側周辺が普天間地区、南側が宜野湾地区と思って貰って構わない。)
 普天間基地のあった場所は元々結構な規模の集落があった。これは前述の通りである。

ちなみにこれについて補足すると、(現在の基地北側の話になるが)、「普天間」っていうのは普天間宮という結構大きな神社が由来であり、普天間地区というのは元々そこの門前町だった。門前町がそれなりにでかい町だってのは寺社に詳しい人(右翼なら当然詳しいはずだろう)なら当然わかるはずだ。少なくとも、「周りは田んぼ」なんてのは大嘘だってのはこれだけでわかるはずだ。

 

 そして、この普天間門前町から南北に大きな松並木を供えた街道があり、その周囲にも集落が点在していた。戦前の沖縄でも、結構栄えていた場所だったのである。
 そして、現在の基地西側のあたりから豊富な湧水があり、これを利用した田芋を育てる水田が拡がっていた。この一点をもってすれば、確かに「普天間基地の周囲は田んぼだった」という主張はあっているだろう。だが、西側の一部だけの話だ。そしてしかも、土地の少ない沖縄に於いて、この田芋畑というのは当時の沖縄の貴重な食料供給源でもあったのである。だがその大半は、普天間基地の強制造成によって、潰されてしまった。
 ちなみに捕捉すると、現在も基地のさらに西側の大山地区では湧水を使った田芋農業が行われている。が、基地内部で起きている化学物質による土壌汚染によって水質が劣化し、田芋農業が危機に追い込まれている。この問題も、米軍は責任を認めようとはせず、補償どころか謝罪すらしようとしていない。
 普天間基地返還が実現した後でも、本来なら米軍の責任で原状回復をすべき所を、何もするつもりは無いと公言している始末である。
(ただ普天間基地を返還させればいいという話では無いと言うことの根拠の一つである。)
 そして、右翼がことさらに引き合いに出す、「危険な普天間基地の周りに勝手に人が住みだした」「危険な基地の周りにわざわざ小学校を建設して児童を危険にさらしている」という主張について。
 「勝手に人が棲みついた」わけでは無いことは、前述の普天間・宜野湾地区の経緯からも理解して頂けるだろう。元々自分達が住んでいた場所を追い出されたから、仕方なくその周囲に居を構えているのである。
 ついでに捕捉すると、「もっと安全な場所に移住すればいいだろう」などという弁は、もうそれこそ沖縄の実態を理解しない愚かな発言である。沖縄本島で米軍基地の影響を受けないところと言ったら、那覇以南の南部か、北部の本部今帰仁あたりくらいしか無い。当然のことながら、そういったところにも既に人は住んでいるし、ぶっちゃけ生活には不便だ。そもそも、仮にそういったところに移住したくても、移転補償など全く出なかったのだ。とりあえず近場に移動する、または近隣に住む遠戚などを頼るしか無かったのだ。
 そして、右翼が錦の御旗の如く掲げる「普天間第二小学校」の問題。だが実際の所、錦の御旗どころかバカ発見器の御印なのである。
 まず、人口が増えて子供が増えれば、小学校は増設しなければならない。これは大前提の知識である。まあ、右翼は頭が悪いからこんな事も理解出来ないだろうけど、一般の人は理解出来るだろう。
 しかし。宜野湾市は市域の大半、しかもど真ん中を普天間基地が占領しているから、小学校を建設できる場所など限られている。特に普天間第二小学校のある辺りは、数少ない普天間宮門前町の区域として残っている場所で商店や住宅が既に密集しており、小学校を建設できる場所など限られている。そこでやむを得ず、普天間基地に隣接する場所に土地が確保出来たので、そこに小学校を建設した。
 しかし、やはりあまりにも危険すぎるということで、もっと北側の「西普天間地区」(※米軍専用の住宅地で、普天間基地とは別物)の一部を返還させて、そこに小学校を移転させようという話が持ち上がった。しかし、そこには地権者(軍用地主)がいるので、彼らから土地を買い上げないといけない。米軍基地の地代はおいしいので、軍用地主は高値で無いと土地を手離そうとはしない。
 そこで、宜野湾市は国に土地購入費の財政援助を求めた。ところが国は、当時の宜野湾市政が革新市政であったことを理由に、これに何かと難癖を付けて、財政支援を拒否してしまった。その間に校舎が老朽化して建て直さないとヤバいということになり、結局元の危険な場所で校舎を建て替えざるを得なくなってしまったのである。
 つまり、国(自民党政権)が、普天間第二小学校の危険性をそのままにしたのである

ところが右翼は、これらの事実を完全無視し、それどころか全くの真逆のことを匿名掲示板やアフィブログに書き立てている始末である。

 

 さて。現在の安倍政権は、「普天間の危険性除去」を辺野古新基地建設の大義名分としている。
 そもそも辺野古新基地が出来たからと言って普天間の危険性除去が出来るのか自体が甚だ疑問なのであるが。それを脇に置くにしても、「現在の普天間の危険な状態を、詭弁を使ってそのまま辺野古近辺に持っていく」ということには変わり無い。
 尚捕捉しておくと、辺野古辺野古言われるが、実際影響を受けるのは辺野古地区だけでは無い。むしろ、辺野古より北側の名護市二見以北10区の方が、影響は深刻なのである。そして、これらの二見以北10区には、(基地反対派だからというだからか)まともな補償どころか説明すらろくすっぽ行われていない。
 (ちなみにこの辺りは、国内でも有数の風光明媚な場所で、これらをウリにしたリゾートホテルが幾つか存在するのだが、辺野古新基地が出来たらこれらのリゾートホテルは当然全滅で地元民はほぼ全員失業である…ということは以前にも書いた。基地で雇用が増えるなどというのは、真っ赤な嘘なのだ。)
 尚、この辺野古や二見のある名護市東海岸よりさらに北に東村という村があって、米軍がベトナム戦争のような住民掃討を想定した訓練施設を建設しており、それに付随した形で高江という場所にヘリパッドを建設している。これに対する反対運動もあるのだが、日本政府は反対運動弾圧のために、全然関係ない運動に参加してもいない地元の小学生まで刑事訴追するというキチガイ行為まで行っている

 

 先の沖縄県知事選で翁長現知事が高江基地反対を公約に盛り込んだことでようやく他県からも注目を集めるようになったが、それまでは殆ど注目も無く、ひたすら黙殺されてきた。

これらの事実。殆どの人は認知していなかっただろう。

 何故君たちは知らなかったのか。
 率直に言って私は、「お前らが知ろうとしなかったからだ」と言いたい。

 

右翼のデマで溢れた匿名掲示板や、それを自民党サイドに都合よくまとめたアフィブログばかりを「ネットの正しい情報」とばかりに読みあさり、沖縄からの声や、多少なりとも理解のある左翼側からの意見には、耳を塞いでしまう。聞こうとすらし無い。ただサヨクサヨクと鼻で笑うばかり。

 そういう態度が、現在の嘘と虚言にまみれた歪んだ社会をつくっているのだ。

そして、これは何も沖縄問題に限らない。派遣やワープワ、長時間労働、セクハラを通り越した性奴隷化の横行と言った労働問題にも同じ事が言えるのだということを、明言しておきたい。

 日本人は真剣に反省しろ。

 

煽りでは無い。本気の怒りを以て、私はこの言葉を全ての日本人に投げつけたい。

 


沖縄の戦後政党史(簡略)


 「沖縄の戦後史を整理する」の記事の中で書いてしまおうと思った沖縄の政党史だが、結構長くなってしまって元記事の本題からそれてしまった感があるので、別記事にしておく。

 まず「琉球新報」の話で出てきた瀬長亀二郎氏であるが、元々はリベラル左派ではあっても共産主義者では無かった。琉球新報退職後米軍からの自治権拡大を掲げて「沖縄人民党」を結成するが、当初は弱小勢力で活動資金にも窮する有様であった。

 一方、これとは別に日本共産党の支援を受けて琉球共産党が結成されていたが、米軍の弾圧下の元非合法化され地下活動を余儀なくされており、公然活動の場を探していた。この琉球共産党が人民党に合流し、瀬長亀次郎という看板と日本共産党からの人的・資金的援助の元で党勢を拡大し、瀬長を那覇市長に当選させるまでに至る。
(但し市長就任後、瀬長は経済団体との会合で我々は共産主義政党では無いと明言している。)

 だが、人民党の反米軍姿勢と容共姿勢が問題視され、米軍による那覇市の銀行口座凍結などの弾圧を経て(法的根拠の無いまま)瀬長市長は解任されてしまう。が、那覇市長時代の人気を背景にその後琉球立法院議員当選を経て、国政参加選挙では人民党公認で当選。
 その後1972年の沖縄本土復帰後、1973年に沖縄人民党は日本共産党と対等合併し、瀬長は日本共産党副委員長に就任した。

 
 一方、沖縄の政治史を語る上で最も欠かせないのが、沖縄社会大衆党である。
 もともとは「アメリカ合衆国の支援の元、琉球民族の国家建設を目指す」事を目標に結成されたが、その後米軍の暴虐ぶりを目の当たりにして路線転換し、「反米軍利権」から「対米自立」「日本復帰」へと路線を変えていった。

 もともとが反米軍利権を掲げていたことから、当初は教員を中心とする労組・左派系から穏健保守まで幅広い勢力が集まっていたが、経済界や人民党との関係等から次第に保守派が離脱し、それに従って「日本国憲法に基づいた統治が行われている日本への復帰を目指す」という方針に純化して行き、教員労組を中心とした左派政党の色彩が強くなり、本土復帰運動では人民党と協調路線を取るようになった。

 本土復帰前後に日本社会党との合同を目指す勢力が離脱、復帰後も当時の委員長が民社党に走るなどの混乱もあったが、現在も都市部の公務員労組や郡部の自治会組織を中心に根強い支持がある。また、前述のように沖縄の自民党・社会党(現・社民党)・民社党(現在自民党や民主党、公明系などに霧散)のルーツともなっている。

 これに対し、米軍との融和路線を掲げていた勢力があった。ぶっちゃけ言うと米軍利権の甘い汁を吸っていた連中なのであるが、逆に米軍からするとこれほど都合のいい勢力も無く、立法院選挙では常に米軍の全面支援を受けていた。政党組織としては(戦後当初の日本同様)いくつかの政党に別れていたが、全体としては多数派を取ることが多かった。

 上記の親米軍派と、社大党から離脱した保守派が合流して結成されたのが、民主党(琉球民主党、沖縄民主党)である。(※現在の民主党とは全く関係が無い。)
 当初は親米軍・復帰反対の立場であったが、協力関係にあった日本の自民党が沖縄復帰に傾いたたため路線転換し、沖縄自由民主党と改称し、復帰後はそのまま自由民主党沖縄県連に改組した。

 尚、復帰後に大きな分裂騒ぎを何度も繰り返しており、1990年代には中央の動きに合わせて新生党(後に新進沖縄)が分裂、またその直後に社大党系のルーツを組む西銘派が奄美の徳田虎雄氏に同調して沖縄自由連合に合流した。(西銘派はその後自民党に復帰。)
 また、2000年代に入ってJC沖縄系の下地幹郎氏が自公路線に反発して離党、地域政党のそうぞうを結成した後国民新党に合流している。
 また、記憶に新しいところでは2014年に自民党県連幹事長まで務めた那覇市長の翁長政俊氏の支持議員が辺野古移設問題を巡って除名され、翁長氏共々自民党から離脱した上で共産党や社大・社民といったかつての対立党派と組んで、知事選で翁長氏が自民党の支援を受けた現職を破り、さらに続く総選挙でも県内4選挙区を独占するという事態になっている。


派遣法改悪案の概要を改めて


 安倍自民党政権による、奴隷法案=労働者派遣法改正案 が、先週末衆議院を通過してしまった。

 派遣労働者にとっては死活問題であり、また、今後安倍政権が目論む”労働改革”と同じ思想に基づく法改正であることを考えれば、正社員にとっても他人事では無い話である。にも関わらず関心は異常に低く、保守勢力による隠蔽工作も相まって、法改正の内容が全く認知されていないのが現状である。中には、安保法制とごっちゃにしている者までいる始末で(ペルシャ湾派遣とかそういうのだとでも思ったのか?)、本当に頭の痛い限りである。

 

 なので、整理してまとめておく必要がある。

 まず、今回の派遣法改悪に至る歴史的経緯を軸に箇条書きでまとめたものを記しておく。

 
・そもそも雇用は正社員(期間の定めの無い雇用)が原則

・後に専門職の一時的な需給を満たす為に派遣労働が認められた(原則は専門・一時的)

・規制緩和の名の下専門職以外にも派遣を開放、専門性の高い業務は期間制限が無くなった

・企業社会で正社員>派遣の階層化が進む

・家も借りられない派遣労働者が続出し、年越し派遣村などの問題が噴出

・民主党政権下で、緊急措置として「みなし雇用義務」規定が導入、但し自民党の抵抗で施行は3年後に

・今年の10月でその3年が来る

・改正派遣法ではそのみなし雇用義務が実質的に撤廃、他にも部署を変えれば期間制限の穴をすり抜けられるなど派遣の待遇を悪化させる規定がずらり

 

 ”派遣会社の正社員”を専門業務派遣する(特定派遣)は派遣期間の制限が無く、特定派遣の廃止に期待する人もいる。が、一般派遣に統合されるだけで派遣先に正規雇用される保証は無し。いづれにせよ、安倍政権はこれらの問題すら議論する気は無く、採決ありき。その結果が先週の乱闘騒ぎ。

 この中でもとりわけ重要なのが、「みなし雇用義務の実質的な撤廃」である。

 これを理解するために、派遣労働者には現在4種類ある事を理解して貰いたい(ここがそもそもいろいろ混同されている)。

 

 まず、業務内容により2区分

・専門26業務(派遣期間の制限無し)

・自由化業務(3年の派遣期間制限がある)

 

 そして、派遣事業者との雇用形態により、2区分。

・特定派遣(派遣事業者と正社員雇用の関係にある)

・一般派遣

 

 以上の組み合わせで、4種類。

 

 今回の法改正で、「特定派遣」は廃止になるため、法改正が施行されると「専門」とそれ以外の2種類に統合される。

 ここで注意しないといけないのは、特定派遣が無くなっても専門26業務の派遣期間は制限無しで変わらない、という点である。言い換えると、3年経とうが何年経とうが、違法では無い、ということである。

 また、自由化業務についても、部署を変えて”厚生労働省令で定める手続き”を踏めば、派遣期間は延長できることになる。この”厚生労働省令で定める手続き”とは、労働組合または社員代表から意見聴取を行うこととなっている。また、この”厚生労働省令で定める手続き”は、行わなくてもみなし雇用義務の適用対象外とされている。

 

 

 みなし雇用義務とは、直接雇用義務などの派遣受け入れの法令を派遣先企業が守らなかった場合に、自動的に労働者と派遣先企業の間に雇用契約が発生する規定である。(参考:allabout/派遣法改正の目玉!?「雇用みなし」とは?/更新日:2012年05月28日)。野田政権下の2012年に導入されたが、今回の安倍政権による法改正では上述のように派遣期間制限に係る部分が実質的に無効化されている。

 

 

 政府側の主張としては、「今年の10月にこの規定が施行されると、その直前に派遣契約を打ち切る”雇い止め”が続出する恐れがあるので、規定を変える」というものである。しかしこれは、強姦罪をそのままにしておくと強姦の口封じの為の殺人が発生するので和姦で免罪される道を幾つか作ります、と言っているようなものである。

 

 改正成立前と成立後の違いを図にまとめた。

 

改正前

20160621改正前

改正後

20160621改正後

 

 安倍政権による派遣法改悪がどういうものか、おわかりいただけただろうか?