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にいがたりょこー その1 えちごちほー、ガタケとしょかん


※今回の旅行記は多分に”けものフレンズ”のえいきょうをうけてIQが下がった文章になっております。フレンズ話法がお嫌いな方はお帰りいただくことをおすすめいたします。

じょしょー

 今回の新潟旅行は、ガタケットと佐渡島に行くのが目的だったんだよ。

 ガタケットは今回で150回記念だったんだ。東京のコミックマーケットよりも歴史が古いらしいよ。でもたびたび参加者激減で開催の危機にあっているんだ。
 今回も、前回の149回のトキに、大阪や名古屋の大型イベントと被ったのもあると思うけど参加車がめちゃくちゃ少なかったらしいんだ。それで新潟に住んでるはのっしー先生が参加を呼びかけてたから、旅費を工面して行くことにしたんだ。
 ちなみにそのはのっしー先生は前日に東京であったソシャゲ系のイベントに行ってしまったからガタケには来なかったんだ。

 佐渡島にはトキがいるよ。
 けものフレンズのアニメではトキの森公園は石川県にあるとテロップで出てたけど、あれは誤報だよ。佐渡市は新潟県にあるんだ。訴訟ものだね。最近の流行だと国会への証人喚問かな。でも石川県は自民党が強いから、もしたつき監督が国会で「テロップは間違いでした、佐渡市は新潟県です」と証言しても、偽証罪で告発されてしまうかもしれないね。

 そういうわけで、今回はガタケ150用にけものフレンズの新刊を用意して、新潟に向かうことにしたよ。

ばすせんたー

 毎週木曜日がめんたるの通院で名古屋市内まで行くから、少し早いけど旅費の節約も兼ねて23日木曜日の通院が終わったらそのまま名古屋を出発することにしたよ。荒野草途伸が住んでる瀬戸の山奥は名古屋駅まで往復千円以上かかるんだ。
 行きがけの栄町駅の構内でこんなポスターがあったよ。

 なんだか幸先がいいね。

 通院が終わったら、名古屋駅の隣にある名鉄バスセンターにむかったよ。バスはジャパリバスじゃなくて、新潟交通だよ。名鉄と共同運行してるんだ。今回は1ヶ月前に予約したから乗れたけど、直前だとだいたいいつも満席みたいだよ。

 バスは長野県を通るから、途中はゆきやまちほーだったよ。

 新潟県に入った頃には、もう日が暮れてたよ。ここは新潟県の西の方の米山サービスエリアだよ。

 サバサンドがどういうものか気になったけど、時間が無かったから今回は見送ったよ。

 新潟駅に着いたら20時過ぎだったよ。宿に着いたら疲れて着替えもせずにそのまま寝てしまったよ。バスは疲れるね。前回(2016年11月)のトキは、事情があったとはいえ飛行機で行ったからね。

 この日はコンビニで買い物して終わったよ。ついいつもの癖で水1リットル買っちゃったけど、新潟市の水道水はそのまま飲めるから買う必要なかったよ。

えちごちほー

 金曜日だよ。
 新潟に来たら挨拶しておきたいところがあったんだけど、ちょっと踏ん切りが付かなくて結局週明けに延ばすことにしたよ。
 代わりに予定を入れ替えてこの日に佐渡に行こうと思ったら、日帰りに丁度いい便が出てしまった直後だったんだ。
 仕方ないから新潟駅周辺をうろうろしてたら周りの人から不審者を見るような目で見られたので、とりあえず朝ご飯を食べることにしたよ。
 新潟駅の地下に吉野屋があったので行って見たら、えちごもち豚定食というのがあったので、これを食べることにしたよ。新潟は豚も捕れるんだね。

 ご飯を食べてさてどうしようかと思っていたら、なんか山形県の酒田まで行く快速列車があったので、青春18きっぷをつかって乗ってみることにしたよ。

 快速きらきらうえつは、白新線を通るよ。白新線は白山から新発田までを結ぶ路線だけど、実際には新潟発着が多いんだ。読みは「はくしんせん」だよ。駅メモの新発田駅の駅ノートを見たら、迫真コンプという書き込みでいっぱいだったよ。

 新発田からは羽越本線を通るよ。だから快速きらきらうえつなんだね。キラキラと聞くと、光魔法キタキタを思い出すね。ほんとにどうでもいいね。
 羽越本線は、鼠ヶ咲から先が山形県になるよ。

 酒田駅まで行ったら、猛吹雪で凄く寒かったよ。すぐに引き返したかったけど、1時間以上待たされたよ。しかも途中のあつみ温泉という所でまた1時間待たされたよ。合計2時間も何も無いところで待たされたよ。
 新津に来たらもう19時だったよ。新津というのは合併で新潟市秋葉区になったところだよ。
 新津駅の構内に、サーバルとジャパリバスの大きな看板が掲げてあったよ。

 S(arba)L(u)の街 新津 、ってちゃんと書いてあるよ。右側にジャパリバスも写ってるよ。

 この日もとっても疲れたよ。明日は絶対温泉に行こう、と思ったよ。

おんせん

 土曜日だよ。
 前日宿に戻って調べたら、新津駅の近くの東新津駅の前に日帰り温泉施設があったよ。昨日宿に戻る前にそのままそこに行けばよかったね。他にも弥彦温泉とか田上温泉というのがあるようだよ。
 前の日の経験があるから、この日は早めに宿を出たよ。というか目が覚めてしまったよ。あまりに早すぎたから、さっさと駅に行って適当に電車に乗ったよ。巻という所までだったので一旦そこで降りてルート検索したら、東新津駅のある磐越西線がなんかで遅延してるとあったから、弥彦温泉に行ってみることにしたよ。


 弥彦は弥彦神社で有名な街らしいよ。弥彦駅も寺社のような外見をしていて、長野駅と並ぶ珍しい駅舎らしいんだ。

 駅から見える弥彦山にはロープウェーで登れるみたいだけど、足が疲れてたからやめにしたよ。温泉施設もバスがこの日は出ていなかったからやめにしたよ。

 第3候補の田上温泉に向かうことにしたよ。正確には、ごまどう湯っ多里館っていうんだ。田上駅から坂道を歩いて登って15分ほどかかるよ。バスも出てるけど、本数は余り無いんだ。
 この時点で既に心身共に疲れ果てていたので、写真はあまり撮っていないよ。

 ゆっくりしていたらTwitterで、文科省が道徳の教科書にパン屋が載ってるのは不道徳だから和菓子屋に差しかえさせた、という話が流れてきたよ。和菓子は好きだけどパン屋が不道徳だとは思わないよ。なのでこういうツイートをしておいたよ。


 この話は新潟県の米山知事も参戦していたので


 帰りにヅァスコに寄って新潟の和菓子と翌日用のスムージーを買ってきたよ。スムージーだなんて、とっても不道徳で反日だね!

 この日の晩、ニコ生のけものフレンズ一挙放送が、コメント数歴代1位になったそうだよ。あの社会現象になったことで有名なラブライブや魔法少女まどか☆マギカも軽く超えたみたいだよ。すごーい!

 なにもかもが変わらずにはいられないです。

ガタケとしょかん

 日曜日だよ。
 この日は、本来の目的の1つ目の、ガタケット150の開催日だよ。新潟駅南口からバスが出てるから、それに乗れば行けるよ。土石流に流されてバスが分裂してる、なんて事も無かったよ。むしろ雨予報だったのに快晴だったよ。

 会場は盛況だったよ。早めに会場入りしたつもりだったのに両隣のサークルはもうとっくに来てたよ。
 今回の新刊はガタケ会場直接搬入だったからこの日始めて現物を確認したけど、表紙の色を間違えてたことにこの時気づいたよ。山吹色に指定してたつもりが、白色になってたよ。
 嘆いても仕方ないから、スペースの設営をしたよ。いつもと似てるけど、いつもと少し違うよ。奈良新聞の下に、ヒサヤのフレンズのポスターを付けてみたよ。

 開場時のBGMが、「ようこそジャパリパークへ」だったよ。すごーい!
 でもこれ以降のことをあんまり覚えてないんだよ。別に忙しかったわけじゃなかったよ、むしろ暇だったよ。ヒサヤのフレンズに気づく人はいたけど、みんなスペースに近づこうとしなかったんだ。別に火を使ってるわけじゃ無いのに、ふしぎだね。

 終わった後特に誰かと打ち上げするとかもなかったから、そのまま宿に戻ったよ。時間が余ったから、しょうもない画像を作ってその日の晩を過ごしたよ。

 アニメスタッフに配慮して、石川県もトキ領にしたよ。


荒野草途伸の2013年を反芻する(Twitterより)


この4年間、どこまで合っていてどこで道を間違えたのか振り返るための作業の一環。
とりあえず2013年分まで。
Google+分は含まんでいない。


京都雪華録(兼文フリ京都レポート)


 ”るろうに剣心”とか、”薄桜鬼”とか京都を舞台にしたアニメ見てると、だいたい京都の街は雪が降っている。演出上の都合だろうぐらいに思っていたのだが、もしかして京都で雪が降るのは日常茶飯事なのだろうか。だとしても言わせて欲しい、三重は関西じゃ無い、と。
 
  タイトルが「京都」になっているが、話の都合上、前週1/22の大阪から入らせて貰おう。
 
  1/15は大阪南港でこみっくトレジャー(通称コミトレ)があった。年明けまで金欠状態だった上に体調がよろしくなくその上翌週には本命の文フリ京都を控えていたので、日帰りとか安宿泊まりでは正直きつかったので、参加見合わせも考えていたのだが、まあいろいろあって当面の金策が付いたので、大阪港の旅館に一泊して参加することにした。そう、一泊だけのつもりだった。
 雪のことは何も考えていなかった。
 
 金曜日になって、初めて週末に空前の大寒波が襲来するということを知ったのだが、その時は「はのっしー先生新潟からだけど大丈夫かなー」ぐらいにしか考えていなかった。
 出発当日の1/14土曜日になり、自宅の窓の外は雪が積もっていた。うちは瀬戸市の中でも山の方の、愛知高原国定公園まで2Kmの場所にあるので、大都会名古屋よりも雪が積もるのは仕方がない。
 その後天気予報を確認したら夕方頃に濃尾平野に雪雲が襲来するとのことだった。近鉄の週末フリー切符を使うことにしていたので関ヶ原で足止めを食らう危険性は無かったが、念のため予定を早めてとっとと近鉄特急で大阪入りすることにした。お陰で宿には規定のチェックイン時間より1時間も早く着いてしまった。営業開始前だったのでロビーは暗かったが、すぐに宿の主人が奥から出てきた。
 「大寒波、本当に来るんですか!? 大阪はそれで大騒ぎなんですけど」
 「ええまあ、うちは出るときは既に雪積もってましたけど」
 三重県は全然降っていなかった、とは言えなかった。そう、この時は三重県はまだ、雪など全く降っていなかった。
 この日の夜、文フリ京都新刊の2話目をようやく書き上げた。
 
 夕が来て、朝が来た。日曜日である。西暦を採用していれば安息日にしなければならないこの日にこの国では、大学入試センター試験・日本共産党大会・コミトレ、と、おおよそ安息とはほど遠い慌ただしい一日が当初から予定されていた。
 その上大雪である。Twitterは大騒ぎだった。新潟は妖精の王国と化していたらしい。しかし大阪は快晴だった。
 新潟の人はたどり着けても、何故か広島の人が大阪にたどり着けなかったらしい。当日手伝ってくれた”かなたん”君(滋賀県在住)によると、「京都はかなりの雪だったのに、新大阪過ぎたらさっぱり降らなくなった」とのことなので、雪雲は新幹線沿いに西に移動していったらしい。
 
 天気予報を確認したら、伊吹山辺りに張り付いていた雪雲の残党がこの後三重県方面に降りてくる模様で渋滞しそうだった。自分はたとえお気に入りのサークルでも壁サークルになると並ばないといけないから行くのをやめるレベルで渋滞が嫌いなので、雪雲が三重県を通り過ぎるまで時間を潰すことにした。結局雪雲と関係あるのか知らないが踏切事故で近鉄が遅延してたので、奈良の天理で一泊することにした。(そこが一番安かった。)
 
 翌日、三重県は南部は快晴だったが、四日市に入るととんでもないことになっていた。要約すると、一泊した意味は無く近鉄は遅延したままだった。湯の山線に至っては一部運行停止の有様であった。
 
 これを教訓としなかったのが、後の京都での敗因となる。
 
 明けて翌週1/22。文フリ京都当日である。この日は、同じく文フリ参加者で桑名に住んでる人を途中で乗っけて車で京都まで行く予定になっていたので、当日の出発になった。
 途中、長島PAで休憩と連絡を兼ねて立ち寄ったら、加藤ナントカいう議員の後援会が借りた名阪近鉄のバス数台からジジババが大量に降りてきていて、しかもただ渡ってるだけならともかく車道にたむろして立ち話をしており、車が来てるのにどこうともしない有様で、これで15分くらいロスしてしまった。後で落選運動したろう思ってたのに、下の名前を忘れてしまった。
 おまけに桑名ICで方向を間違えて、桑名東で入り直す羽目になった。金はともかく時間をここで大幅にロス。
 新名神は特に混んではいなかったので、予定よりは遅れるがまあ何とかなるだろう、とここまでは思っていた。
 
 問題は、京都東ICを降りてからだった。地図を見て勝手に、「山沿いの国道一本道だから、会場のみやこめっせまで30分もかからず行けるだろう」と、思い込んでいた。
 全然違った。大都会山科だった。山道なんてどこにも無かった。一本道ではあったが、信号が多くて1時間近くかかってしまった。
 会場がすぐ見つかったのと駐車場が空いていたのは不幸中の幸いだった。が、この時点で既に10時半。開場まで30分しか無い。大慌てで段ボール箱を開く。設営用の備品はコミトレ会場から直送していたことにここで気づく。大慌てで受付に走る。別にそこまでして古新聞とリポビタンDに固執する必要も無いのだが、既刊も全部同じ箱に入っていたので、取りに行かないわけにはいかない。というか、送った以上取りに行かないといけない。
 写真を撮っている余裕は無かった。
 
 残り時間15分。なんとか見本誌提出まで漕ぎ付く。
 隣のスペースは労働問題で有名な「POSSE」、反対側も「怒れる女子会」という大阪朝日に掲載されるほど有名らしいサークル。それに挟まれて鎮座する、古新聞サークル。いっそ古新聞をテーマにした本でも出せば良かった。
 POSSEはまだ誰も来ていなかったが、「女子会」の方は自分より先に既に来て座っていた。新刊が100円コピ本なので、新刊交換すべきかどうか迷う。というか、そもそもこの手の文学評論系イベントで新刊交換の風習があるのかもわからない。というかそれ以前に相手は女性なので、声など迂闊にかけたら痴漢扱いされかねない。
 なので大人しく存在を無にして開場を待つ。
 その後POSSEの人が来て本を並べていたが、普通に書店で売っている2~3千円くらいの本を並べていた。そういえば文フリは商業誌もOKなんだっけと思いつつ、まあこれで100円コピ本渡したら怒られるだろうなと思って、黙っていた。
 
 来場者は、思いの外多かった。文章系だし、無料で読める見本誌コーナーは廊下を挟んだ反対側にあるしで、会場内に来る人はそんなに多くないだろうと思っていたが、そんな事は無かった。ただ、平均年齢はやや高めだった。
 あと、来場者が多い割には女性が少なかった。「男性向け」メインのコミトレより少なかった。自分のいた列が「評論」系だったので、小説・ラノベ系だとどうだったかはよくわからないが。たぶんそんなに変わらなかったのでは無いかという気がする。というか、なんで評論で申し込んでしまったのか。
 
 開場間もなくして、「一太郎」販売元であるジャストシステムの広報担当者さんが、わざわざ挨拶に来て下さった。
 Twitter始めた頃からフォローしてるし、名前は知っていたとのことである。まあ、それ以前に大学生の頃から足かけ21年一太郎使ってますし、花子の松下特許訴訟事件の時に自分が書いた文書は結構有名になりましたし(今でもちょくちょくアクセスあります)。新刊含めて、これまで出した本全て、カラー表紙と”討議資料”以外は全部一太郎で作ってPDF入稿してますしね。うん、”討議資料”は流石に無理だった。
 手土産に阿波ういろを頂きました。ジャストシステムの本社、徳島ですからね。行ったこと無いけど。そういえば、「金さんラーメン」の徳島製粉も、徳島じゃ無いか。今気づいた。
 
  売り上げは、0では無いけど、コピ本しか売れなかった。まあ、オフセ本は評論も含めて全部鍵系だし、仕方のないところである。0よりマシである。一年前の、あの屈辱のコミトレよりは。

瀬戸川家”討議資料”


 
 ちなみにうち1つは、お隣の「女子会」さんに買って頂いた”討議資料”。
 
 
 うん、確かにこれ、何で討議資料なのか説明しないとわからないよね。値段つけて売っちゃってるわけだし。公選法に引っかかる心配はないけど。そういえば、この件を追求してた蓮舫、今では民進党代表ですね。時の流れは速いものですね。
 
 開会時間も、時の流れと共に終了。さて、問題はここから。
 
 折角京都に来たのだから、せめて一泊しようと思っていたのだが、場所が定まらない。
 どうせ車で来てるのだし、いっそ京都府でも北の方の舞鶴か天橋立まで行ったろうかとも思ったが、疲れてて運転するのがだるかったので、流石にやめた。京都駅前の旅館が空いていたので、そこを取った。2泊分。この、2泊というのが大きな間違いであった。
 実はこの時点で、京都に再び寒波が押し寄せてきていることを、把握していなかった。そもそも宿を取ったのも、会場からは撤収作業の邪魔にならないようさっさと引き上げた為、車をいったん出した後京都市内をうろうろして、結局梅小路の近くのコインパーキングにいったん停めてそこでスマホから予約を入れたので、天候の確認をしている余裕など全く無かった。ので、雪が迫っていることを知ったのは宿で落ち着いてからであった。
 正直、青ざめた。
 
 とはいえ、2泊もすれば雪も去るだろう、とこの時は思っていた。
 
 明けて平成29年1月23日。この日は、武蔵境方面の人のいうところの京都方面である宇治市に巡礼に廻る傍ら、1日フリー切符を使って「駅メモ」の未取得駅を出来るだけ取ってやろうという計画だった。
 天気予報では雪だったが、窓の外は快晴だった。雪が降り出したら帰ろう。そう思って宿を出たら、雪は既に降っていた。快晴なのに、雪。晴なのに雨が降ると「狐の嫁入り」と言うが、雪の場合は何というのだろうか。名雪と真琴が取っ組み合いでも始めるのだろうか。あ、そういえば新刊の主人公の「相沢」は相沢祐一から取りました。他に名前が思いつかなかったので。
 
 何はともあれ、既に降ってしまってるのではどうしようも無い。酷くなったら帰る、に計画変更して、あちこち廻る。
 
 保津峡。
 
 
 宇治市・京都アニメーション本社
 

 蹴上駅
 
 
 結局、この日は大雪にはならなかった。
 夕飯は、京都駅のラーメン街で、徳島ラーメンを食べてみた。京都に来てるのに、何故か徳島尽くし。写真は録り忘れた。すき焼きラーメン、という表現が一番相応しいだろうか。
 
 宿に戻って天気を確認したら、なんかますます帰れなくなりそうになっていた。そう、この日のうちに帰るか、逆に3泊するか、だったら問題無かったのである。よりによって、一番大変なときに帰る日程になってしまった。
 どうせこの後特に予定もなかったし、延泊しても良かったのだが。延泊してもすることが無い。かと言って、このまま帰ると、滋賀県で確実に雪に掴まる。下手すると京都市内が大雪になって、車を出せなくなる。沖縄で調子こいてた頃に買った車なので、塩害対策はしてあっても、雪には全く対応していない。具体的にはチェーンが無い。
 
 
 
 
 
 さんざん天気予報と雨雲レーダーと京都周辺の地図と睨めっこしながら考えた結果、「久御山にあるイオンモールで雪雲が去るのを待ってから、京滋バイパスで新名神に入って積雪状況を見ながら帰る」というプランを立てて、4時過ぎに寝た。
 
 翌朝。天気予報を確認したら、午前中は曇りに変わっていた。だったらわざわざ時間を潰すまでも無い。京都から名神に入って、行けるところまで行くことにした。
 
 以降は、めんどいのでTwitterの記録を転載しておく。


 
 とにかく。つかれました。
 「雪華録」なんて、そんな小粋な名前が当てはまるような状況じゃ無かったです、すいません。


10月30日に益川先生とお目にかかりました


 もう1ヶ月も前の話になってしまいますが、周りには言ったつもりで実は全然言ってなかった事が、iAcnからのメールで判明したので、遅延記事を書かせて貰います。

 去る10月30日(日)に、「憲法9条をまもる瀬戸の会」11周年記念イベントとして、ノーベル物理学賞受賞者で学者9条の会世話人の益川敏英先生の講演会が、瀬戸市の瀬戸蔵で行われました。

 講演会と銘打ってはいましたが、益川先生のたっての希望という事で、対談者数名とトークをしながら益川先生がお話をされていく、というスタイルになりました。
(※後で、対談形式そのものに聴衆から不満が出ているという話を聞いたので、益川先生の希望でそうなったのだという事をこの場で強調させて頂きます。今回に限らず、益川先生の『講演会』はだいたいそういうスタイルのようです。)
 
 その対談者の一人に、不詳私、荒野草途伸も列席させて頂きました。

 びっくりですね。

 ウチの親は、なんか私が物理学科卒だからそっち関係で回ってきた話だと勘違いして親戚にも触れ回った(丁度同じ日に、例の雪風乗務員だった祖父の法事だった)みたいですが。そんな、琉大の物理学科出ただけで大学院すら行ってないような人間が、物理繋がりで益川先生のような人との対談者の話が来るわけがありません。
 ぶっちゃけ言うと、共産党経由の9条の会繋がりです。
(9条の会自体は共産党員が多数参加しているというだけで、共産党系の組織というわけでは無いらしいのですが。正直、あまりよくわかってないです。)

 対談者は他に、元NHK記者の沖野さんをメインに、神田すみれさんという育児をしながら翻訳業をされている方、そして瀬戸市にある聖霊高校の高校生・加藤美羽さんと鈴木ま弥さん(※控え室で本人に確認とって名前は出してOKとのことだったので)、そして荒野草途伸の、合計5人で益川先生に挑む形になりました。

 で、肝心の対談講演会の内容ですが、ただでさえ緊張していて対談を乗り切る事で頭がいっぱいだった上に、途中でマナーのなってない聴衆が何人かいて、正直内容を全部は覚えていません。質問は挙手をして指名されてから答えると、学校で習いませんでしたか?
 まあ、冒頭からいきなり、予定に無い割り込みをしてきた某国会議員の挨拶で時間を取られた時点で、もうなんだかなんだかなんですが。というか、それ以前に、始まる前の益川先生との打ち合わせの最中なのに、その国会議員の秘書やらウィル愛知の事務局やらが入り込んできて、まともな打ち合わせが全然出来なかったんですね。だから実質ぶっつけ本番だったんです。
 なので、講演会の内容は殆ど覚えていないんです。

 そういうわけで、Twitterに自分が記録していた内容と、対談予備候補者だった高校生ミュージシャンのルセール君のツイートから

 あと、「二足のわらじ」という事をしきりに勧めておられて、要するに本業バカになってはいけない、という話をされていました。

 荒野がほぼ唯一覚えてる事として、益川先生の蓄電の確立を抜きにして自然エネルギーの普及を唱える事は無責任、という話をされた上で、「LC回路を使った蓄電法の研究」という提言をされた事が、荒野としては印象に残っておりました。
 ちなみにこの件について、最後の質問という形で「その研究は民間企業でも出来るレベルの事か、国家プロジェクトとしてやるレベルのものか」と尋ねたところ、「国家レベルで取り組まないといけない」と力説されておられました。『「二足のわらじ」ではダメなんでしょうか?』と蓮舫風に食い下がったら、国を挙げて取り組まねば駄目だ、と怒られました。

 ほんとはこの話をもっと聞きたかったんですけど、時間が無かったし、そもそもの趣旨が違ったので。
 聴衆の方にもこの話聞きたかったという人は何人かいたようなので、いずれどこかの機会でお話を伺えると良いですね。

 本来の趣旨であった、憲法9条と軍需産業の話が全然出来なかった本末転倒の講演会でしたが。
 私にとっては大変有意義な時間でした。

 最後に、講演会が終わった後、折角なので控え室で益川先生と二人の写真を撮って貰いました。
dsc_0470
 撮った人に、「二人、似てますね」と言われました。益川先生はなんか不満そうでした。

 この後、本当は懇親会があったのですが、疲労が極度に達していたので欠席して家に帰り、そのまま約1ヶ月寝込んでしまいました。
 まあ、これが原因というよりは、講演会前にあったあり得ないようなトラブルで心労が積もっていて、講演会の対談者自体辛うじてこなした、という状態だったのですけど。

 友達よこれが私の、益川先生と写真に写っていた経緯です。


もはや闇ですらない


電通過労死問題を期に、一挙に動き始めたかに見える日本の労働問題。しかしこれがガス抜きになってしまう危険性はないだろうか。これが電通に限った話では無いという事を、どれだけの日本人が理解しているだろうか。
「経営者目線」に洗脳された労働者、否労働者と呼ぶにはあまりにも自覚の足らない”労民”は多い。彼らは時として、命を守る我々に敵意をむき出しにして牙を剥いてくる。

近鉄から電通まで~もはや闇ですらない

dentsuだけじゃない~RT履歴2016/10/30~11/8

抗うが如く xsread にてまとめたモーメントも、ほんの氷山の一角にしか過ぎない。
それでも我々は抗い続ける。戦って死ぬなら労民としてではなく、人間として。


ヤンデレのSEに死ぬほど愛されて眠れないUSB


https://twitter.com/vitaone_/status/771550594674798596?s=09

「同僚ちゃん…起きてる? 頼んでおいたログの取得と解析…やってくれた? え、やってないの…? …ねえファイルはどれ? え? よく聞こえない。無いってどういう事? ログ、取ってあるんだよね…? 取っといてって、私、言ったよね…? ねえ。私一生懸命コード追って、どのログ取得すればいいかまで突き止めたんだよ…? それなのに。
やってないってどういうこと!!!
あ、そうかあ。同僚ちゃん、お腹空いてるんだ。それで仕事がはかどらないんだね。それなら大丈夫。私、同僚ちゃんのためにチキンクリスプ作ってきたから。…あいつのよりおいしい。そうよ!あいつが来てから同僚ちゃんダメになった!後輩ちゃん。あの子、可愛いけど、2進数の意味もわかってないよね…? それなのに。
何でみんなしてあの子のことチヤホヤするの!!!
あの子、モンエナとレッドブルの区別もつかないんだよ…? そんな子と同僚ちゃんが仲良くする事無い。それよりも、私の作ったチキンクリスプ、食べて。つま楊枝がない。大丈夫、包丁持ってきてあるから。食べさせてあげる。遠慮しなくていいよ。私と同僚ちゃんの仲じゃない。え? 何? よく聞こえない。怖い? 何が? ああ、先輩さんに見つかったら怖いって言ってるんだね。大丈夫、あの人って仕事できそうにみえて実は只のろ(ピー)いだし。それに、あの人はもう…。
それよりチキンクリスプ食べて。あいつのよりおいしい。ほら、包丁だと刺しやすいでしょ。口開けて。どうして首を横に振るの? 首を振るんじゃなくて口を開けるの。え? 今からちゃんとログ取ります? そんなの当たり前じゃない。でも同僚ちゃん疲れてるし。だから食べて、体力付けないと。そっか、先に設定済ませたいんだ。いいよ、同僚ちゃんなら30秒で出来るし。私、信じてるんだよ。あと、口開けて。食べながらでも出来るでしょ? どうして泣くの? そんなに嬉しい? 嫌? 嫌ってどういう事? 仕事するのが嫌なの? そんなのみんな一緒だよ。好きで残業してる奴もいる? うん、昔はいたよね。でも、そんな奴らは全部、ぜーんぶ私が片付けたから。どうして私が火消しの社畜ちゃんと呼ばれるようになったか、覚えてるでしょ? 覚えてる。嬉しいな。でもチキンクリスプ食べてくれたらもっと嬉しい。包丁はやめてって。どうして? 包丁がないと口に運べないよ? 手づかみ? 何言ってるの。人間の手って汚いんだよ。キーボードなんか隙間多いから雑菌の巣窟だし。同僚ちゃんが食中毒で倒れたりしたらどうするの。労災で入院して会社から逃げれるからそれもいい。そうだね。でも私は同僚ちゃんには倒れて欲しくないな。ログの取得と解析。やって欲しいな。あ、設定終わったんだね。さすが同僚ちゃん早い早い。

じゃあご褒美に、チキンクリスプ。ほらー、あーんして★」

~「ヤンデレのSEに死ぬほど愛されて眠れないUSB(※USBメモリーのこと)」より~

「字書き」と「絵描き」の認識違いについて


また口出ししたくなるようなタグがあったので


とりあえず一部連中への過去の怨恨は脇に置いといて純粋にこのオーダーシートについて一文章書きの視点から意見させて頂こうと思ったら10項目にも及ぶ大クレームになってしまったので、自BLOGに置いとくことにする。

-内容-

1.「アナデジの選択の余地など無い、デジタルに決まっとる」
(・字書きの元原稿はtxtにしろdocにしろjtdにしろ、全てデジタル。原稿用紙なんて今時あり得ません
・アナログデータはなんだかんだトラブルになります。予定日数が4倍くらいになります
・それでも「アナログしか描けない」なら、デジタル化の作業をどっちがやるのかをはっきりさせておかないといけません
・「モノクロならFAXで送ればいいじゃない」という認識持ってたら、甘いです。FAX使うよう指示すると老害扱いされる時代ですよ)

2.「カラーと多色でどう違うねん表紙頼むならカラーに決まっとるだろ」
(・表紙って言ったら多くの字書きはラノベ表紙が念頭にあるので基本カラーです。多色とか意味わかりません
・そもそも最近のカラーデジタル入稿データはオンデマンド化してるから多色刷りとか意味無いです
・もしモノクロで依頼が来たら、本文中挿絵の依頼かコピ本表紙の可能性大です。確認すべきです)

3.「モノクロってあるけどモノクロ2値?グレースケール?」
(・絵描きですら結構区別できてない人多いようです。字書きは尚更
・コピ本表紙ならともかく、オフセット表紙で線が抜けてるとかなったらたぶんトラブルになります)

4.ファイルフォーマットは??
(・絵描きにとってはPSDが常識かもしれないが、字書きはフォトショップなんか下手したら一生使いません
・JPEGとPNGの違いすら理解してない人も意外にいます。さすがにBMPも区別つかない人はいないと思いますが)

5.サイズ指定は?
(・このカードにはそもそも項目が無いですね
・字書きはプログラマーやWebサイト作成やってる人多いしそもそも紙原稿なんか扱わないので、感覚は完全に「pixel」です。Cmとかinchでサイズ言われても「???」となります
・上記の理由から、字書き側は解像度300dpi(WebDPI)の感覚な人が多いです。Webサイト用や電子書籍、コピ本なら実際それで十分です
・「表紙絵」なら用紙サイズで枠が決まることになるので「A5」「B6」「新書版」でもやりとり出来ると思いますが、そもそもお互いがA紙とB紙の違いがわかっていないと悲劇が起きます
・単位の確認せずに作業進めると、「ファイルサイズが1TB超えた!」とかいうとんでもない話になります)

6.「入稿データはどっちが作るの?」
(・字書きは表紙絵無しなら本文込みのdocかPDFを1ファイルで印刷所に入稿するので、「表紙のみのデータ作成」というのは基本やったことがありません。それ以前にコピ本しか作ったこと無い人が多いです
・殆どの印刷所は表紙データはPSDで受け付けるので、字書きはそこで壁にぶつかります。入稿データごと絵描き側が作成してPSD納品するのか、原データだけ渡して入稿データは字書き側が作るのかはあらかじめ決めておかないと、確実にトラブルになります
・印刷所によっては「表紙もPDFに含めていいよ」というところもあるので(特にモノクロ表紙の場合)、その場合字書き側が最終データを作ることになります。但し、Wordや一太郎でPSDは扱えないので、PNGかJPEGでの納品になります)

-報酬-

7.「無報酬はともかく要相談だといくらふっかけられるのかわからん」
(・仲介サイトが発達してようやく発注側にも相場が掴めるようになってきましたが、それでもまだまだわかりづらいのが現状です
・殆どの商売がそうだと思いますが、価格の提示は原則受注側が行うものです。発注側の予算枠(=上限)が決まってる場合は受注側が「作業量や工程を工夫して見積もりを出す」場合もありますが、足が出たら受注側で吸収することになります。「要相談」は基本的に受注側に不利です
・そもそも、寿司屋に入って「時価」と書かれた魚を注文しますか?)

8.「権利関係は?」
(・世の中には信じられないことをする人間もいるので、これははっきりさせておくべきです。受け取った絵を第3者に勝手に譲渡する、なんて奴がいないなんて誰が言い切れるでしょうか?)

-その他(そもそも論)-

9.「単発なのか、継続なのか」
(・今回1回限りの話なのか、今後また依頼があったら受ける意志があるのか、あらかじめはっきりさせておいた方がいいでしょう)

10.「挿絵の依頼は出来ないの???」
(・字書きが欲しいのは基本「挿絵」なのです。カラー表紙はあくまでも「先頭に来てるカラーの挿絵」という位置づけなのです
・表紙要らないから挿絵だけ欲しいという人もいるくらいです。字書きは文字にこだわるので表紙は文字だけにしたい人もいるのです
・但し、(本文中の)挿絵は全てモノクロ二値データになります。多くの字書きはそれを認識していません)

これらの事項を全て「打ち合わせ」で吸収するのは、間違いなく無理です。
だから、「頼める人がいない」のです。

(そもそも絵描きの知り合いがいない頼んでも罵声を浴びせられる、という以前の私のようなケースもありますが)


アベノミクスの欺瞞と共産党の代替政策


世論調査によると、「安倍政権下での改憲反対」という人は、7割にも達するそうです。にも関わらず、参院選では(野党がだいぶ巻き返してきたとは言え)未だに自民党優位が続いています。
何故でしょうか。
結局の所、”アベノミクス”がうまくいっている、と多くの日本人が騙されてしまっている為です。
参考:

結論から言うと、”アベノミクス”で成功したのは、第1の矢「金融緩和」と、番外編の「官製春闘」のみです。第2の矢(財政出動)は東北復興の遅れに象徴されるように大失敗、第3の矢に至っては実行以前にそもそも中身がありません

では”アベノミクス”とはそもそも何だったのか。整理しましょう。

アベノミクスとは、そもそもは2012年総選挙でアベ晋三がブチあげたリフレ政策(金融緩和)の事でした。この時点でリフレ政策の意味を理解していなかったアベ晋三は街頭宣伝で「私のこの演説だけで、何人の雇用が救われたと思っているんですか!」と叫んでいましたが、いくらなんでもアベ晋三の演説が経済政策になるはずがありません。金融緩和とそれに伴う市場マインドの向上が目的でした。

しかし、金融緩和だけではどうもダメだということが早々に判明しました。
金融緩和というのは、これまでも散々詳しい方から説明がなされていますが、ざっくり簡単に言ってしまうと「モンエナ飲んで仕事する」のと一緒です。
飲んだ瞬間は効果があります。何回かは効果があります。しかし、だんだん通用しなくなってきます。乱用すると、体に深刻な負荷がかかるようになって来ます。

ですので、金融緩和ばかりに頼っているわけには行きません。これは、リフレ派筆頭の黒田日銀総裁ですら、早々に認めていることです。

しかし、自民党内からはまともな経済対策が出てきません。そこで官邸は、野党に救いを求めました。これに積極的に応じたのは、当時「第3極」ともてはやされていた日本維新の会やみんなの党(※どちらも今は存在しません)でした。が、結局自民党内から出てくる案と大差ないものでした。
結局、官邸は自民党から出てきた案をベースに、「3本の矢」なる経済対策を打ち出しました。金融緩和を1本目と位置づけた上で、第2の矢として財政出動(要するに土建公共事業)を行い、3本目の矢は「今から考える」という内容でした。

第2の矢(財政出動)は、ただでさえ旧態依然な土建公共事業へのバラマキ政策の域を出なかった上に、当の土建業界は業界の衰退を見越して業態転換・人員整理を進めていた為、自民党からの突然の大量発注に対応できませんでした。
しかもこの当時、東北地方は東日本大震災の復興事業がようやく緒についたばかりで、土建業界はそちらにリソースを全面的に振り向ける予定でしたが、自民党の要らぬ横槍で東北向けのリソースが割かれてしまいます。さらに自民党政権は2020年に東京五輪を実施して東京大改造を行うという天下の大愚行を決めてしまい、人手不足の中東北復興と東京五輪という2つの巨大事業がぶつかり合うという大惨事になってしまいます。結果、東北の復興は遅れに遅れました。

これが第2の矢の実態です。

さらに酷いのが、第3の矢です。

この第3の矢の内容は「有識者」による諮問会議などに委ねたのですが、思惑や利権がぶつかり合って大紛糾し、結局なにも決められませんでした。

これ以上書くことはありません。そのレベルの酷さです。

敢えて書くならば、議論の過程で出てきた「労働規制の緩和」を口実に、労働者派遣法の改悪・特許発明者からの特許権利剥奪・残業代ゼロ法・解雇の金銭解決といった”労働者虐殺政策”を次々と打ち出してきたことでしょうか。
このうち、労働者派遣法の改悪は、派遣労働者を守る為の「みなし雇用義務規定」を撤廃する、という内容でしたが、そのみなし雇用義務規定が施行(実際に法律が有効になる)直前の2015年9月10日に、強行採決によって国会を通過してしまいました。
(殆どのTVメディアはこの法案のことを無視したので、未だに知らない人も多いです。)

番外編:官製春闘

安倍政権がまだ始まって間もない頃、官邸が野党も含めた各党と懇談する機会を設けました。共産党もその中に含まれていました。共産党は従前から「大企業は内部留保溜め込みすぎだから、賃金として還元しろ」という主張を行っており、経済同友会に志井委員長が申し入れるということも行ってきました。共産党はこれを念頭に、政府としてこれをやってみてはどうかと提言しました。
これに飛びついたのが、麻生副総理兼財務相です。直後のぶら下がり会見で、共産党からこんな提案があったと公表しています。
さらに、衆議院予算委員会で共産党の笠井亮議員がこの件を取り上げ、先の麻生副総理は「内部留保を賃金に回すべきだ」と、笠井議員の主張を全面的に認める答弁をしています。

参考:◎共産党と自民党が一緒に賃上げ “歴史始まって以来”と麻生副総理~トヨタで生きる http://toyotaroudousya.blog135.fc2.com/blog-entry-960.html

この後、菅官房長官や甘利経産相らが実際に財界に「春闘で賃上げ要求に応じるように」経団連に要求。この年の春闘は大手メーカーほぼ全てが満額回答に近い賃上げを行い、夏のボーナスの大幅アップに繋がりました。
これがいわゆる、「官製春闘」と呼ばれるものです。

この件を以て、大手企業の社員の中には「安倍さんのおかげでボーナスが上がった」と思い、自民党支持に走ってしまっている人も多いと聞きます。
しかし、そうではありません。少なくとも、「安倍さんのおかげ」ではありません。よしんば実行したのが自民党政権だとしても、地ならしをし提言をしたのは、共産党なのです。

共産党の経済対策

では、その共産党の経済対策とは、どういったものでしょうか。
今回、主要野党4党(民進・共産・社民・生活)が共通政策を発表しているので、それと被る部分も多々ありますが。
ざっくり言うと、「経済の基礎体力を付ける政策」です。

”アベノミクス”がモンエナなら、共産党の経済政策は漢方薬です。

労基法すら守られない(※法律が守られてない時点で法治国家の体をなしていないのですが)社会を正し、不公正な労働・下請け慣行を是正する。
とりあえず大企業や既成資産を持っている人に収益が集中してしまっている現実を直視し、収益を上げているところから必要な財源(税金)を頂く。
税金の使い方も、ただ胴元にバラ撒くだけの自民党式のやり方はやめて、ベースになる人(人材)を育てる政策に転換する。特に、高等教育。高度人材育成の為に、金持ちしか大学に行けないような社会をヤメる。才能のある人は親の所得に関係なく誰でも高等教育を受けられるようにする。その為にまずは月額3万円の給付型奨学金を創設し、財源が確保出来次第順次引き上げていく。

はっきり言って、即効性はありません。しかし、必要なことです。
バクチみたいな”景気対策”で急激なV字回復を狙うよりも、社会経済の基礎体力を付けていく。政治の力で、それを後押しする。それが共産党の経済対策です。そしてこの基本趣旨は、民進党始め共闘派野党との共通政策にも概ね取り入れられていることも申し添えておきます。

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Twitterで140文字にまとめるつもりが、随分と長文になってしまいました。最後までご精読ありがとうございます。
そして、何卒、”アベノミクス”の欺瞞と、代替政策の存在に、気づいて頂きたいと存じます。

あと、自民党か公明党の広告が出てきたら、クリックしてやって下さい。笑い話のネタと僅かばかりの荒野草途伸の収益になりますので。

20160705すやま


ノート_政策談義


2016/4/16 五中総決定を受けて

保育所

  • 瀬戸みたいな田舎ですら保育所は足りない。瀬戸は0歳次は年間9人しか入れない(3園×3人)。
  • それでも瀬戸は(正規職員は)他の市よりは待遇いい(?)それでも月収20万は越えない。
    パート希望者が意外と多い。正規職員は事務仕事がサービス残業なので、割に合わない。
  • アートチャイルドへの委託で公設民営化した保育所(效範南)が、人員全部入れ替えで現場(園児)の実体がわからず、まともに回っていない。
  • 給料もだが、職場環境を整えてほしい。
  • 入所の際も、正社員は保育所入所の判定点数が高く有利(派遣は不利?)

賃金問題(昇給)

  • だいたい昇級の平均額はどのくらいか?
    →パートだと昇給は時給10円単位(100円は超えない)。
    →この4月でわかるが、1%ぐらい?
    →正社員時代は月5000円づつ。
  • 年収ベースで600万はあんまりない、ハローワークの求人だと200万も行かない。
    →高額所得者も含めて算術平均されているので、平均所得が高く見えてしまう。
  • 自分の会社はたぶん今後もほとんど昇給しない。

消費税

  • 経営やってるので消費税の単位が何百万単位、世間の消費税への感覚が逆にわからない。
  • 前回8%時に電車代あがったのが痛かった。
  • イラっとはするが、あり得ないという声にまでつながっていくかまでは疑問。
  • 消費税は年間ベースで見れば10万ぐらいになる。小さくは無い。

安保

  • 北東アジア平和構想は集団安保とどう違うのか?
    →対話重視の安全保障では?
  • 中国は大国のプライドがあるので対話には応じる。
  • IS対応は従来の戦争とはわけが違う。軍事と犯罪対応の切り分けの必要性がある。

 


じいちゃんと雪風


 熊本というと、ボンタンアメを思い出す。母方の祖父が昔繊維工場の人事部長をしていて、求人の為良く熊本に行ってお土産にボンタンアメを買ってきていたとかで、母親も私もよくボンタンアメを貰っていた。

 その祖父が海軍で駆逐艦乗りだったという話を以前Twitterでした。 


 その続きに当たる話である。

 昨年秋に2年以上待たされてようやく艦これに登録できたこともあって、この駆逐艦って具体的にどれなんだろうと思って、ちょっと調べてみた。

 私自身や、母親経由で、祖父から聞いた話の内容は、このようなものである。

・一度も撃沈されたことが無かった。
・戦艦大和と同じ艦隊にいたことがある。
・艦内で新聞を発行していた。
・戦闘中に監視員が操舵士の肩を蹴って面舵取り舵の指示を出していた。
・潜水艦を見つけると、すっ飛んでいって爆雷を投下して、速攻で逃げて戦艦の陰に隠れていた。
・米国艦船と戦闘終了後、沈む米艦相手に敬礼代わりの霧笛を鳴らしたところ、相手からも沈む直前に霧笛が帰ってきた。洋上に浮かんでいる米兵がいたが、下手に助けると捕虜収容所で酷い扱いを受けるので、缶詰などを投げてその場を去った。
・米艦隊の襲撃を受けた際に、全速力で入道雲の中に逃げ込んで難を逃れた。
・沈んだ他艦の救助した兵士が結局死亡した際に、棺桶がないので代わりに筏を組んで棺桶代わりにして、水葬した。
・どっかの島でサトウキビを大量に買い込んで予備食料にしていた。
・(自決用の?)手榴弾が艦員全員に支給されたが、外洋に出るとそれで爆弾漁をして魚を捕っていた。
・敗戦直後はイギリス軍の捕虜収容所にいた。

 これらの話を元に艦これwikiやwikipediaを調べたところ、どうやら「雪風」で間違いなさそうという結論に至った。

参考:
艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*:http://wikiwiki.jp/kancolle/?%C0%E3%C9%F7
Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E9%A2%A8_%28%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6%29
 これらの記載を基に検証すると。

・一度も撃沈され無かった
 →駆逐艦で敗戦まで生き残ったのは響と雪風のみ。
・戦艦大和と同じ艦隊にいたことがある
 →沖縄戦に向かう大和に雪風が同行しているとの記載あり。
・艦内で新聞を発行していた。
 →敗戦後雪風が引揚げ船として運用されていたときに、艦内新聞を発行していたとの記載あり。
・戦闘中に監視員が操舵士の肩を蹴って面舵取り舵の指示を出していた。
 →艦長が目視で砲弾を回避する為航海長の肩を蹴って指示を出していたとの記載あり。
・潜水艦を見つけると、すっ飛んでいって爆雷を投下して、速攻で逃げて戦艦の陰に隠れていた。
 →(特に記載を見つけられず)
・米国艦船と戦闘終了後、沈む米艦相手に敬礼代わりの霧笛を鳴らしたところ、相手からも沈む直前に霧笛が帰ってきた。洋上に浮かんでいる米兵がいたが、下手に助けると捕虜収容所で酷い扱いを受けるので、缶詰などを投げてその場を去った。
 →レイテ沖海戦の米駆逐艦ジョンストンとの話のことか?
・米艦隊の襲撃を受けた際に、全速力で入道雲の中に逃げ込んで難を逃れた。
 →(特定の記載を見つけられず)
・水葬
 →白木の棺桶で水葬したとの記載あり。これは流石に(戦時という状況を考えて)Wikipediaの記載が間違いと考えるのが自然。
・どっかの島でサトウキビを大量に買い込んで予備食料にしていた。
 →(特に記載を見つけられず) 
・(自決用の?)手榴弾が艦員全員に支給されたが、外洋に出るとそれで爆弾漁をして魚を捕っていた。
 →(特に記載を見つけられず)
・敗戦直後はイギリス軍の捕虜収容所にいた。
 →復員輸送艦絡みの話か?

 「一度も撃沈され無かった」という時点で既に二択になってしまうところが、正直絶句したが。ともあれ、「響」の方も調べたが全然エピソードが違うので、雪風で間違いないだろう。

 ちなみに、艦これでは荒野草途伸は雪風はまだ入手していないので、ゲーム中での雪風の扱いがどういうものなのかはあまりよくわからない。なので、祖父の話を含む史実のみについて語る。

 これらの話を聞いたのは、殆どが自分がまだ小学生自分の頃の話で、(記憶が確かなら)主に従兄弟がせがんで話をしていたことだったように思う。
 そうやって昔話をしているとき、爆弾漁だのサトウキビだのの話をしているときは割と楽しそうに話をしていたものだった。特にサトウキビは随分思い入れがあったのか、サトウキビがスーパーで売られているのを見ると買い込んできて、(当時もう既に糖尿病を発症していたので)祖母に怒られていた。

 が、戦闘の話はそんなに多くを語ったわけでは無かった。
 唯一詳しく話してくれたのが、アメリカ艦(駆逐艦ジョンストン)とのエピソードである。
 爆弾漁だのサトウキビ買い込みだのをしていたので、食料には割と余裕があったのだろう。wikiを読んでいると随分たくさんの兵士を救助したようだが、これも食料に余裕があったからこそ出来たことだったのだろう。(別で読んだ文献によると、助けて自艦に乗せると食料がなくなるからと沈んだ他艦の兵士を見殺しにしたケースもあったらしい。)

 (wikiによると)唯一の例外が、沖縄に向かう大和に同行していたとき、だったようだ。
 「宇宙戦艦ヤマト」が大人気だった時代だったので、従兄弟としては大和の話を聞きたがっていたが、祖父は逆に大和との話は殆ど語ろうとはしなかった。ただ、「大和はとにかく大きかった」としか語らなかった。
 ただでさえ大和撃沈の際の凄惨さは文献を当たれば簡単に伝わってくるほどのものである。加えて、それまで遭難兵は基本救助してきた雪風が、大和の時だけは見殺しにせざるを得なかったのだから、それは相当な精神的な過酷さだったのだろう。

 余談になるが、私が琉球大学に合格して沖縄に発つ前に祖父母の家を訪れたとき、祖父は部屋に引き籠もってしまって会ってはくれなかった。今思えば、「沖縄行き」というその言葉自体に、トラウマを持ってしまっていたのだろう。ただ、その当時の自分は、その事に全く気づくことが出来なかった。

 わからなかったと言えばもう一つ。小学生時分に従兄弟と話を聞いていた頃、同じ船の乗員は全員生き残ったという話を聞いたとき、私はこう尋ねた。「じゃあ、陸軍より海軍の方が安全だったの?」と。祖父は一言だけ答えた。

「船さえ沈まなければね…」

 その言葉の意味も自分には当時は理解出来なかった。というか、この文章を書く為の調べ物をして、ようやく気づいたバカタレなガキである。

 その祖父も、5年半前の2010年に亡くなった。奇しくも、私が沖縄県知事選の支援にのめり込んでいたときである。
 ただ、亡くなる直前に面会することは出来た。その時点で医者からはいつ死んでもおかしくない状態から半年以上経っていると言われている、と聞かされていた。面会した祖父は眠っていたが、私が病室に入ると目を覚ました。何か言葉を発そうとしていたが、それが何かはわからなかった。ただ、最後の最後まで、生きようとしていた。