自称総合系blogなのだから2回続けてギャルゲーネタが続くのは自分としてはあまり好ましくないのだが、しかし出来るだけタイムリーな話題をネタにしたいという思いもまたあり、さらに明日は情報処理技術者試験だから書いている時間が無いということで、今日はギャルゲー、というか一歩踏み込んでエロゲーの話題を書くことにする。
と言っても、自分は真性鍵っ子なので、いわゆる「エロゲー」というものには実はあまり詳しくはない。CLANNADは最初から全年齢対象でエロゲーではないし、それ以外の鍵作品もエロ取り外して全然問題なし、と言うかむしろ邪魔!って位のものだからである。智代アフターは例外かもしれないがしかしあれについてはもはや自分の中では鍵作品じゃないことになっているので、ご容赦願いたい。
さて。そんな自分でも知っているこの時期タイムリーなエロゲーの話題というと、「日テレがエロゲーに関する偏向的な報道を行った」とかどうとかいう話になる。まあ、自分はここ最近地上波は見てないし沖縄じゃ日テレ系見れないしそもそも鍵っ子はTBS以外の在京テレビ局は認めないしで、この番組は見ていない。なので番組自体に関するコメントは差し控える、と言うかしようがない。
なので、その背景にある「エロゲ規制問題」に内容を絞ることにする。警察庁の『漫画・アニメ・ゲーム表現規制法』検討会問題まとめ @Wikによると、今回の問題のそもそもの発端は警察庁が「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」というものを設置したことにあり、それで「またコミック/エロゲ規制が行われようとしている」とエロゲオタ達が騒いでいる中くだんの番組が放送されたので、火に油を注いでしまった、ということのようだ。
「また」というのは、過去にも既に何度かこういう創作物(コミック、ゲーム等)に対する法的規制が導入されようとしたことがある為である。特にここ数年で大きかったのは「児ポ法」と「青健法案」である。
「児ポ法」は、児童買春や児童ポルノの被写体として性的搾取に合う少女をなくすという目的で制定された法律なのだが、その案が出た際に、法の趣旨とは全く関係のない創作物規制の内容まで含まれていたため、猛烈な反対運動が起きたものである。結局この法律は、問題の創作物規制の部分を削除して1999年に成立している。
また「青健法案」は、2003年総選挙の際に自民党がマニフェスト中に盛り込んだものであり、各都道府県が制定している青少年健全育成条例を発展強化させようとしたものである。現在ある青少年健全育成条例が事実上18禁表現物に対する足かせとなっていることからネット上でオタク達が反発する一方、事業者に対し自主規制を強制する内容が含まれていたことから民放連が抗議声明を出した。選挙で自民党が大きく後退したことで法案の行方はうやむやになった。
そして、今回の警察庁の動き、というわけである。
だが。今回の件に対して、自分は反対しようという思いがない。過去2回の動きに対しては、自分も強くというほどではないがそれなりに反対の姿勢は示してきた。だが今回は、どうもそういう気になれないのだ。
ぶっちゃけて言えば
「ソフ倫の自主規制も守れないようでは、法規制が導入されても仕方がないんじゃないですか?」
ということである。
エロゲ業界にはコンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫)という組織があり、ここで定めたルールに則ってゲーム内容の自主規制(無論、強制ではなく自発的に定めたもの)を行っていた。この中には「18歳未満のキャラクターの性表現は禁止」というものも含まれていた。ところがここ数年、そのルールをあからさまに無視するゲームが増えてきたことで、この自主規制の仕組みは事実上崩壊してしまっているのが現状だ。
ソフ倫の規制は一般社会からのエロゲーへの批判をかわすために作られたものであり、エロゲーという存在を社会的に守るためのものだったはずである。ところが、それすら守れないということでは、エロゲーは反社会的な存在であると公言しているようなものではないか。
権利や自由には規制・義務がつきものである、というのはよく言われることであるが。そのことをオタク達は忘れてしまっているのではないだろうか。コミケや2ちゃんねるで通用することがそのまま一般社会で通用するなどと思ってはいけない。先人の努力とはただ反対するだけではなかったということを、我々は再認識しなければならない。
ところで。この文章を書こうと思ったきっかけはいつもウォッチしている健康さんのダー(注:健康さんをウォッチしているわけではないことに注意されたい)が「マブラブオルタナティブ」をやってる云々という記事を見たことなのだが。文中の「このゲームを貸してあげるから、機嫌なおしなさい」という台詞を見て、思い出したことがある。
おそらくはLeafの「こみっくパーティ」だったと思うのだが、全年齢ではないゲームをやって「これはおもしろい、是非妹にもやらせなくては!」と思い、部屋まで持参したら妹は寝ていたので、仕方なく枕元に置いて帰ってきた。暫くして妹が部屋までやってきて、烈火のごとく怒りながら「こみっくパーティ」を投げつけて返してきたのだった。
自分はよかれと思ってやったことなのだが、どうやらそれは違ったらしい。
ゲームの内容だけではなく、もしかしたらオタクの言動にも自主規制というかガイドラインは必要なのかもしれない。
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「社会」カテゴリーアーカイブ
長けりゃいいってもんじゃない
文系、特に法律系では、「論文は長ければ長いほどいい」って傾向があるみたいなんですけど。あれって、なんなんですかね。理学部で「短く、簡潔に」と叩き込まれた自分としては、不思議、っつーか理不尽にしか思えんのですよ。
『「サウンドロゴ」は著作物? 作曲家が住生提訴』(asahi.com)という記事を見て、ふとそんなことを思い出したのです。
サウンドロゴというのはCMなどで使われる、短くてインパクトのあるメロディのことなんだそうです。
で、住友生命のCMの終わりにタイトルと一緒に流れるサウンドロゴを作った人が、「再契約無しで使われて、自分の著作権が軽んじられている」と、提訴したというものです。それに対し複数の弁護士が「短いメロディーは著作物じゃない」と言っている、というニュースでした。
これ見て自分は、「いかにも、長い論文を是とする人の考え方だなあ」と思ったわけです。まあ、確かに長けりゃそれだけ情報量は多くなるだろうし。それだけ著作物としての価値も増すという考え方なのかもしれませんけど。
しかしその多くの情報を、より小さく縮めて受け手に伝えることが出来れば。それは、長く書くよりも、ずっとずっと大きな創作性がある。だから当然、サウンドロゴみたいな短い楽曲にだって著作物であり、権利は当然認められる。
私は、そう思うんですけどね。
著作権は産業財産権と違って過程ではなく出来たモノそのものを保護する法律だ、と反論されるかもしれませんけど。創作的過程あってこその著作物です。保護の対象がモノのみであっても、その保護すべき対象か否かの判定は、過程も含めて為されるべきでしょう。そうでなければ、創作者が報われません。文化財産を保護しようという、著作権法の趣旨に反します。
と、まだいろいろ書きたいことはあるけど。長くなりそうだから、これでやめにしておきましょうか。あーしかし、もう既に芸術的な文章とはほど遠いなあ・・・。
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更新履歴~エウリアンと私
未だに秋葉原界隈に出没するらしい、悪質なる“エウリアン”について、自分の経験を書いてみたのだが、長くなってしまったので「日常の愚痴」の方にアップしておいた。
http://bunsyo.kouyaxatosi.info/bunsyo/a_br13/1122.htm
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デンジバツクバ、アキバハヒトノタバ
秋葉原はかつて電気街と言われましたが、それが電脳街を経て煩悩街となり、そして今、凡人街へと変貌しようとしているようです。
某社で沖縄採用の案件があったので、面接のため東京まで行ってきました。ついでなので一泊して、土曜日はiAcnと出来たばかりのつくばエクスプレス(TX)に乗って筑波まで行ってきました。
つくばは久しぶり。なにしろ、受験生の頃に筑波大受けたとき以来(12/11付文書参照)だから、もう11年・・・12年? まあ、とにかくそんなくらい久しぶりだったのです。結局、EXPOセンター行ってきただけですけどね。片道1150円もかけて・・・。
まあでも、10数年経った割にはあまり変わってなかったなあ・・・。
ところが、そんなつくばとは対照的に大変貌していたのが、数ヶ月ぶりの秋葉原。
冒頭でも書いたように、一時期の秋葉原はオタクですらエエエェェェ(;´Д`)と言いたくなるくらいの、煩悩(ギャルゲー)街だったのですが。今日行ってみたら。
オタクの街じゃなくなってるゥ・・・・。
なんか、家族連れだのカップルだの、そういう従来の秋葉原にはあり得ないような一般人が街を埋め尽くしてしまっていたのですよ。
TX開業の所為なのか、先日出来たヨドバシカメラの所為なのか、はたまた電車男の影響なのか。とにかく、今まで自分が知っていた秋葉原とは、全く違う空間ができあがっていたのですよ。ただまあ、ヨドバシもTX乗り場も、場所は電気街口とは反対側ではあるんですけど。
「TXの乗り場って、なんで電気街口側にはないの?」
「オタクがつくばに流入するのを防ぐためじゃない?」
などという自虐的会話をiAcnと交わしながら、ゲーマーズ本店へ。
そこにはいつもの秋葉原がありました。
でも、そういう数少ない場所も、いつまで残るかわかりませんけど。秋葉原が世間から認められるというのは、逆に言えば世間一般に取り込まれてしまうということですからね。街並みだって、強制的に向こうの仕様に合わせられてしまうのでしょう。
なにもかも、変わらずにはいられないです。人も、街も。
ちなみに上記の台詞はCLANNADの一節からの引用です。ああ、秋葉原はこういう会話を安心して出来るところだったんだけどなあ・・・。
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表現の自由を守れ!
オタクの中には、平気で女性を侮蔑する発現をするくせに、自分が攻撃されると途端に感情的になる輩がいるのです。こういう連中、ほんとに何とかならんかなあ。オタクに対するイメージが悪くなるばっかり。
そう思わせる事件が、この間の夏混み、というか夏混み後にあったらしい。いや、今日初めて知ったんだけどね。
事件の概要は、「ブログ:オタク「きもい」の表現で企業謝罪(msn毎日)」という記事に記されている。確かにこれだけ読むと、「ああ、そんなことしたんだからしょうがないねえ。て言うかなんでオタク馬鹿にするの?」と、思ってしまう。
が。こちらの事件まとめサイトから、件のblogのスナップショットを読んでみた(blog本体はとうに削除されてしまったらしい)ら、見解が変わった。正直、「この程度の発言でこんな大騒ぎをしてるのか?!」と驚いたくらいである。
問題になっているらしい文は3つ。
「コミケバイト中です☆コンビニ行ったらるるぶのもえ版が!!もえるるぶってどないやねん!きんもーっ☆中にはコスプレがあるとこなどが案内されてます。きもすぎです。」
「大量オタ。これほんの一部ですからね。これがぶぁぁぁぁあっているの。恐い!きもい!」
「みんな頑張ってバイトしています!まぁお客はみんなオタ。」
これらの文章が、写真付きで紹介されている。
まあ、確かに1オタクとして、決して愉快な表現では無いとは思う。
だが、考えてみよう。これは、一個人の見解としてそれほど過激な表現だろうか? 誰かの名誉を損なうほどのものであろうか? 確かに写真付きではあるが、しかし特定の誰かを名指ししているわけではない。「客に対する侮辱」などという意見もあるようだが、オタクを「オタ」と呼ぶことに何か不都合でもあるのだろうか? そもそもこの呼び方は、オタク自らが自分達を呼ぶ呼称として定着させたものではないか。
それ以前に、そもそもこの事件の最も重要な問題は、「個人が何を言おうが基本的には自由である」という、言論・表現の自由が、著しく侵されてしまっていることである。
1個人が運営するblogサイトに対して集団で攻撃を加え、あまつさえ勤務先(正確にはフランチャイズの元締め)に殆ど言いがかりのような苦情を殺到させる。
これに対し元締め側は、この件に非を認める発現をしている。blog運営者に対しても何らかの処分(おそらくはクビ)もされたと考えるのが筋だろう。
これはもはや、暴力ではないか。集団の暴力によって、1個人の意見が封殺され、あまつさえ身分まで奪われたのだ。
そもそも、コミケとは同人誌即売会である。この同人誌こそまさに、「表現の自由」によって守られた最たるものではないか。それがあればこそ、一般社会から見れば目をむくような内容、時には規制しろとの声が上がるようなものであっても、これまで守ってこられたのだ。
にもかかわらず彼らは、その表現の自由を土足で踏みにじったのである。ただ、感情の赴くままに。これは自殺行為であり、またオタクコミュニティに対するゆゆしき挑戦であると言えよう。
私はこのような犯罪的行動を、絶対に許すことは出来ません。1オタクとして。
そもそも、本気でオタク嫌っている人は、こんな書き方しませんって。そもそも自分のblogでとりあげようとすらしないし、バイトなんかしないで悲鳴あげて逃げていきますって。
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民業圧迫?
電電公社(NTT)民営化のおかげで、特に官公庁の情報システムがNTTグループにどんどん奪われているという事実を、皆さんご存じですか?
少々古い資料ですが、こちらをご覧ください(→資料「情報システムに係る政府調達の見直しについて」)。
38ページの表9「政府機関及び関連機関の情報システム受注シェア」というのを見ると、平成9年には金額ベースで1.3%しかなかったNTTグループによる受注が、平成12年には44.1%まで跳ね上がっています。
元々NTTグループは、旧電電公社時代から官公庁の情報システムは受注していました。例えば、郵便貯金の基幹システムは電電公社が請け負っていました。が、それはあくまで「民間業者では技術力が要求に満たないため、補完的に電電公社に発注を行う」という位置づけで、民間業者を圧迫するような性質のものではありませんでした。
電電公社が民営化されてNTTグループになると、この情報システム部門は「NTTデータ」という子会社に引き継がれました。NTTデータは営利の株式会社ですから、当然利益を上げるために受注を伸ばさなければなりません。
しかし情報システム業に必須の「業務ノウハウ」が、NTTデータには官公庁のものしかありません。なのでNTTデータは、官公庁システムの受注確保に全力を挙げるようになったのです。
その一方、NTT本体は通信業における独占排除を目的に、さらに東西2社と国際・長距離部門の計3社に分割されました。通信業界の激しい競争の中で、分割された会社が利益を確保していくのもこれまた難しい話です。
そこでこれらの会社は、通信以外の収益源を模索し始め、当時伸び盛りだった情報システムに触手を伸ばし始めます。普通なら、こういう新参の会社が特に官公庁から受注を勝ち取るのは難しい話です。が、此らの会社には「NTT」という強力なブランド力がついています。NTTグループ各社は、順当に官公庁からの受注を勝ち取っていくことができたのでした。
そして、ITブームが過ぎ市場が落ち着いた現在も、NTTグループによる官公庁システムの受注シェアは依然強大です。「民間業者」のシェアはNTTグループによって奪われたままなのです。
郵政民営化において、賛成派が挙げる理由に、「官業による民業の圧迫を排除する」というものがあります。
しかし、上記の例でわかるように、民営化が必ずしも「民業」の圧迫を排除するわけではなく、むしろ却って「民業」の圧迫に繋がってしまうこともあるのです。
郵政民営化に賛成の人も反対の人も、この事実だけはきちんと頭に入れておいた方が良いのではないでしょうか。
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更新履歴_Edyを使ってみた
『きみはペット』風に例えると
「どうしてみんな、エディを使ってくれないんだろう・・・」
「使いやすくしたら?」
日常の愚痴 更新 「Edyを使ってみた」
http://bunsyo.kouyaxatosi.info/bunsyo/a_br13/0719.html
ところで荒野草途伸の実名をご存じですか?
昨日今日と定時帰りの荒野草途伸です。折角時間が出来たので、なんか書いてみます。
えっと、これにしよう。「匿名性が悪なのか」
なんでも、総務省の「情報フロンティア研究会」というところの報告として、「匿名性が高いためにネット社会への心理的な忌避感が広がっている」ため「実名または実名に準ずるネット上の名前で情報発信する仕組みを全国で導入すべきだと提案」する、というものらしい。
まあ・・・。名指しはしてないけど、おそらくは、有名な例の某巨大匿名掲示板が念頭にあるんでしょうね。
さて。ネット上での匿名というと、自分が思い出すのは、大学時代の学内ネットでの事。
今から8年前の、ネット黎明期から普及期に移る、ちょうど過渡期の頃でしたが。昔から「学術目的で」学内ネットを使ってきた人と、今みたいにより一般的な使い方をしたい学生との間で、一時期深刻な対立がありまして。
そんな折りに、自分が「荒野草途伸」の名でネットニュースに投稿したことがあるんです。それ自体はプロバイダ経由でネットに繋ぐときの設定を変えずに使った自分のミスだったのですが。それに対してある教官から「学内ネットなのだから偽名を使うのは好ましくない」と言われて、その偽名という言葉にかなりカチンと来て激しい応酬になってしまったのです。
それ自体は結局、設定ミスには気をつけてということで納得したのですが。
ところが、またおかしなのが1人いて、「設定ミスも何もネット上で実名を名乗らないこと自体がおかしい」とか騒ぎ出したのです。挙げ句、その場にいるわけでもない当時のokinawaニュースグループ(琉大の学内ネットとは完全に別)の常連の1人を馬鹿呼ばわりする始末。もう本当にこんなのが大学の教官やってるのかと本気で頭痛くなりました。
そういうこともあって結局、琉大の学内ネットは利用しなくなりました。まあ、得るもの自体あまり無かったですけど(苦笑)。
まあ、そういうこともあるくらい、世の中には「ネットでも実名で」という考えを頑なに持ってる人がいるんだということです。
昨今では個人情報保護の観点もあって実名で利用しないことが当たり前になっていますから、実名利用派は今度は安全性とかいうところで巻き返しを図っている、ということなのでしょうか。
では、実名でのネット利用はそんなに安全なのか。といったら、はっきり言えばノーだと思います。
例えば荒野草途伸は、ネタとしてですが昔の学生証と運転免許証を公開しています。しかしこれはあくまで例外です。「あーまた荒野草途伸がバカなことやってるよー」で済まされるからこそやれるのであり、普通の人がやったら事件になりかねません。
特に若い女性なら、その危険は大きく増すでしょう。
1,2年前くらいだったと思いますが、新潟大の女子学生が実名と顔写真付きで個人ページを開設していたところ、アメリカからストーカーがやってきて傷害沙汰を起こす、という事件がありました。
その時の新潟大学長の言葉が、「学生にネット利用の仕方をきちんと指導したい」というものでした。この指導の内容は当然、ネットを実名で利用するという事なのではなく、むしろその逆のことになるでしょう。
ネット最大の利点は、距離に関係なく見ず知らずの、場合によっては国外の人とも知り合えることです。しかしそれは、「匿名」というプロテクトによって身が守られているから可能である、とも言えるのです。
その防御手段について教えるならいざ知らず、実名を使い利用の幅を制限しようと言うのでは、本末転倒です。ぶっちゃけ、それだったらネットなんか使うなと言った方が近道です。
便利なものは同時に危険である。それを自分で判断し自分なりに使いこなせるように、育てていく。求められているのはむしろ、そういうことなのではないでしょうか?
(追記)
実際の報告書には、ネットの匿名利用に対する批判めいたことは書かれていなかったようです。共同通信の記事はどうやら誤報だったようです。
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沖縄慰霊の日
日本の標準カレンダーだと、6月には祝祭日は存在しない。が、沖縄県では6月23日が県民の休日として定められ、県や市町村関連の施設は休みになる。
何故この日がというと、6月23日が沖縄戦の終結の日、正確には日本軍による組織的な抵抗が終わった日であるためである。実際にはこの日以降も、敗残日本兵によるゲリラ戦や地元民の集団自決事件などは起きており、最終的に戦争状態が収束したのは本土よりも遅い8~9月頃だったようだ。
さて。この沖縄慰霊の日であるが、正直自分は、琉大に入って沖縄に行くまで、この慰霊の日のことは全く知らなかった。
琉大は国立なので慰霊の日でも休みになるわけではなく。たまたま取った社会学の授業で「慰霊の日前後にひめゆり資料館か県平和祈念資料館に行ってレポートを書くように」という課題が出て、初めてその存在を知ったのだった。
自分は、良い機会なので両方行くことにした。ちなみにその時に車を出してくれたのがHT君であり、道案内をしてくれたのがiAcnだった。思えば、その時の縁が今も続いているのだ。
結局ひめゆりから平和祈念資料館へ回ったのだが。そこで自分は、生まれて初めて言葉を失ってしまった。
自分は、政経とか地歴とか、いわゆる社会科関連のことは昔から興味があって、その関係で沖縄のこともある程度、少なくとも平均的な本土の人間よりは知っているつもりだった。故に、ひめゆり資料館で見たものは自分の既に知っている範囲内であり、衝撃という程のものは受けなかった。
が。県平和祈念資料館では、呆然としてしまった。特に煽情的な展示がしてあるわけではない。むしろ、より客観的な事実が展示してあるだけである。だがそれ故に、受ける衝撃も大きかったのだろう。
ひめゆり資料館、県平和祈念資料館ともに県南部の糸満市にある。平和祈念資料館は県平和祈念公園内にあり、有名な「平和の礎」もここにある。(自分が行った当時はまだ工事中だった)。
これを読んでくれたあなたも、機会があれば、というより是非機会を作って、一度行って見てきて貰いたい。見るだけで良い。その後の感想までは求めないから。
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俺の失敗は許せ
荒野草途伸が嫌いな言葉の一つに、「失敗は許されない」というものがあるわけですが。
人というものは何らかの失敗をするものであり、それを無視して完璧を求めるのは間違っている。小さな失敗にまでいちいち厳しい態度を取っても、失敗が無くなるわけではなくむしろ隠蔽されるだけ。隠蔽された失敗は、さらなる大きな失敗に繋がる。という考えに基づいてのことなわけです。
それがもろに現れてしまったのが、先日の尼崎の鉄道事故だとは思います。
でまあ、鉄道事故の方はおいといて、どちらかというと小さな失敗にはいると思われるものを。GDP、16年間計算ミス 内閣府が7年は消費税率3%というもの。
中学高校でも習った有名な経済指標であるGDPの数値は、この16年間間違っていた、ということらしいです。
まあ間違っていたといっても差は1%にも満たないし、間違っているからといって人命に関わるようなことでもないし、「そもそもGDPという指標自体意味がない」とか言われて久しいし。ただ、「政府が発表する、教科書にも載る指標」ってことで、ニュースになっちまったわけで。
まあ、次から気をつけてくれやとしかいいようがないですね。
て言うか、気をつけないかんのはむしろ自分の方な気もするのですが。昔作ったシステムとか、ちゃんと動いてるのか実はすっげー不安なんですけど。仕事辞めてからも、一回電話かかってきたことあるしなあ。まあ、人命に関わるシステム作りには携わってないから、そこはまあ救いではあるのだけど。
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