沖縄」カテゴリーアーカイブ

宜野湾を落とした以上、京都を落とすわけにはいかなくなった。


そんな言い切りが出来るほど甘いものじゃ無いことは百も承知。
むしろ甘さには細心の注意を払いたい。

文化庁だの、北陸新幹線だの、「何でこんな時期に?」としか思えない報道が相次いでますね。

個人的には、文化庁移転は反対では無いです。
著作権を管轄しているのは文化庁であり、その著作権は複雑怪奇化していて整理分割が急務となっています。しかし、東京には営利主義の魑魅魍魎があまりにも徘徊しすぎており、これまでも何かにつけて利己主義に基づく介入を繰り返し、結果としてそういう作業を妨害してきています。
なので、文化庁は東京から切り離した方がいいと思うし、京都が誘致しているというのなら京都でいいと思います。

でも、何故それを今この時期に決めるのでしょうか? 全国ニュースで現職市長の映像まで流して。徳島の消費者庁とはえらい扱いが違いすぎやしませんか?
そこにもってきてさらに、JR西日本の「北陸新幹線は京都経由」報道。

こういうあたり、「自民党だなぁ」という感想しか持ち得ないのです。

事実、ディズニー佐喜真は選挙で勝ちましたからね。

選挙向けの飴をバラ撒きまくる、20世紀の自民党そのものです。

最近、廃棄するはずの食品を横流しした事件が話題ですね。

飴は確かに甘くておいしいです。
でも、その飴、出どころ確認しましたか?

あと、飴だけでは健康を害しますよ。
ビタミンもタンパク質も必要なんです。

本田久美子氏は、京都にビタミンもタンパク質も提供できる人だと思います。
http://www.kyo-mannaka.jp/revival/280
私は京都市長選では、本田久美子氏を全面支援します。
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日本国憲法は社会の礎。
労働者も中小企業も社会の礎。


とりあえず、1月の重要選挙をメモっておく


二日動いただけで、一日寝てもまだ回復しないレベル疲労困憊の荒野草途伸です。健常人のようには行かない。

さて。年が明けたのでもう2016年です。
1月は、いきなり大きな地方選挙が2つあります。

1月17日告示・1月24日投開票
沖縄県宜野湾市長選挙

1月24日告示・2月7日投開票
京都府京都市長選挙

です。

どちらもアベ派対反アベ派が激突する超重要な選挙ですね。

宜野湾市長選は、現職の自民党市長(無所属という扱いになっていますが、元々自民党の衆院議員だったれっきとした自民党候補者です)に、一昨年以来翁長県知事を中心に保守系から社民・共産まで結集する「オール沖縄」が挑む構図です。オール沖縄側の候補予定者は、志村恵一郎氏。父親は自民党の沖縄県議で県議会議長も務めた人で、その辺りの事情は翁長知事と少し似ています。
「だったら、自民vs自民ってことじゃん」と思う人がいるかもしれませんが。まあ、それが今の沖縄です。真っ当な自民党の人はアベ官邸よりも共産党と組む時代なんです。
…ええ、その辺の経緯というか歴史をまとめて書くって去年言って、まだ全然書けていませんね私。はい、1冊の本にまとめるとか大きく風呂敷広げてしまってあれもこれもと書く内容が膨らんでしまったので、一度整理して書けるところから順次書いていくようにします。

ええと、私の事はいいです。1/24は、宜野湾市長選です。
現職の佐喜真市長のことは、書くとまあそれだけで中傷ビラが一枚出来上がるだけの内容になってしまうので、とりあえず一言だけ。なにがディズニーランド誘致だ、経営難に陥って労働争議まで抱えてるオリエンタルランドにまで迷惑かけてんじゃねーよ。

対抗馬の志村氏は、むしろ怖いくらい手堅い印象があります。…まあ、元県職員だし、当然か。
Webサイトは開設してないみたいですが、Twitterのアカウントは昨年作成されました。

志村恵一郎・Twitter:
https://twitter.com/GinowanShimras

更新してるのは若いスタッフの方のようですね。うん、(スタッフ)って一応書いといた方がいいと思う。

そして。奇しくも宜野湾市長選の投票日に告示されるのが、京都市長選挙。

京都と言えば、全国でも最強クラスの共産党の地盤です。特にここ数年全国的に共産党が伸張している事もあって、京都の共産党はかなり勢いづいています。昨年4月の統一地方選では、京都市議会選で第1党まであと一歩という所まで迫っています。
その共産党は、本田久美子氏という元京都教育センター事務局長の人を擁立する予定です。教育センターという事は、元教員かな?

対する現職市長の門川大作氏。この人も市長になる前は教育長だったはずだから、やっぱり元教員か? 教員対決か。
この門川市長、支援する政党は自民・民主・公明の3大政党ですが、門川氏自身が安倍内閣の政策諮問会議に名を連ねるなど、安倍政権との親密ぶりは半端じゃありません。敢えて言ってしまえば、現在のアベ失政の責任の一端をこの門川市長も担っているわけです。まあ門川市長が参加してるのは教育関連の会議なので、経済はあまり関係ないと反論されるかもしれませんが。しかし、門川市長が「アベ派」であることに疑いを差し挟む余地はありません

アベ派の門川市長と、反アベ派の本田氏。この二人の激突になる模様です。

地域政党の京都党がおおさか維新と組んで候補擁立の構えを見せていたらしいですが、どういう事情かはわかりませんが結局候補擁立を断念したらしいです。おおさか維新と組むという話が出た辺りからなんか話がおかしくなり出したように傍からは見えるので、官邸辺りから圧力でもかかったんですかねえ。いや憶測ですけどね。おおさか維新はアベ派の野党ですから。そういう憶測もしたくなりますよ。
さらには、先週には京都選出の福山哲郎参院議員が「共産党と徹底的に闘う!」とか発狂し出す始末。いや、連合京都にそう言えと迫られての発言らしいですが。連合京都にまで官邸の圧力がかかってるんですかね。そういえば、前回の参院選で、「民主党の候補者が共産党に負けそうだから、自民党から票を回してくれ」という依頼があったという、自民党関係者の証言が話題になってましたねえ。そんなに自民党の衛星政党になりたいなら、おおさか維新よろしく「きょうと民主党」でも作ればいいのに。

とまあ、それはさておき。
本田氏は、WebサイトもTwitterアカウントも用意されてます。

Web:
http://www.kyo-mannaka.jp/

Twitter:
https://twitter.com/HondaKumiko2016

ざっと見てみたら、文章長いねー。自分も人のことは言えないけど(苦笑)。いや、京都府知事選のときの尾崎候補のサイトみたいなの想像してたから。
しかし内容はしっかりしてるし、これおそらく本田氏が自分で書いた文章なんだと思う。ゴーストライターとかじゃ無くて。

自分は雇用・経済にどうしても目が行きがちなので、そっちの文章に目を通してみると。

『「公契約基本条例」の中に最低賃金規定の保障を明記します。ダンピング防止により、元請けの経営を守り、「京都市の発注は、だれでも、どこでも、最低1,000円以上(時給)」の賃金を保障し、安定した良質な雇用を生み出します。』

最近新しい労働運動として注目を集めている「AEQUITAS /エキタス」が掲げている、「最低賃金1500円」「中小企業に税金回せ」と似てますね。まあ、1500円じゃ無くて1000円ですが。今の京都市の体力だと、まだそれが限界ということなのでしょうか。

あと、行動カレンダーがちゃんと公開されてます。
https://calendar.google.com/calendar/embed?src=kyotomirainet%40gmail.com&ctz=Asia/Tokyo

選挙追っかけはこれでやりやすくなるね!
自分は体調その他の理由で行けるかわからんけど…。

ああ、メモ書きのつもりだったのに、結構がっつり書いてしまった…。


9/27沖縄「荒野草途伸自分の後援会」参加告知


 どうも。アベ自民党の騙し討ちで改悪派遣法成立させられて意気消沈の荒野草途伸です。
 
 9/10で終わった政府と沖縄県の1ヶ月休戦も、ただの政府の時間稼ぎだったみたいですね。翁長知事の徒労感に溢れた顔が印象的でした。
 
 今ある生活に胡座をかいてる連中は、虐げられし者の声に耳を傾ける気なぞさらさら無い。まさに、見えない階級闘争ですよ。

 というよりもむしろ、日本は既に「銃声無き内戦」に突入しているとすら言えるのかもしれません。

 …ということとは全然関係なく。
 
 9/27に、宜野湾コンベンションセンターで行われる「おでかけライブin沖縄スペシャル 23」  に、サークル名「荒野草途伸自分の後援会」で参加します。

 まあ、折角の1年ぶりの帰沖なんで、前後2日ほど滞在するつもりです。
 先月の名古屋のが終わった直後から決めていたことなので、まさか今こういう政治状況になっているとはつゆ思わず。(むしろ、1ヶ月会談で何らかの収束の方向に向かうだろうとばかり…。)

 それはいいとして。

 出品物は、性懲りも無く、また性懲りも無く、名古屋の時にも出した”例のアレ”。
 と、名古屋の時の新刊の、「瀬戸川家で語る駅メモ」。…沖縄は鉄道ゆいレールしか無いから、駅メモなんかやったら秒単位の争奪戦になりそうだけどね。

 そして、今回の新刊として予定しているのが、Charlotte本「S妹!ともりちゃん ぷれびゅー」。
 ぶっ壊れドS妹友利奈緒のSS本「S妹!ともりちゃん」、ということで計画していたのですが、結構構想が膨らんでしまったので、今回はプレビュー版をコピ本ということで。

 折角沖縄のイベントなのに、プレビュー版になって済まぬ。(※次は行けるかどうかすらわからぬ故)

 ということで。以上3点を出す予定です。

 沖縄だから、コンベンションへの行き方は説明する必要無いよね!?


沖縄の戦後史を整理する


 自民党安倍一派が嘘八百田尚樹を招いて行った「勉強会」(実際には自己満足会としか思えないが…)で、またしても沖縄の戦後史に関するデマがクローズアップされているので、自分なりにまとめておく。
 まあ、自分が書かなくてもこの手の文献一杯あるから…と思って書くの控えていたのだが、やはり書かないと駄目だ。たとえ読むのが5~6人しかいなくても。
 本来なら参考資料を引用しながら書きたい所なんだが、その参考資料をきちんと保管していないという愚行を犯してしまったために、「どの参考資料」というのが明示できないのは申し訳ない、というのはあらかじめ申し上げておく。まあ、だいたい沖縄県内で発行されている書籍や新聞がベースだ。
 まずは、沖縄の「終戦」後の歴史から。一部の人はさすがにご存じだろうが、沖縄県内の「終戦」は、本土より約2ヶ月ほど早い。いや、実態を見れば、終戦などでは無く完全たる「大量殺戮に基づく殲滅状態の敗戦」なのだが。
 この大量殺戮は、米軍によるものもあれば、追い詰められた日本軍によるものも、両方ある。また、追い詰められて心神耗弱状態に陥って集団自決した例もある。もう一体どういう状態だったのか、今のネットスラングで言えば「カオス」である。たぶん多くの人には想像もつかないだろう、自分自身、とても想像がつかない。

 

 さて。このような熾烈な抵抗があったことから、(当初米軍は1945年の初頭には沖縄を制圧するつもりだったのだが、結局6月以降まで伸びてしまった)、生き残った沖縄県民や日本軍捕虜を大変に警戒していた。
 米軍による沖縄占領は(日本本土とは違って)一斉に行われたわけでは無く、まず本島周辺の太平洋・東シナ海からの海軍艦船からの艦砲射撃で、ある程度本島を焼け野原にした後(※ここのところなにげに重要なので留意)、本島中部の石川市(現在のうるま市石川地区)に上陸後、南北に別れて展開して、米軍が日本軍に勝ったところから順次制圧・占領が行われていった。
 前述のように米軍は熾烈な抵抗をした日本人を警戒していたことと、また住民が住んでいたところも焼け野原になってすぐには生活できないという理由から、米軍が設定した収容所に全住民を強制移住させる、ということを行った。
 収容所と言っても、本島の当時の生き残った住民全部を収容してるわけだから規模は大変大きく、万単位の人間がそこに住んでいた。アメリカは一応は「民主主義国家」という建前を持っていたので、その何万人もいる収容所で住民自治を行わせようとし、本島に10~20くらいあった収容所を「市」と銘打って、公選首長と議会を作ろうとした。
 但し、この「市」はあくまで鉄条網で囲まれた収容所に過ぎず、「市」同士の情報のやりとりは著しく制限されていた。物資も米軍から提供されていたので商売人の行き来というのもほぼ無く、全ては米軍の提供する情報によって統制されていた。
 この情報統制の手段として使われたのが、「うるま新報」(後の琉球新報)である。
 琉球新報という名は、戦前から存在した沖縄最古の新聞社から名前をとったものであるが、戦後に新しく出来た「琉球新報」は、元々は米軍の御用新聞として出発したものである。
 ところが、新聞の記事執筆や編集にはそれなりに高度な学識が必要とされるものであり、当時の沖縄には(※日本本土もだが)それが出来る人間があまりいなかった。やむを得ず、編集長池宮城秀意の人脈を頼って、思想の是非は問わず人材をかき集める結果となった。こうして集められた人材の一人に、後に沖縄人民党委員長となる瀬長亀次郎もいた。
(※この事を以て、「沖縄の新聞は共産党に支配されている」という主張の根拠にする者もいるようである。が、そもそも戦後の琉球新報が米軍の御用新聞として出発したことを考えれば、この指摘は当たらないものと考える。
 ただ、本来米軍の御用新聞であったはずの琉球新報にある程度リベラルな記者が入ったことで、収容所「市」間の情報交換はある程度正常なものになり、収容所解放・原住地復帰運動の原点ともなった。
 また、その後「沖縄毎日」や「沖縄朝日」「沖縄タイムス」(※本土の毎日新聞や朝日新聞とは直接関係ない)といった新聞社が発足し、沖縄の言論界はそこそこ報道の自由が担保されるようになった。
(尚、現存しているのは、琉球新報と沖縄タイムスの2社のみである。)
 政党の話が出たので、沖縄の政治史についても触れておこう。
 と思ったが、長くなってしまったので、これは別文書に譲る。
 さて。収容所「市」の話に戻ろう。
 この収容所「市」は「市」を名乗ってはいるものの、鉄条網で囲まれた閉鎖集落であり、そこに収容された人々は本来住んでいた場所から隔離されていたわけである。そして、米軍の情報統制により、自分達の家や畑が今どうなっているかということは、一切知らされていなかった。
 では、実際その私有地はどうなっていたのか。ぶっちゃけ言うと、その多くが米軍基地用地として無断使用されていたのである。
 沖縄の米軍基地建設に関して「銃剣とブルドーザー」という言葉がよく用いられるが、戦前の日本軍が銃剣で脅して土地賃貸契約を結ばせたのに対し、戦後になってからは収容所の外で勝手にブルドーザーが走り回り、収容所に入れられている人達は自分達の土地で何が起きているかすら知らされず自分達の住居を勝手に基地にされてしまい、事後で「現実を追認しろとばかりに契約を結ばされた」のである。(しかも当時の地代は二束三文だったらしい。)抵抗しても弾圧され、中には虐殺された者もいた。
 まさに略奪者、山賊行為でしか無い蛮行が平然と行われていたのだ。

 

 右翼がよく引き合いに出す、「普天間基地の周りは田畑しか無かった」という主張がある。そして、その”証拠写真”なるものも提示されている。ぶっちゃけ、大嘘である
 普天間基地の周りが田畑しか無かったわけではないことは、前述の通りである。
 そして”証拠写真”とされているものは、これは終戦直後に焼け野原にされた現在の宜野湾市周辺の様子である
(※特に現在の宜野湾市や浦添市周辺は、艦砲射撃に加えて日本陸軍の陣地があった嘉数高地の攻防で沖縄戦有数の激戦になった場所であり、周りは草木も生えないほどの焼け野原になっていたのである。)
 しかも住民は全員収容所送りにされていたのだから、その時点で人が住んでいなかったのは当たり前の話なのである。そんなときの写真を持ちだして「普天間基地の周りに人はいなかった」等と言い出すのは、事実誤認を通り越してただのペテン、詐欺である。

 

 ちなみに、戦前の普天間地区並びに宜野湾地区についての補足。(おおむね、普天間基地の北側周辺が普天間地区、南側が宜野湾地区と思って貰って構わない。)
 普天間基地のあった場所は元々結構な規模の集落があった。これは前述の通りである。

ちなみにこれについて補足すると、(現在の基地北側の話になるが)、「普天間」っていうのは普天間宮という結構大きな神社が由来であり、普天間地区というのは元々そこの門前町だった。門前町がそれなりにでかい町だってのは寺社に詳しい人(右翼なら当然詳しいはずだろう)なら当然わかるはずだ。少なくとも、「周りは田んぼ」なんてのは大嘘だってのはこれだけでわかるはずだ。

 

 そして、この普天間門前町から南北に大きな松並木を供えた街道があり、その周囲にも集落が点在していた。戦前の沖縄でも、結構栄えていた場所だったのである。
 そして、現在の基地西側のあたりから豊富な湧水があり、これを利用した田芋を育てる水田が拡がっていた。この一点をもってすれば、確かに「普天間基地の周囲は田んぼだった」という主張はあっているだろう。だが、西側の一部だけの話だ。そしてしかも、土地の少ない沖縄に於いて、この田芋畑というのは当時の沖縄の貴重な食料供給源でもあったのである。だがその大半は、普天間基地の強制造成によって、潰されてしまった。
 ちなみに捕捉すると、現在も基地のさらに西側の大山地区では湧水を使った田芋農業が行われている。が、基地内部で起きている化学物質による土壌汚染によって水質が劣化し、田芋農業が危機に追い込まれている。この問題も、米軍は責任を認めようとはせず、補償どころか謝罪すらしようとしていない。
 普天間基地返還が実現した後でも、本来なら米軍の責任で原状回復をすべき所を、何もするつもりは無いと公言している始末である。
(ただ普天間基地を返還させればいいという話では無いと言うことの根拠の一つである。)
 そして、右翼がことさらに引き合いに出す、「危険な普天間基地の周りに勝手に人が住みだした」「危険な基地の周りにわざわざ小学校を建設して児童を危険にさらしている」という主張について。
 「勝手に人が棲みついた」わけでは無いことは、前述の普天間・宜野湾地区の経緯からも理解して頂けるだろう。元々自分達が住んでいた場所を追い出されたから、仕方なくその周囲に居を構えているのである。
 ついでに捕捉すると、「もっと安全な場所に移住すればいいだろう」などという弁は、もうそれこそ沖縄の実態を理解しない愚かな発言である。沖縄本島で米軍基地の影響を受けないところと言ったら、那覇以南の南部か、北部の本部今帰仁あたりくらいしか無い。当然のことながら、そういったところにも既に人は住んでいるし、ぶっちゃけ生活には不便だ。そもそも、仮にそういったところに移住したくても、移転補償など全く出なかったのだ。とりあえず近場に移動する、または近隣に住む遠戚などを頼るしか無かったのだ。
 そして、右翼が錦の御旗の如く掲げる「普天間第二小学校」の問題。だが実際の所、錦の御旗どころかバカ発見器の御印なのである。
 まず、人口が増えて子供が増えれば、小学校は増設しなければならない。これは大前提の知識である。まあ、右翼は頭が悪いからこんな事も理解出来ないだろうけど、一般の人は理解出来るだろう。
 しかし。宜野湾市は市域の大半、しかもど真ん中を普天間基地が占領しているから、小学校を建設できる場所など限られている。特に普天間第二小学校のある辺りは、数少ない普天間宮門前町の区域として残っている場所で商店や住宅が既に密集しており、小学校を建設できる場所など限られている。そこでやむを得ず、普天間基地に隣接する場所に土地が確保出来たので、そこに小学校を建設した。
 しかし、やはりあまりにも危険すぎるということで、もっと北側の「西普天間地区」(※米軍専用の住宅地で、普天間基地とは別物)の一部を返還させて、そこに小学校を移転させようという話が持ち上がった。しかし、そこには地権者(軍用地主)がいるので、彼らから土地を買い上げないといけない。米軍基地の地代はおいしいので、軍用地主は高値で無いと土地を手離そうとはしない。
 そこで、宜野湾市は国に土地購入費の財政援助を求めた。ところが国は、当時の宜野湾市政が革新市政であったことを理由に、これに何かと難癖を付けて、財政支援を拒否してしまった。その間に校舎が老朽化して建て直さないとヤバいということになり、結局元の危険な場所で校舎を建て替えざるを得なくなってしまったのである。
 つまり、国(自民党政権)が、普天間第二小学校の危険性をそのままにしたのである

ところが右翼は、これらの事実を完全無視し、それどころか全くの真逆のことを匿名掲示板やアフィブログに書き立てている始末である。

 

 さて。現在の安倍政権は、「普天間の危険性除去」を辺野古新基地建設の大義名分としている。
 そもそも辺野古新基地が出来たからと言って普天間の危険性除去が出来るのか自体が甚だ疑問なのであるが。それを脇に置くにしても、「現在の普天間の危険な状態を、詭弁を使ってそのまま辺野古近辺に持っていく」ということには変わり無い。
 尚捕捉しておくと、辺野古辺野古言われるが、実際影響を受けるのは辺野古地区だけでは無い。むしろ、辺野古より北側の名護市二見以北10区の方が、影響は深刻なのである。そして、これらの二見以北10区には、(基地反対派だからというだからか)まともな補償どころか説明すらろくすっぽ行われていない。
 (ちなみにこの辺りは、国内でも有数の風光明媚な場所で、これらをウリにしたリゾートホテルが幾つか存在するのだが、辺野古新基地が出来たらこれらのリゾートホテルは当然全滅で地元民はほぼ全員失業である…ということは以前にも書いた。基地で雇用が増えるなどというのは、真っ赤な嘘なのだ。)
 尚、この辺野古や二見のある名護市東海岸よりさらに北に東村という村があって、米軍がベトナム戦争のような住民掃討を想定した訓練施設を建設しており、それに付随した形で高江という場所にヘリパッドを建設している。これに対する反対運動もあるのだが、日本政府は反対運動弾圧のために、全然関係ない運動に参加してもいない地元の小学生まで刑事訴追するというキチガイ行為まで行っている

 

 先の沖縄県知事選で翁長現知事が高江基地反対を公約に盛り込んだことでようやく他県からも注目を集めるようになったが、それまでは殆ど注目も無く、ひたすら黙殺されてきた。

これらの事実。殆どの人は認知していなかっただろう。

 何故君たちは知らなかったのか。
 率直に言って私は、「お前らが知ろうとしなかったからだ」と言いたい。

 

右翼のデマで溢れた匿名掲示板や、それを自民党サイドに都合よくまとめたアフィブログばかりを「ネットの正しい情報」とばかりに読みあさり、沖縄からの声や、多少なりとも理解のある左翼側からの意見には、耳を塞いでしまう。聞こうとすらし無い。ただサヨクサヨクと鼻で笑うばかり。

 そういう態度が、現在の嘘と虚言にまみれた歪んだ社会をつくっているのだ。

そして、これは何も沖縄問題に限らない。派遣やワープワ、長時間労働、セクハラを通り越した性奴隷化の横行と言った労働問題にも同じ事が言えるのだということを、明言しておきたい。

 日本人は真剣に反省しろ。

 

煽りでは無い。本気の怒りを以て、私はこの言葉を全ての日本人に投げつけたい。

 


沖縄の戦後政党史(簡略)


 「沖縄の戦後史を整理する」の記事の中で書いてしまおうと思った沖縄の政党史だが、結構長くなってしまって元記事の本題からそれてしまった感があるので、別記事にしておく。

 まず「琉球新報」の話で出てきた瀬長亀二郎氏であるが、元々はリベラル左派ではあっても共産主義者では無かった。琉球新報退職後米軍からの自治権拡大を掲げて「沖縄人民党」を結成するが、当初は弱小勢力で活動資金にも窮する有様であった。

 一方、これとは別に日本共産党の支援を受けて琉球共産党が結成されていたが、米軍の弾圧下の元非合法化され地下活動を余儀なくされており、公然活動の場を探していた。この琉球共産党が人民党に合流し、瀬長亀次郎という看板と日本共産党からの人的・資金的援助の元で党勢を拡大し、瀬長を那覇市長に当選させるまでに至る。
(但し市長就任後、瀬長は経済団体との会合で我々は共産主義政党では無いと明言している。)

 だが、人民党の反米軍姿勢と容共姿勢が問題視され、米軍による那覇市の銀行口座凍結などの弾圧を経て(法的根拠の無いまま)瀬長市長は解任されてしまう。が、那覇市長時代の人気を背景にその後琉球立法院議員当選を経て、国政参加選挙では人民党公認で当選。
 その後1972年の沖縄本土復帰後、1973年に沖縄人民党は日本共産党と対等合併し、瀬長は日本共産党副委員長に就任した。

 
 一方、沖縄の政治史を語る上で最も欠かせないのが、沖縄社会大衆党である。
 もともとは「アメリカ合衆国の支援の元、琉球民族の国家建設を目指す」事を目標に結成されたが、その後米軍の暴虐ぶりを目の当たりにして路線転換し、「反米軍利権」から「対米自立」「日本復帰」へと路線を変えていった。

 もともとが反米軍利権を掲げていたことから、当初は教員を中心とする労組・左派系から穏健保守まで幅広い勢力が集まっていたが、経済界や人民党との関係等から次第に保守派が離脱し、それに従って「日本国憲法に基づいた統治が行われている日本への復帰を目指す」という方針に純化して行き、教員労組を中心とした左派政党の色彩が強くなり、本土復帰運動では人民党と協調路線を取るようになった。

 本土復帰前後に日本社会党との合同を目指す勢力が離脱、復帰後も当時の委員長が民社党に走るなどの混乱もあったが、現在も都市部の公務員労組や郡部の自治会組織を中心に根強い支持がある。また、前述のように沖縄の自民党・社会党(現・社民党)・民社党(現在自民党や民主党、公明系などに霧散)のルーツともなっている。

 これに対し、米軍との融和路線を掲げていた勢力があった。ぶっちゃけ言うと米軍利権の甘い汁を吸っていた連中なのであるが、逆に米軍からするとこれほど都合のいい勢力も無く、立法院選挙では常に米軍の全面支援を受けていた。政党組織としては(戦後当初の日本同様)いくつかの政党に別れていたが、全体としては多数派を取ることが多かった。

 上記の親米軍派と、社大党から離脱した保守派が合流して結成されたのが、民主党(琉球民主党、沖縄民主党)である。(※現在の民主党とは全く関係が無い。)
 当初は親米軍・復帰反対の立場であったが、協力関係にあった日本の自民党が沖縄復帰に傾いたたため路線転換し、沖縄自由民主党と改称し、復帰後はそのまま自由民主党沖縄県連に改組した。

 尚、復帰後に大きな分裂騒ぎを何度も繰り返しており、1990年代には中央の動きに合わせて新生党(後に新進沖縄)が分裂、またその直後に社大党系のルーツを組む西銘派が奄美の徳田虎雄氏に同調して沖縄自由連合に合流した。(西銘派はその後自民党に復帰。)
 また、2000年代に入ってJC沖縄系の下地幹郎氏が自公路線に反発して離党、地域政党のそうぞうを結成した後国民新党に合流している。
 また、記憶に新しいところでは2014年に自民党県連幹事長まで務めた那覇市長の翁長政俊氏の支持議員が辺野古移設問題を巡って除名され、翁長氏共々自民党から離脱した上で共産党や社大・社民といったかつての対立党派と組んで、知事選で翁長氏が自民党の支援を受けた現職を破り、さらに続く総選挙でも県内4選挙区を独占するという事態になっている。


屋比久康隆・瀬戸市議候補2015_街頭宣伝日程


早朝

4/22(水) 品野坂上バス停付近(品野地区南部国道248号線沿い)
地図: https://goo.gl/maps/Ide3l

4/23(木) 宮前(深川神社付近)
地図: https://www.google.co.jp/maps/place/%E6%B7%B1%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.228042,137.102667,17z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x6003687950894513:0x77d9032b7676a139

4/24(金) アピタ前(尾張瀬戸駅の近く)
地図: https://www.google.co.jp/maps/search/%E3%82%A2%E3%83%94%E3%82%BF%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%BA%97/@35.222924,137.096545,17z

4/25(土) 瀬戸駅前(尾張瀬戸駅前)
地図: https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%B0%BE%E5%BC%B5%E7%80%AC%E6%88%B8%E9%A7%85/@35.225122,137.097284,17z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x6003687e1e326ecd:0xee350fc7f11757ad

夕方

4/25(土)  宮前鳥居前街頭演説(深川神社前)
地図: https://www.google.co.jp/maps/place/%E6%B7%B1%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.228042,137.102667,17z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x6003687950894513:0x77d9032b7676a139

その他、大まかな街宣日程はこちら

21 22 23 24 25 26
火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日
早朝 瀬戸駅前 品野坂上バス停 宮前 アピタ前 瀬戸駅前

午前1 陶原 品野 本山 陶原 陶原
午前2 祖東 品野 本山 本山 陶原
午後1 本山 陶原 品野 祖東 祖東
午後2 本山 陶原 品野 祖東 品野
品野 祖東 陶原 品野 本山
(宮前・鳥居前)

屋比久選対一日目を終えて


 諸々の理由から疲れ切ってさっさと寝ようとしたのだが、眠りが浅いまま4時前に目が覚めてしまったので、BLOGの記事でも書こうと思う。
 瀬戸市議選告示日の昨日4/19、屋比久康隆候補の選対事務所で半日ほど手伝いをしてきた。2010年の沖縄県知事選以来、自分の出来る範囲で「ネット選挙」に関わってきた身であるが、実は運動員として直接参加するのは今回が初めてなのである。(今まではただの「一人勝手連」。)
 とは言っても、朝事務所で葉書の枚数チェックをしたのと、出発式KIMG0270
で旗持ちをしながらツイキャス中継をした(しかも屋外でのピントなのか露出なのかがおかしくて映像がまともに映っていない)だけ。あとは何もやることが無いので、14時過ぎには帰ってしまった。
 それでも正直、学ぶところが多かった。未経験のことは全て勉強だ、と思い知らされた。
 Twitterでちょこちょこ言っていたように、心に残った言葉が、「守破離」という弓道の基本理念である。屋比久氏は弓道の錬士五段(弓道はよくわからないが相当すごい段位らしい)なのだそうで。
 この守破離とは、まず基本を守り、次に基本を破り、最後に基本から離れる。という意味なのだそう。今の自分に最も欠けていることでは無いのか。そう思えた。

屋比久氏の経歴

  屋比久氏の経歴は、結構波瀾万丈だ。
 まず苗字からわかるように、ルーツは沖縄だ(沖縄のどこなのか、聞きそびれてしまったが)。但しご本人は、名古屋市で生まれている。
 名古屋の名城大学法学部を出て、最初は法曹の道を目指していたのだが夢叶わず、しかしその他に取った宅建やFP等の資格を生かして多治見や土岐で独立開業や社会事業などに携わっていた。2010年頃(?これも細かく確認とってない)に瀬戸に移ってきて、銀座通り商店街で沖縄料理の店「もやい処」を開業し、瀬戸の商工会議所や青年部とも関わってきた
 そして今回、共産党から瀬戸市議候補として出馬したというわけである。共産党候補としては経歴的に結構異例な方だし(※かつてこの地区からは水野高至氏という会社経営者の共産党市議もいるにはいたのだが)、沖縄系でありながら瀬戸市議、というのも異例だろう。とにかく、異色の候補なのである。
 そんな事情もあってか、各方面から相当注目されているようだ。特に、同時に行われている瀬戸市長選は、今回4人が立候補しており(参考:中日新聞「瀬戸と田原、市長選が激戦に23市議選も19日告示)、自民系が3分裂している上に民主が自民系の一人を推薦しているにもかかわらず民主党の元市議も出馬しているという、大混乱状態なのである。そんな中、今回共産党は市長選で候補を立てていないので(市議選だけで既に背水の陣なので)、逆に各陣営から(票目当てで?)熱い眼差しを送られている、と言ったところなのだろうか。
 なので、屋比久陣営出発式が始まる前から、市長候補の選挙カーや行列が通る度に、(小声ではあるが)「屋比久候補の健闘をお祈りします」とどの陣営もエールを送ってくれるある意味異常事態。(※ちなみにそのすぐ側に公明党候補の事務所が構えているのだが、そっちには特に何も言わない。まあ、投票先が決まってるんだろうけど)。口止めされたので名前は明かせないが、屋比久氏が街宣演説中にたまたま通りがかった某市長選候補者が屋比久氏に握手を求めてくるという状態である。(※何度も言うが、全員これまで共産党とは対立していた党派の人達であり、仮に当選しても共産党はクソうるさい野党になるだけなのである。)
 余談になるが、出発式の原稿を党の上の方から手直しされて自民・公明をより攻撃する内容に修正されたらしいのだが、何しろ目の前に公明党の事務所があるんだし、運動員の方の一人が「いくらなんでも公明党の事務所の目の前で、こんな公明党攻撃するようなこと言うのはねえ…」とこぼしていた。…以前にも言ったけど、愛知県では共産党と公明党(創価学会)は、そんな激しく対立はしていないのですよ…。(参考:Wikipediaでは書かれない伊勢湾台風の話

屋比久氏の政策

  さて、そんな屋比久氏であるが、訴えている政策はおおむね3つ。福祉政策と、商店街等の中小企業振興と、地域交通政策の充実。加えて、国政レベルの話になるが、安倍自民党の独裁的軍事国家路線への批判と、一億労働者層奴隷化政策への反対、と言ったところか。
 特に力を入れて訴えているのが、福祉政策。
 実は瀬戸市は財政力では全国屈指の優良自治体なのだが(企業団地とか住宅団地とかあるので)、しかし福祉に回される予算は殆ど最下位レベル。
 これは自分も実感している。何しろ自分は、ブラック企業に潰されてポンコツにされて精神障害者3級にされた身なので。なのに、名古屋市や尾張旭市では受けられる給付や支援が、瀬戸市には無い。病院への交通費も全額自腹。正直、かなり痛い。
 そして中小企業振興。これは、お店を構えている銀座通り商店街の衰退ぶりを何とかしよう、という周囲からの期待なのだと思う。
 あと、地域交通政策。これは福祉政策とも絡んでいるのだが、コミュニティバスの本数をもっと増やせとか(実際、3~4時間に一本のバスとか、利用価値あんのかと思うし)、バス停のある場所にバス用の停泊所どころか歩道すら無い問題とか、そういうのをどうにかしよう、という訴えをしている。
 と、このような訴えをしている屋比久候補。やたら「実行力!実行力!」と叫ぶばかりで、具体的に何を実行したいのかさっぱりわからない他党派の候補者よりは、遥かに魅力的だと思うのだが。
 どうだろうか。特に、若年層の皆さん。瀬戸市、このまま住みにくい町のままにしておいていいと思いますか?

他共産党候補との棲み分け、等

 一応地域割りとしては、品野・祖東・水野・本山(道泉)の各学区が担当で、他学区は原田・浅井という別の候補者の担当地区になっているのだが、勿論投票は自由なので、誰に投票して貰ってもかまわない。
 一応紹介しとくと、原田氏は荒野草途伸が小学生の頃に市議初当選したベテラン市議で、浅井氏はこの間まで共産党の市議団事務局長(秘書みたいなものか?)をやっていた人である。まあ、市政そのものに関してはこの二人の方がベテランだ。
 うん、結構長くなってしまった。私は屋比久氏の応援要員なので、あくまで「屋比久康隆に一票を」と訴えさせて頂く。
 今日4/20は、とりあえず初日が済んだし人員割り振りはもう済んでいるようなので(割り振った人が事務所に来ないとかいろいろゴタゴタしてはいるけど)、とりあえず顔を出してやること無いか訊いてから、行動を決めたいと思う。
 投票日は4/26日、日曜日。深川から4人出てるから相当厳しいという話ではあるけど、それでも目標は、敢えて、敢えて高く、トップ当選。その為にも是非ご協力を。瀬戸市民で無くとも、瀬戸市民の知り合いに、是非この記事を紹介して頂きたい。
 そして私は、これが終わったら今後の身の振り方を本気で考えようと思う。
 (4/21 一部誤字・日付間違いなどを修正しました。)

TVアニメーション「2014年」


第1話 分裂選挙
第2話 名護の変
第3話 山梨封鎖
第4話 静かなる京都の乱
第5話 八の持つ意味
第6話 オバマ、来日
第7話 「私が憲法だ」
第8話 統一戦線
第9話 幻想最後の夏
第10話 黒と黒との衝突
第11話 夢にしがみつく者達
第12話 決戦・沖縄県知事選
第13話 嵐の前の総選挙

TVアニメーション「2014年」 
1月よりQAB他にて放送開始


総選挙2014刮目


 沖縄県知事選挙から、3週間ちょっと。本来なら、今頃政治からは一旦離れて佳奈多の抱き枕とゴロンゴロンしてるはずだったのに。解散なんかしやがってクソアベ。

 とはいえ、ここで何もしないでスルーすると折角出した沖縄県知事選の結果が無効になりかねないので、もう少しだけがんばる。少しだけ。ミリ単位で。

 前回参院選からネット選挙が解禁されたので、BLOGでも堂々と候補者の応援が出来るようになった。ので、今回総選挙の候補者のうちとりわけピックアップしたい人を、紹介してみようと思う。

「四神誓鳴」沖縄県4候補

沖縄1区 赤嶺 政賢(共産)
沖縄2区 照屋 寛徳(社民)
沖縄3区 玉城 デニー(生活) 
沖縄4区 仲里 利信(無所属)

 先の沖縄県知事選で、翁長新知事当選のために共に戦った「建白書」派の人達。幸か不幸か直後に総選挙があった為、その枠組みそのまんまで総選挙突入に。
 辺野古新基地問題が改めて問われるわけだし、全国でも共産党が候補者を立てていないのは沖縄2,3,4区だけ、という全国的にも注目の選挙区…のはずなんだけど、大手マスコミは案の定ガン無視。そんなにアベの飯はうまいか。

「最弱返上」愛知県・比例東海

比例東海 本村 伸子(共産)

 愛知県のピックアップしたい候補はもっと他にいるのだが、後述に回したかったので敢えて本村さん一人で。
 昨年の参院選愛知選挙区で惜敗し、今年の初めに2年後の参院選に再挑戦するという発表がされたばかりだったのだが、近く解散があるらしいという情報から、即戦力ということで急遽比例東海の名簿1位に。専門は脱原発…と思っていたが、どうやら何でも行けるらしい。かつて八田広子元参院議員の秘書を務めていて、実務能力は折り紙付きだそう。
 ちなみに「最弱返上」というのは、愛知共産党は県議会で17年間議席が無い、いわば全国最弱状態であるため、4月の統一地方選でそれを返上するきっかねになれば、という意味を込めてのもの。

「臥薪嘗胆」”非正規”出身候補

愛知4区 高橋 祐介(共産)
愛知7区 郷右近 修(共産)
長野3区 唐沢 千晶(共産)

 愛知4区の高橋氏は臨時教員、愛知7区の郷右近氏は派遣技術者、長野3区の唐沢氏は派遣事務員。いわゆる「非正規労働者」の出身である。おそらく東京や大阪でも非正規出身の候補者はいるんだろうけど、ある程度事情を把握しているのがこの3人ということで。
 「アベノミクス」とやらが失敗した原因は幾つかあるが、大きな原因の一つが、非正規労働者という奴隷を生み出すシステムを放置して貴族だけで金が循環するシステムを作り上げておきながら、トリクルダウンなどというまやかしの論理で国民を欺いてきた。これにあるだろう。
 虚構と幻想に惑わされた愚民が支配する日本社会、それを打ち砕くためにも、是非頑張って貰いたい3名である。

「論客三強」共産党若手論客3名

比例東京  宮本 徹(共産)
比例北信越 藤野 保史(共産)
東京21区 吉岡 正史(共産)

 Twitterを見ている限りだが、「共産党の若手論客」と呼ぶに相応しいのがこの3名、と自分は見た。
 東大出身で安定した弁論力のある宮本氏、共産党政策委員会で現在の「ニュー共産党」とも言える政策作りに携わった藤野氏、技術者出身の自らの体験をふまえ論緻密な論理構成で解説と提言を行う吉岡氏。
 よそに引き抜かれやしないか、と心配になるほどの面々である。安倍晋三よ、耳かっぽじってよく聞け。三本の矢というのは、こういう人達のことを指すんだ!

「最強不敗」京都共産党

京都1区 穀田 恵二(共産)
京都4区 吉田 幸一(共産)

 いや、決して不敗などでは無いんだけど。共産党が小選挙区として議席を取ったのが、1996年総選挙の京都3区と高知1区だけなもので。
 共産党としては1区を全力で取りに行く構えのようだが、個人的には4区も取って欲しいところ。いやね、相手候補がね。派遣法審議の時にアホな質問してた奴と、参院選で落ちそうだから票回してくれと他党に泣き付くような奴なもんで、ね。

 以上。なんだけど。他にも有望な候補はいっぱいいるので、是非Webサイト見るなりTwitterアカウントフォローするなりして、発言に注目してやって下さい。


辺野古新基地で失業する人々



 上の画像。アクセル・ワールド17話の1シーンが映り込んでる奴ですが。この背景の海岸は、「辺野古ビーチ」というらしいです。

 もちろん、実際にはそんなビーチはありません。おそらくは、辺野古から大浦湾を挟んだ対岸にある、カヌチャベイリゾート内にある屋嘉ビーチをモデルにしているものと思われます。

 さて。この屋嘉ビーチがあるカヌチャベイリゾートですが。大浦湾から辺野古崎を望む眺望がウリです。
 高級リゾートホテルなので貧乏人は気軽に泊まれないのが腹立たしいところですが、巨大施設である分、地元の雇用には大いに貢献しています。経営しているのは沖縄の大手リゾートグループの、かりゆしグループです。

 ところが。このカヌチャベイ、今存亡の危機に立たされているのです。財務上の問題とかではありません。むしろ経営は好調です。なのに、日本政府によって潰されようとしているのです。

 原因は。まともに知識のある人ならもう、わかるでしょう。辺野古崎一帯を埋め立ててV字型滑走路と軍港付きの米海兵隊基地を新設しようという、”辺野古新基地”計画です。

 前述のように、カヌチャは辺野古崎の眺望がウリです。それを丸ごと埋め立てられた挙げ句、上空は海兵隊のヘリやらオスプレイやらがぶんぶん飛び交うことになる。
 高級リゾート地としては台無しです。
 ここ、高級パックツアーと企業の社員向け保養地としての借り上げが収益の柱なんですから。いや、もしかしたら、軍オタだとかその手の人が泊まるようになるかもしれません。でも、到底逃げた客の穴埋めになどならないでしょう。

 収益が悪化したら、経営は維持出来ない。最悪維持出来なくなって閉鎖。閉鎖までは行かなくても、人員整理は免れないでしょう。
 地元の雇用は壊滅です。

 なので。カヌチャは当然、新基地計画には大反対です。カヌチャの入り口には客にも通行人にも見えるように、どでかい「新基地反対!」の看板が立っています。そりゃそうですよ、死活問題だもの。
 親会社のかりゆしグループも、当然反対運動に入っていて、かりゆしグループ会長の平良朝敬氏は、1月の名護市長選でも、今回の沖縄県知事選でも、反対派の支援に回っていて、革新勢力顔負けの運動を展開しています。そりゃそうですよ、会社の存亡に係わるもの。

 「新基地が出来れば新たな雇用が生まれる」
 沖縄の(特に南部の)人ですら、そういう誤解をしている人が多いようですが。とんでもない。むしろ、基地が出来たら雇用は奪われるんです。

 他に普天間の代替先が無い、それもウソです。もっといろいろ案が出てるのに、全部日本政府が潰してまわってるんです。アメリカからは、「本当に辺野古でいいのか?」と、何度も念押しされてる位なんです。
 なんでそこまで辺野古に固執するのか、それは知りませんけどね。最近は沖縄軍用地主の半分以上が東京の人だとか、そういうところと関係あるんですかね?

 ということで。辺野古新基地は、沖縄経済にとって、百害あって一利無しなんです。
 反対するの、当たり前でしょ? バカだから騙されてる、ってんなら別だけどさ。

 11/16選挙の反対派の一覧はこちらの記事を参照して下さいな。

 以上。