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沖縄慰霊の日に寄せて(2018/6/23)


 4年前のツイートで申し訳ないが

 沖縄戦の歴史、沖縄の戦後史(占領史)、復帰後の歴史。戦前の歴史、まだ日本でなく琉球王国という独立国家だった歴史。今でも知らない人は多いけど、5年前に比べると少なくとも知ろうとする人は増えたように感じる。
 
 先ツイの話。
 自分が琉大物理学科に入ったのが1995年4月で、HT君というのは物理学科の同級生。で、彼は普天間高校の出身なんだけど、「高校までは慰霊の日は休みになるから、学校休みになってラッキーくらいにしか考えてなかった。いい機会だから自分も行きたいという事で、車出してくれることになった。県出身の学生でもそれくらいの認識が普通だった。
 
 沖縄デマの少なからぬものが、沖縄在住者から発せられているのは、彼ら自身が沖縄の歴史を知らずに育ち、ここまで来てしまった証だろう。
 10年ほど前の話ではあるが、「本土から来た観光客の方が(下調べするなどして)沖縄の文化や歴史に詳しい」などと揶揄されたものだ。

 先ツイの話に戻る。
 ひめゆり資料館は観光ルートに組み込まれているから土産物店が多くて、その中には米軍払い下げ品を売る店も混じってて、米軍の迷彩服やヘルメットを売ってた。
 牧志やコザならまだしも、ひめゆり資料館の前で。
 それが当時の沖縄の姿だった。軍用地料や基地従業員で生計を立ててる人も多く、米軍基地容認派は今から考えると信じられないくらい多かった。
 
 その空気がひっくり返ったのが、同年9月末に起きたあの事件。これもまた、一つの歴史である。どれだけの日本人が知っているだろうか?
 書いてて気づいたが、今の大学生は、この事件が起きたときまだ生まれてすらいない。
 
 


うるまちほー


 うるまちほーはですねえ。行政的にはうるま市というのですけどね。元は具志川市と石川市、与那城町、勝連町の4市町に分かれていたんですねえ。

 本土の合併市町村にもありがちなんですが、地域主義の非常に強い土地柄で、逆に保革だ左右だ自共だとかそういうのは割とどうでもいいという人が多い土地柄なんですねえ。地域主義が強いので、旧市町ごとの対立意識というのも結構ありましてですね、まあ与勝は割と仲が良いんですが、具志川と石川は仲が良くないらしいんですねえ。
 何故かというと具志川としては元々別に合併何かしなくても十分やっていけたし、それどころか埋め立て地が工業特区として沖縄随一の工業・研究施設地帯として結構栄えているんですねえ。昔は南の沖縄市や北の旧石川市が担っていた本島中部の行政機構も、最近は旧具志川市に移設される施設が結構目立ちますねえ。高速道路が通っていないので本土からの観光客には余り馴染みの無い土地ですが、人口も産業も割と栄えてる場所なんですねえ。
 一方で旧石川市はですねえ、沖縄戦の時の米軍上陸地点になったこともあって、復帰前は米軍の統治施設や関連産業があって割と栄えていたんですけど、復帰後は特にこれといった産業もなくてですねえ。どんどん財政的に苦しくなっていったんですねえ。それで、国や県の方針で、具志川市が石川市を救ってくれという話になってですねえ。でも具志川市としては折角繁栄し始めたのに一人で石川市の面倒を見るのは嫌だということになってですねえ。それで、お隣の与勝も一緒になりましょうという事で、県がまとめたんですねえ。

 与那城町と勝連町は、勝連城跡という古城跡のある与勝半島を南北に分けていた町で、何で分かれてたんだろうと不思議なくらい一体感のある地域なんですねえ。
 与勝半島の周辺には結構有人島が散らばってましてですねえ、南側にある津堅島は甘みのあることで有名な津堅にんじんの栽培地なんですねえ。この島は旧勝連町に当たるんですねえ。勝連町の東端、まあ与勝半島の先っぽとほぼ同じなんですが、そこには沖縄最大の米海軍基地であるホワイトビーチがあって、太平洋艦隊所属の原子力潜水艦の整備をここでやってるんですねえ。表向きは入港時はSLBMは積んでいないことになってるんですねえ。佐藤栄作にノーベル平和賞を取らせる為にそういう話になったんですねえ。
 
 北側には復帰直後に作られた与勝半島から平安座島に延びる海中道路というのがありましてですねえ。

 何故この海中道路が作られたかというとですねえ、平安座島に沖縄石油が石油備蓄基地を作りたかったので、その工事の為にわずか1ヶ月足らずで作ったという伝説があるんですねえ。この海中道路が出来たお陰で、平安座島周辺の有人島も車で沖縄本島と行き来できるようになって、おかげで島民が乗ってる軽自動車もちゃんとナンバープレートを取得しないといけなくなったという笑い話もあるんですねえ。
 この海中道路の途中には、現在では道の駅ならぬ海の駅というのがあるんですねえ。でも船便があるわけではなくて、結局殆どの人は車で行くんですねえ。
 
 島の中でも一番北側に伊計島という島があるんですが、ここは今はあんまり人がいないんですねえ。何故人が少ないかというと、極めて政治的な話になるんですねえ。
 昔はここにリゾートホテルがあったんですねえ。なんですけど、この島々の周辺が、実は米軍の訓練空域になってましてですね、旧勝連町にホワイトビーチという米海軍基地がありましてですね、その関係もあると思うんですけどね、とにかく米軍のヘリとかオスプレイがしょっちゅう飛び交ってるんですね。しかも通常任務じゃなくて、訓練なんですね。訓練という事は当然未熟なパイロットが操縦することも割るわけでして、昨年末にはオスプレイの夜間給油訓練に失敗して挙げ句辺野古新基地のそばの大浦湾に墜落するなんて事故を起こして、退任直前のオバマ大統領の面子を潰すなんて事までやらかしてくれましたね。そういう場所ですからね、この伊計島というところにも割と米軍のヘリが不時着するんですね。普段は農地に不時着するので沖縄防衛局がカネでもみ消したりするんですが、あるときリゾートホテルのプライベートビーチに不時着してしまいましてですね。まあ、リゾートホテルではさすがに包み隠せるわけもなく、そんな危ないホテルには泊まれないと客離れが起きて、ホテルは一回潰れてしまったんですね。ですので、ホテルで雇われていた島民も失業してしまって、ただまあ、島から出ても沖縄にはホテル一杯ありますからですね、よそに再就職した結果島を出てしまって、伊計島は一気に過疎化して、伊計小学校も廃校になってしまったんですね。
 その廃校になった伊計小学校の校舎を今再利用してるのが、カドカワ、というかカドカワと合併した旧ドワンゴが運営する通信制高校の、N高等学校なんですねえ。インターネットを使った通信制高校なので、実際には伊計島には生徒はほぼいないらしいんですけどね。

 沖縄の選挙というと米軍とか安保関係が争点になりがちですけどね。うるま市の場合は、米軍基地もあるにはあるんですけど、そこまで面積を占めてるわけでもないですし、事故や犯罪を起こしてるのは市外の基地から来てるあれなので、市長選の争点として基地問題はなかなか争点にはなりにくいでしょうねえ。
 だからこそ、本土型の就労支援や保育福祉といったことを、きちんと訴えられるかが鍵になってくるでしょうねえ。少なくとも、本土側が法制度込みで時代が激変していることを理解出来る人でないと、勝つのは難しいでしょうねえ。共産党が市政をどうのこうの言ってる連中に支援されたら、そりゃあもう却ってありがた迷惑もいいところでしょうねえ。

(もとなかぐすくそんみんとうらそえしみん だった こうやくさとしおにいさん あいちけん)


2017浦添市議選を評す


2017年2月12日に行われた浦添市議会選の結果を、改選前会派と比較して分析してみた。

改選前の会派構成は、以下のページを参照した。
http://www.city.urasoe.lg.jp/gikai/kosei.html

「てだこ」というのは、これは確か子供会を母体に当選した議員の集まりで、前回は思いがけず4議席も取って議会第1党になりそうだったので(公明党に配慮して)わざわざ会派を分けた、というように記憶している。
また、(よその市でもよくあるように)政党公認の議員が無所属議員と組んでいる会派があり、これは実質その政党の会派とみなしてよい。

これらを加味すると前回選挙の結果は以下のようであった。

公明
てだこ
仁の会
自民
共産
民主(※当時)
社民
社大
そうぞう
イノベーション21
市民の会

会派としては「てだこ」が第1と第2に会派を分けていたこともあって、2人会派が異常に多い構成になっていた。

これが、昨年6月の沖縄県議選に当山勝利氏が社大党公認で、また又吉健太郎氏が民主党公認で立候補した為、市議職から外れた。
(当山氏は県議に当選。)

その為、改選前は以下のような構成だったことになる。

公明
てだこ
仁の会
自民
共産
社民
そうぞう
イノベーション21
市民の会
民進
社大

それが今回、このような結果になった。(増減比較は、前回選挙比)

公明
共産(+1)
仁の会(-1)
自民
社民
イノベーション21
市民の会
民進(-1)
社大(-1)
維新(=そうぞう)(-1)
てだこ(-3)
{無所属新人}(+5)

(無所属新人は現時点で所属会派不明)

 今回2017年の市議選で、「てだこ」のうち2名が不出馬となったため、選挙前から-2が確定した。また、出馬した2名のうち1名も落選したため、結局「てだこ」は3減の1議席に留まる結果となった。

 公明党は公認4名全員当選で、現有4議席を維持している。浦添市には創価学会と対立する顕正会の沖縄支部がある関係で、創価学会が糸満市と並んで勢力拡大に力を注いできた場所であり、その為公明党の力が非常に強い。が、近年共産党が浦添で勢力を急拡大させている為か、今回は手堅く現状維持の選択を取ったようだ。

 赤嶺昇県議(無所属-県民の会)系列の「仁の会」は1名が落選し、2議席となった。赤嶺昇県議は民主党在籍時代に、又吉健太郎氏が市長選に出ようとした際に強硬に反対して取りやめさせた経緯があり、以来両者の間には相当な確執があったようだ。(2016年の県議選に又吉氏が民進党公認で出馬したのも、赤嶺県議との確執があってのものと聞いている。)この余波があったのかもしれない。
 一方又吉氏は今回当時に行われた市長選に、維新国会議員となった儀間光男元市長の支援を受けて出馬したが、落選している。
 
 共産党は1増で、3議席。現職2名は前回に引き続いて1,2位独占の結果になった。浦添共産党は元々西銘純恵県議(元市議)の個人的人気が非常に高く(その為市議時代にはもう一人の共産党市議との票の乖離が凄かった)、現市議のうち1名も西銘県議の息子で初当選時はトップ当選だった。(前回と今回は2位。)しかし、1,2位維持した上での1増を果たした今回は「西銘党」依存からの脱却を果たせたと言えよう。ちなみに当選した新人も含めて、共産党浦添市議は3人全員30代である。
 
 自民党は現職2名がそのまま当選。当選した無所属新人5名のうち、少なくとも3名は自民系と見られる。これを加味すると3増という事になるが、議席を維持した「イノベーション21」(若手企業経営者の会派)も実質自民系であることを考えると、同じ会派になるかはわからない。
 また、翁長県政との関係を考えて、那覇の新風会と手を組む者も現れるかもしれない。

 社民系は30代の新人が3位当選したものの、系列の無所属現職が1名落選してしまったため、±0の2議席止まりとなっている。(ちなみに社民党は、前回浦添市議選でも新人が通って現職が落ちるという結果になっている。)社会党時代は市長と県議を出していた土地柄であったが、そこまでの勢いはもはや無いということなのか、淘汰的に世代交代が推し進められているということなのか。
 
 民進系は前述のように又吉健太郎氏が県議選に出馬して市議を離職したため、改選前議席からは1のまま変わらずだが、前回選挙と比べると1議席減になる。また、当選したのも無所属現職で、公認は候補者すら立てられなかった有様である。前進の民主党時代から既に沖縄民主党は議員どころか党員すら確保出来ない壊滅状態にあり、今後も沖縄での復権は全く望めないだろう。
 
 社大系は公認だった当山勝利氏が宿願の県議当選を果たし、今回は市長選に出た又吉健太郎氏の支援に注力して、公認候補を立てなかった。系列無所属の現職が当選し、改選前議席は維持しているが、候補者を立てなかった分前回選挙よりは1減らしている。党自体が解散寸前からの立て直しの過程にあり、当分は現状維持の時代が続くのかもしれない。
 
 そうぞうは自民党を離党した下地幹郎衆院議員が作った保守系地域政党であったが、下地議員が最終的に(大阪)維新と合流し、また元浦添市長の儀間光男氏が維新比例から参院議員になったこともあって、維新に合流した。が、現職議員1人が維新公認ではなく無所属で出馬して落選しており、また公認候補も現職以外は落選し、結果としては1議席に留まる惨敗となった。2015年県議選でも、現職県議だった儀間氏の息子が維新公認で出馬して落選しており、浦添でのそうぞう-維新系の退潮ぶりが著しい。
 
 
 今回当選した新人7名のうち、実に6名が20~30代の若手である。これが今回の浦添市議選の最大の特徴と言えるだろう。党派は(おそらく)真っ二つに割れるとは言え、有権者の選択が「若手」であったことは間違いない。浦添市は子育て世代が多く平均年齢の低い土地という事情はあるが、それ故に逆に、老人世代の「若い者に希望を託す」などというノスタルジアに乗った若手進出などでは無く、現役世代の意向としての若手進出である、ということが言えよう。
 
 
 
 前回2013年の浦添市議選では、前述のように共産党の30代候補者が1,2位独占を成し遂げ、これが同年6月の東京都議選を経て7月の参院選で30代2名を含む8名当選という結果につながり、その後の共産党躍進の鏑矢となった。
 
 今回の浦添市議選は、今後の日本の進路にどのような影響を及ぼすのであろうか。
 


精神論で貧困が無くなるかよ


Google+でざっくり単文で書こうと思ったが、長文になって却って読みづらいのでこっちに上げとく。

沖縄から貧困がなくならない本当の理由(6)貧困の本質
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161001-00064429-okinawat-oki

なんだろうねこのツッコミどころの多い記事は(--;

とりあえず
> 日本全国で600戸級の分譲開発が可能な市場は、東京、大阪、そして那覇くらいしかない。
> 名古屋や福岡でも難しいかも知れない」。
> 2012年以降の那覇は東京、大阪に次ぐ第3の経済圏というくらいの勢いがある

えーっと、これ、どこ情報だよ。あ、マンションの開発担当者ですか。
とりあえず、私ついこの間名古屋は大阪を抜いて第2の経済圏になる日も近いって記事を読んだばかりなんですが。実際、不動産価格の上昇率も名古屋市が全国一で、もう名古屋市内では先行投資の余地は無くて隣の隣な瀬戸市にまで不動産業者の物色が始まってる状態なんですが。逆に大阪は不動産全然売れなくてエロゲ会社が大阪市内に自社ビル2つ持てるぐらい物件余りまくりな有様なんですが。だから橋下一派があんだけ吠えてんでしょ?
なによりまず、この「東京大阪が2大都市圏」という時代錯誤っぷりになんの疑いも持っていないこと。

次に、好景気の要因。要因そのものの指摘はまあ間違ってはいないけど、「アベノミクスによる激しい円安効果」をえらい肯定的に書いておきながら、「民主党政権時に導入された「沖縄数次ビザ」」をどえらいこき下ろしてるんだけど。
ちなみに指摘しておくと、この制度、導入当初は「那覇空港で機中一泊」という抜け道使って東京や京都行く中国人観光客もいたんだけど、その後沖縄県の努力の甲斐あって飛行機から降りて泊まって貰えるようになってるわけね今は。
あと一括交付金は、これ2010年の沖縄県知事選で野党候補の伊波洋一氏(現・参院議員)が公約として掲げたもので、当選後仲井眞知事が取り入れて実現したものなのね。辺野古移設全く関係ないのね。
観光振興にしたって、25年前の大田県政の頃からずっと力を入れてきた分野で、日本政府におんぶにだっこだったわけじゃ無い(むしろ日本政府は何もしてない)んですけど。

こんな事もご存じない?

それでよく、「この景気が沖縄県民の実力によって生み出されたものではない」とか、そんな偉そうな口きけたもんだなおい。

> 県外からの参入障壁が高く

新規事業の利益を本土企業に食われてしまうことが、むしろ問題視されとったんですが。少なくとも、自分が浦添にいた頃は。

> 沖縄社会に根深く存在する、「自分だけが目立ってはいけない」という人間関係への繊細な配慮

んなもん沖縄にねーし…。は? マジで、は? どこの県のこと言ってんの????

> 補助金で社会は再生しない

あんたの話の一体どこに補助金が出てきたの? むしろ、日本政府の沖縄振興策は補助金を使ってない、ってはっきり書いてんじゃん。

なんかもう、文章が支離滅裂すぎて、こっちも箇条書き程度でもこんだけ長いツッコミ文になったんですけど。

とりあえず沖縄の貧困はインフラ未整備に寄るところが結構大きいと思うよ。東京とは違う。
で、インフラ整備しようとすると那覇じゃもう土地が無い浦添や宜野湾は基地が邪魔、だから米軍基地出てけ、って話になってんでしょ。辺野古にしたって、狭い沖縄いずれ発展が名護にまで及んだときに、確実に邪魔になるに決まってんでしょーが。米軍は一度居着いたら簡単に出てかないんだから。

精神論なんかじゃなく。


標的の沖縄


 12年前の2004年8月13日、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学構内に米軍のヘリが墜落し、校舎の壁に激突した。この時沖国大は丁度前期試験が終わって夏休みに入った直後であり、幸いにも死傷者は出なかった。これがあと数日早かったら、学内には在学する殆どの学生がいたであろうし、その後の展開も含めて想像もつかない大惨事になっていたことは想像に難くない。
 沖縄国際大学は民有地であり、捜査権限は当然のことながら沖縄県警にある。消防活動の義務と権限は宜野湾消防本部にある。この両者は、ヘリが墜落して真っ先に現場に駆けつけ、宜野湾消防は消火活動、沖縄県警は操作活動を始めた。
 
 だがこの後、米軍並びに日本政府によって行われた蛮行を、我々は忘れてはならない。

 この後、当時の日米地位協定に照らし合わせても敷地内に対して捜査権限どころか立ち入り権限すら有しない米軍部隊が、沖国大当局の許可を得ることもなく無断で沖国大敷地内に立ち入り、挙げ句先に来ていた宜野湾消防と沖縄県警を追い出して、事故現場を勝手に封鎖してしまった。
 外国軍が、条約の規定を無視して民有地に無断で立ち入り、しかも日本国の国権たる防災・捜査活動を排除して、日本の民有地を不法占拠してしまったのである。これは、米軍による日本への侵略行為に他ならない

 沖縄国際大学と宜野湾市は直ちに米軍に抗議し、沖縄県も国を通じて抗議を行った。この際、沖縄県は事態が事態だけに、県民を守る為に沖縄県警機動隊を出動させることになるかもしれない旨、日本政府に伝えていた。県民を守るべき立場にある沖縄県としては、当然の判断である。
 だが、日本政府の回答は、米軍の不法行為を黙認せよというものだった。この時の首相は小泉純一郎、内閣官房長官は安倍晋三である。

 この時の模様は、記録映画「標的の村」にも一部出てくる。
 ひたすら無表情に徹する沖縄県警の警察官と、それとは対照的に怒りと憎悪の表情を露わにする沖国大職員。ただ、どちらも気持ちは同じだっただろう。

 米軍所属ヘリの事故は沖縄ではほぼ毎年のように起きていたのだが、この事件の後、沖縄県民の感情は、(県外民の私から見ても)少し変わったように思う。「米軍ヘリ」「ヘリ事故」に対する反応が、それまでとは全く異なるようになった。
 その極致が、2013年のオスプレイ配備問題に対する”建白書”である。尚、この建白書をはねつけたのは、第2次政権首相に就いたばかりの安倍晋三である。
 この建白書の発起人となった翁長雄志那覇市長は、この後自民党を離党して沖縄革新勢力と組み、2014年沖縄県知事選で翁長氏は現職仲井眞氏を破って県知事に当選した。その後の衆議院総選挙、2016年の沖縄県議会選、参院選と、全県規模の選挙ではこの”建白書”派は勝利している。
 その原点が、この沖国大ヘリ墜落事件にあると言ってもいいだろう。

 先に挙げた「標的の村」は、東村高江に建設中の米軍ヘリパッド建設への反対運動を記録した映画である。第1次安倍内閣時の2006年に寝耳に水の話として東村にも沖縄県にも相談もなく計画すらも知らされず建設が始まったということもあるが、運動が大きく盛り上がりを見せだしたのは「ここがオスプレイの訓練場になる」という情報が流れてからである。
 現在、高江で米軍施設工事を警備しているのは、沖縄県警では無い。警視庁や千葉県警をはじめとした、他県から来た機動隊員である。

 本土の人達(私は「本土」という言い方は嫌いだが、敢えてこの言い方を使わせて貰う)は、この経緯を見てどう思うだろうか。
 中国が中国ガと騒ぐより以前に、米軍によって既に日本の国家主権が侵害されているのである。
 
 それとも、「サヨクを叩けるなら日本の国家主権は侵害されてもいい」そういうお考えだろうか?
 それとも、「サヨクの発信する情報は正しい情報ではない」と言い張って、”ネットの正しい情報”にしがみつくおつもりか?

参考文献:沖縄国際大学「米軍ヘリ墜落事件」
http://www.okiu.ac.jp/gaiyou/fall_incident/


野党共通政策システム構成図


野党共闘、特に主要4野党が共通政策を掲げて巨大与党に挑むのが、2016年参院選の構図である。とは言っても、4野党が100%同じ政策で統一しているわけでは無く、この辺りをどう説明したものか。思案に暮れていた。

とりあえず今日こういうのを思いついたのだが


まあ、普通に考えて間に合わない。(やれたら面白いとは思うのだが)

なので、とりあえずシステム構成図っぽく、4野党の共通政策と個別政策を図にまとめてみた。

20160617野党共通政策システム

SE(特にMicrosoft系)なら割とわかりやすい図だと思うのだが、SE以外にはこういう図はたぶん馴染みが無いので、どれだけ伝わるかはわからない。

尚、共通政策とは

4公約
安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回
アベノミクスによる国民生活の破壊、格差と貧困の拡大の是正
TPPや沖縄問題など、国民の声に耳を傾けない強権政治に反対
安倍政権のもとでの憲法改悪に反対

15法案
平和安全法制整備法廃止法案
国際平和共同対処事態法廃止法案
介護職員等処遇改善法案<介護・福祉職の賃上げ>
保育士処遇改善法案<保育士の賃上げ>
児童扶養手当法改正案<児童扶養手当の拡充>
労働基準法改正案<残業時間の上限規制>
畜産物価格安定法改正案<肉用牛・豚肉のコスト補償>
被災者生活再建支援法改正案<被災復興住宅支援金の上限引き上げ>
民法改正案<選択的夫婦別姓制度>
性暴力被害者支援法案
LGBT差別解消法案
政治分野における男女共同参画推進法案
法人税法改正案
会社法改正案
金融商品取引法改正案

である。

(参照:http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-06-05/2016060501_04_1.html

図面はともかくとしても。
政策の中身は、”アベノミクス”なる「三本の矢」「新三本の矢」「これまでと異なる全く新しい~~」と殻が変遷しながらも中身がnullのままの経済政策を恥ずかしげもなく掲げている自民党よりは、よっぽど立派な政策だと思いますが。

まだ耳を塞ぎますか?


じいちゃんと雪風


 熊本というと、ボンタンアメを思い出す。母方の祖父が昔繊維工場の人事部長をしていて、求人の為良く熊本に行ってお土産にボンタンアメを買ってきていたとかで、母親も私もよくボンタンアメを貰っていた。

 その祖父が海軍で駆逐艦乗りだったという話を以前Twitterでした。 


 その続きに当たる話である。

 昨年秋に2年以上待たされてようやく艦これに登録できたこともあって、この駆逐艦って具体的にどれなんだろうと思って、ちょっと調べてみた。

 私自身や、母親経由で、祖父から聞いた話の内容は、このようなものである。

・一度も撃沈されたことが無かった。
・戦艦大和と同じ艦隊にいたことがある。
・艦内で新聞を発行していた。
・戦闘中に監視員が操舵士の肩を蹴って面舵取り舵の指示を出していた。
・潜水艦を見つけると、すっ飛んでいって爆雷を投下して、速攻で逃げて戦艦の陰に隠れていた。
・米国艦船と戦闘終了後、沈む米艦相手に敬礼代わりの霧笛を鳴らしたところ、相手からも沈む直前に霧笛が帰ってきた。洋上に浮かんでいる米兵がいたが、下手に助けると捕虜収容所で酷い扱いを受けるので、缶詰などを投げてその場を去った。
・米艦隊の襲撃を受けた際に、全速力で入道雲の中に逃げ込んで難を逃れた。
・沈んだ他艦の救助した兵士が結局死亡した際に、棺桶がないので代わりに筏を組んで棺桶代わりにして、水葬した。
・どっかの島でサトウキビを大量に買い込んで予備食料にしていた。
・(自決用の?)手榴弾が艦員全員に支給されたが、外洋に出るとそれで爆弾漁をして魚を捕っていた。
・敗戦直後はイギリス軍の捕虜収容所にいた。

 これらの話を元に艦これwikiやwikipediaを調べたところ、どうやら「雪風」で間違いなさそうという結論に至った。

参考:
艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*:http://wikiwiki.jp/kancolle/?%C0%E3%C9%F7
Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E9%A2%A8_%28%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6%29
 これらの記載を基に検証すると。

・一度も撃沈され無かった
 →駆逐艦で敗戦まで生き残ったのは響と雪風のみ。
・戦艦大和と同じ艦隊にいたことがある
 →沖縄戦に向かう大和に雪風が同行しているとの記載あり。
・艦内で新聞を発行していた。
 →敗戦後雪風が引揚げ船として運用されていたときに、艦内新聞を発行していたとの記載あり。
・戦闘中に監視員が操舵士の肩を蹴って面舵取り舵の指示を出していた。
 →艦長が目視で砲弾を回避する為航海長の肩を蹴って指示を出していたとの記載あり。
・潜水艦を見つけると、すっ飛んでいって爆雷を投下して、速攻で逃げて戦艦の陰に隠れていた。
 →(特に記載を見つけられず)
・米国艦船と戦闘終了後、沈む米艦相手に敬礼代わりの霧笛を鳴らしたところ、相手からも沈む直前に霧笛が帰ってきた。洋上に浮かんでいる米兵がいたが、下手に助けると捕虜収容所で酷い扱いを受けるので、缶詰などを投げてその場を去った。
 →レイテ沖海戦の米駆逐艦ジョンストンとの話のことか?
・米艦隊の襲撃を受けた際に、全速力で入道雲の中に逃げ込んで難を逃れた。
 →(特定の記載を見つけられず)
・水葬
 →白木の棺桶で水葬したとの記載あり。これは流石に(戦時という状況を考えて)Wikipediaの記載が間違いと考えるのが自然。
・どっかの島でサトウキビを大量に買い込んで予備食料にしていた。
 →(特に記載を見つけられず) 
・(自決用の?)手榴弾が艦員全員に支給されたが、外洋に出るとそれで爆弾漁をして魚を捕っていた。
 →(特に記載を見つけられず)
・敗戦直後はイギリス軍の捕虜収容所にいた。
 →復員輸送艦絡みの話か?

 「一度も撃沈され無かった」という時点で既に二択になってしまうところが、正直絶句したが。ともあれ、「響」の方も調べたが全然エピソードが違うので、雪風で間違いないだろう。

 ちなみに、艦これでは荒野草途伸は雪風はまだ入手していないので、ゲーム中での雪風の扱いがどういうものなのかはあまりよくわからない。なので、祖父の話を含む史実のみについて語る。

 これらの話を聞いたのは、殆どが自分がまだ小学生自分の頃の話で、(記憶が確かなら)主に従兄弟がせがんで話をしていたことだったように思う。
 そうやって昔話をしているとき、爆弾漁だのサトウキビだのの話をしているときは割と楽しそうに話をしていたものだった。特にサトウキビは随分思い入れがあったのか、サトウキビがスーパーで売られているのを見ると買い込んできて、(当時もう既に糖尿病を発症していたので)祖母に怒られていた。

 が、戦闘の話はそんなに多くを語ったわけでは無かった。
 唯一詳しく話してくれたのが、アメリカ艦(駆逐艦ジョンストン)とのエピソードである。
 爆弾漁だのサトウキビ買い込みだのをしていたので、食料には割と余裕があったのだろう。wikiを読んでいると随分たくさんの兵士を救助したようだが、これも食料に余裕があったからこそ出来たことだったのだろう。(別で読んだ文献によると、助けて自艦に乗せると食料がなくなるからと沈んだ他艦の兵士を見殺しにしたケースもあったらしい。)

 (wikiによると)唯一の例外が、沖縄に向かう大和に同行していたとき、だったようだ。
 「宇宙戦艦ヤマト」が大人気だった時代だったので、従兄弟としては大和の話を聞きたがっていたが、祖父は逆に大和との話は殆ど語ろうとはしなかった。ただ、「大和はとにかく大きかった」としか語らなかった。
 ただでさえ大和撃沈の際の凄惨さは文献を当たれば簡単に伝わってくるほどのものである。加えて、それまで遭難兵は基本救助してきた雪風が、大和の時だけは見殺しにせざるを得なかったのだから、それは相当な精神的な過酷さだったのだろう。

 余談になるが、私が琉球大学に合格して沖縄に発つ前に祖父母の家を訪れたとき、祖父は部屋に引き籠もってしまって会ってはくれなかった。今思えば、「沖縄行き」というその言葉自体に、トラウマを持ってしまっていたのだろう。ただ、その当時の自分は、その事に全く気づくことが出来なかった。

 わからなかったと言えばもう一つ。小学生時分に従兄弟と話を聞いていた頃、同じ船の乗員は全員生き残ったという話を聞いたとき、私はこう尋ねた。「じゃあ、陸軍より海軍の方が安全だったの?」と。祖父は一言だけ答えた。

「船さえ沈まなければね…」

 その言葉の意味も自分には当時は理解出来なかった。というか、この文章を書く為の調べ物をして、ようやく気づいたバカタレなガキである。

 その祖父も、5年半前の2010年に亡くなった。奇しくも、私が沖縄県知事選の支援にのめり込んでいたときである。
 ただ、亡くなる直前に面会することは出来た。その時点で医者からはいつ死んでもおかしくない状態から半年以上経っていると言われている、と聞かされていた。面会した祖父は眠っていたが、私が病室に入ると目を覚ました。何か言葉を発そうとしていたが、それが何かはわからなかった。ただ、最後の最後まで、生きようとしていた。


3/27全国4箇所同時頒布会場への交通路


3/27の「S妹!ともりちゃん 中編」と「童貞を殺す友利と歩未アクリルキーホルダー」の頒布は、沖縄・名古屋・新潟・釧路、の4会場になります。
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そこで、「どうしても即売会価格で入手したい!」という方のために、主要都市から各会場への主な交通路と交通費をリストアップ致しました。


札幌:
最寄り会場:釧路(釧路市観光国際交流センター)

7:00 札幌駅
 ↓(JR特急スーパーおおぞら1号・釧路行 )
11:00 釧路駅
11:05 釧路駅前バス停
 ↓(くしろバス・65美原線(美原釧路駅前)・美原行 )
11:06 十字街7丁目バス停
 ↓(徒歩)
11:13 釧路市観光国際交流センター

片道交通費:9,060円(乗車券6,260円 特別料金2,590円、バス代210円)


仙台:
最寄り会場:新潟(新潟市産業振興センター)又は名古屋(名古屋市国際展示場)

新潟会場:
6:36 仙台駅
 ↓(東北新幹線はやぶさ2号・東京行 )
7:43 大宮駅
8:14 同
 ↓(上越新幹線Maxとき305号・新潟行 )
9:59 新潟駅
10時頃 新潟駅南口
 ↓(臨時シャトルバス)
10時半頃 新潟市産業振興センター

片道交通費:19,080円(乗車券9,610円 特別料金9,470円)

名古屋会場:
6:36 仙台駅
 ↓(東北新幹線はやぶさ2号・東京行 )
8:07 東京駅
 ↓(東海道新幹線のぞみ209号・新大阪行 )
10:01 名古屋駅(JR)
10:15 名古屋駅(あおなみ線)
 ↓(名古屋臨海高速鉄道あおなみ線・金城ふ頭行 )
10:39 金城ふ頭駅
 ↓(徒歩)
10時45分頃 名古屋市国際展示場・ポートメッセなごや

片道交通費:20,060円(乗車券10,500円 特別料金9,560円)


東京:
最寄り会場:新潟(新潟市産業振興センター)又は名古屋(名古屋市国際展示場)

新潟会場:
7:48 東京駅
 ↓(上越新幹線Maxとき305号・新潟行 )
9:59 新潟駅
10時頃 新潟駅南口
 ↓(臨時シャトルバス)
10時半頃 新潟市産業振興センター

片道交通費:10,250円(乗車券5,620円 特別料金4,430円、バス代200円)

名古屋会場:
8:40 東京駅
 ↓(東海道新幹線のぞみ157号・博多行)
10:21 名古屋駅(JR)
10:30 名古屋駅(あおなみ線)
 ↓(名古屋臨海高速鉄道あおなみ線・金城ふ頭行 )
10:54 金城ふ頭駅
 ↓(徒歩)
11時頃 名古屋市国際展示場・ポートメッセなごや

片道交通費:10,710円(乗車券6,610円 特別料金4,100円)


京都:
最寄り会場:名古屋(名古屋市国際展示場)

8:34 京都駅
 ↓(JR特急ワイドビューひだ25号・高山行)
9:55 岐阜駅
9:58 同
 ↓(JR東海道本線・浜松行)
10:25 名古屋駅(JR)
10:30 名古屋駅(あおなみ線)
 ↓(名古屋臨海高速鉄道あおなみ線・金城ふ頭行 )
10:54 金城ふ頭駅
 ↓(徒歩)
11時頃 名古屋市国際展示場・ポートメッセなごや

片道交通費:4,770円(乗車券2,940円 特別料金1,830円)


大阪:
最寄り会場:名古屋(名古屋市国際展示場)

7:47 大阪駅
 ↓(JR大阪環状線外回り・京橋・鶴橋方面 )
8:03 鶴橋駅(JR)
8:06 鶴橋駅(近鉄)
 ↓(近鉄大阪線特急・近鉄名古屋行 )
10:10 近鉄名古屋
10:30 名古屋駅(あおなみ線)
 ↓(名古屋臨海高速鉄道あおなみ線・金城ふ頭行 )
10:54 金城ふ頭駅
 ↓(徒歩)
11時頃 名古屋市国際展示場・ポートメッセなごや

片道交通費:4,790円(乗車券2,890円 特別料金1,900円)


岡山:
最寄り会場:名古屋(名古屋市国際展示場)

8:37 岡山駅
 ↓(山陽新幹線のぞみ120号・東京行 )
10:21 名古屋駅(JR)
10:30 名古屋駅(あおなみ線)
 ↓(名古屋臨海高速鉄道あおなみ線・金城ふ頭行 )
10:54 金城ふ頭駅
 ↓(徒歩)
11時頃 名古屋市国際展示場・ポートメッセなごや

片道交通費:10,700円(乗車券6,610円 特別料金4,090円)


広島:
最寄り会場:名古屋(名古屋市国際展示場)

8:00 広島駅
 ↓(山陽新幹線のぞみ120号・東京行 )
10:21 名古屋駅(JR)
10:30 名古屋駅(あおなみ線)
 ↓(名古屋臨海高速鉄道あおなみ線・金城ふ頭行 )
10:54 金城ふ頭駅
 ↓(徒歩)
11時頃 名古屋市国際展示場・ポートメッセなごや

片道交通費:10,700円(乗車券6,610円 特別料金4,090円)


福岡:
最寄り会場:沖縄

7:10 博多駅
 ↓(福岡市地下鉄空港線・福岡空港行 )
7:15 福岡空港駅
7:22 福岡空港
 ↓(スカイマーク501便 )
9:45 那覇空港
10:05 那覇空港駅
 ↓(ゆいレール・首里行 )
10:41 古島駅
 ↓(徒歩)
10時50分頃 教育福祉会館

片道交通費:23,490円


以上、ご参考にして下さい。

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”野党統一”候補の地域事情


2016年3月10日(木)徳島・高知 参院統一予定候補 野党が確認書 選挙区に大西氏 みかじり氏 比例予定候補に
(赤旗Web版) http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-10/2016031004_01_1.html

 長野、宮城、熊本に続いて4つ目。”オール沖縄”の沖縄県も含めると、5つの参院1人区で”野党共闘”が成立したことになる。

 共通点としては、熊本を除くと、比較的共産党の強い地域というところである。長野は特に南部で伝統的に共産党が強く(かつては京都並みの無双ぶりだったらしい)、沖縄は一昨年の総選挙で沖縄1区で(”オール沖縄”候補としてだが)共産党が勝っている。また、徳島高知のうち高知県も、1996年総選挙で高知1区から共産党公認候補が当選しており、県議会は現在でも共産党が第2党である。宮城は昨年の県議選で(公認ベースで)県議会第2党に躍進した経緯がある。
 そういった地域で、共産党が敢えて候補を降ろした(正確には比例に回した)、というところに意味がある。
 
 例外が熊本で、ここは大して共産党は強くない。代わりに強いのが旧社会党系で、社民党が農村部でも一定の支持があるのに加えて、旧社会党から左派が分裂した新社会党が荒尾市などの旧炭鉱地域を中心に組織を維持している。熊本は市民連合系野党共闘の第一号となったわけだが、その裏では新社会党の貢献がかなり大きかったとの話もきく。
 (元々新社会党は共産党との連携に前向きな一方で、社民党からは数年前から再統合を持ちかけられている立場にあり、調整役として適任な位置にいた。)
 
 また、前述のように沖縄は”オール沖縄”が共闘の軸になっており、他県のような市民連合系が関与したものでは無い。(その為か、市民連合系の人達は現時点では未だに沖縄では野党共闘は成立していないとみなしている。)
 
 このように、中央から見ると「野党共闘」の一言でくくられるものも、実際には地域毎に個別の事情がある。

 一番わかりやすい事例として、5選挙区の共闘への政党参加状況を見てみよう。
 (※維新の党はまだ民主党と統合していないので、一応別扱いにした。)

選挙区候補者所属政党参加状況
民主 共産 維新 社民 生活 沖縄社大 新社会 市民連合 オール沖縄
沖縄 伊波洋一 無所属          
熊本 阿部広美 無所属      
宮城 桜井充 民主党            
長野 杉尾秀哉 民主党            
徳島高知 大西聡 無所属          

 こうしてみると、今のところ「沖縄型」(沖縄)・「熊本型」(熊本、徳島高知)・「宮城型」(宮城・長野)の3つの類型に分けられる。
 国政野党の左派が旧自民と手を組んでいるのが沖縄型、野党の大勢が参加して無所属候補を推しているのが熊本型、民主党と共産党の協定に社民党も加わって民主党候補を統一候補にしているのが宮城型、である。4/24の衆院北海道5区補選も、宮城型と言えるだろう。
 
 野党共闘と言っても、「やり方は一枚岩では無い」のである。当然だ。地域にはそれぞれの事情があるのだから。事件は東京で起きているのでは無い。各県で起きているのだ。
 
 それを踏まえた上で、残る1人区の調整支援もやっていかないといけない。「この組み合わせで無いとダメ」などという押しつけを、東京や他の大都市圏の人間がやってはいけないのだ。
 (そういう意味では、今のところ5つとも加わっている共産党が、共闘から外れて独自候補を擁立する1人区も、最終的には出てくるのかもしれない。「7条件」を満たさなければ共産党は共闘しないと明言しているのだから。)
 
 そうやって得た共闘のノウハウを中央にフィードバックして貰えれば、今度は衆院小選挙区での共闘作りにも生かせるだろう。
 
 
 参院選まで4ヶ月弱。衆院解散総選挙も同時にあるかもしれない。時間は少ないが、決して不可能なレベルでは無い。
 「勝つ方法は、あきらめないこと」、である。