物理」カテゴリーアーカイブ

科学と政治が交叉するとき物語が始まる


 何故かTVも新聞も取り上げようとしない、だが重要な争点としなければならないことが、今回の総選挙にはある。
 科学と政治のあり方だ。

 人類は進歩的生命である。その粋たるものが、科学だ。科学が文明を発展させてきた。
 自然科学は工学や医学、農学の礎である。また、法学や経済学、経営学に代表される社会科学は放っておけば混沌に陥りがちな文明社会にレールを敷いてくれる。人文科学は人間の本質を追究し、またその行動を整理し記録する、謂わば文明の土台作りをしてくれる。
 人類全体にとって、科学は欠かせないものだ。
 日本学術会議の分科会では、第一群が人文・社会系、第二群が生命科学・医療系、第三群が(生物学を除く)自然科学、と分けられているらしい。だがこれらは対立するものでは無く、むしろ相補的な関係にあるのである。好き嫌いならまだしも、どれが役に立ってどれが役に立たないなどという言動は、全く意味を為さない

 鉱物資源が多いわけでも広大な農地があるわけでも無い日本は、科学を軽視して生きていくことなど出来ない。幸い、多くの日本人はここまでは理解してくれる。
 だが、何故かここでおかしな方向に走り出すものが少なくない。その中の典型例が、「科学とは、科学技術=工学(工業技術)の事だ」とばかりに、工学とそれに直接資する物理や化学を偏重する言動をとるものがいる。
 「それが何の役に立つんだ?」という頭の痛くなる言葉を、一体何百回聴かされたことであろうか。

 無論私は工業も物理も否定するつもりは毛頭ない。私はこれでも物理学科卒だ。だが、先に述べたように、科学とは相補的なものだ。本気で工学を発展させたいならば、自然科学に限らず人文社会領域でもありとあらゆる分野を底上げしていかねばならない。
 智嚢とはそのように涵養されてゆき、それが新たな発見を生み出してゆくものだ。これは勿論工学に限らず、他の全ての「科学」に対して言えることだ。

 コロナ禍においても同じ事が言えるだろう。政府が自ら任命した医学者ですら、政府与党に軽んじられるのが日本の現実だ。日本国産のワクチンがなかなか作れないのも、生命科学に於いて短期利益ばかりを追い求め基礎研究を怠ってきた結果だ。
 そして、短期利益至上主義の犠牲になっているのは、何も生命科学だけでは無い

 近年日本人若しくは日本生まれのノーベル賞受賞学者が増えているが、彼らはコメントを求められる度に、基礎研究の重要性を訴える。科学者からしたら至極当然のことなのだが、「科学=科学技術」と勘違いしている日本人、とりわけ一部の政治家には、これだけ口を酸っぱくしていっても尚届かないという事なのだろう。

 事実、今回の総選挙でも「科学技術」の振興を唱えておきながら具体策は出さず、基礎研究の充実には一切触れず、あまつさえ法で定められた日本学術会議の推薦候補を未だに任命しないという、謂わば科学サイドへの敵対行為を続けている政党がある。
 今年のノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏(※愛媛県生まれだがアメリカ国籍を取得している為現在は日本人では無い)に至っては、受賞に当たっての記者会見でこの日本学術会議の問題に関してはっきりと苦言を呈している。
 どういうわけか、これ以降真鍋氏の言動を日本のマスメディアが伝えることはなくなってしまったが。

 上述の政党に比べれば、まだずっとマシな政党は確かにある。そこそこ本気で、科学重視・科学振興を考えているのだろう。だが一方で、過去に反科学的なカルト集団を党内に引き入れそれに対して一言の反省の弁もない政党と手を組んでもいる。そこが解せない。
 また、こういう「マシな政党」であっても、下の方の候補者や地方議員、党員にまで行くと「自分は数学や物理がきらいだったから」というクソ下らない理由で科学を敵視している愚か者がいるのも、事実である。
 正確に言えば、数学や物理だけが科学では無いということをきちんと教えてこられなかったこの60年あまりの日本の教育、そしてその方針を定めてきた政治にこそ責任があるのだが。

 科学と政治のあり方。そして実際に現場と向き合う行政と科学のあり方。日本の没落とそれに拍車をかけたコロナ禍の最中の総選挙だからこそ、それを争点とし論戦を交わして貰いたかったものなのだが。それにはあまりにも、選挙期間も有権者の意識も、足りなさすぎるのだろう。

 奇跡に近い閃きを発動させる天才でも現れない限り、は。


自由研究をしてみよう


 文部科学省が、ネット個人取引会社に対して「夏休みの宿題や自由研究の出品をさせないように」という”打診”をしたらしい。この”打診”なるものが行政上どういう位置づけになるのかよくわからないが、とりあえず大手3社は文科省に従うことにしたらしい。

 しかしこの問題、そもそも「不必要な宿題を出しすぎてとても消化しきれない」という問題が根底にあるのだが、NHKはじめ老害右翼既得権益勢力は相変わらずこの件を全く報じないので、自由の戦士の一員として、この荒野草途伸が”自由研究”を無償公開してやろうと思う。

 ところで、自由とは何だ。

 自由民主党などというろくでもないものは、当然脇に置く。まあ、何故こいつらが自由の名に値しないかというのも立派な研究ではあるのだが、小中学生にはさすがにハードルが高い。
 自由党についても、まあ沖縄県知事選が近いので言及は避ける。

 政治的、義務教育でいうところの社会科的には、自由には実は二種類ある。リベラルとフリーダムだ。
 フリーダムというとガンダムSEEDでキラ・ヤマトが乗っていた機体名称がフリーダムなので、ガンダムSEED世代だとフリーダムという言葉には反感を感じる人が多いかもしれない。そして困ったことに、世代的にこいつらはだいたい小学生の親くらいの年代になってしまうのだ。
 親の機嫌を損ねたくないなら、フリーダムは避けた方がいい。

 しかし、この親世代の連中は、「ネットの正しい情報」なる、デマを振りまくブログやSNSアカウントに洗脳された世代でもあるので、「リベラル=サヨク=反日」というとんでもない図式が頭の中で完成してしまっており、安倍晋三の悪口を言うと民主党員扱いしてくる困った世代でもあるのだ。共産党ならまだしも、既に存在しない民主党扱いしてくるのは非常に面倒なことこの上ない。
 親の機嫌を損ねたくないなら、リベラルは避けた方がいい。
 

 しかし、リベラルもダメ、フリーダムもダメ、では、自由研究は出来なくなってしまう。それでは困るだろう。
 そもそも、自由研究というのは多くの場合、社会よりも理科の研究に主眼をおいていることが多い。そこで、理科的(自然科学的)な意味での自由を考えてみよう。

 物理で言うと、自由というとまず自由電子が挙げられるだろう。電子というのは本来原子核の周りを適当にうろついているものなのだが、中にはフラフラと原子核を離れてどっかにいってしまう電子もある。
 これに電圧なる圧力をかけてやると、その逆方向に進み出すのだ。自由電子なので、同調圧力には屈しないのである。
 これが、いわゆる電流である。

 電流は自由に支えられているのである。

 では、自由電子の数が増えれえば、電流の量を増やすことが出来るのだろうか?
 自由電子というのは、摩擦や熱によって増やすことが出来る。いわゆる下敷きを髪の毛にこすりつけて発生する静電気も、あれも自由電子である。この夏の猛暑を乗り切る原動力となった太陽光発電(太陽電池)も、光によって自由電子を発生させて電圧を産み出しているのである。ちなみに、この研究はかの有名なアインシュタインがーベル物理学賞を取った研究である。相対性理論でノーベル賞を取ったわけでは無いのだ。
 さて、摩擦や熱で自由電子の数が増えることはわかった。実際に100均で空いた時期やソーラーパネルでも買ってきて実験すれば良いだろう。
 では、摩擦や熱を電線に加えれば、その分自由電子の数が増えるのだから、電流は多くなるのではないか?

 答えは、NOである。自由電子の数が増えすぎると、奴らは自由だから電線内のそこら中を動き回って、電圧の同調圧力に反抗するデモ隊を妨害するのである。つまり、電流は減ってしまうのだ。逆に、冷やすと勝手に動く自由電子は減るので、電流は増える。
 実際に実験してみると良い。火を使うのは危ないので、日の当たる場所と冷凍庫の中などで比較してみると良いだろう。電流計はホームセンターで売っている。100均でも大きな所なら売ってるかもしれない。

 このように、自由電子も無秩序に増やせば良いというものでは無いのである。
 この自由電子を如何にしてうまいこと制御していくか、という事をしてきたのが、物理学や電気工学・電子工学の長い歴史なのである。その研究の積み重ねのおかげで、今あなたもPCかスマホか知らないが、このWebサイトを閲覧することが出来るのである。

 参考になっただろうか? 実験データの丸写しは科学への冒涜なので、自分でとるように。


今年は放送大学の授業を録音してたら気がついたら年が明けていたのですがこれはそれによる正月ボケの一種で


荒野草途伸「マイナスイオンは体にいいとか言うけど、マイナスイオンって要するに電子だよね? β線だよね? という事は、β線を発する機械であるところのブラウン管テレビって実は超健康器具じゃね? エコじゃね? でもエコポイント制度でブラウン管テレビは液晶テレビやLEDテレビに置き換えられちゃったよね。辛うじて電子を発するプラズマテレビは敗退したっぽいし。矛盾してないか? そういえば民主党政権になったらイオン株上がると思ってたけど大したことなかったな」
α「という事を新年早々ほざいているアホがいるわけだが」
γ「嘆かわしい、こんな奴でも国立大物理学科卒とはな」
α「そもそもイオンとは分子が電離状態になったときに、電子を余分に持つか若しくは手放すかという状態にある事を言うのだ。β線はあくまで運動量を持った電子であって、イオンではない」
γ「放射線をイオンと混同するとは、高校生でもこんな間違いはしないぞ」
β「だが待って欲しい、α線は要するに電子を放出し正電荷を帯びたヘリウム原子であるからして、陽イオンと言えなくもないのではないですか」
α「否定はしないがそれがどうしたという感じだな」
β「アルファさんだけがイオンの称号を持ちうるとは。これはなんたる不平等。これが巷で流行の格差社会というものか」
γ「アルファさんというとヨコハマ買い出し紀行を思い出すな」
α「古い上にマイナーな話題を持ち出すではないか。ところでおまわりさんひろしは今どうなっているのだ」
β「古いと言ってもKanonAIRと同時期ですよ」
γ「だがKanonAIR世代は鍵っ子の間では完全に古参扱いだがな」
α「麻枝准が36歳になったくらいだからな。ところで話を戻すが、イオンの称号はそんなに良いものか?」
β「イオンがいいと言うより放射線がイメージ悪すぎるんですよ」
γ「日本人は核アレルギー強いからな。今世紀に入って落ち着いてきてはいるが」
α「アメリカがいけないのだ。スターリンと張り合う為だけに原爆2個も落とした上に、最初の水爆被害者まで日本人から出してしまうという大失態を演じたのだからな」
γ「だがその核アレルギーのおかげで、日本の原子力技術は安全性で世界のトップレベルと認められるようになったのだ。先だってもトルコの原発計画を韓国から奪い取ったところではないか」
α「つまり核アレルギーは必要悪というわけだな」
β「そうはいってもイオンがこれだけちやほやされているのに僕達がこんな悪者扱いとか、納得いかないですよ。生化学的にはイオンの方が有害なのに」
α「もてはやされてるのはマイナスイオンだけだがな」
β「だから僕も、マイナスイオン並みにもてはやされたいんです」
γ「あきらめろ、そもそもお主の危険性は兵器利用が研究されるレベルだ」
α「そもそもお前がいけないのだ。大人しく原子核の周りを適当にうろついておればよいものを、なまじ観測可能な運動量など持つからいけないのだ」
β「アルファさんは原子核だからそんな事を言うんです。僕がどこにいようと僕の勝手でしょ」
γ「お主はフリーダムすぎる」
β「鉄板を貫通するガンマさんに言われたくないです。どこでも行き放題じゃないですか」
γ「鉛にはかなわないがな」
α「だが奇妙なものだ。物理的に最も安定とされる鉄でも化学的に最も安定とされる金でもなく、よりにもよって鉛が我々の最大の障壁であるとは。しかもその鉛自体が人体に有害だというのだから、皮肉なことこの上無しだ。」
γ「そもそも人体に有害でないモノなどこの世に存在するのか」
α「思い当たるモノが無いな」
β「情報ですら有害判定されるご時世ですからね」
α「人間とは厄介な存在だな」
γ「ところで、件のアホはどうするものであるか」
α「放置すればいいだろう。CIAにかまって欲しくてバギ星人を名乗っていたようなアホだ」
β「そんな過去もありましたね」
γ「『過去』なのか怪しいがな」
 この程度の内容を書くのに一週間もかかってしまった。新年早々これだ。年々能力が衰えている。
 ちなみにこの内容は、マイナスイオン発生機能付きの加湿器に水を補充していて思いついたのだが、ぶっちゃけマイナスイオンには全く期待していなくて、PCの隣で動かすことで気化熱でCPUとGPUの温度が下がることを期待して使用しているだけである。
 
 どっちにしろ間違っている気がしてならない。
 
--------------