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めーでー 2023 いん じゃぱん


 実は労働組合というものに入ったことがない。

 ぶっちゃけ、関わったことすら殆ど無く、最初に入ってしまったブラック企業に勤めていたときに(派遣元は沖縄に本社があったので)沖縄県労連にメールで相談したことがあるのと、13年前の沖縄県知事選の際に連合沖縄に軽く挨拶しに行ったことがある程度だ。
 つまり、沖縄の労働組合としか接点が無い。それですら、10年以上前の話だ。

 そういう意味では、メーデーというのは自分には関係の無いイベントだ。

 メーデーの由来は、一時期マルクスの誕生日だという説がTwitterで流れたが、どうもこれは「クリスマスはキリストの誕生日」並みのガセネタだったようだ。

 現在では、この説が主流らしい。
「メーデーの由来は、1886年5月1日にアメリカの合衆国カナダ職能労働組合連盟が8時間労働制を要求して行ったストライキがきっかけとされています。その後、世界的に毎年5月1日がメーデーとされており、労働者が団結して権利を要求する日となっています」
 ──Bing検索を元にしたchatGPTによる回答。

 (但し、フランスが起源だという説もどこかで見たような気がするので、この説が本当に正しいかはわからない。)

 興味深いのは、アメリカ起源説を採れば、労働者が要求していたのは賃上げでも経営権でも無く、8時間労働制だったという点だ。
 今の日本の労働者でも、賃上げよりも8時間労働制の遵守を求める声は大きい。
 言うまでもなく、ブラック企業に潰された身である荒野草途伸は、8時間労働派である。

 5年前のネット労働運動の高揚と”働き方改革”実現要求では、労働者の間でも8時間労働派と、超過勤務手当を当て込んだ長時間労働派が対立した。
 ナショナルユニオン的には連合が長時間労働派、全労連が8時間労働派に組みした。ここだけを見て、20世紀以来の日本のナショナルユニオンの対立しか頭にない専門家からは、この対立構図を連合と全労連の路線対立という問題の矮小化をされてしまった。が、実際には非組織労働者も巻き込んだ労働者同士の利害対立という、1つの歴史の節目だったのだ。

 尚、この”働き方改革”は、超過勤務手当を負担に感じていた大企業経営者の一部が8時間労働派の主張を支持したため、結局総労働時間の規制という方向性でまとまった。が、無償で労に勤しむことを美と考える自民党はこの法案を骨抜きにしてしまい、現在でも尚、長時間労働は根絶されていない。

 この3年間、コロナ禍という一種の世界大戦状態にあったために、労働者も経営者も政治家も、思考がどこか明後日の方向にとんでしまっているところはあるだろう。コロナ禍で長時間労働はむしろ悪化したのだが、それをテレワークのせいにしたがる輩などがいたせいで、何が問題なのかということをみんな忘れてしまっているように感じる。
 しかし、本気でアフターコロナを目指すのであれば、日本が抱える構造的問題である長時間労働の問題、それが今なお改善されていない現実に目を向けねばならない。

 メーデーというのは良い節目だろう。労働組合とか、そんなのは関係なく。

 


現実世界の少子化の話


 IT界隈に身を置いているせいなのか、少子化対策、と言われても実はあまりピンとこない。
 その頭数、人間である必要があるか? 自動人形で良くないか? という考えがどうしても来てしまう。
 頭数が多い方が生活や経済は豊かになる、というのは歴史が示すとおりなのだが、一方で技術力で頭数の少なさを補ってきたのも人類の歴史だ。

 ちなみに、ここでいう自動人形とは、自動制御機械とかArtificial Intelligence とか、そういった類のもののことである。日本だと、この20年あまり、生身の人間を自動人形扱いして使い潰してきて全てを台無しにしてきた不幸な歴史があるので、敢えて念押しをしておく。

 つまりは、技術の進歩を信じている我々としては、少子化という社会現象をそこまで恐れる必要は無いのでは無いか? という疑問を提示したくなる。
 もう少し正確に言えば、多産奨励を以て少子化対策としている自民党政権のやり口は大きな落とし穴がある、という話だ。

 極論を述べれば、これから生まれてくる子供が全員一生働かなかったら、どうなのか。
 我々はそれでも社会がまわるなら別に問題無いと思っているが、右の連中からしたらこんな筈じゃ無かったとなるだろう。

 実際の所、問題はもっと深刻だ。これから生まれてくる子供にしても既に生まれてきてしまった大人にしても、普通に働いたところでまともな収入なんか無い。稼ごうと思ったら死のリスクを受け入れねばならない。
 ついでに言えば、また昔話かと思われるだろうが、まともな収入も無しに死のリスクを強要されていたのが、我々氷河期世代だ。私は生き延びてしまったが。

 まあ、これから生まれてくる子供がどういう判断を下すかはわかるはずも無いのだが。多産奨励というのはあまり賢い方法とは言えない。現代日本で重要な政治テーマに据えるような話では無い。
 もしかしたら、個人の判断など許さないお国の為に働いて死ね、という方向に持って行きたい連中もいるのかもしれないし、そういう連中からしたら重要テーマなのだろうが。

 
 もちろんこれは、「少子化対策として多産奨励する」という政策についての話である。
 少子化だろうか多子化だろうが関係ない自分は子供が欲しい、と思っているのに、経済的な理由で子供が作れないというのであれば、それは政治の責任だろう。

 少子化とか多産とか関係なく、子供を支援する、というのは文明国家の責任だ。
 今の日本は、「子供」では無く「子供のいる世帯」を支援するという前提で全ての話が進んでしまっている、という事も指摘しておこう。N分N乗とかいう独身搾取制度が浮上しているのは、まさに典型例だ。

 ちなみにN分N乗方式というのは少子化対策として最近自民党方面から持ち上がってきている話である。戦後のフランスで導入された、所得税の課税単位を個人単位では無く世帯単位にすることで、子供のいる世帯に属する人間には減税する(=独身者には増税になる)という政策である。
 が、正直な話、それって因果関係ちゃんと検証されてんですか? としか言い様が無い。
 フランスがこの制度を導入したのは、1946年。第2次世界大戦が終了して、全世界的にベビーブームが起きた時代である。日本では第1次ベビーブームと呼ばれて、その時産まれた人達は団塊世代と呼ばれている。
 日本やフランスに限らず、アメリカでもドイツでもソ連でも中国でも、世界中の殆どの工業国で人口が増加した時代だ。そして、その殆どの国は、日本を含めてN分N乗方式は導入してはいない。
 一体何を以て、N分N乗方式が出生率向上に寄与したと主張するのか? というそもそも論がある。

 まあ、伝統的家族観を党是に据える自民党からしたら、世帯単位の課税という思想は魅力なのだろう。
 まさに、手段の為には目的を選ばない、という内海課長的発想だ。

 翻って、では技術力で少子化を補って行くにはどうしたらよいか。
 新技術を生み出す技術というのは、残念ながら未だに未完成だ。
 であれば、教育の向上、技術力の向上しか無い。別に技術者ではなくても、使い方ぐらいはわかります、という人間を増やしていく他無い。

 この場合も、個人単位の支援というのが重要なポイントになる。
 親の収入や価値感のせいで進学先どころか就職先も制約される、というのは我々の時代にはよくあったし、残念ながら今でもある。
 就職先まで親の収入で左右されるなんて論外だし、実際そういうのは就職差別として法律で禁止されているのだが、現実にはそういうところがまだある。
 差別を禁止したら社会が分断されるとかアホなことを言い出す右右な人間が国会議員やってるような悲惨な国なので、そういう理不尽も残ってしまうのだろう。

 それはさておき。
 家族のせいで人生をフイにするくらいなら、家を飛び出して自分の意思で動きなさい。国が支援するから。
 ぐらいのことを言うのが文明国家日本の有り様では無いのか。

 家を飛び出した人が全員高等教育を受けるはずは無いのだが、それでも今不利益を被っている人を救済していけば、それは本人の為にも社会にとっても有益だ。

 使い潰す為に埋めよ増やせよとするよりも、少子化でも救済される国の方が、よほど将来性があるのでは無かろうか。


少子化と育児問題とリスキリングと不安定な生活問題の違いを教えてください


 少子化対策とか育児支援増税とか防衛増税とか防衛費増とか反撃能力保有とかリスキリングとか賃上げとか、いろんなウンコをいっぺんに岸田自民党から投げつけられて思考停止になりそうです。もしかしたらそれが奴らに思惑なのでは無いかとも疑いたくなります。

 ひとまず、自民党の連中が育休中にリスキリングとかアホなことを言って炎上しているので、それに関連することを書きたいと思います。自民党は官僚の原稿のせいにしたがっているらしいですが、いいえ、言ったのは自民党の人間です。自民党の議員の質問を受けて自民党の総理が答弁したのが事の発端なんですから。

 さて。もう早くも1ヶ月近く前の話になりますが、今年の年賀状の中に、瀬戸に住んでいる高校の同級生からのものが1通含まれていました。結婚の報告でした。高校の同級生なので、私と同じ年齢です。もしかしたら、これでついに高校の同級生で結婚していないのは私だけになったかもしれません。
 以前から言っていることですが、私は好きで結婚してないわけでは無いということを、念押ししておきます。

 高校の同級生の方は年賀状1通しか情報が無いのでこれ以上のことは書けません。
 他には、大学の同級生で、愛知県で就職して結婚して子供2人出来た奴からも来ていました。その彼からの年賀状には、愛知に来て4月で10年になると書いてあって、ああもうそんな年月が経ったのかと遠い目になりました。

 その大学の同級生の話はたぶん以前にも書いたと思うのですが、今回の話で重要な点なので、改めて彼の略歴を書いておきます。


 彼は鹿児島県出身で、1999年に琉球大学物理学科を卒業しています。私は2浪していますが彼は現役で補欠入学しているので、私より年齢は2つ下になります。
 在学中から高校教員になると言っていました。彼に限らず琉大物理学科の卒業生はだいたいがそうです。

 しかし当時は就職氷河期で、一応公務員である教員採用試験はもの凄く狭き門でした。卒業してすぐに教員になった人間は、私の同期生ではひとりもいません。
 ついでに言うと、民間企業で就職が決まったのもたったの3人でした。40人近く卒業生がいたので、就職率は1割切っていたのです。一応は国立大学の理系学科なのに。これが就職氷河期と呼ばれる時代です

 さて、その後教員志望者は臨時教員などを務めながら何とか少しづつ採用試験に合格していったのですが、件の彼はなかなか合格できませんでした。沖縄県や鹿児島県だけで無く、九州各地で臨時教員をしながら教員採用試験を受けまくっていましたが、なかなか合格できませんでした。
 中には、臨時教員の口すら無い年もあり、長崎のソニーの工場で非正規労働者として働いていたこともありました。ちなみに、この時に現在の嫁と知り合ったようです。詳しくは知りませんが10年近く付き合っていたようです。しかし結婚は出来ませんでした

 そのうち彼は35才目前になってしまいます。殆どの県で、教員採用試験は30~35才が受験年齢上限です。彼は相当思い詰めていました。当然です。
 そんな折、愛知県教育委員会が高校教員採用試験の年齢上限を撤廃しました。私はこれを知って、彼に愛知県ならどうだと勧めてみました。その年彼は愛知県の教員採用試験を受けました。1次試験は通ったので、私は愛知県特有の事情などの面接のアドバイスもしました。その結果かどうかは知りませんが、彼は愛知県の高校教員として採用されました。

 採用後は、部活の顧問をしているので無休で土日出ているとか最近話題になっている問題の一例とかの話も聞きましたが、彼に関してはとにかく安定就職が出来た満足感の方が大きかったようです。
 そして翌年の年賀状で、結婚の報告が来ました。
 更にその次の年には、長男誕生の連絡が来ました。
 そして更に次の年には、長女誕生の連絡が来ました。

 つまり、正規雇用されて3年で、結婚して2人の子供が出来たわけです。
 繰り返しますが、嫁とは10年近く付き合っていたのに結婚もせず子供も作っていませんでした。


 この事例を見て、どう思われるでしょうか?

 大学入試風な選択問題にしてみましょうか。

問.上記の文章を読んで、少子化対策に有効と思われる政策を答えよ。

1.伝統的家族観を奨励普及させて非正規でも結婚と多子出産をするよう促す。
2.臨時教員の定員を縮小して工場非正規労働者の数を増やす。
3.非正規雇用でも結婚して子供を作るように未婚者への増税を行う。
4.安定した生活ができる正規雇用を確保できる政策を行う。
5.国立大学の卒業生にリスキリングを行う。


 正答は勿論、4です。

 留意すべきは、これはあくまでも「少子化対策」に対して有効な政策である、という事です。
 育児支援とは、全くとは言いませんが、別の問題です。
 リスキリングは、全く別問題です。リスキリングしたから正規雇用されるなんてのは、自民党の幻想です。

 正直な話、私には(現実の)子供がいないので、育児問題は余りよくわかりません。何が育児支援に有効なのかと訊かれても、答えられません。
 しかし、少子化とか結婚しない出来ない問題に何が有効化と問われれば、自信を持ってというか怒りを込めて、安定した雇用だと答えます

 賃上げよりも、こちらの方が重要です。ぶっちゃけ。

 正直に言って、立憲民主党などの野党も、ちょっとこの辺をちゃんと理解していない節はあります。
 しかし、そもそも論として全く関係無い話を「これが解決策だドヤァ」と出してくる自民党よりは、幾分マシだと私は思います。

 しかもその関係ない(当然イミも無い)話の為に増税するとかほざきだしてやがるわけです。

 少子化と全く関係無い話と言われるでしょうが、防衛増税というか反撃能力の名の下にトマホーク買う為の増税という話もあります。実際、これは少子化対策とは全く関係ないです。
 ですがこれも、そもそも必要の無い反撃能力の為に増税するとか国債増発するとか言い出してるわけでして。もしかして何か利権とか利益誘導でも絡んでいてその為に公的支出したいのかな? と勘ぐりたくなります。

 まあ自民党にどういう事情があるかはは憶測でしか物が言えないですが。確実に言えることはこれです。

国民には安定した生活が必要である。
安定した生活の為には安定した雇用が必要である。
雇用が安定すれば子供を作る人は増える。
リスキリングも反撃能力も少子化対策にはならない。

 思考停止から復帰して書いたので、今日はこのくらいで。さて、ところで私の娘の神楽ひかりがどこへ行ったのかご存知ありませんか?


例えばぼっちは議員になれるか


 秋アニメ(※2022年10-12月期放送アニメ)で、「ぼっち・ざ・ろっく」というのが放送されていた。Twitterでトレンド入りもしているので、ご存知の方も多いだろう。

 主人公の後藤ひとり=ぼっちちゃんが女子高生仲間と一緒にライブハウスでのし上がっていく話、ではある、一応。
 まず「ぼっちちゃん」というあだ名が酷すぎるというのはあるのだがそれはさておき。このぼっちちゃん、ギターの演奏配信で稼げるくらいの腕前を持っているのだが、ぼっちでコミュ障でひきこもりで空気が読めないという、およそチームとか組織とか社会に適応できなさそうな子である。
 そういうところが共感されたのか、あるいはそういう子を見て優越感に浸る人間が多いのかは知らないが、とにかく「ぼっち・ざ・ろっく」の原作コミックスは重版を重ねても追いつかないくらい売れているらしい。

 ところで、上で挙げた「ぼっち」「コミュ障」「ひきこもり」「空気が読めない」は、それぞれ症状としては全くの別物、独立した症状である。現実でも併発している人が多い為よく誤解されるが、別物である。ぼっちでもコミュ力高くてアウトドアで察しのいい人はいる。

 というより、「ぼっち」という単語自体未だネットスラングの域を出ておらず、明確な定義があるわけではない。私も細かく覚えていないが、数多くの分類がされている。

 政府レベルだと「孤独・孤立」という用語があるようだ。菅内閣の時に某野党議員が国会で質問したことがきっかけで、内閣官房に孤独・孤立対策担当室というのが設置されている。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kodoku_koritsu_taisaku/index.html

 が、元になった質問自体が「んん? んんんん?」と言いたくなるような内容だったからか、日本政府の考えている孤独孤立というのは心身障害や社会的被害者という捉え方をされているようだ。
 勿論そういった人達が少なくないのは事実である。だがぼっちという言葉の範疇で考えると、ベン図の中の円でしかない。
 ぼっちの分類の中に孤高系ぼっちというのがあるが、そういった人達からはむしろ政府が俺らの生き方に介入するなふざけるな、とすら言われるだろう。

 ただ、孤高系ばかりがぼっちでは無い。好きで孤独でいたいわけではないぼっちもいる。「ぼっち・ざ・ろっく」の中で、ぼっちちゃんのこんな台詞がある。

「空いてるんじゃないんです。空けてるんです」

 結束バンドが全然結束していなかったシーンでの台詞であるが、そうかこういう人もいるのだと改めて気づかされた。同時に、ぼっちで無い人にはなかなかその状況に気づきづらいという事も示唆しているエピソード、とも言える。

 翻って政治の話である。ぼっち対策にしろ孤立対策にしろ、間違った政策で社会を誘導してしまうととんでもないことになるので、当事者の意見を反映させることは不可欠である。
 ところがぼっち、と言うかぼっちちゃんのようなタイプのぼっちは「社会が怖い」とか言って逃げ出しかねないので、意見を汲み取るのは難しい。
 ネットでパブコメ募る程度なら意見を寄せる人もいるだろうが、これが立法措置が必要だとなった時に、統一協会の被害者救済法の時みたいに大揉めにモメて署名が必要だ請願が必要だ議員に説明が必要だ記者会見が必要だとなったときに、一体誰が表に出る当事者になるのか。

 ぼっち代表として議員を出せば、多少話は早くなるだろう。だが、議員になるには選挙で当選する必要がある。ぼっちがどうやって選挙で勝つのか。もっと正確に言えば、どうやってぼっちが組織相手に勝つのか。

 民主主義とは良く言ったもので、誰が議員になるかという事に社会の有り様が反映されている。
 ぼっちは議員になれるか。


カルト規制法に思うこと。


 昨日、カルト宗教への寄付行為に「配慮義務」を課す法律が参議院で可決し成立した。
 私は宗教2世ではあるが統一協会ではないし、記者会見にでている人ほどの深刻な経験は(この件については)していない。が、しかし他人事とも思えず気をもみながら推移を見守っていた。

 法案に賛成した議員もいれば反対した議員もいる。
 あの内容ではダメだと反対した人、無いよりはましなのだからまずは通そうという人。どちらの理由も理解できる。今回通さなければカルト宗教への規制そのものが不要という流れになっていただろう。
 一方で全会一致で可決されていれば、これで立法措置は取った統一協会もカルト宗教もこの話はおしまいもうするな、と言い出す輩が沸いて出ただろう。
 賛成多数で可決、という結果は全体で見れば妥当な結果なのだろう。

 もちろん、カルト宗教を規制する法律の話はこれで終わらない。終わらせてはならない。
 今回はマインドコントロールとはなんぞやという議論がなされることもなく、法律には書き込まれなかった。法学だけでなく宗教学心理学等の専門家も交えて、議論を望みたい。
 また、成立した法律はあくまでも寄付行為に関するものであり、(進学などの)社会的行動に制約を課すことに対する規制は全くの手つかずである。
 これら全て、来年1年かけて議論してほしい。

 さらに言えば、カルト集団というのは実際には宗教に限らない。自己啓発とかネットワークビジネスといったものもあるし、ブラック企業と言われる会社の中には、カルト的な性格を帯びているが故にそうなったところもある。
 率直に言って、どんな集団でもカルトに転落する危険性はあるのだ。政治でも、趣味の集まりでも、その辺の仲良し集団ですら、カルト集団に転落する危険ははらんでいる。
 それを防止するための法律。ガイドラインでもいい。そういうものを作る努力を止めないでもらいたい。

 来年一年、マインドコントロールとカルトについてじっくり腰を据えて議論してもらいたい。


陰キャと反革命


 コロナ対策どうすればいいか誰もわからなくてとにかく行動制限するしか無かった2年前。
 でもおかげでそれまで人間扱いされてなかった陰キャに人権が与えられた。
 ヒトリデイルコトハ正義だった。僕たちの革命だった。

 今、かつてほどの行動制限は必要無くなっている。
 それでも不満を持ちマスクを取れ黙食するな昔に戻せと叫ぶ人達を見ると、彼らは次に陰キャの人権を剥奪しろと言ってくるんだろうな、と、容易に予想がつく。


消費税減税では無く現金給付を行うべき理由


 消費税の件でTwitterで吠えたので、現時点での自分の見解をまとめておく。
 理由と題に書いたので、まずは理由を列挙しておく。

・恒常的な現金給付で社会の安定を図るべき。
・生活課税である消費税の税収は全額生活支援に充てるべき。
・財源を所得税に頼ると高額所得者がデカいツラをする。
・消費税減税は低所得者に恩恵がない。
・消費税の逆進性は1980年代のデータを元にした話。

 以下、各項目についてそれぞれメモ書きを付しておく。

・恒常的な現金給付で社会の安定を図るべき。

 2020年の一律10万円給付は失敗などではない。意味が無かったと叫んでいるのは自民党とその周辺だけ。多くの調査結果で生活支援という意味では効果があったと結論づけている。

 日本は起業が少ない挑戦者がいないと昔から言われますけど、生活の保障が無いのに誰が挑戦なんかするか馬鹿、としか言い様がないんですよね。

 生活を安定させ、社会を安定させて、初めて経済の安定がある。(※安定しない経済成長など、それはただのバブル、暴走だ。)財政は経済が安定してから立て直しの方法を議論すればいい。(※再建しなくていいとは言わない。)何が成長して何が収入源になるかなんて、最初からわかってたら苦労しませんよね?


・生活課税である消費税の税収は全額生活支援に充てるべき。

 題字通りで趣旨としてはこれ以上書くことが無いので、消費税収を全額給付による生活支援に充てた場合の試算を書いておく。

 2020年並みの10万円給付を毎月やるには、約151億円の財源が必要。全額消費税でまかなう場合、消費税率は76%にする必要がある。(※財務省公表令和4年度収支に基づき、消費税率1%につき2兆円という前提で計算。)
 消費税率を現在の10%税率を維持したまま全額給付に回した場合は、毎月1万3千円給付できる。高額所得者には雀の涙かもしれないが、月7万円で生活している人には1万円は大金である。生活支援という意味では十分意味がある。
 尚、これを課税扱いにすれば、高額所得者からはある程度回収できる。それらは別の生活支援の財源に充てる事が可能だ。よって、維新が主張するようなベーシックインカムの為の年金制度や生活保護制度などの切り捨ては必要無い。現行の福祉制度を維持したままでも定額給付は実現できる。

 ちなみに、給付対象に所得基準を設けるのは、今の日本の制度下では望ましくない。効率が悪く却ってコスト増になることと、それをやっても不公平は解消しないという2点が理由だ。
 市役所で年収判定をするときには住民税課税対象額を用いるが、これの計算には分離課税扱いの所得が入ってこない。配当や証券売買で高収入を得ている人でも給付対象になってしまい、却って不公平になる。
 課税の仕組みを別途考える必要があるが、一律に給付して課税で回収した方が公平である。

・財源を所得税に頼ると高額所得者がデカいツラをする。給付財源は全員負担の消費税の方が望ましい

 デカいツラというのはまあ感情論であるが、高額所得者がいないと生活支援が成り立たないというのは理屈はともかく現実的にあまり望ましいことではない。実際、高額所得者に有利な税制にしないと日本から出て行くと脅迫されて歪な財政社会をつくられた歴史がある。結果論としてはこんな惨状を作られるくらいなら出てって貰った方が良かったし、だからこそお前らなんか要らん出ていきたいなら出ていけ、と言えるぐらいにしておかないとただの貴族制社会になってしまう。
 所得税は教育やインフラなどの社会作りに充てる。生活支援の財源は何らかの形で全員が負担する。このような形にするのが望ましい。法人税は人間ではない存在が払う税なのでまた話が違ってくるが。

・消費税減税は低所得者に恩恵がない

 現在の消費支出が少ないのだから、支払っている消費税額も少ない。だから減税されても恩恵はない。当たり前。
 ちなみに、消費税を減税・廃止しても、生活必須経費である家賃や交通費は下がらない。
 家賃は同じ契約が続く限り上がることはあっても下がることはないのが現実。法律で決まっているわけではないが、それが実社会の現実。それ以前に、居住専用であれば消費税は非課税扱いなので、消費税がなくなっても家賃が下がるわけがない。(在宅勤務やテレワークの普及で今後この居住専用というのが焦点になってくるだろうけど。まあ税率云々とは別問題である。)
 交通費(運賃)は鉄道もバスもタクシーも届け出制(事実上の許認可制)で、消費税率とは連動しない。
 携帯電話や光回線も、総額込みの契約で支払額が消費税率とは連動していないのが実態なので、おそらくは下がらない。

・消費税の逆進性は1980年代のデータを元にした話。

 現在は生活・消費スタイルがまるで違っているので再検証するべき。特に固定費の概念がまるで違っていることに留意しなければならない。

 現在、固定費として大きいのは携帯電話。これが無いと生活にも就労にも支障が出る必須アイテムだが、1980年代には個人向けの携帯電話は存在しなかった。
 逆に1980年代当時は固定費とされていた食費や光熱水道費は、今は所得によって支出額が随分違う。固定などではない。金の無い人間がUber EATS頼んだりしない。
 逆進性云々を論じるなら、家計における固定費が今どうなっているかを精査しないと意味がない。いつまでも1987年と同じ生活をしていると思っているようでは困る。

 ちなみに、悪税とかいうレッテル貼りは、これはもう本当にお話にならない。悪税なら何で先進諸国は軒並み導入してるんですか? としか。

・財政の安定化という意味で消費税を当てにするのは筋が違う。

 生活支援に回せ、という話と被るのだが。

 消費税は生活に課せられる税である。実際にはBtoB取引への課税額も大きいが、生活に課せられる割合が多くて、影響も大きい。だからこそ天動説の如く消費税減税を唱える連中が出てきてしまうのだが。
 ただ、生活課税であれば生活支援に全額回すのが筋であって、税収の安定の為にと言うのはこれは筋が違う。借金が多いから増税したいという話なら、それは応能負担の税を増やすべきである。払える人間が払わないと借金なんて返せないでしょう? 当たり前。

 更によろしくない話として、自民党政権下のこの10年で、消費税が何に使われてるかわからない、敢えて言えばこれはてめえらの利益誘導だろと胸ぐら掴みたくなる使われ方がされてる、という状態が横行している。
 給付の是非とか生活支援のあり方は議論の余地があるにしても、こういう異常な使い方は正さなければならない。


 正直、私は経済や財政が専門ではないんで、いろいろツッコみたくなる人はいるだろう。大いに議論して貰いたい。ただ、一億総中流はとうの昔に終わったんだという事は、くれぐれも忘れないでいただきたい。


アベコクソウギ当日に歌舞音曲の類を楽しむ理由


 国葬への抗議は前日までにして今日は大人しくしていろなどという輩がいるようだが、とんでもない話だ。それこそが弔意の強制であり、我々が抵抗してきたことだ。

 コクソウギなどと言って日本国民全員を巻き込もうとするから我々は騒ぐのだ。同調圧力による支配は国であっても民間人であっても許されることではない。我々の自由を奪おうとするものの言に従う必要など無い。普段通りに言葉を駆り、歌舞音曲の類を楽しんで今日一日を過ごせば良いのだ。

 葬儀で大人しくして欲しいなら内輪でやればいい話だ。そもそも安倍晋三の葬儀は7月にとうに終わっている。


デジタル時代の新技術と権利


 ここ数日「AIによる画像生成」が話題になっている。そんな中、mimicという自動画像生成Webサービスが(たぶんこれで2回目だと思うが)騒ぎになって、一部の絵描きが過剰反応するという事態にまでなっていた。
(※mimicは現在サービス停止中)

 mimicに限らずこの手のサービス絡みの騒動は過去に何度か起きていることで、その度に「学習用に画像データを読み込ませることは違法では無い」と指摘されているのだが。わかっていない人が一部にいて、何回言わせる気だとイラッとしたので、Twitterではキツい書き方になってしまった。

 で、この件、mimicの利用規約に対する疑義もあったので、利用規約も確認した。
 こっちは確かに酷かった。この条項違法だから無効でしょ、ってくらい酷かった。

 AIが生成したデータに誰かの権利が付くかのような書き方がされていた。
 そもそもAIが生成したデータには誰の著作権も付かない。AIは人ではないから。人ならざるものが作った著作物は、作ったのがAIだろうがエテ公だろうが、著作権は付かない。(「サル カメラ 著作権」で検索するといろいろ出てくる。)
 誰にも著作権が無いから、「私が描きました」は当然通用しない。
 なのに、AI生成物に著作権が付くかのように記載されていた。

 さらに、その下の条項で、利用者は著作者人格権を放棄するとかアホなことが書いてあった。日本の著作権法では著作者人格権は放棄できないし、そもそもどの法律でも関係なく法で定められた権利を契約で否定することは許されないんですよ。労働基準法で定められた有給休暇取得の権利を契約で破棄させるのは、違法だし無効なんです。
 ちょっとこの規約誰が作ったんだと。契約で全てを支配できると思い込んでんだったら、ファンタジーライトノベルの読み過ぎだぞ。

 とまあ、あまりにも酷い利用規約なので。mimicのサービス停止はこれは当然かな、と思う。会社側がどういう認識かはわからないけど。

 とは言っても、この手のサービスはこれからもどんどん出てくるだろう。中には「週間のび太」みたいなことやり出す奴も出てくるだろうし、そんなことされたらかなわん、というのはさすがに私でもわかる。
 なのだが、現行法ではこれを止める手段が残念ながら、無い。

 この1日考えて、技術的に止める方法として、電子透かしの導入とか、真贋判定AIの構築とか、AIモデルには構築者の個性が出る点をつくだとか、いろいろ方法を考えたのだが。残念ながら足止めや時間稼ぎにはなっても、抜本的解決になるような方法は思い当たらなかった。

 法的には、著作権という制度自体がアイデアや作風画風といった無形な部分は保護しない、という鉄則があるので、著作権の枠組みで考える限りどうしても壁にぶち当たってしまう。

 しかし著作権が限界だから為す術が無いかと言ったら、そうでも無い。工業デザインやプログラムの場合は、著作権も発生するがそれとは別立てで、意匠とかプログラム特許という保護方法が用意されている。意匠や特許ではアイデアやコンセプトも保護される(というよりそっちがメイン)。

 イラストを含めシナリオとか動画とかと言ったコンテンツ分野は、もはや文化芸術の枠組みを超えて産業として成立している。であれば、そういう前提で産業財産権として著作権とは別立ての権利を用意して、そこでアイデアやコンセプトといったものはある程度保護するようにした方がいいのでは無いか。
 もちろん、著作権のような「自動発生・生きてる限り無期限」とはならず、審査した上で期限付、ということになるだろう。ここは特許・意匠も変わらない。

 新しい権利を創設することになるので、国会議員に作れと要求しても1年や2年では出来ないとは思う。が、ほったらかしてたらいつまで経ってもできないので、ハードルが高いとは思うが勉強して要求していく、という事も必要なのでは無かろうか。


ワクチン三回目接種雑感


 もう2週間前になるが、新型コロナウイルスワクチンの3回目接種(モデルナ)をした。正直まだ倦怠感が抜けないが、これは夏バテなのか後遺症なのかよくわからない。

 接種券が届いたのは5月なのだが、2回目接種(ファイザー)からまだ半年経っていなかったので、その時点で予約が出来なかったのだ。
(当時は東京政府の方針で東京と大阪にワクチンが集中配布されていたので、愛知県を含む45道府県では接種予約がなかなか出来なかった。東京の隣の神奈川県で予約が出来ないのに、東京の接種会場は人が来なくてワクチンを廃棄している、というアホなニュースもあった。)

 6月になって予約可能になっても、予定が合わなかったり体調不良やらで延ばし延ばしになり、8月になってようやく接種した次第である。何しろコロナワクチン接種は副反応が強いから、それも折り込んで予定を立てないといけない。

 Twitterでも書いたが、このワクチン副反応は普段健康で病気をしない人ほど、体感でキツく感じる傾向があるらしい。病気慣れしている人は寝込んだときの処し方が体に染みついているから、という事だろう。そんなもの染みつかない方がいい気がするので、これはどちらが良いとか一概に言えない。

 処し方の一つとして、枕元に流動食を用意しておくというのがある。

 今回私は、↑より少し多めの量を用意した。1,2回目(ファイザー)の時はこれで足りたので、少し足すぐらいで乗り切れるだろう、と高をくくっていた。

 結論を言うと、全然足りなかった。意味が無かったわけではないのだが、1日目で全部無くなってしまった。

 いやもう、副反応の症状がまるで違った。
 モデルナ製は副反応がキツい、特に4,50代男性は酷い、と聞いていたので、ある程度覚悟はしていたが、ある程度程度では甘かった。

 接種したその日の夜にもう判断力が低下。翌朝は頭痛。午後になると全身が痛い。記録も検温も出来ない、と言うかそんな考えすら頭にない。
 こんな状態でも意識ははっきりしてるんだな、と当時は思っていたが、今思えばそれが既に異世界にトリップしている状態だった。熱があるようだからと、すのこタンで頭を冷やしていた。濡れタオルとか冷えピタシートでなく。ちんちん以外全部痛い、ワクチンだけに、ギャハハハハ。とか考えていたことは覚えている。相当ヤバい。

 10年くらい前にインフルエンザの予防接種を受けた高校生が飛び降り自殺してしまうという事件が相次いだが、こういう状態だったのかもしれない。

 2日目。体感では少し症状が軽くなった、気がする。
 虹ヶ咲の優木せつ菜の生誕祭だったが、6時半ぐらいにスクスタにログインしただけという記憶しか無い。
 この時点で既に豆乳が無い。ふるさと納税で取り寄せた青森県産のりんごジュースがあったので、それで凌ぐことにする。が、飲んでも水のように味がしない。コロナ感染の症状に味覚障害があるけどこういうことか、と妙に納得。前日豆乳飲んだときはどうだったのか、そこは記憶が無い。

 検温したら38.4℃だった。少し良くなってこれか、と、愕然。1日目はもっと高かったのだろうか。測ってないからわからんけど。

 付けっぱなしにしていたニュースで、青森県のリンゴ畑が豪雨でやられたと流れていた。何という皮肉だろうか。

 3日目。熱は37.6度まで下がる。
 ソシャゲにログインできるようになるまでには回復した。ソシャゲには健康管理の役割を持たせ得るので、河野デジタル相は検討されるとよろしい。
 回復したと言っても、普段通り動けるわけではない。咳き込むと頭が痛む。普段だって病人だから人並みには動けないわけで、要するに寝込んでいることに変わりない。この状態で、ようやく1,2回目の副反応並みである。

 4日目。の、午後になってようやくそこそこ動けるようになる。
 と記憶しているのだが、具体的に何をさして動けるようになったと判断したのかは覚えていない。洗濯機を回したのかもしれない。痛みはひいたが倦怠感が酷い。

 Twitterの記録によると、5日目には副反応は消えたらしい。が、実際には今回の記録を付けようとPCに向かっても目眩や倦怠感で文章が打てず、結局それから1週間以上経った今日になってようやく文章を書いている次第である。

 さて。インフルエンザワクチンとは比較にならないほどの酷い副反応を経験したわけだが。これでも、コロナ感染時の判定基準に照らし合わせると「軽症」扱いらしい。咳き込みはしたが呼吸困難にまではなっていないので。
(※血中酸素濃度は測定機器がないのでわからない。)

 とは言っても、全身が痛むというのはこれはちょっとシャレにならん。勤務どころか日常生活にも支障をきたす。しかも今接種されているワクチンは流行しているオミクロン株に対応していないという話だ。
 これでは、こんなキツい副反応が出てはかなわんとワクチン接種しない人が出ても仕方ない。中には市中感染して無症状で免疫獲得することに賭ける人だっているのではないか。さすがに推奨はしないが、ちょっと責められない。

 マスクや黙食と同等の抑止効果をワクチンに期待するのは、期待過剰なのではないだろうか。ワクチンそのものの効果と言うより、打たない人がいるという意味で。
(冒頭で書いたように、そもそも打ちたくても打てなかった人が大勢いたのも原因の一つなのだが。)
 本気でワクチンで感染抑止したいなら、モデルナかファイザーの2択しか無いワクチンの選択肢をもっと広げて、ノババックスやスプートニクVも選択できるようにしないと行き詰まるよ。まあ、自民党の一部のセンセイがギャースカガーガー騒ぐからそれは出来ないんでしょうけどね。