歴史」カテゴリーアーカイブ

科学と政治が交叉するとき物語が始まる


 何故かTVも新聞も取り上げようとしない、だが重要な争点としなければならないことが、今回の総選挙にはある。
 科学と政治のあり方だ。

 人類は進歩的生命である。その粋たるものが、科学だ。科学が文明を発展させてきた。
 自然科学は工学や医学、農学の礎である。また、法学や経済学、経営学に代表される社会科学は放っておけば混沌に陥りがちな文明社会にレールを敷いてくれる。人文科学は人間の本質を追究し、またその行動を整理し記録する、謂わば文明の土台作りをしてくれる。
 人類全体にとって、科学は欠かせないものだ。
 日本学術会議の分科会では、第一群が人文・社会系、第二群が生命科学・医療系、第三群が(生物学を除く)自然科学、と分けられているらしい。だがこれらは対立するものでは無く、むしろ相補的な関係にあるのである。好き嫌いならまだしも、どれが役に立ってどれが役に立たないなどという言動は、全く意味を為さない

 鉱物資源が多いわけでも広大な農地があるわけでも無い日本は、科学を軽視して生きていくことなど出来ない。幸い、多くの日本人はここまでは理解してくれる。
 だが、何故かここでおかしな方向に走り出すものが少なくない。その中の典型例が、「科学とは、科学技術=工学(工業技術)の事だ」とばかりに、工学とそれに直接資する物理や化学を偏重する言動をとるものがいる。
 「それが何の役に立つんだ?」という頭の痛くなる言葉を、一体何百回聴かされたことであろうか。

 無論私は工業も物理も否定するつもりは毛頭ない。私はこれでも物理学科卒だ。だが、先に述べたように、科学とは相補的なものだ。本気で工学を発展させたいならば、自然科学に限らず人文社会領域でもありとあらゆる分野を底上げしていかねばならない。
 智嚢とはそのように涵養されてゆき、それが新たな発見を生み出してゆくものだ。これは勿論工学に限らず、他の全ての「科学」に対して言えることだ。

 コロナ禍においても同じ事が言えるだろう。政府が自ら任命した医学者ですら、政府与党に軽んじられるのが日本の現実だ。日本国産のワクチンがなかなか作れないのも、生命科学に於いて短期利益ばかりを追い求め基礎研究を怠ってきた結果だ。
 そして、短期利益至上主義の犠牲になっているのは、何も生命科学だけでは無い

 近年日本人若しくは日本生まれのノーベル賞受賞学者が増えているが、彼らはコメントを求められる度に、基礎研究の重要性を訴える。科学者からしたら至極当然のことなのだが、「科学=科学技術」と勘違いしている日本人、とりわけ一部の政治家には、これだけ口を酸っぱくしていっても尚届かないという事なのだろう。

 事実、今回の総選挙でも「科学技術」の振興を唱えておきながら具体策は出さず、基礎研究の充実には一切触れず、あまつさえ法で定められた日本学術会議の推薦候補を未だに任命しないという、謂わば科学サイドへの敵対行為を続けている政党がある。
 今年のノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏(※愛媛県生まれだがアメリカ国籍を取得している為現在は日本人では無い)に至っては、受賞に当たっての記者会見でこの日本学術会議の問題に関してはっきりと苦言を呈している。
 どういうわけか、これ以降真鍋氏の言動を日本のマスメディアが伝えることはなくなってしまったが。

 上述の政党に比べれば、まだずっとマシな政党は確かにある。そこそこ本気で、科学重視・科学振興を考えているのだろう。だが一方で、過去に反科学的なカルト集団を党内に引き入れそれに対して一言の反省の弁もない政党と手を組んでもいる。そこが解せない。
 また、こういう「マシな政党」であっても、下の方の候補者や地方議員、党員にまで行くと「自分は数学や物理がきらいだったから」というクソ下らない理由で科学を敵視している愚か者がいるのも、事実である。
 正確に言えば、数学や物理だけが科学では無いということをきちんと教えてこられなかったこの60年あまりの日本の教育、そしてその方針を定めてきた政治にこそ責任があるのだが。

 科学と政治のあり方。そして実際に現場と向き合う行政と科学のあり方。日本の没落とそれに拍車をかけたコロナ禍の最中の総選挙だからこそ、それを争点とし論戦を交わして貰いたかったものなのだが。それにはあまりにも、選挙期間も有権者の意識も、足りなさすぎるのだろう。

 奇跡に近い閃きを発動させる天才でも現れない限り、は。


東京五輪終了まで「自粛」は一時中断します


 東京五輪関係者、とりわけアメリカNBC社長の暴言と謝罪すらしない態度に抗議し、東京五輪が中止か終了するまで「自粛」を一時中断することを宣言します。

 私は元々誘致段階から東京五輪反対派でした。
 しかし、コロナ禍に伴う開催1年延期という”妥協”を開催派側がしたため、こちらも命と生活を守るという観点から曲げて東京五輪反対の畑を一度は降ろしました。

 しかし、もう我慢の限界です。

 JOC、IOC、自民党、その他諸々の失態。到底見過ごせるものではは無い。
 中でも、アメリカNBC社長が先月吐いたこの暴言は、絶対に許せるものでは無い。


東京五輪の開会式始まれば「みんなすべて忘れて楽しむ」 アメリカ向け放送権持つNBCユニバーサルCEO東京新聞 2021年6月16日 11時46分

 しかも、1ヶ月以上経った現在至っても尚、アメリカNBC社長はこの発言を撤回も謝罪もしていない。

 そんな東京五輪を、私は人道的観点から到底許すことは出来ない。
 よって、一度は降ろした「東京五輪反対」の旗を、再び掲げることをここに宣言する。

 その一環として、「東京五輪開催対策でしか無い”自粛要請”」を、東京五輪終了まで完全無視することに決めた。

 過労死寸前で踏ん張っている医療関係者に申し訳ないという気持ちは、勿論ある。だが、東京五輪関係者の一連の態度は、あなた達医療関係者をも愚弄するものだ。それへの抗議も含められている、という事で、どうか見逃して欲しい。

 というか、できれば医労連や連合系医療労組は、東京五輪開催期間中にゼネストを打って欲しい。
 それくらいの思いで下した決断だということを、ご理解願いたい。

 改めて述べる。今後、8/8若しくは途中で開催中止になるまで、いわゆる自粛行為は一切しない。
 人の目にはただ遊んでいるだけのように見えるかもしれないが、責任は全て東京五輪関係者にある。そもそも、遊びだって人間活動の一環だ。

 平和って、何でっすか?
 人間らしい生活が出来ない事を強いるイベントの、どこが平和の祭典なんですか?


12:21追記:
 勘違いしないで貰いたいのは、今回自分が宣言した”自粛一時停止”は、コロナ感染当初からいる「反自粛」とかその手の類の連中とは全く違うという事。
 あくまでも利権・侮蔑にまみれた汚れたイベント東京五輪に抗議する為の窮余の策という事であって、東京五輪が終わったら即感染予防協力の為の自粛生活に戻るのだという点は念押ししておく。


バカとウヨクと秀吉召喚



研究者「国が恣意的利用」 経産省トイレ制限訴訟 27日控訴審判決
| 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20210524/k00/00m/040/359000c

 (超党派議員立法の)LGBT法案に対して、一部自民党議員が「訴訟乱発の具にされる」でんでんという事をほざいているらしいですが。
 日本は法治国家で法に基づいて裁判を受ける権利があるはずだろという正論は、法学者や弁護士に任せるとして。

 我々正しいオタクはとりあえず、こう言いますね。


バカとテストと召喚獣を見ろ
、と。


※ほんとは風呂場が秀吉だけ分かれてるシーンの方が、上記記事にマッチしてて良かったんだけど。

 余談だけど、人民の指導的立場にあらせられる自民党様(※憲法には規定されてない)は、オタクが山田太郎参院議員を見限って立憲民主党に走り出してる事に、痛くご不満のご様子らしいですね。


米中関係、というか習トランプ関係に思う


 COVID-19対策でアメリカ合衆国に於いては、合衆国大統領ドナルドトランプは比較的迅速な対応を取った。
 特に欧州との事実上の鎖国措置は、過激すぎると当時私は思ったほどだ。だが結果としてそれは正しかった。日本政府の対応の遅さとは好対照なほどに。
 彼には十分迅速な対応を取ったという自負があるのだろうが、それが評価されていない。その苛立ちが、中国との外交やWHOへの理不尽な態度という形でぶつけられているのだろう。
 中国政府はつまらない挑発に乗る事無く、大器を以て彼に接するべきだ。台湾問題をCOVID-19に絡めるなら、習近平はドナルドトランプと結局同じだ。


祝☆東京五輪延期決定!そして諸問題の解決に向けて


東京五輪延期が決定した為、トップページのスローガンを変更致しました。

 共に反東京五輪で闘った同志のみなさん。思いはそれぞれでしょうが、少なくともこれは「負け」ではありません。

 しかし五輪が延期になっただけでは、東京五輪が抱える諸課題は解決しません。
 右翼利権が排除されたわけでもありません。
 過労死・危険な労働環境・環境汚染・学生奴隷化(ブラックボランティア)など、東京五輪が抱える諸課題は山積です。
 これらを解決していくのはこれからです。

 これからも、これらの諸問題、東京五輪に限らず日本、否世界中の問題を、この荒野草途伸が出来る範囲で解決していく事を公約致します。


人権宣言と演劇とクロちゃんと


 スタリラで西條クロディーヌの誕生日ということで、フランス革命と憲法と演劇について書いていたら、朝になってしまった。

「スタリラ」シアター画面より

 そもそもスタリラ、というかレヴュースタァライトは「演劇」がテーマのコンテンツであるが、この演劇はフランス革命を初めとする世界的な人権獲得闘争と、それを成文化した各国憲法を抜きにしては語れない。

 そもそも、スタリラ初期に登場した「三銃士」はフランス革命直前のフランス王室を舞台にした物語である。
 また宝塚歌劇の演目としても有名な、池田理恵子の漫画「ベルサイユの薔薇」もフランス革命初期が舞台である。このように、演劇とフランス革命は題材面でも縁が深い。

 フランスの歴史は革命の歴史であり、それは王制と共和制の闘争に飽き足らない。1871年にはプロイセンとの戦争の結果発足したパリ市民の自治政府(パリ=コミューン)が後の第3共和制政府との間で(共和派同士の)内戦となり、結果パリ=コミューンが滅ぼされたという歴史もある。一方で、同じく内戦から生まれた第5共和制の初代大統領ド=ゴールは労働者と学生の反独裁運動によって倒され、現在に至る民主共和政体の確立へと繋がっている。

 このような歴史的経緯から、フランスでは自由とは血の上に勝ち取ったものであるとの意識が強い。現在もパリで続いている「黄色いベスト運動」も、国家への抵抗が市民の権利との意識から運動が拡大したものである。
 フランスでは伝統的に、国家が市民の自由を侵害した際の「革命権」が市民の権利として保障されている。(ちなみに、日本敗戦時にフランスは日本の新憲法にこの革命権を入れるよう要求したが、最終的にマッカーサーによって拒否された経緯もある)。

 この点は、最終的に流血を伴わない「名誉革命」によって政体を確立したイギリスや、敗戦によって国家体制の転換を余儀なくされたドイツや日本とは大きく異なる点である。
 一方で、独立戦争によって民主共和制を獲得したアメリカは革命権という考え方に於いてはフランスと意識が共通しており、保守派の共和党支持者が主張する「銃の所持権」も、元を辿ればこの革命権の考え方が根底にある。

 フランス革命初期の1789年「人間及び市民の権利の宣言」通称フランス人権宣言がフランス国民議会で採択された。これは、イギリス権利章典、アメリカのバージニア権利宣言と並び、自然権(天賦人権)に基づいた国家基本法の礎となった。
 だが自然権思想は国家からの人民の独立を保証するに留まるものであり、個人が生存していくための手段の確保は自己責任であるとの思想が色濃く残っていた。
 国家が人として生きることを保証する「社会権」の規約化は、1919年ドイツのワイマール憲法、さらには1947年日本の日本国憲法の制定を待たねばならなかった。

 日本国憲法は、(これは元々は誤訳が原因との説もあるが)現在に至るまで主要先進国にも殆ど規定されていない「表現の自由」を憲法に明記していることが特徴であり、自然権という意味でも日本国憲法は当時の世界最高水準の人権規約であった。

 一方で、その日本国憲法制定から5年が経過した1952年に「東大ポポロ劇団事件」という「国家からの人民の独立」を問われる事件が起きた挙げ句、国家三権の一つである司法の最高府たる最高裁が国家からの自由を否定する愚行を犯すという事件も起きている。これは、当時の日本が世界最高水準の憲法を保持しながら、国民意識としては社会権のみならず自然権すら根付いていなかったことの証左である。

 演劇は演目によって政治的色彩をたぶんに含みがちであることから、日本ではその後も、公共施設の利用等に於いて数々の政治的衝突を引き起こし、憲法論争の火種となっている。

 演劇は、人権や憲法と無縁ではいられない。そういう宿命を持った芸術なのである。

 さて。国家からの人民の独立を成文憲法として完成させ革命権を規定したフランスと、経緯はともかく現代社会の発展に合わせより高い水準に人権規約を高めた憲法を持つ日本。一方で、未だ成文憲法を持たず「国王との契約」という形で人権を担保しているイギリス。
 西条クロディーヌと、愛城華恋と、神楽ひかりの3人の立ち居振る舞いに、これらの国の人権擁護と憲法、革命権のあり方を重ね合わせるのは、考えすぎであろうか。


統一地方選 #とは


 3/29から、「統一地方選」が始まります。「18歳選挙権」がスタートしてから、初めての統一地方選になります。

 だが待って欲しい。そもそも地方選とは何か? 衆院選や参院選と、一体何が違うのか? 
 そんなイマイチよくわかって人の為に、地方選挙の基本を解説します。

*自治体について復習*

 自治体というのは、中学の公民で習った「地方公共団体」の事です。忘れた人は教科書を引っ張り出して読み返しましょう。

 一言で言うと、都道府県市町村東京都特別区の8つのことです。
 「区」で地方公共団体にあたるのは、東京都特別区(いわゆる東京23区)のみです。政令指定都市の区(例えば名古屋市の中村区とか)とか、田舎の町村にたまにある区(都市部の自治会にあたる)は、地方公共団体ではありません。

 政令指定都市とは、市のうち、特別に大きくて成長性のある大都市に、道府県と同等の権限を与えるよと政府のお墨付きを貰った市です。おおむね人口100万人が目安にされています(必ずしも100万に達しているとは限りません)。

 現在、以下の20市が指定されています。

    札幌市(北海道)
    仙台市(宮城県)
    新潟市(新潟県)
    さいたま市(埼玉県)
    千葉市(千葉県)
    川崎市(神奈川県)
    横浜市(神奈川県)
    相模原市(神奈川県)
    静岡市(静岡県)
    浜松市(静岡県)
    名古屋市(愛知県)
    京都市(京都府)
    大阪市(大阪府)
    堺市(大阪府)
    神戸市(兵庫県)
    岡山市(岡山県)
    広島市(広島県)
    北九州市(福岡県)
    福岡市(福岡県)
    熊本市(熊本県)

*自治体の中の公職*

 公職というのは、公的な権限(責任)を持った人です。公務員でも指示に従って事務や業務をするだけの人は、公職とは言いません。

 自治体では、首長とその補佐役、議会議員、行政委員会の委員が、公職にあたります。
 このうち、首長と議会議員が、選挙の対象になります。

 首長とは、都道府県の場合は「知事」、市区町村の場合は「市長」「区長」「町長」「村長」のことです。
 おそらく、公職の中でも、一番馴染みのある人達でしょう。

 首長は、補佐役を任命することが出来ます。「副○○」という役職名になります。この人たちは公職ですが、選挙では無く首長の任命(議会の同意が必要)で任命されます。

 地方公共団体は、予算や条例を審議する為の「議会」を持っています。この議会のメンバーが「議会議員」です。いわゆる、「地方議員」と呼ばれる人達です。
 「都議」「道議」「府議」「県議」「市議」「区議」「町議」「村議」と言った人達は、全員この議会議員にあたります。

 行政委員会とは、自治体業務のうち政治色を廃する事が求められる業務を、首長から独立して運営する為の組織です。代表例として、公立学校の運営や文化宗教行政を担う「教育委員会」があります。
 行政委員は、農業委員会のように関係者の選挙で選ばれるものもありますが、殆どの委員会では選挙で選ばれた首長が任命します。(※但し首長には委員の解任権はありません。)

*地方選挙ってなんぞ?*

 地方選挙は、自治体の公職を選出する選挙

 ここまで述べたように、選挙の対象になるのは、首長と議会議員、一部の行政委員です。

 このうち、首長と議会議員の選挙を、「地方選挙」と呼ぶことが多い、ということなのです。

*統一地方選 #とは*

 戦前は、「自治体」というものはありませんでした。県や市は国の出先機関という位置づけでした。なので、知事は選挙では無く国が任命していました。

 戦後になって日本が民主化し、都道府県や市町村には「自治権」があると憲法に明記されました。
 これに伴い、首長や議会議員は一旦全員解任され、全国一斉に地方選挙が行われました。(※沖縄県を除く)
 これが統一地方選の始まりです。

 首長や議会議員は、全員が任期4年です。なので、初めは全国全ての自治体の選挙が、4年に一度同時に行われていました。
 しかし、何十年か経つうちに、首長が辞職したり議会が解散したりといったことがあり、だんだん選挙日程が全国一斉では無くなってきました。

 しかし、殆どの道府県や市町村では、4年に一度任期満了になります。そこでこれらの地方選挙は、国会が特別法を制定し、日程を揃えて4月に実施するようにしているのです。
 これを、統一地方選挙、とよんでいるのです。

 ちなみに、4月前半は、道府県の知事と議会議員、政令指定都市の市長と市議会議員の選挙が行われます。
 東京都はこれまでに何度か知事の辞職や議会の解散があった為、都知事や都議は統一地方選の対象にはなりません。
 一方、政令指定都市は都道府県と同格という扱いになっている為、道府県と同じ日程で市長と市議の選挙が行われます。

 4月後半には、市町村と東京都特別区の首長と議会議員の選挙が行われます。
 ただし、先程述べたように、政令指定都市の選挙は4月前半に行われるので、後半には選挙はありません。

 沖縄県は1972年まで米軍の占領支配下にあった為、戦後すぐの統一地方選挙に参加出来ませんでした。(そもそも、「琉球政府」という、全然違う自治制度でした。)
 その為、沖縄県は本土とは別に沖縄統一地方選と呼ばれる選挙が実施されます。

*地方選の選挙権*

 公職選挙法では、選挙の投票は3ヶ月居住した地で行う、と定められています。

 この為、選挙人名簿は、住民基本台帳(住民票)とは別に管理されています。多くの自治体では、コンピュータ上で毎月住民基本台帳から転記処理を行って管理しています。

 国政選挙(衆院選、参院選)は、転居して3ヶ月以内に選挙がある場合は、転居前の居住市町村で投票することになります。

 しかし、地方選挙の場合は、自治体は現住人の為の住民サービスを行う為の機関という考えから、住所(住民基本台帳への記載)が無い場合は本来選挙権はありません。転居前の自治体の選挙には本来参加出来ません。

 しかし、住民基本台帳と選挙人名簿は別に管理されている為、選挙直前に転居しても選挙人名簿に名前が残っている場合があります。この場合、投票場入場券が届いてしまいますし、実態としては投票出来てしまいます。
 逆に、選挙人名簿の更新処理のタイミングによっては、本来選挙権があるのに選挙人名簿に登載されていない、というケースもしばしばあります。

 3月4月は転勤シーズンの為、このような不都合は昔から生じていました。しかし、是正されていません。
 この辺りは、残念ながら、法制度の不備といわざるを得ません。

 2016年の参院選から選挙権が18歳以上になった為、投票日時点で満18歳になっていれば高校生にも選挙権はあります。
 ですが、統一地方選の場合は、今年の前半は4/7、後半は4/21が投票日の為、前半ですと4/2~4/7のわずか6日間の間に生まれた人か、留年した人でない限り、高校生に選挙権はありません。

 ちなみに、高校生でも何留かして25歳以上になっている場合は、選挙権だけで無く被選挙権もあります(※知事を除く)。

さいごに

 以上のように、地方選挙の基本について解説してみました。
 地元で選挙があって選挙権のある人は、忘れずに行くようにしましょう。

 統一地方選前半は3月29日告示(道府県議)・4月7日投票後半は4月14日告示・4月21日投票です。
 今年は天皇の交代がある関係で、例年より一週間早くなっているので、注意しましょう。


万博五輪所感日誌20181125


 愛知万博は、当初のテーマは産業博覧会で、天然記念物の棲む県有林を切り開いて会場を造成し、跡地は既に人口減が予測されて需要が無いことが明白な住宅団地を造成する予定だった。反対するのは初めは瀬戸市の南東部の住民だけだった。
 だが万博の問題点を糾弾し、最終盤には万博を潰す勢いで反対運動を続けたことで、テーマは環境博に変わり、主会場は既存の愛知青少年公園に変わり、跡地は瀬戸会場は自然公園に長久手会場は現在のモリコロパークとなった。
 それで愛知県の産業経済は衰退したか。否。30年以上にわたって、愛知県の好況は続いている。近年では製造業への偏重からの脱却も進んでいる。

 翻って東京や大阪はどうだろうか。東京五輪も大阪万博も、昭和ノスタルジーが生み出した幻想に過ぎない。
 とりわけ、東京五輪は東北復興の足を引っ張り過労死まで産み出す日本の癌、国難でしか無くなっている。五輪や万博の問題点から目を背け糾弾から逃げ放置する真似をすれば、この2都市は遠からず衰退するであろう。

 まあ、未来の首都名古屋からすれば、好都合な話ではあるが。


那覇軍港移設問題の経緯(Twitterリプより)


 松本浦添市長が当選した時の選挙は、対立候補が自民党から維新社民社大まで総相乗りで共産党だけが中立という異常選挙だった。松本氏は共産票(西銘票)を取り込む為軍港浦添移設反対を公約に掲げた当選したが、共産党市議団が与党に入らなかった為留保に後退。しかし支援者の反発を受けて再び反対に転ずるも、自民党衆院議員との接近で再び移設容認に転換。
 那覇市は軍港問題では浦添市と二人三脚の方針だったが、浦添市の態度が定まらない為、方針も決められず待ちぼうけ。移設遅滞城間市長の責任では無い。


沖縄一括交付金に関する補足


 一括交付金について、たぶんあまり知らない人が多いと思うので、ざっくり説明しておく。

 一括交付金(沖縄振興一括交付金)とは、国庫支出金(国から地方に交付される2種類の交付金のうちの1つ)のうち一定の範囲内で沖縄県や沖縄県内の市町村が自由に使途を決めることが出来るようにした制度で、地方交付税交付金と国庫支出金の中間に当たるとも言える制度である。
 
 ※以下、http://xatosi.info/ihawiki/doku.php?id=%E4%B8%80%E6%8B%AC%E4%BA%A4%E4%BB%98%E9%87%91より抜粋
 


 一括交付金とは、国庫支出金を大枠で交付する事によって、地方の裁量幅を広げ自治体財政を柔軟化させるための手法として提唱されているものである。

 国庫支出金は、国が地方に交付している資金のうち、使途を指定しているもののことを指す(使途を指定しないものは地方交付税交付金と呼ぶ)が、この使途が現在は非常に細かく指定されており、また金額も多すぎても少なすぎてもいけないという事になっている。この為、無駄な公共事業を行わなければならなくなったり、逆に必要な事業に資金を回せないという事態になっている。

 これを解消するため、国庫交付金は自治体毎に使途のリストと全体の金額だけを指定し、各事業への資金配分は自治体に委ねる、というのが一括交付金の発想である。

 仲井眞弘多氏、伊波洋一氏ともにこの国庫支出金の一括交付金化を求めていくとしている。

 その一方で伊波洋一氏は、宜野湾市長時代には国庫支出金の利用で、低入札価格調査制度で浮いた費用を使い指定された事業費目でまた別の事業を発注するという手法で国庫支出金を有効活用している。
 仮に県知事に就任した際には、一括交付金制度が実際に導入されるまでは、この手法を使っていくものと思われる。  


 
 上記文書にあるように、沖縄の一括交付金は元々は、2010年沖縄県知事選で左派系統一候補だった伊波洋一氏(現参院議員、沖縄の風所属)が公約として掲げたものがベースになっている
 仲井眞弘多知事も(事後であったが)これを公約に入れたため、2期目にこの一括交付金を政府に求めていくこととなった。
 
 その当時、東京政府は民主党政権が掌握しており、その民主党はマニュフェストで”一括交付金”の導入を掲げていたため、自民党政権のようにそでにすることは無く導入自体は前向きであった。が、この制度は霞が関の官僚の裁量権を奪う制度でもある為抵抗が強く、導入は難航した。
 
 この時、玉城デニーは沖縄県選出の民主党議員であった為、この”沖縄一括交付金”の導入に奔走したのである。
 
 
 この一括交付金をフル活用して、保育園の待機児童解消や鉄軌道整備の調査費用などに充てて、沖縄県経済の最下位脱出成功に導いたのが、”オール沖縄”の翁長県政である。
 
 
 つまり、この制度は(県知事選の)玉城デニー陣営が導入し活用した制度なのである。
 間違っても、自民党やその系列の人間の功績などでは無い
 
 (※いちゃもん付けられる前にあらかじめ言っておくと、仲井眞弘多氏は県知事時代こそ自民公明を与党と頼んだが、元々は大田革新県政の副知事であり、自民党の人間では無い。)