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沖縄一括交付金に関する補足


 一括交付金について、たぶんあまり知らない人が多いと思うので、ざっくり説明しておく。

 一括交付金(沖縄振興一括交付金)とは、国庫支出金(国から地方に交付される2種類の交付金のうちの1つ)のうち一定の範囲内で沖縄県や沖縄県内の市町村が自由に使途を決めることが出来るようにした制度で、地方交付税交付金と国庫支出金の中間に当たるとも言える制度である。
 
 ※以下、http://xatosi.info/ihawiki/doku.php?id=%E4%B8%80%E6%8B%AC%E4%BA%A4%E4%BB%98%E9%87%91より抜粋
 


 一括交付金とは、国庫支出金を大枠で交付する事によって、地方の裁量幅を広げ自治体財政を柔軟化させるための手法として提唱されているものである。

 国庫支出金は、国が地方に交付している資金のうち、使途を指定しているもののことを指す(使途を指定しないものは地方交付税交付金と呼ぶ)が、この使途が現在は非常に細かく指定されており、また金額も多すぎても少なすぎてもいけないという事になっている。この為、無駄な公共事業を行わなければならなくなったり、逆に必要な事業に資金を回せないという事態になっている。

 これを解消するため、国庫交付金は自治体毎に使途のリストと全体の金額だけを指定し、各事業への資金配分は自治体に委ねる、というのが一括交付金の発想である。

 仲井眞弘多氏、伊波洋一氏ともにこの国庫支出金の一括交付金化を求めていくとしている。

 その一方で伊波洋一氏は、宜野湾市長時代には国庫支出金の利用で、低入札価格調査制度で浮いた費用を使い指定された事業費目でまた別の事業を発注するという手法で国庫支出金を有効活用している。
 仮に県知事に就任した際には、一括交付金制度が実際に導入されるまでは、この手法を使っていくものと思われる。  


 
 上記文書にあるように、沖縄の一括交付金は元々は、2010年沖縄県知事選で左派系統一候補だった伊波洋一氏(現参院議員、沖縄の風所属)が公約として掲げたものがベースになっている
 仲井眞弘多知事も(事後であったが)これを公約に入れたため、2期目にこの一括交付金を政府に求めていくこととなった。
 
 その当時、東京政府は民主党政権が掌握しており、その民主党はマニュフェストで”一括交付金”の導入を掲げていたため、自民党政権のようにそでにすることは無く導入自体は前向きであった。が、この制度は霞が関の官僚の裁量権を奪う制度でもある為抵抗が強く、導入は難航した。
 
 この時、玉城デニーは沖縄県選出の民主党議員であった為、この”沖縄一括交付金”の導入に奔走したのである。
 
 
 この一括交付金をフル活用して、保育園の待機児童解消や鉄軌道整備の調査費用などに充てて、沖縄県経済の最下位脱出成功に導いたのが、”オール沖縄”の翁長県政である。
 
 
 つまり、この制度は(県知事選の)玉城デニー陣営が導入し活用した制度なのである。
 間違っても、自民党やその系列の人間の功績などでは無い
 
 (※いちゃもん付けられる前にあらかじめ言っておくと、仲井眞弘多氏は県知事時代こそ自民公明を与党と頼んだが、元々は大田革新県政の副知事であり、自民党の人間では無い。)
 


玉城デニーは何故翁長雄志の後継者となり得るか


 全米オープンテニスで、日本人の大坂なおみが優勝した。利権と搾取の臭いしかしないTOKYO2020と違い、こういうニュースは素直に嬉しいものである。
 ところで、大坂なおみは、日本人とハイチ人のハーフだそうである。まあ、「それがどうかしたか」と言われたらそれまでの話ではあるが、一昔前だとすぐ右翼勢力がこういう事を揶揄して誹謗中傷した時代があったのである。

 日本も随分と変わったものである。徐々に多様性を受け入れる社会になってきた。

 さて。本題に入ろう。

 かつてアメリカ合衆国も国家承認した独立国家であった琉球王国、現在の日本国沖縄県の話である。
 4年前歴史的な保革共闘によって当選した翁長雄志氏が、癌によって急逝した。(※今思うと、もしかしたら選挙に出る時点で既に見つかっていたのかもしれないが、さすがに憶測の域を出ない。)
 「イデオロギーよりアイデンティティー」というスローガンの元、大田革新県政ですら苦労した連立与党のまとめ上げをうまくやり、経済政策では基本路線としては仲井眞県政のそれを引き継ぎつつ、「辺野古移設」の問題では、「沖縄が基地をくれと言ったことは一度もない」という「沖縄県民のアイデンティティー」を貫き、死の間際で辺野古沖埋立許可の撤回表明を出して、そして亡くなった。
 劇的な、歴史に残る最後であった。いずれ文才のある人間が、彼の生涯を詳細に綴ることであろう。

 さて。翁長知事が亡くなったことで、11月に予定されていた知事選は、急遽9月に繰り上げされた。
このとき、翁長県政与党が候補者擁立作業をしている途中で、「翁長知事は後継者として、呉屋守將・金秀グループ会長と、玉城デニー・衆院議員(自由党幹事長)の2名が指名された」との情報が飛び込んできて、選考作業は一時混乱した。

 正直な話、荒野草途伸も驚天動地であった。「なんで、デニー?」というのが、偽らざる正直な感想であった。

 玉城デニーという人物というか政治家に問題は無いので、彼が候補者になる事自体はかまわない。だが、何故翁長雄志は玉城デニーを後継者の1人に加えたのか。
 それがずっと謎だった。

 その答えが、最近になってようやく見えてきた。
 名前からわかるとおり、玉城デニーは、ハーフである。アメリカ人(おそらく米軍人)の父親と日本人の母親の間に生まれた人である。
 いわゆる”アメラジアン”である。

 沖縄では、全く珍しい存在では無い。もちろん、これまでの歴史の過程で、全く差別や偏見が無かったわけではない。だが、決して少数派でも無い。荒野草途伸ぐらいの年代だと、アメラジアンと日本人(沖縄県民)の間に生まれた、いわゆる「クォーター」の人もいっぱいいて、明らかにそちらの血が入っているなという人は、琉大でも仕事先でも、そこら中で見かけた。

 しかし、だからなんだという話でもある。気にかけるのは、よくわかっていない本土から琉大に入ってきて遊び回っている類の奴ぐらいなもんだった。

 沖縄の人民が米軍基地をくれと言ったことは、過去に一度もない。
 だが、結果として生まれてきた子供を差別する理由はないし、そんなことはしない。それが沖縄という土地なのだ。少なくとも現在の沖縄は。

 さらに、蛇足かもしれないが、今の沖縄にいる外国人はアメリカ人に限らない。台湾をはじめとして、中国、南アフリカ、マレーシア、オランダ、ロシア、ポーランド、様々な国の人が沖縄にいる。(※これらの国名は、実際に荒野草途伸がこれまでに沖縄で遭遇した外国人の国籍で有り、実数に比例したものでは無いことは注記しておく。
 特にロシアからは、日光浴リゾート地として沖縄は大人気で、そのまま永住してしまう者も少なくない。
 そして、わざわざ言うまでもないかもしれないが、日本国内の沖縄県外から沖縄に移住する人、いわゆる「しまないちゃー」も年々増加している。

 要するに、沖縄は世界有数の国際都市なのである。

 日本領ではあるが、「日本」という狭い枠組みにとらわれて収まりきるような土地では無いのだ。

 そんな国際都市沖縄を束ねる立場である沖縄県知事として、誰がふさわしいか。
 これはもう本当に推測に過ぎないが、翁長雄志の頭に浮かんだのは、経済界をまとめられる呉屋守將か、出自からして全ての沖縄在住者の象徴となり得る玉城デニーか、ということだったのかもしれない。

 そして、呉屋守將が辞退したため、知事候補は玉城デニーに決まった。

 繰り返しになるが、翁長雄志は「イデオロギーよりアイデンティティー」というスローガンを旗印に掲げていた。
 だがこれまでは、「日本やアメリカから自立した沖縄」という意味での、反基地・反米軍・反東京政府という意味で、沖縄のアイデンティティーが維持出来ていた、というのが現実だろう。

 だが、これから先もこのままで「反○○」だけでアイデンティティーが維持出来るはずが無い。新しいアイデンティティーの象徴が必要なのだ。
 その意味で、「国際都市沖縄」という新時代の沖縄の求心力となり得る玉城デニーは、新しい沖縄のアイデンティティーの象徴となり得るのだ。

 旧来からの沖縄のアイデンティティーを守った翁長雄志から、新時代の沖縄のアイデンティティーの象徴たる玉城デニーへ、知事が交代する。これは、新旧の沖縄のアイデンティティーの引き継ぎなのである。

 これが、玉城デニーが翁長雄志の後継足りうる理由である。

 無論、日本は民主国家で有り、知事は公選制である。日本政府を牛耳る巨大政党自民党は、候補者としてサッキーマウスの愛称で本土でも有名になった宜野湾市長を擁立した。

 選挙は予断を許さない。
 沖縄は新時代のアイデンティティーを確立出来るのか。
 それとも、ただの日本の南端の1弱小県として終わってしまうのか。

 その選択は、沖縄の有権者に委ねられている。

 敢えて追記すると、愛知県出身の荒野草途伸が今最も懸念しているのは、今知事選の選挙権を持っている県外出身者の沖縄県民が、この話を理解出来るかどうかだ。そして今、彼らの票数は決して無視はできない。


残業規制街宣原稿_5月2日最新版


 ご通行中のみなさま、荒野草途伸と申します。
 どうかお聞き下さい。労働法制と残業規制、”働き方改革法案”の話です。

 まずはじめに、政府の働き方改革法案には、残業規制のような労働者を保護する内容と、高プロのような労働者保護に反する内容が同時に含まれていることを、知ってください。

 その上で、残業規制を中心にお話ししたいと思います。
 残業規制、とは、過労死を防ぐ為に、時間外労働、いわゆる残業に上限を設ける規定です。
 現在の労働基準法には無く、厚生労働省の政令でガイドラインが定められているだけです。
 IT系や商社などではずいぶん前から、過労による、死亡、病気、業務の滞り、といった問題が言われていますが、今や民間だけでは無く教員や公務員でも過労の実態が次々に明るみに出ています。
 しかし長い間、政治は過労死問題に対して、無策でした。

 ですが2015年12月 電通女性社員が過労自殺するという事件が起きました。ここから、過労死防止の法制化の動きが、ようやく始まりました。
 2016年10月には、野党のうち、民進・共産・社民・自由の4党が、長時間労働規制法案を提出しました。

 これを受けて、翌年2017年には政府も残業を規制する方向に政策を転換しました。
 ですが、自民党と公明党による連立政権が出した内容は、現在厚生労働省が政令で示している過労死基準を、大幅に超える100時間残業を、してもよいとするものでした。
 これはつまり、100時間残業したら死ぬ人間は、とっとと死ねば良い、と言っているのと同じです。この内容では不十分なのです。
 
 その上、2017年4月になって、2つの事件が残業規制の法制化の邪魔をしました。
 「共謀罪」と「モリカケ」です。
 人の命がかかった残業規制よりも、未遂の犯罪を取り締まることを、自民
党政権は優先し、 人の命がかかった残業規制よりも、国家財産の不当な払い下げの追求を、野党は重視したのです。

 この2つの事件の為に、2つの重要な法案が葬り去られようとしました。
 一つは、先程から述べている残業規制。
 そしてもう一つ、当時存在した、強姦罪の泣き寝入り規定の撤廃です。
 
 その後、強姦罪泣き寝入り規定の撤廃は、強制性交罪の創設という形で、辛うじて成立しました。
 しかし、代わりに残業規制は、秋の臨時国会に先送り、という扱いにされました。
 ただ、この時は、先送りとは言え、2017年秋に残業規制をやる、そう自民党は国民に約束をしたのです。

 ところが。その約束は破られました。
 2017年9月に安倍晋三が衆議院を解散したことで、残業規制は審議も提出もされる事無く、葬られたのです。

 このような経緯がありました。
 臨時国会直前の8月。
 自民党政権は、残業規制を、「高度プロフェッショナル制度」と「裁量労働制拡大」を、抱き合わせるという方針を出してきました。
 あの、第一次安倍内閣 以来一貫して猛批判を浴び続けている、高プロです。
 残業規制は、過労死基準を超える100時間残業を合法とし、挙げ句、10年以上前から批判を浴びている「高プロ」をまたしても国会に出そうとする安倍自民党政権に批判の声が高まり、政権支持率は急落しました。
 間違ってもモリカケではありません。
 労働法制が原因で、内閣支持率は落ちたのです!

 支持率が危険水域に達した安倍晋三はどうしたか。
 突如衆議院を解散したのです。
 衆議院が解散されると、それまで継続審議になっていた法案も含めて、選挙が終わるまであらゆる法案が審議できなくなります。
 つまり、自民党は、秋に残業規制をやるという国民との約束を、この瞬間破ったのです!

 総選挙後に開かれる「特別国会」で残業規制をやることも、可能でした。 もちろん、野党はそれを求めました。
 しかし、審議は行われることはなく、残業規制は有耶無耶にされたまま、2017年は終わってしまったのです。

 そして、悪夢の総選挙から約半年経った2018年2月。
 ようやく、ようやく、政府が「働き方改革」の名の下に、残業規制の法制化に再着手しました。
 ですが、「働き方改革」とは名ばかりで、実際には秋に話の出た欠陥抱き合わせ法案そのものでした。

 しかし、実はこんな話もあったのです。
 度重なる労働者の要求に恐れをなしたのか、霞ヶ関側から、共産党の高橋千鶴子議員に、働き方改革一括法案のうち、「残業規制と同一労働同一賃金のみ先行でどうか」という妥協案の打診があったのです。

 その後、裏でどのようなやりとりがあったかは、議員でない私にはわかりません。
 ですが実際、その後裁量労働制については秋に審議見送りという事になりました。

 ところが、です。
 3月になって、公明党の要求により、中小企業は残業規制を免除する、という規定が入れられてしまいました。これに自民党も同調しました。
 つまり、中小企業で働く人は、正社員も派遣社員も、100時間の残業規制の恩恵すら受けることはできない、という内容にされてしまったのです。
 その結果、次に挙げる人は残業規制の対象外にされてしまうことになりました。

1つ、・中小企業の従業員
2つ、・高度でプロフェッショナルな職業、
これは諸手当込みで年収1075万円以上の人が対象です
3つ、・個人事業主扱いの人
4つ、・管理職扱いの人
 以上の人は、たとえ政府の働き方改革法案が通っても、残業規制の恩恵を受けることは、ありません!

 ちなみに、中小企業の定義は中小企業庁のWebサイトに書いてあります。
 従業員数か資本金のどちらかが一定の数以下であれば、中小企業として扱われるのです。
 売上とか利益とか大企業の子会社とか、そんなのは中小企業の定義とは関係ないのです。
 つまり、やろうと思えば、残業規制逃れの”中小企業”子会社を作ることだって可能なのです!
 ブラック企業なら必ずやるでしょう。ちなみに、あのワタミの元社長は今、自民党の参院議員です。覚えていますか?

 そして、中小企業は100時間を超える残業も合法、が自民党と公明党の施策。これが4/7、確定したのです。
 人命よりも企業経営が大事。
 会社の為に死ねという昭和の発想そのまんま。
 これが自民党と公明党という政党なのです。

 中小企業に配慮するというのなら、人を確保する為の支援とか、無理な納期を拒否できる下請法の改正とか、やるべきはそっちな筈です。
 それが、過労死を合法化することが中小企業への配慮とは、一体どういう感覚ですか!?

 先頃、人命に配慮しない相撲協会が問題になりました。
 自民党も同じです。人権感覚が全く無いのです。

 ですから、残業規制は、野党が議員立法で法案提出すべきなのです。
 実際、立憲民主党も共産党も、対案の内容は既にまとめています。
 立民案では最大80時間規制、共産案では原則通りの45時間規制で、国民党も45時間尊重で検討中とのことです。社民党も、自由党も、沖縄社会大衆党も、基本的には同じ路線です。
 野党は過半数を持っていないから出すだけムダ、野党支持者の中にすら、こんな事をほざく輩がいます。
 いいえ、無意味ではありません。
 たとえ今は数の力で通らなくても、自民公明両党に対し、人命尊重の是非を問えます。これは、次の選挙の最大の争点になります。
 
 幸いにも、この過労死合法化法案に拍手喝采を送る人は少ないです。
 それでもまだ、こういう事を言う人間がいるのです。
「俺は働けるから大丈夫」。
 ふざけるな! お前らの話などしていない。
 我々は月80時間オーバーワークしたら死ぬ人間の話をしているのだ!

 私、荒野草途伸がTwitterで行ったアンケートで、こんな結果が出ました。
 今の安倍政権を支持するかどうか、というアンケートで、「日本死ね」、という選択肢を選んだ人が、13%に上りました。
 13%です。
 支持するしない以前に、日本死ねと思っている人が、13%もいるのです。

 それほどまでに、この日本の社会と政治は、病んでいるのです。

 もはや「知らない」では済まされません。
 これは、10年以上にわたる、我々労働者の命をかけた闘いなのです!

 先日、報道各社のニュースで、自民党がまたしても解散を検討している、との報道がありました。
 自民党は、1度ならず2度までも、解散で残業規制を潰すつもりなのでしょうか!?
 そんな事が許されるはずがありません!

 解散はしなくても、会期延長はしない等と言っているそうです。先週末、働き方改革法案は衆院で3日しか審議しないという情報も飛び込んできました。
 何故ですか!? 重要法案なのでしょう? 何ヶ月でも会期延長して、徹底審議すべきではないですか!?

今日はまず、皆さんに事実を知って欲しくて、この演説をしました。
次に何をするにしても、誰もなにもわかっていないのでは、話にならないからです。

今はまず、この労働問題に関わる事実を知ってもらいたい。
そして、野党がこの後提出する はず の残業規制の対案に、皆さんも賛同して欲しい。
 8時間働けばまともに暮らせる社会を。
それが今の私の願いです。

ご清聴ありがとうございました。

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※5/2(水)、愛環中水野駅前、JR高蔵寺駅北口で行った街宣内容になります。

4/24(火)高蔵寺駅北口、4/26(木)犬山駅前、4/28(土)勝川駅南口、YouTube公開版 で行った街宣演説から、若干内容を修正しています。


うるまちほー


 うるまちほーはですねえ。行政的にはうるま市というのですけどね。元は具志川市と石川市、与那城町、勝連町の4市町に分かれていたんですねえ。

 本土の合併市町村にもありがちなんですが、地域主義の非常に強い土地柄で、逆に保革だ左右だ自共だとかそういうのは割とどうでもいいという人が多い土地柄なんですねえ。地域主義が強いので、旧市町ごとの対立意識というのも結構ありましてですね、まあ与勝は割と仲が良いんですが、具志川と石川は仲が良くないらしいんですねえ。
 何故かというと具志川としては元々別に合併何かしなくても十分やっていけたし、それどころか埋め立て地が工業特区として沖縄随一の工業・研究施設地帯として結構栄えているんですねえ。昔は南の沖縄市や北の旧石川市が担っていた本島中部の行政機構も、最近は旧具志川市に移設される施設が結構目立ちますねえ。高速道路が通っていないので本土からの観光客には余り馴染みの無い土地ですが、人口も産業も割と栄えてる場所なんですねえ。
 一方で旧石川市はですねえ、沖縄戦の時の米軍上陸地点になったこともあって、復帰前は米軍の統治施設や関連産業があって割と栄えていたんですけど、復帰後は特にこれといった産業もなくてですねえ。どんどん財政的に苦しくなっていったんですねえ。それで、国や県の方針で、具志川市が石川市を救ってくれという話になってですねえ。でも具志川市としては折角繁栄し始めたのに一人で石川市の面倒を見るのは嫌だということになってですねえ。それで、お隣の与勝も一緒になりましょうという事で、県がまとめたんですねえ。

 与那城町と勝連町は、勝連城跡という古城跡のある与勝半島を南北に分けていた町で、何で分かれてたんだろうと不思議なくらい一体感のある地域なんですねえ。
 与勝半島の周辺には結構有人島が散らばってましてですねえ、南側にある津堅島は甘みのあることで有名な津堅にんじんの栽培地なんですねえ。この島は旧勝連町に当たるんですねえ。勝連町の東端、まあ与勝半島の先っぽとほぼ同じなんですが、そこには沖縄最大の米海軍基地であるホワイトビーチがあって、太平洋艦隊所属の原子力潜水艦の整備をここでやってるんですねえ。表向きは入港時はSLBMは積んでいないことになってるんですねえ。佐藤栄作にノーベル平和賞を取らせる為にそういう話になったんですねえ。
 
 北側には復帰直後に作られた与勝半島から平安座島に延びる海中道路というのがありましてですねえ。

 何故この海中道路が作られたかというとですねえ、平安座島に沖縄石油が石油備蓄基地を作りたかったので、その工事の為にわずか1ヶ月足らずで作ったという伝説があるんですねえ。この海中道路が出来たお陰で、平安座島周辺の有人島も車で沖縄本島と行き来できるようになって、おかげで島民が乗ってる軽自動車もちゃんとナンバープレートを取得しないといけなくなったという笑い話もあるんですねえ。
 この海中道路の途中には、現在では道の駅ならぬ海の駅というのがあるんですねえ。でも船便があるわけではなくて、結局殆どの人は車で行くんですねえ。
 
 島の中でも一番北側に伊計島という島があるんですが、ここは今はあんまり人がいないんですねえ。何故人が少ないかというと、極めて政治的な話になるんですねえ。
 昔はここにリゾートホテルがあったんですねえ。なんですけど、この島々の周辺が、実は米軍の訓練空域になってましてですね、旧勝連町にホワイトビーチという米海軍基地がありましてですね、その関係もあると思うんですけどね、とにかく米軍のヘリとかオスプレイがしょっちゅう飛び交ってるんですね。しかも通常任務じゃなくて、訓練なんですね。訓練という事は当然未熟なパイロットが操縦することも割るわけでして、昨年末にはオスプレイの夜間給油訓練に失敗して挙げ句辺野古新基地のそばの大浦湾に墜落するなんて事故を起こして、退任直前のオバマ大統領の面子を潰すなんて事までやらかしてくれましたね。そういう場所ですからね、この伊計島というところにも割と米軍のヘリが不時着するんですね。普段は農地に不時着するので沖縄防衛局がカネでもみ消したりするんですが、あるときリゾートホテルのプライベートビーチに不時着してしまいましてですね。まあ、リゾートホテルではさすがに包み隠せるわけもなく、そんな危ないホテルには泊まれないと客離れが起きて、ホテルは一回潰れてしまったんですね。ですので、ホテルで雇われていた島民も失業してしまって、ただまあ、島から出ても沖縄にはホテル一杯ありますからですね、よそに再就職した結果島を出てしまって、伊計島は一気に過疎化して、伊計小学校も廃校になってしまったんですね。
 その廃校になった伊計小学校の校舎を今再利用してるのが、カドカワ、というかカドカワと合併した旧ドワンゴが運営する通信制高校の、N高等学校なんですねえ。インターネットを使った通信制高校なので、実際には伊計島には生徒はほぼいないらしいんですけどね。

 沖縄の選挙というと米軍とか安保関係が争点になりがちですけどね。うるま市の場合は、米軍基地もあるにはあるんですけど、そこまで面積を占めてるわけでもないですし、事故や犯罪を起こしてるのは市外の基地から来てるあれなので、市長選の争点として基地問題はなかなか争点にはなりにくいでしょうねえ。
 だからこそ、本土型の就労支援や保育福祉といったことを、きちんと訴えられるかが鍵になってくるでしょうねえ。少なくとも、本土側が法制度込みで時代が激変していることを理解出来る人でないと、勝つのは難しいでしょうねえ。共産党が市政をどうのこうの言ってる連中に支援されたら、そりゃあもう却ってありがた迷惑もいいところでしょうねえ。

(もとなかぐすくそんみんとうらそえしみん だった こうやくさとしおにいさん あいちけん)


2017浦添市議選を評す


2017年2月12日に行われた浦添市議会選の結果を、改選前会派と比較して分析してみた。

改選前の会派構成は、以下のページを参照した。
http://www.city.urasoe.lg.jp/gikai/kosei.html

「てだこ」というのは、これは確か子供会を母体に当選した議員の集まりで、前回は思いがけず4議席も取って議会第1党になりそうだったので(公明党に配慮して)わざわざ会派を分けた、というように記憶している。
また、(よその市でもよくあるように)政党公認の議員が無所属議員と組んでいる会派があり、これは実質その政党の会派とみなしてよい。

これらを加味すると前回選挙の結果は以下のようであった。

公明
てだこ
仁の会
自民
共産
民主(※当時)
社民
社大
そうぞう
イノベーション21
市民の会

会派としては「てだこ」が第1と第2に会派を分けていたこともあって、2人会派が異常に多い構成になっていた。

これが、昨年6月の沖縄県議選に当山勝利氏が社大党公認で、また又吉健太郎氏が民主党公認で立候補した為、市議職から外れた。
(当山氏は県議に当選。)

その為、改選前は以下のような構成だったことになる。

公明
てだこ
仁の会
自民
共産
社民
そうぞう
イノベーション21
市民の会
民進
社大

それが今回、このような結果になった。(増減比較は、前回選挙比)

公明
共産(+1)
仁の会(-1)
自民
社民
イノベーション21
市民の会
民進(-1)
社大(-1)
維新(=そうぞう)(-1)
てだこ(-3)
{無所属新人}(+5)

(無所属新人は現時点で所属会派不明)

 今回2017年の市議選で、「てだこ」のうち2名が不出馬となったため、選挙前から-2が確定した。また、出馬した2名のうち1名も落選したため、結局「てだこ」は3減の1議席に留まる結果となった。

 公明党は公認4名全員当選で、現有4議席を維持している。浦添市には創価学会と対立する顕正会の沖縄支部がある関係で、創価学会が糸満市と並んで勢力拡大に力を注いできた場所であり、その為公明党の力が非常に強い。が、近年共産党が浦添で勢力を急拡大させている為か、今回は手堅く現状維持の選択を取ったようだ。

 赤嶺昇県議(無所属-県民の会)系列の「仁の会」は1名が落選し、2議席となった。赤嶺昇県議は民主党在籍時代に、又吉健太郎氏が市長選に出ようとした際に強硬に反対して取りやめさせた経緯があり、以来両者の間には相当な確執があったようだ。(2016年の県議選に又吉氏が民進党公認で出馬したのも、赤嶺県議との確執があってのものと聞いている。)この余波があったのかもしれない。
 一方又吉氏は今回当時に行われた市長選に、維新国会議員となった儀間光男元市長の支援を受けて出馬したが、落選している。
 
 共産党は1増で、3議席。現職2名は前回に引き続いて1,2位独占の結果になった。浦添共産党は元々西銘純恵県議(元市議)の個人的人気が非常に高く(その為市議時代にはもう一人の共産党市議との票の乖離が凄かった)、現市議のうち1名も西銘県議の息子で初当選時はトップ当選だった。(前回と今回は2位。)しかし、1,2位維持した上での1増を果たした今回は「西銘党」依存からの脱却を果たせたと言えよう。ちなみに当選した新人も含めて、共産党浦添市議は3人全員30代である。
 
 自民党は現職2名がそのまま当選。当選した無所属新人5名のうち、少なくとも3名は自民系と見られる。これを加味すると3増という事になるが、議席を維持した「イノベーション21」(若手企業経営者の会派)も実質自民系であることを考えると、同じ会派になるかはわからない。
 また、翁長県政との関係を考えて、那覇の新風会と手を組む者も現れるかもしれない。

 社民系は30代の新人が3位当選したものの、系列の無所属現職が1名落選してしまったため、±0の2議席止まりとなっている。(ちなみに社民党は、前回浦添市議選でも新人が通って現職が落ちるという結果になっている。)社会党時代は市長と県議を出していた土地柄であったが、そこまでの勢いはもはや無いということなのか、淘汰的に世代交代が推し進められているということなのか。
 
 民進系は前述のように又吉健太郎氏が県議選に出馬して市議を離職したため、改選前議席からは1のまま変わらずだが、前回選挙と比べると1議席減になる。また、当選したのも無所属現職で、公認は候補者すら立てられなかった有様である。前進の民主党時代から既に沖縄民主党は議員どころか党員すら確保出来ない壊滅状態にあり、今後も沖縄での復権は全く望めないだろう。
 
 社大系は公認だった当山勝利氏が宿願の県議当選を果たし、今回は市長選に出た又吉健太郎氏の支援に注力して、公認候補を立てなかった。系列無所属の現職が当選し、改選前議席は維持しているが、候補者を立てなかった分前回選挙よりは1減らしている。党自体が解散寸前からの立て直しの過程にあり、当分は現状維持の時代が続くのかもしれない。
 
 そうぞうは自民党を離党した下地幹郎衆院議員が作った保守系地域政党であったが、下地議員が最終的に(大阪)維新と合流し、また元浦添市長の儀間光男氏が維新比例から参院議員になったこともあって、維新に合流した。が、現職議員1人が維新公認ではなく無所属で出馬して落選しており、また公認候補も現職以外は落選し、結果としては1議席に留まる惨敗となった。2015年県議選でも、現職県議だった儀間氏の息子が維新公認で出馬して落選しており、浦添でのそうぞう-維新系の退潮ぶりが著しい。
 
 
 今回当選した新人7名のうち、実に6名が20~30代の若手である。これが今回の浦添市議選の最大の特徴と言えるだろう。党派は(おそらく)真っ二つに割れるとは言え、有権者の選択が「若手」であったことは間違いない。浦添市は子育て世代が多く平均年齢の低い土地という事情はあるが、それ故に逆に、老人世代の「若い者に希望を託す」などというノスタルジアに乗った若手進出などでは無く、現役世代の意向としての若手進出である、ということが言えよう。
 
 
 
 前回2013年の浦添市議選では、前述のように共産党の30代候補者が1,2位独占を成し遂げ、これが同年6月の東京都議選を経て7月の参院選で30代2名を含む8名当選という結果につながり、その後の共産党躍進の鏑矢となった。
 
 今回の浦添市議選は、今後の日本の進路にどのような影響を及ぼすのであろうか。
 


精神論で貧困が無くなるかよ


Google+でざっくり単文で書こうと思ったが、長文になって却って読みづらいのでこっちに上げとく。

沖縄から貧困がなくならない本当の理由(6)貧困の本質
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161001-00064429-okinawat-oki

なんだろうねこのツッコミどころの多い記事は(--;

とりあえず
> 日本全国で600戸級の分譲開発が可能な市場は、東京、大阪、そして那覇くらいしかない。
> 名古屋や福岡でも難しいかも知れない」。
> 2012年以降の那覇は東京、大阪に次ぐ第3の経済圏というくらいの勢いがある

えーっと、これ、どこ情報だよ。あ、マンションの開発担当者ですか。
とりあえず、私ついこの間名古屋は大阪を抜いて第2の経済圏になる日も近いって記事を読んだばかりなんですが。実際、不動産価格の上昇率も名古屋市が全国一で、もう名古屋市内では先行投資の余地は無くて隣の隣な瀬戸市にまで不動産業者の物色が始まってる状態なんですが。逆に大阪は不動産全然売れなくてエロゲ会社が大阪市内に自社ビル2つ持てるぐらい物件余りまくりな有様なんですが。だから橋下一派があんだけ吠えてんでしょ?
なによりまず、この「東京大阪が2大都市圏」という時代錯誤っぷりになんの疑いも持っていないこと。

次に、好景気の要因。要因そのものの指摘はまあ間違ってはいないけど、「アベノミクスによる激しい円安効果」をえらい肯定的に書いておきながら、「民主党政権時に導入された「沖縄数次ビザ」」をどえらいこき下ろしてるんだけど。
ちなみに指摘しておくと、この制度、導入当初は「那覇空港で機中一泊」という抜け道使って東京や京都行く中国人観光客もいたんだけど、その後沖縄県の努力の甲斐あって飛行機から降りて泊まって貰えるようになってるわけね今は。
あと一括交付金は、これ2010年の沖縄県知事選で野党候補の伊波洋一氏(現・参院議員)が公約として掲げたもので、当選後仲井眞知事が取り入れて実現したものなのね。辺野古移設全く関係ないのね。
観光振興にしたって、25年前の大田県政の頃からずっと力を入れてきた分野で、日本政府におんぶにだっこだったわけじゃ無い(むしろ日本政府は何もしてない)んですけど。

こんな事もご存じない?

それでよく、「この景気が沖縄県民の実力によって生み出されたものではない」とか、そんな偉そうな口きけたもんだなおい。

> 県外からの参入障壁が高く

新規事業の利益を本土企業に食われてしまうことが、むしろ問題視されとったんですが。少なくとも、自分が浦添にいた頃は。

> 沖縄社会に根深く存在する、「自分だけが目立ってはいけない」という人間関係への繊細な配慮

んなもん沖縄にねーし…。は? マジで、は? どこの県のこと言ってんの????

> 補助金で社会は再生しない

あんたの話の一体どこに補助金が出てきたの? むしろ、日本政府の沖縄振興策は補助金を使ってない、ってはっきり書いてんじゃん。

なんかもう、文章が支離滅裂すぎて、こっちも箇条書き程度でもこんだけ長いツッコミ文になったんですけど。

とりあえず沖縄の貧困はインフラ未整備に寄るところが結構大きいと思うよ。東京とは違う。
で、インフラ整備しようとすると那覇じゃもう土地が無い浦添や宜野湾は基地が邪魔、だから米軍基地出てけ、って話になってんでしょ。辺野古にしたって、狭い沖縄いずれ発展が名護にまで及んだときに、確実に邪魔になるに決まってんでしょーが。米軍は一度居着いたら簡単に出てかないんだから。

精神論なんかじゃなく。


”野党統一”候補の地域事情


2016年3月10日(木)徳島・高知 参院統一予定候補 野党が確認書 選挙区に大西氏 みかじり氏 比例予定候補に
(赤旗Web版) http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-10/2016031004_01_1.html

 長野、宮城、熊本に続いて4つ目。”オール沖縄”の沖縄県も含めると、5つの参院1人区で”野党共闘”が成立したことになる。

 共通点としては、熊本を除くと、比較的共産党の強い地域というところである。長野は特に南部で伝統的に共産党が強く(かつては京都並みの無双ぶりだったらしい)、沖縄は一昨年の総選挙で沖縄1区で(”オール沖縄”候補としてだが)共産党が勝っている。また、徳島高知のうち高知県も、1996年総選挙で高知1区から共産党公認候補が当選しており、県議会は現在でも共産党が第2党である。宮城は昨年の県議選で(公認ベースで)県議会第2党に躍進した経緯がある。
 そういった地域で、共産党が敢えて候補を降ろした(正確には比例に回した)、というところに意味がある。
 
 例外が熊本で、ここは大して共産党は強くない。代わりに強いのが旧社会党系で、社民党が農村部でも一定の支持があるのに加えて、旧社会党から左派が分裂した新社会党が荒尾市などの旧炭鉱地域を中心に組織を維持している。熊本は市民連合系野党共闘の第一号となったわけだが、その裏では新社会党の貢献がかなり大きかったとの話もきく。
 (元々新社会党は共産党との連携に前向きな一方で、社民党からは数年前から再統合を持ちかけられている立場にあり、調整役として適任な位置にいた。)
 
 また、前述のように沖縄は”オール沖縄”が共闘の軸になっており、他県のような市民連合系が関与したものでは無い。(その為か、市民連合系の人達は現時点では未だに沖縄では野党共闘は成立していないとみなしている。)
 
 このように、中央から見ると「野党共闘」の一言でくくられるものも、実際には地域毎に個別の事情がある。

 一番わかりやすい事例として、5選挙区の共闘への政党参加状況を見てみよう。
 (※維新の党はまだ民主党と統合していないので、一応別扱いにした。)

選挙区候補者所属政党参加状況
民主 共産 維新 社民 生活 沖縄社大 新社会 市民連合 オール沖縄
沖縄 伊波洋一 無所属          
熊本 阿部広美 無所属      
宮城 桜井充 民主党            
長野 杉尾秀哉 民主党            
徳島高知 大西聡 無所属          

 こうしてみると、今のところ「沖縄型」(沖縄)・「熊本型」(熊本、徳島高知)・「宮城型」(宮城・長野)の3つの類型に分けられる。
 国政野党の左派が旧自民と手を組んでいるのが沖縄型、野党の大勢が参加して無所属候補を推しているのが熊本型、民主党と共産党の協定に社民党も加わって民主党候補を統一候補にしているのが宮城型、である。4/24の衆院北海道5区補選も、宮城型と言えるだろう。
 
 野党共闘と言っても、「やり方は一枚岩では無い」のである。当然だ。地域にはそれぞれの事情があるのだから。事件は東京で起きているのでは無い。各県で起きているのだ。
 
 それを踏まえた上で、残る1人区の調整支援もやっていかないといけない。「この組み合わせで無いとダメ」などという押しつけを、東京や他の大都市圏の人間がやってはいけないのだ。
 (そういう意味では、今のところ5つとも加わっている共産党が、共闘から外れて独自候補を擁立する1人区も、最終的には出てくるのかもしれない。「7条件」を満たさなければ共産党は共闘しないと明言しているのだから。)
 
 そうやって得た共闘のノウハウを中央にフィードバックして貰えれば、今度は衆院小選挙区での共闘作りにも生かせるだろう。
 
 
 参院選まで4ヶ月弱。衆院解散総選挙も同時にあるかもしれない。時間は少ないが、決して不可能なレベルでは無い。
 「勝つ方法は、あきらめないこと」、である。


20150830全国一斉行動あとアベ自民党はもういいよ


 久々にWebプログラミングやろうとしてうまく行かなくて不貞寝してたら、もう18時前だった。
 やはり1テーブルとはいえ6時間でデータベース操作を伴うWebサイトを構築しようというのは無理だったようだ。ABJWdみたいにoutputだけで作るんだったら数時間でも何とかなるが、inputを伴うとなるとセキュリティを考慮しないわけには行かないし、(例え頭の中で済ませるにしても)ちゃんと設計やらんといかんし。最低でも1日はかかるわ。6時間でやろうとかバカすぎる。

 で、何をやろうとしていたかというと、明日8/30(日)に、反アベ政権の全国一斉行動があるのだが、赤旗で発表されたリストを、開催時間でソートした表が欲しいなと自分自身が思ったのと、どうも一部に漏れがある(少なくとも瀬戸市は漏れてた)ので、まあ共産党本部もてんやわんやで全部は把握しきれてないんだろうし、だったらいっそ自分達で開催情報を入力出来るサイトを作っちまえば良いんじゃ寝?(ピコーン)
 ってかんじで、作ろうとしたんです。先に書いたように、テーブル1つで済むはずだし。

 つーことで。

 東海4県のデータだけ、三四郎(まさかの三四郎)に打ち込んで時刻ソート表は作りました。

http://bunsyo.kouyaxatosi.info/bunsyo/silyou/20150830issei.htm

 まあ、必要な人はこうやって作れば良いって事で、今回は良いよね。。。

 荒野草途伸自身としては、先週来低気圧の所為なのか何なのか、あと詳しくは言わないけど満点取れたんじゃ無いかと思うくらい絶対受かると思ってた資格試験落ちてかなり凹んでた上に信頼してた人にも裏切られて、かなり体調悪めなのですが。
 まあ医者にも少しは外に出ろと言われてるので、自作のプラカードでも下げて、電車であちこち周ってこようと思います。

(こんな感じの奴です)
page001

page002

 戦争法案反対が趣旨みたいになってるけど、だがこの運動は我々労働派が乗っ取る
(言ってやった!)

 上記の表によると、朝一が大垣みたいなので、そこから豊橋まで行って蒲鉾買って、犬山か各務原まで行った後名古屋市内回ってリニモで瀬戸までもどろうかなー。とか考えてます。

 まあ、電車の時間とか次第でもありますけど。

 なんか雨みたいだし。あ、でも午後からは晴れるのか?

 て言うかそれ以前に、起きれるのか…?


沖縄の戦後政党史(簡略)


 「沖縄の戦後史を整理する」の記事の中で書いてしまおうと思った沖縄の政党史だが、結構長くなってしまって元記事の本題からそれてしまった感があるので、別記事にしておく。

 まず「琉球新報」の話で出てきた瀬長亀二郎氏であるが、元々はリベラル左派ではあっても共産主義者では無かった。琉球新報退職後米軍からの自治権拡大を掲げて「沖縄人民党」を結成するが、当初は弱小勢力で活動資金にも窮する有様であった。

 一方、これとは別に日本共産党の支援を受けて琉球共産党が結成されていたが、米軍の弾圧下の元非合法化され地下活動を余儀なくされており、公然活動の場を探していた。この琉球共産党が人民党に合流し、瀬長亀次郎という看板と日本共産党からの人的・資金的援助の元で党勢を拡大し、瀬長を那覇市長に当選させるまでに至る。
(但し市長就任後、瀬長は経済団体との会合で我々は共産主義政党では無いと明言している。)

 だが、人民党の反米軍姿勢と容共姿勢が問題視され、米軍による那覇市の銀行口座凍結などの弾圧を経て(法的根拠の無いまま)瀬長市長は解任されてしまう。が、那覇市長時代の人気を背景にその後琉球立法院議員当選を経て、国政参加選挙では人民党公認で当選。
 その後1972年の沖縄本土復帰後、1973年に沖縄人民党は日本共産党と対等合併し、瀬長は日本共産党副委員長に就任した。

 
 一方、沖縄の政治史を語る上で最も欠かせないのが、沖縄社会大衆党である。
 もともとは「アメリカ合衆国の支援の元、琉球民族の国家建設を目指す」事を目標に結成されたが、その後米軍の暴虐ぶりを目の当たりにして路線転換し、「反米軍利権」から「対米自立」「日本復帰」へと路線を変えていった。

 もともとが反米軍利権を掲げていたことから、当初は教員を中心とする労組・左派系から穏健保守まで幅広い勢力が集まっていたが、経済界や人民党との関係等から次第に保守派が離脱し、それに従って「日本国憲法に基づいた統治が行われている日本への復帰を目指す」という方針に純化して行き、教員労組を中心とした左派政党の色彩が強くなり、本土復帰運動では人民党と協調路線を取るようになった。

 本土復帰前後に日本社会党との合同を目指す勢力が離脱、復帰後も当時の委員長が民社党に走るなどの混乱もあったが、現在も都市部の公務員労組や郡部の自治会組織を中心に根強い支持がある。また、前述のように沖縄の自民党・社会党(現・社民党)・民社党(現在自民党や民主党、公明系などに霧散)のルーツともなっている。

 これに対し、米軍との融和路線を掲げていた勢力があった。ぶっちゃけ言うと米軍利権の甘い汁を吸っていた連中なのであるが、逆に米軍からするとこれほど都合のいい勢力も無く、立法院選挙では常に米軍の全面支援を受けていた。政党組織としては(戦後当初の日本同様)いくつかの政党に別れていたが、全体としては多数派を取ることが多かった。

 上記の親米軍派と、社大党から離脱した保守派が合流して結成されたのが、民主党(琉球民主党、沖縄民主党)である。(※現在の民主党とは全く関係が無い。)
 当初は親米軍・復帰反対の立場であったが、協力関係にあった日本の自民党が沖縄復帰に傾いたたため路線転換し、沖縄自由民主党と改称し、復帰後はそのまま自由民主党沖縄県連に改組した。

 尚、復帰後に大きな分裂騒ぎを何度も繰り返しており、1990年代には中央の動きに合わせて新生党(後に新進沖縄)が分裂、またその直後に社大党系のルーツを組む西銘派が奄美の徳田虎雄氏に同調して沖縄自由連合に合流した。(西銘派はその後自民党に復帰。)
 また、2000年代に入ってJC沖縄系の下地幹郎氏が自公路線に反発して離党、地域政党のそうぞうを結成した後国民新党に合流している。
 また、記憶に新しいところでは2014年に自民党県連幹事長まで務めた那覇市長の翁長政俊氏の支持議員が辺野古移設問題を巡って除名され、翁長氏共々自民党から離脱した上で共産党や社大・社民といったかつての対立党派と組んで、知事選で翁長氏が自民党の支援を受けた現職を破り、さらに続く総選挙でも県内4選挙区を独占するという事態になっている。