ぼっち」カテゴリーアーカイブ

殺人政策と生存戦略


 以前、第一次安倍内閣の時のホワイトカラーエグゼンプションの時にも同じ事を書いたが、再度記しておく。

 アベジョンイルが固執する残業代ゼロ化殺人政策は研究開発職がターゲットの一つになっているが、研究開発こそ5年10年という長期スパンで見なければ成果を測れない職種である。たかだか1年や2年、さらには、この制度の導入の急先鋒になっている某派遣会社が導入しているような1,2ヶ月という超短期で”成果”を決めてしまうようなやり方で、本当に実績に貢献しているかどうかなんて、わかるわけがない。

 わかるとすれば、それは目先の派手なプロモーション的”成果”によって演出されたものに過ぎない。そして実際に成果をを挙げるために裏で支えている人達の功績は、切り捨てられる。

 ”他人を踏みつけにして自己中心的な幸せを追求しましょう。”
 ”才能とは、他人の手柄を横取りすることです。”

 そういう思想の持ち主が、この政策を推進しているのだ。まさに右翼的な発想である。その親玉がアベジョンイルであることは、この殺人政策へのここまでの固執ぶりから明らかだろう。

 こんな思想が法的なお墨付きを得てしまえば、社会は疲弊どころでは無い。破滅だ。

 だが残念なことに、今の日本にはこの思想に賛同するクズ右翼が多いのも、また事実なのだ。その証拠に、安倍内閣の支持率は未だに50~60%を維持し、それを支える自民党も支持率20%台で独走しっぱなしである。

 では、残りの4割はどうすればいいのか。どうすれば生き延びることができるのか。

 昔なら、銃を取って革命を目指すことになっただろう。
 正直、自分も時折それしか無いどうせ死ぬなら戦って死のうという気持ちに陥る。銃どころかノートパソコンも落としかねない体調ではあるけど。

 しかし、これには落とし穴がある。教訓は中東連鎖革命だ。せっかくの民主化運動は保守的な宗教勢力に乗っ取られてしまい、結果軍政のほうがまだマシという結果になってしまった。
 日本でも同じ事が起きる下地が既にある。党派があまりに多すぎるので具体的な名前はいちいち挙げないが、運動の果実を横取りしようと虎視眈々と狙っている勢力がある。いや、既に昨年末横取りされた。

 ならどういう方法があるのか。ここまで書いておいてなんだが、正直答えは見えていない。だが試みる価値のある方策なら幾つかある。
 その一つが、ゼネストだ。
 ゼネストといっても、特定労組の指揮下によるストの為のストでは無い。本物の、国民の4割が参加する職務放棄運動だ。
 先月末、某飲食チェーンに対するストの運動があった、らしい。あれ自体はどうもある極左勢力の指揮によるものだったらしいが、注目すべきはそれに共感する人が少なからずいたという事実だ。
 目標さえ間違えなければ、うまく行く可能性はある、という事だ。…あくまで可能性だが。

 職場放棄は何もしないことである。「何もしない」というのは、実際の所多くの人間にとっては苦痛だ。しかもその間の給料は当然出ない。社会基盤もある程度破壊される。
 それでも、生きのこる手段が他に無いのならば、仕方ないでは無いか。内戦よりはましだろう。

 6割の中から理解を示しこっちに来る人がいるのなら、選挙という手段もあるけどね。でも現状は、「非共産」などという前世紀のイデオロギーを恥ずかしげも無く掲げている連中ばかりだもの。

--------------


己の無力さ、愚民共の無力さ



ぼっちが招待カードを手に入れるには


ダメ元で、blogで見ず知らずの他人に招待リンクをクリックして貰うしか無いのかもしれません。

モバゲーのリトルバスターズ!カードミッション で、新規加入者を3人招待すると招待限定の二木佳奈多のカードが貰えるので、以下のアドレスから登録して貰えると助かります。。。


http://sp.mbga.jp/_pf_invitation_landing?app_id=12012397&code=XHGdTtk%2BKZLRyraj6iKS0%2ByaAjJKRgxXGAhB0qqzaIk

(!スマホからでないとエラーではじかれます)


何かの病気です


 体調不良のためリトバスは後回しにさせて下さい。

 自分に限らず、全国的に体調不良が蔓延している。
 今年の夏は生命の危機を感じるレベルの異常気象だったし、そこで無理をした分、体にかなりのガタが来ているのはまあ当然といえば当然だ。今年の冬は救急車の出動回数が増えるのではないだろうか。

 今年の夏といえば、こんな事があった。
 8月の、一番暑い時期だっただろうか。午後3時頃、時間としても最も暑い時分に当たる。名鉄瀬戸線のとある駅のプラットフォームにある待合室に、高校生のカップルがいた。冷房など無く窓が開け放たれていたから、外から歩きながらでもよく見えた。別にいかがわしいことをしていたわけではない。見つめ合っていた。ただ見つめ合っていた。トロントロンの目というのはこういうのを言うのか、と咄嗟に思うくらい、熱く見つめ合っていた。

 こいつらやばい、と思った。主に熱中症的な意味で。

 しかしそこで二人に声をかける勇気が私にあろうはずもなく、何も見なかった振りをしてその場を立ち去り、改札口の駅員さんに待合室に熱中症の高校生がいるとだけ告げて、駅を立ち去った。

 私は余計なことをしたのだろうか。

 この冬は体調不良の人がきっと多いので、町中で突然倒れる人も出るかもしれない。町中で抱き合って倒れている高校生の男女がいたら、そのときはやっぱり躊躇無く救急車を呼ぶべきでしょうか。

--------------


北へ-6日目、小清水原生花園


 仁科りえ惨敗のショックで寝込んでいた荒野草途伸です。
 さて、北海道旅行6日目は、釧網本線を北上し、臨時駅「原生花園駅」近くにある小清水原生花園に行ってきました。
原生花園行ききっぷ
 10:21摩周発の快速しれとこに乗車。
快速しれとこ
 途中の浜小清水駅で、DMV(Dual Mode Vehicle)を発見。
DMV
 傍目からはただのボンネットバスにしか見えない。ホッカイドウ物語・わたしのボンネット。
 11:47、原生花園駅着。
原生花園駅
 とりあえず、文章で書くと「花を見てきた」で終わってしまうので、写真をずらずらと並べておくことにする。
(クリックすると拡大写真が見れます)
案内看板
アカバナエゾノコギリソウベンケイソウ?エゾカワラナデシコ
ハマボウフウハマヒルガオナミキソウ
ハマナスハマナスの実海岸に生えてる何か
濤沸湖

 左上から、
アカバナエゾノコギリソウ、ベンケイソウ?、エゾカワラナデシコ
ハマボウフウ      、ハマヒルガオ 、ナミキソウ
ハマナス        、ハマナスの実 、海岸(に生えてる何か)
濤沸湖

 駅に戻ると、踏切のところでなにやら人だかりが出来ていた。どうやら、先ほど浜小清水駅に止まっていたDMVが、こっちに向かって走ってくるらしい。慌てて撮影体制に入る。
走るDMV
 辛うじて撮影できた。
 ところでこのDMVであるが、あまりにも有名になりすぎたせいか「沖縄にもDMVを導入すべきだ」とかアホなことを言い出す人間がたまにいる。
 が、そもそもDMVというのは既存の鉄路を利用できるところにそのメリットがあるわけで、鉄路が全く存在しない沖縄で導入しようと思ったらまず鉄道路線を敷設するところから始めなければならない。そんなことをするくらいだったら、普通の電車を走らせた方がよっぽど輸送・対費用効果は高い。どうしてもバス路線と連動させたいのであったらガイドウェイバスを導入した方が建設費も車両費も安くて済む。
 結論を言えば、沖縄にDMVを導入するメリットは全く無いのだ。既存鉄路や旧国鉄の廃線後がある他県とは違うのだ。
 話が逸れてしまった。とりあえずこのあと網走駅まで行って、2日目に撮れなかったオホーツク号の写真を撮ってきた。
オホーツク号
 ・・・なんか、別にこの写真を撮ったからなんなのだという気がしないでもないが。
 この後、駅前のローソンで新聞を買い、帰りの列車が来るまでそれを読んで過ごす。やけに馴れ馴れしいおばちゃんが女子高生二人組に「高校野球残念でしたね」とか話しかけていたが、高校生は明らかにウザそうだった。
 このおばちゃん、結局自分と同じ列車に乗ったのだが、車内でも男子高校生4人組に同じようなことを話しかけていた。そんなに人恋しいのかと突っ込みたかったがしかし関わりたくなかったので無視していたら、今度は自分の方に来て104ってドコモでないと使えないんですかとか訊いてくるから番号案内は携帯では使えないと思いますよと一言だけ答えておいた。
 宿に戻ったら、また疲れが出た。翌日はこの宿を発つので、撤収準備に入る。そして宿で出る大量の食事のおかげで体重は65Kgに増えていた。
-----




北へ-2日目、JR北海道


 2日目は移動日。ほぼ丸一日かけて、稚内から道東の弟子屈町(摩周駅)まで移動する。
 出発は朝7時。夜結局寝付けなかったので、そのまま起きておいて、コンビニで朝食と新聞を買う。6時半に宿を出て、稚内駅へ。
 特急の切符は、JR北海道のサイトであらかじめ予約してあったので、みどりの窓口で受け取るだけ。JR北海道は進んでいる。
スーパー宗谷。写真は旭川駅にて
 7:10発スーパー宗谷1号に乗る。豪勢にもグリーン車。何故グリーン車にしたかというと、スーパー宗谷のグリーン車の窓側席は、パソコン用のコンセントがついているからだ。この点でも、JR北海道は進んでいると思う。
 JR各社で最初にクレジットカードが使えるようになったのはJR九州だが、JR北海道もJR九州も、経営的に本州3社に比べて決して好条件ではない。だからこそこうやって知恵を絞った顧客サービスが登場してくるのだろう。窮地を転じて好機と為す。新幹線の収益にあぐらをかいているどこぞの会社とは雲泥の差だ。
 バッテリーの心配をすることもなく、車内で小説の執筆をする。快適。窓の外にはサロベツ原野。時折ホルスタイン牛の姿が見える。おかげで何とか2話まで書き終えることが出来た。
 10:44,旭川着。次に乗る網走行きのオホーツク号が来るまで30分近くあったので、ちょっとだけ途中下車してみて、旭川駅前の様子を見てくる。
旭川駅前市街
 旭川市は35万都市なので、那覇と同じくらいの規模ということになる。が、なんとなく旭川のほうが都会のように思えるのは気のせいだろうか。旭川に嫉妬。
 まあ、旭川は札幌・稚内・網走・富良野各方面に通じる鉄道が全て集まっている交通の要所だから、人口規模以上に商業が発展していてもおかしくはない。
 やはり鉄道か。鉄道は大事だ。
 11:19発オホーツク3号に乗車。ここでもコンセントが使えると思ってグリーン車の窓側席を取っていたのだが、残念ながらオホーツク号にはそういう設備はなかった。仕方ないので買った新聞を読んで、読み終わったら寝てしまう。まあ、前の晩寝ていないから丁度よかった。
 気が付いたら、網走駅に着いていた。というか、着いてだいぶ時間が経ったところで、乗務員に起こされてやっと気が付いたようだ。大爆睡していた。終点で良かった。
 自分が降りたらすぐに、列車は札幌に向けて出発してしまった。頭が惚けていたため、列車の写真を撮るのを忘れていた。後日網走駅に行く時間があったら、撮りに行こう。
 予定では網走駅で1時間の待機があって、この時間をどうやって潰そうかと悩んでいたのだが、特急車内でオーバースリープしていたおかげでこの時間はだいぶ潰れたようだ。反対側のホームには、既に釧路行きの列車が止まっていた。
 跨線橋を渡ってホームに着いたが、列車の扉はまだ開かれていなかった。未来への扉はまだ開かれていない。俺の進むべき人生の道は、一体どっちだ。
 というか、正直、眠い。
 10数分したら扉が開いたので、速攻で乗り込む。しばらくうつらうつらしていたが、直に気を失ってしまった。途中、原生花園駅のあたりで目を覚ましたような記憶はあるが、とても写真を撮っているような状況ではなかった。まあ、これも後日行ってくるからいい。
 そして気が付いたら、摩周駅だった。列車が着いて、しばらくしてようやく目が覚めた。たまたま摩周駅で対向列車の待ち合わせがあり長時間停車していた為、降車することが出来たが、これがなかったら乗り過ごすところだった。超危なかった。
 摩周駅は霧雨。霧の摩周湖という言葉は有名だが、それで霧の摩周駅というわけでもあるまい。というか、摩周駅というのは摩周湖に特に近いというわけでもなく、元々は弟子屈駅という名前だったのを観光アピールのために知名度のある「摩周」に名称変更しただけの駅名だ。
 摩周駅から宿泊場所のホテル摩周まではさほど遠くはないはずなのだが、もう日が落ちていたしそれに霧が深いので、万一道に迷ってしまっては困る。荷物も重いし。と、15分くらい悩んだ挙げ句、タクシーを呼んでホテルに向かった。
 19時過ぎに宿泊場所のホテル摩周に到着。ここで5泊する予定。
 部屋は和室。正直、上等。このシーズンにこの部屋で2食付きで7千円ちょっとというのは、かなり安い。
ホテル摩周和室
 夕食も結構な御馳走だ。しかも部屋食。
一日目夕食
 正直、一人分としては量が多い。学生の頃ならこれくらい軽く平らげたものだが・・・。
 結局、若干残した。まあ、イカとか椎茸とか、自分が食べられないものがその殆どではあるが。
 夕食後は、今後のプランを立てる。とりあえず、5日に知床まで行くことに決めて、現地のレンタカーを予約しておく。ネットも問題無く使えるからありがたい。
 22時頃に風呂に入る。単純弱食塩泉、らしい。温泉としては一番ありふれた種類だ。すぐに他の人も入ってきてしまったので、軽く済ませて出てしまった。まあ、24時間いつでも入れるし、それに5日間もあるのだから。
 昼間寝たから夜はまた寝れないかと思ったが、23時過ぎにはもう眠気が襲ってきた。寝ない理由も特にないので、寝てしまう。
-----




新トップ絵


 ようやくトップ絵を更新した。

この夏は恋の薫り

 深い意味は無い。
 以前のトップ絵は30歳の誕生日に貼っつけたもので、当時の自分の状況を割と正確に表現していた。
 が、その後無職ではなくなったし、31歳になったしで、すっかりウソの絵になってしまっていて「あー早く更新しないといけないなー」と思いつつ、何ヶ月も経ってしまっていた。
 ちなみに画質が非常に悪いのは、デジカメの動画機能を使って録ったのを切り出した画像だからである。元動画の方もおいとくから、見たい人は勝手に見てください。鉢植えは頭の上から落ちたりしてえらいことになったので、後から合成しました。
 あー、しかし。やっぱりHT君にお願いして撮って貰うべきだったなあ。
-----


SB鼻毛の王子様


 wikiで中国史を読みふけっていたらつい徹夜になってしまった。夜寝れないので発売されたばかりの「蒼い空のネオスフィア」をやっていたら、さらに徹夜継続になってしまった。
 以来調子が悪い。徹夜が堪える歳ということか。
 以前探偵ナイトスクープで、「ゴキブリの王子様」というのが取り上げられたことがあった。
 「以前見た、真っ白で美しいゴキブリの王子様を捜して欲しい」という依頼であった。結局それは、脱皮直後でまだ色づいていない状態のゴキブリの事であった。確かにあの茶色いゴキブリに比べれば多少マシに見えるのかもしれないが、しかしゴキブリであることには変わりなく、特に美しいというほどのものではないのではないか、と思ったものだ。
 以上、予備知識。
 本題。
 先日3/27付け文書に関して、「30過ぎると鼻毛に白髪が出来る」という情報が寄せられたが。実際の所、それに類するものは既に一年程前に経験している。
 その時私は、自宅で鼻毛を抜いていた。鼻毛というのは、髭ほどではないが放っておくと結構伸びてくるものなので、切るか抜くかしないといろいろ不都合が起きる。いくらキモオタといえど、入浴と鼻毛の手入れだけは怠ってはいけないのだ。
 その時抜いた一本の鼻毛。それは、色がなかった。白髪などというものではない。完全な無色透明だったのだ。物に例えれば、アクリル樹脂で出来た細い糸のようであった。
 それは今まで見たことがないほどに美しい鼻毛で、私はそれを、きっと鼻毛の王子様に違いない、と思ったのだった。
 私はその美しい鼻毛を妹に見せてやろうと思ったのだが、怒りを買って部屋から蹴り出されることは明白であることに気づき、途中で引き返して鼻毛をゴミ箱に捨てたのであった。
 それ以来、鼻毛の王子様にはお目にかかっていない。
 これはわたしがまだ20代の頃の話である。30過ぎてからこういうものに初めて遭遇していたら、きっとこのような感動的な体験とはならなかったのだろうなと思うわけで。そういう意味でも、若いうちに貴重な経験が出来たと思っている。
 今日は早く寝よう。
blogランキング、1日1クリック
-----


15年目の約束~時の濁流に泳ぐ魚


 結論から言ってしまうと、二人しか集まりませんでした。
 昨日の「15年目の約束」の、結果です。
 寝過ごして11時過ぎに目が覚める。集まる日が万博開幕日、と聞いていただけで、具体的な時間までは聞いていなかったので、万全を期して朝から張り込んでおくつもりだったのだ。目覚ましを止めたところまでは記憶にあるのだが、それから再び起きるまでの記憶が、何故か無い。不思議なこともあるものだ。
 慌てて着替えて、徒歩で中学校に向かう。家は学区のほぼ北端に位置し、中学校までは約2Km。うち半分は登り坂になる。なので、着く頃には息切れしていた。15年前は、毎日この道を歩いていたわけだ。そう、入学したての頃も息切れして、教室でぶっ倒れていた記憶がある。
 陶芸部の活動場所は校内のはずれにある窯業室であった。が、そこに行く前に先ず職員室に行く。
 最近学校に侵入する不審者が多いとのことなので、そういうのに間違われないように予め断りをいれておく。行ってみたら、15年前からずっとそこにいる先生がいた。しかもその人は、自分が小学生の頃にはその小学校にいた筈だ。
 余談だが。小学校にいる頃、その先生が全校集会で忘れ物とおぼしき傘を掲げて、この傘は誰のものかと叫んだ。誰も名乗りでないので、彼は言った。
「いないのか? 誰の物でもないのか? だったらこの傘かわいいから、先生の恋人にあげちゃうぞ。」
 1年後。彼は職場結婚した。
 そんな要らん話をわざわざすると校外に追い出されてしまうかもしれないので。そういう話はせず、ただ「卒業生が窯業室前で集まることになっているので待たせて貰っていいか」とだけ話し、許可を得た。
 向かう途中で、ジャージ姿の女子中学生の集団に遭遇。中学校なのだから中学生がいるのは当たり前なのだが。唐突に「こんにちは」と挨拶され、おもわず「ちわ」と中途半端に返してしまう。おそらくは人にあったら挨拶しろと教えられているのだろうが。しかし、自分らのことはそんなこと教えられたって絶対言うこときかないような所があったような気がする。最近の中学生は、意外と出来がよいのかもしれない。
 窯業室には誰もいなかった。卒業生も、在校生も。現在の陶芸部員の活動でもついでに見れればと思ったが、いないのでは見ようもない。そもそも、部が存続しているかどうかすら怪しい。自分らがいた頃にはもう既に、存亡の危機にさらされていた部だったから。
 その辺の話は、昔書いた桜落葉陶芸部という小説を参照されたし。ただし、これこそ本当に脚色が施されたものである。て言うか、そう言っとかないと関係者が見たら怒る。
 部屋の前で本を読みながら待っていたら、中学生男子がやってきた。前述のように中学校なのだから中学生がいるのは当たり前なのだが、しかし教員でもないむさい男がいるのは当たり前ではない。彼は「あっ」と声を出し、忍び足でその場をゆっくり離れて行った。そして角を曲がったところで一気に走り去っていく音が聞こえた。職員室に通報でもしに行ったのかもしれない。
 予め断っておいて正解だった。
 13時前。誰も来ない。日本全国が低気圧に覆われ、真冬並みの気温といわれた日である。風が吹いて非常に寒い。
 そろそろ撤収時刻を検討しなければならないなと思いつつ、ふと、あらかじめ電話なりで関係者に連絡をつけておけば、こんな当てもなく待ちぼうけることは無かったのではないかということに気づく。
 気づいた時にはもう遅い。電話番号は調べなければわからないし、電話帳のあるところに移動すれば、すれ違いになってしまうリスクもあったからだ。「私はここにいる」と書いた張り紙でもしておこうかとも思ったが、紙もペンも持っていなかったし、そもそも無関係の中学生が見たら、変な学校伝説の要因ともなってしまいかねない。私はもう、これ以上伝説になるのはごめんだ。
 それから約15分後。ようやく、一人の男が現れた。何となく見覚えはあるのだが、しかし全然関係ない人間かもしれない。お互い牽制し合うかのように無言で1分ほど立ちつくした後に、名を名乗りあってようやく、待ち望んでいた関係者であったことが判明した。
 ちなみに彼は、前述の「桜落葉陶芸部」でBのモデルとなった男である。
 しばらく二人で話しながらその場で待機していた。
 彼は東京で汎用機系のシステムの仕事をしていて、月労働時間が300時間あるのに残業代が出なくて月の手取りが18万しかないと言っていた。とりあえず転職を勧めておいた。というか、彼はこの日のために、就職して以来初めての有給休暇を取り、わざわざ東京からやってきたのである。凄い話だ。
 14時過ぎ。それ以上待ってももう来ないと判断し、撤収。とりあえず二人で近所の喫茶店に移り、「二人しか集まらなかった」というこの事態の検証に入る。結果、「15年という時間を掛けた、壮大な『釣り』だった」という結論で合意した。
 まあしかし。例え本当にそうだったとしても、別に悪い気はしない。これによって手に入れた15年の時の重み。これは、釣られたものにしか手に入れることが出来ないものなのだから。
blogランキング、1日1クリック
-----


恋愛NEET


 NEETというのは「Not in Education,Employment,Traning」の略で、教育も就職も職業訓練もしていない人のことを指す造語であるが。この言葉をもじって「Not in Education,Engage,Traning」としたものを「恋愛NEET」と呼ぶことにする。
 さて。2/24にときメモOnlineについての記事を書いたが。学生時代の知り合いに、このときメモシリーズにとことんはまりこんでいた男がいた。
 とにかく、ときメモづくしの男であった。
 それまでに出たときメモシリーズは当然全て買いそろえ、それをやるためだけにゲーム機本体も買う。聴く音楽はときメモのサントラ。持ち歩く小物も文具も、全てときメモ関連商品。部屋も車もそういうので埋め尽くされている。女の子(実在の)と会話する時も、「今の話題は結構ヒットした。好感度が50ぐらい上がったはずだ」等と言い出す始末。
 そんなだから、周りからは「あいつにだけは(実在の)彼女が出来るはずはない」と言われていた。
 ところが、3年生になった時。彼が、同じサークルにいた銀行の支店長の娘と交際していることが発覚したのである。周りの反応は正に驚天動地。阿鼻叫喚の地獄絵図と言っても良いほど酔ってくだを巻きまくっていた者もいた。
 そんな大混乱の中、私は思ったのだ。
「例えゲームでも、訓練を積んだ人間は違うのだなあ」と。
 さて。実際の所、訓練を積んでいない人間が恋愛をするのは非常に難しい。これは恋愛に限らず、どんなことでもそうであろう。
 若いうち、というか10代くらいだと、お互いが未経験なせいか、ろくな訓練が無くても意外とうまくいくことが多い。
 ところがこれが、歳をとってくるとそうも行かなくなってくる。熟練者と未経験の人間の差がどんどん大きくなっていくのだ。
 熟練者の中には「経験のない奴との恋愛なんてお断り」と言いだす人も現れる。また当の未経験者自身も、同年齢と同じレベルの恋愛をしたいと考えて、相手に高いものを求めがちになる。当然、訓練を積んでいないとその要求には応えがたい。
 こうして、未経験者は恋愛の機会を奪われていく。機会がないから、当然訓練の蓄積も為されない。蓄積がないから、ますます相手にされなくなる。このような悪魔の循環の繰り返しで、恋愛未経験者はどんどん厳しい状況に追い込まれていき、そのうち恋愛というものが手の届かない高嶺の花になってしまうのだ。
 こうして、恋愛NEETは形成されていくのである。
 この循環を断ち切る一つの方法には、恋愛NEET自身ががむしゃらに恋愛に突っ走り、なりふりかまわず訓練を積んでいく、というものもある。
 だがしかし。これとて決してそうそううまくいくものではない。「あなたのことは全然好きではないのだけど、訓練のためにお付き合いしてください」などと言おうものなら、相手にされないどころかはり倒されかねない。そもそも、がむしゃらに恋愛に走るという行為自体が、出来ない人間が多いではないか。
「恋をしたら負けかなと思っている」などと本気で考えている人は少ないだろう。だがそう自分を納得させる以外に術を持たない、そんな恋愛NEETは今も増え続けているのだ。
 問題の根は、非常に深い。
 ところで、前述のときメモの件の続きであるが。自分も経験を積んでおこうと思い、ときメモをやってみようと思った。
 だが、ゲーム機は持っていなかったのでWindows版を探して近くの店を2,3件周ったのだが。見つけることが出来なかった。プレステやサターン版ならあったのだが、その為にゲーム機本体を買う気にまではなれず。結局、ときメモをやることなく、経験を積むこともなく終わったのである。
 もしあの時、もっとがむしゃらにときメモを追い求め続けていたら。今頃はもっと、違う結果が
 ・・・あーいや、やっぱ結果は同じだった気がするな。
blogランキング、1日1クリック
-----