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憲法記念日を前にした報道各社による憲法改正に関する世論調査の結果が出ているが、どうにも不可解である。率直に言って、「あんまよくわからずに回答してる奴が多くないか?」という疑念を持たざるをえない。
よくわかんないからとりあえずいじくりまわすのはやめておこう、というのならいいのだが。よくわかんないから憲法改正に賛成です、とか言ってるようだとこれはかなりマズい。よくわかってないのにコロコロとルールを変えるとか、どこのパワハラ上司だよと。
民意というのは時に誤作動も起こす、というのはワイマール憲法下でナチス政権が誕生してしまったことが事例としてあげられる。その誤作動を防ぐために三重のチェックをかけるようにしているのが、日本国憲法だ。
ところで、情報システムの仕組みというのは法律と非常によく似ている。プログラミング言語(或いは手法)にオブジェクト指向というものがあるが、これの理念は法学を叩き台にしている。オブジェクト指向でなくとも、情報システムと法律とは考え方が共通する部分が多い。
スマホアプリやWebサービスなどでは最近、多要素認証というものが取り入れられている。業務用のクラウドサービスなどは、これを入れていないとシステム監査で引っかかる、という時代になっている。
多要素認証というのは、昔ながらのID+パスワードの組み合わせだけでは本当に本人が入力したものなのか心許ないので、本人が持っているメールアドレスなりスマホの認証アプリなりに認証コードを送って、正しい認証コードが返送されてきたら初めてログインを許可する、という仕組みのことである。
生体認証を用いる方式もあるが、これはソフトウェアだけでは実現が難しいので、まだそんなには普及してはいない。
勝手なことをされると困る情報システムでは、そういう事をしないと悪意のある第三者がデータを盗み出したり、権限や個人プロフィールを書き換えたりしてしまう恐れがあるので、ログインの段階でブロックしているのだ。
憲法というのも重要な法律で、全ての法律の最高法規である為、1文字でも変えるとそこに繋がっている全ての法律を修正或いは停止しないといけない。そんなことを安直にやられては困るので、現代の日本では衆議院参議院それぞれで三分の二以上という高い「セキュリティ強度」を持たせた上で、更に立法府の外にいる日本国民による国民投票という最終チェックを行って、初めて改正出来るという仕組みになっている。
ここで念押ししておきたいのは、国民投票はあくまでも最終チェックである、というところだ。最近、何かこれを自分達の権利であるかのように勘違いしているバカタレがいるので、敢えて念押しした。権利では無い。これは憲法改正が発議されたときの国民の義務だ。
実はこれだけの強度を持ってた憲法を持つ国もそんなには多くないのだが、そういう国は法治体制を維持するために多大なコストを強いられている。
ドイツはかつて東西に分裂していた名残から正式な「憲法」というものがなく一般法と同じレベルで修正出来るドイツ基本法というものしか無い。だが、だからといって基本法を蔑ろにされても困るので、憲法審査庁という憲法警察をわざわざ設置して政党も企業も一般国民も全部監視しているという、民主主義国家としては本末転倒の制度になっている。
多要素認証も、認証を求められると「ウザッ!」となることは多々ある。が、それをやっておいた方が最終的には情報や権限を守りやすい。
同様なことが日本国憲法の改正手続きにも言える。この方が低コストで法治体制を守りやすいのだ。
中には法治体制自体を否定してくる輩(何故か自民党を支持してる人間に多い)が混じり込んでいるので、そういうのは文字通り「お話にならない」のだが。そうで無い人は、憲法改正のハードルが高いメリット、というものにも、少し考えを巡らせてほしい。
実は労働組合というものに入ったことがない。
ぶっちゃけ、関わったことすら殆ど無く、最初に入ってしまったブラック企業に勤めていたときに(派遣元は沖縄に本社があったので)沖縄県労連にメールで相談したことがあるのと、13年前の沖縄県知事選の際に連合沖縄に軽く挨拶しに行ったことがある程度だ。
つまり、沖縄の労働組合としか接点が無い。それですら、10年以上前の話だ。
そういう意味では、メーデーというのは自分には関係の無いイベントだ。
メーデーの由来は、一時期マルクスの誕生日だという説がTwitterで流れたが、どうもこれは「クリスマスはキリストの誕生日」並みのガセネタだったようだ。
現在では、この説が主流らしい。
「メーデーの由来は、1886年5月1日にアメリカの合衆国カナダ職能労働組合連盟が8時間労働制を要求して行ったストライキがきっかけとされています。その後、世界的に毎年5月1日がメーデーとされており、労働者が団結して権利を要求する日となっています」
──Bing検索を元にしたchatGPTによる回答。
(但し、フランスが起源だという説もどこかで見たような気がするので、この説が本当に正しいかはわからない。)
興味深いのは、アメリカ起源説を採れば、労働者が要求していたのは賃上げでも経営権でも無く、8時間労働制だったという点だ。
今の日本の労働者でも、賃上げよりも8時間労働制の遵守を求める声は大きい。
言うまでもなく、ブラック企業に潰された身である荒野草途伸は、8時間労働派である。
5年前のネット労働運動の高揚と”働き方改革”実現要求では、労働者の間でも8時間労働派と、超過勤務手当を当て込んだ長時間労働派が対立した。
ナショナルユニオン的には連合が長時間労働派、全労連が8時間労働派に組みした。ここだけを見て、20世紀以来の日本のナショナルユニオンの対立しか頭にない専門家からは、この対立構図を連合と全労連の路線対立という問題の矮小化をされてしまった。が、実際には非組織労働者も巻き込んだ労働者同士の利害対立という、1つの歴史の節目だったのだ。
尚、この”働き方改革”は、超過勤務手当を負担に感じていた大企業経営者の一部が8時間労働派の主張を支持したため、結局総労働時間の規制という方向性でまとまった。が、無償で労に勤しむことを美と考える自民党はこの法案を骨抜きにしてしまい、現在でも尚、長時間労働は根絶されていない。
この3年間、コロナ禍という一種の世界大戦状態にあったために、労働者も経営者も政治家も、思考がどこか明後日の方向にとんでしまっているところはあるだろう。コロナ禍で長時間労働はむしろ悪化したのだが、それをテレワークのせいにしたがる輩などがいたせいで、何が問題なのかということをみんな忘れてしまっているように感じる。
しかし、本気でアフターコロナを目指すのであれば、日本が抱える構造的問題である長時間労働の問題、それが今なお改善されていない現実に目を向けねばならない。
メーデーというのは良い節目だろう。労働組合とか、そんなのは関係なく。