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じいちゃんと雪風


 熊本というと、ボンタンアメを思い出す。母方の祖父が昔繊維工場の人事部長をしていて、求人の為良く熊本に行ってお土産にボンタンアメを買ってきていたとかで、母親も私もよくボンタンアメを貰っていた。

 その祖父が海軍で駆逐艦乗りだったという話を以前Twitterでした。 


 その続きに当たる話である。

 昨年秋に2年以上待たされてようやく艦これに登録できたこともあって、この駆逐艦って具体的にどれなんだろうと思って、ちょっと調べてみた。

 私自身や、母親経由で、祖父から聞いた話の内容は、このようなものである。

・一度も撃沈されたことが無かった。
・戦艦大和と同じ艦隊にいたことがある。
・艦内で新聞を発行していた。
・戦闘中に監視員が操舵士の肩を蹴って面舵取り舵の指示を出していた。
・潜水艦を見つけると、すっ飛んでいって爆雷を投下して、速攻で逃げて戦艦の陰に隠れていた。
・米国艦船と戦闘終了後、沈む米艦相手に敬礼代わりの霧笛を鳴らしたところ、相手からも沈む直前に霧笛が帰ってきた。洋上に浮かんでいる米兵がいたが、下手に助けると捕虜収容所で酷い扱いを受けるので、缶詰などを投げてその場を去った。
・米艦隊の襲撃を受けた際に、全速力で入道雲の中に逃げ込んで難を逃れた。
・沈んだ他艦の救助した兵士が結局死亡した際に、棺桶がないので代わりに筏を組んで棺桶代わりにして、水葬した。
・どっかの島でサトウキビを大量に買い込んで予備食料にしていた。
・(自決用の?)手榴弾が艦員全員に支給されたが、外洋に出るとそれで爆弾漁をして魚を捕っていた。
・敗戦直後はイギリス軍の捕虜収容所にいた。

 これらの話を元に艦これwikiやwikipediaを調べたところ、どうやら「雪風」で間違いなさそうという結論に至った。

参考:
艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*:http://wikiwiki.jp/kancolle/?%C0%E3%C9%F7
Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E9%A2%A8_%28%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6%29
 これらの記載を基に検証すると。

・一度も撃沈され無かった
 →駆逐艦で敗戦まで生き残ったのは響と雪風のみ。
・戦艦大和と同じ艦隊にいたことがある
 →沖縄戦に向かう大和に雪風が同行しているとの記載あり。
・艦内で新聞を発行していた。
 →敗戦後雪風が引揚げ船として運用されていたときに、艦内新聞を発行していたとの記載あり。
・戦闘中に監視員が操舵士の肩を蹴って面舵取り舵の指示を出していた。
 →艦長が目視で砲弾を回避する為航海長の肩を蹴って指示を出していたとの記載あり。
・潜水艦を見つけると、すっ飛んでいって爆雷を投下して、速攻で逃げて戦艦の陰に隠れていた。
 →(特に記載を見つけられず)
・米国艦船と戦闘終了後、沈む米艦相手に敬礼代わりの霧笛を鳴らしたところ、相手からも沈む直前に霧笛が帰ってきた。洋上に浮かんでいる米兵がいたが、下手に助けると捕虜収容所で酷い扱いを受けるので、缶詰などを投げてその場を去った。
 →レイテ沖海戦の米駆逐艦ジョンストンとの話のことか?
・米艦隊の襲撃を受けた際に、全速力で入道雲の中に逃げ込んで難を逃れた。
 →(特定の記載を見つけられず)
・水葬
 →白木の棺桶で水葬したとの記載あり。これは流石に(戦時という状況を考えて)Wikipediaの記載が間違いと考えるのが自然。
・どっかの島でサトウキビを大量に買い込んで予備食料にしていた。
 →(特に記載を見つけられず) 
・(自決用の?)手榴弾が艦員全員に支給されたが、外洋に出るとそれで爆弾漁をして魚を捕っていた。
 →(特に記載を見つけられず)
・敗戦直後はイギリス軍の捕虜収容所にいた。
 →復員輸送艦絡みの話か?

 「一度も撃沈され無かった」という時点で既に二択になってしまうところが、正直絶句したが。ともあれ、「響」の方も調べたが全然エピソードが違うので、雪風で間違いないだろう。

 ちなみに、艦これでは荒野草途伸は雪風はまだ入手していないので、ゲーム中での雪風の扱いがどういうものなのかはあまりよくわからない。なので、祖父の話を含む史実のみについて語る。

 これらの話を聞いたのは、殆どが自分がまだ小学生自分の頃の話で、(記憶が確かなら)主に従兄弟がせがんで話をしていたことだったように思う。
 そうやって昔話をしているとき、爆弾漁だのサトウキビだのの話をしているときは割と楽しそうに話をしていたものだった。特にサトウキビは随分思い入れがあったのか、サトウキビがスーパーで売られているのを見ると買い込んできて、(当時もう既に糖尿病を発症していたので)祖母に怒られていた。

 が、戦闘の話はそんなに多くを語ったわけでは無かった。
 唯一詳しく話してくれたのが、アメリカ艦(駆逐艦ジョンストン)とのエピソードである。
 爆弾漁だのサトウキビ買い込みだのをしていたので、食料には割と余裕があったのだろう。wikiを読んでいると随分たくさんの兵士を救助したようだが、これも食料に余裕があったからこそ出来たことだったのだろう。(別で読んだ文献によると、助けて自艦に乗せると食料がなくなるからと沈んだ他艦の兵士を見殺しにしたケースもあったらしい。)

 (wikiによると)唯一の例外が、沖縄に向かう大和に同行していたとき、だったようだ。
 「宇宙戦艦ヤマト」が大人気だった時代だったので、従兄弟としては大和の話を聞きたがっていたが、祖父は逆に大和との話は殆ど語ろうとはしなかった。ただ、「大和はとにかく大きかった」としか語らなかった。
 ただでさえ大和撃沈の際の凄惨さは文献を当たれば簡単に伝わってくるほどのものである。加えて、それまで遭難兵は基本救助してきた雪風が、大和の時だけは見殺しにせざるを得なかったのだから、それは相当な精神的な過酷さだったのだろう。

 余談になるが、私が琉球大学に合格して沖縄に発つ前に祖父母の家を訪れたとき、祖父は部屋に引き籠もってしまって会ってはくれなかった。今思えば、「沖縄行き」というその言葉自体に、トラウマを持ってしまっていたのだろう。ただ、その当時の自分は、その事に全く気づくことが出来なかった。

 わからなかったと言えばもう一つ。小学生時分に従兄弟と話を聞いていた頃、同じ船の乗員は全員生き残ったという話を聞いたとき、私はこう尋ねた。「じゃあ、陸軍より海軍の方が安全だったの?」と。祖父は一言だけ答えた。

「船さえ沈まなければね…」

 その言葉の意味も自分には当時は理解出来なかった。というか、この文章を書く為の調べ物をして、ようやく気づいたバカタレなガキである。

 その祖父も、5年半前の2010年に亡くなった。奇しくも、私が沖縄県知事選の支援にのめり込んでいたときである。
 ただ、亡くなる直前に面会することは出来た。その時点で医者からはいつ死んでもおかしくない状態から半年以上経っていると言われている、と聞かされていた。面会した祖父は眠っていたが、私が病室に入ると目を覚ました。何か言葉を発そうとしていたが、それが何かはわからなかった。ただ、最後の最後まで、生きようとしていた。


4/3鍵点に荒野草途伸が参加拒否された経緯


 経緯を説明するまえに、まず、「荒野草途伸が4/3に蒲田Pioで犯罪行為を働く」という噂が一部で流されたことについて。これは、全く根拠の無いデマです。犯人が誰だか知りませんが、このようなデマを流す事自体著しく私の名誉を損なうものであることを先に申し上げておきます。

 その上で、今回の「ゆきゆき」「れもたろ」による荒野草途伸攻撃という事態のうち、れもたろに関する部分をご説明させて頂きます。

 そもそもの発端は、「れもたろ」というプロ気取りの同人作家が昨年春にTwitterで自身の同人誌への協力者を募った所から始まります。全員がそうだったかは知りませんが、自分含め少なからぬ参加者は、鍵の同人作家である”れもたろ”との交友関係の構築を期待して応募し相互フォローしました。言うまでも無く、その関係が続くことを信じて疑いませんでした。
 ところがその企画が終わったら、れもたろは問答無用で参加者の一部をフォロー解除してしまいました。全員ではありません。「れもたろにとって」知名度のある人間だけ残して、力の無い人間はリムーブという非常に汚いやり口です。そもそも、Twitterの世界において”相互”をリムーブする事自体、極めて非常識な行為、というか宣戦布告に等しい行為です。その為、被害者を代表して私荒野草途伸が代表してれもたろに抗議したところ、一言の謝罪も無いどころかひたすら自己の行為を正当化し、挙げ句同人仲間の主婦連中と結託して私に対する誹謗中傷をはじめました。

 挙げ句の果てに、当時(表向きは)非公表で進めていた私の企画の参加者に圧力をかけて、私の企画を潰すという暴挙に出ました。

 これだけでも、表現者としてあるまじき蛮行です。

 しかし、私の抗議の声は、極一部の良心的な人を除いて誰も聞く耳を持とうとはしませんでした。理由はわかりませんが、想像はつきます。れもたろの方が(同人界隈では)有名人で、Key公式とも繋がっているからです。

 逆に、私の人間関係はれもたろ勢力によってどんどん切り崩され破壊されてゆきました。

 その後2015年秋に、鍵点(KeyPoint)を主催する「あゆけっと準備会」の編集担当を名乗る永島(しおりすと)という人物から、編集担当という中立の立場でれもたろとの和解交渉を仲介する旨話がありました。
 しかしこの時はれもたろが「荒野草途伸のBLOGを全部消したら話し合いに応じてやってもいい」という、到底あり得ない条件を持ち出してきた為、決裂に至りました。ただ、永島がどうしても自分の顔を立ててくれと言うので、「今後お互い一切干渉しない」という内容で協定を結びました。いいえ、結んだことになっていたと、私は信じていました。

 ところが、年が明けてから、私が4月3日の「KeyPoint」への参加表明をしたところ、また永島から電話連絡があり(※私は電話連絡は困ると再三言っているにもかかわらず)、「れもたろが不満を言っているから降りてくれ」と要求してきました。そんな要求受け付けられるはずもないし、そもそも協定違反なので当然突っぱねましたが、永島が「れもたろさんは人気があって表紙も描いて貰っているから」というこちらにとっては至極どうでもいい理由で降りろと食い下がってきた為、主催の配島と話をすることになりました。
 配島と話を交代した際は、永島ほど不遜な態度ではありませんでしたが、「トラブルを起こした人間では無くトラブルになるかもしれない原因を排除する」という意味不明な論理で参加を拒否され、しかもこちらが自発的に降りたことにしろという身勝手極まりないことまで要求してきました。
 それでもこちらが怒りを腹に飲み込んで幾つか条件を出した上で「参加辞退」を受け入れましたが、その後来たメールではその諸条件は一つも履行されなかったどころか、新たに”一般入場拒否”という先刻まで出されました。(鍵と全く関係ない別のイベント主催の方に確認したところ、一般入場拒否というのは通常は犯罪者に対して行うものとのことです。)
 当然そんな話を飲めるわけもなく、交渉は決裂しました。ただこちらも人的繋がりというか”しがらみ”があった為、この事実は極力表には出さないようにしていました。

 しかし、この交渉決裂の後、私が犯罪者であるとのデマが一部で流布され、鍵界隈のみならず実社会生活にも支障をきたし始めています。
 さすがにここまで来るとただの同人同士のいざこざでは済まされない為、日弁連への人権救済申し立ても検討しましたが、時間と労力、なにより健康状態から司法手続きに踏み切るのが難しかった為、現段階ではまだ申し立てにまでは至っておりません。

 以上の話を要約すると
・一連のトラブルのそもそもの原因はれもたろにある。
・れもたろは一度結んだ協定を反故にして荒野草途伸を攻撃した挙げ句、犯罪者扱いしている。
・あゆけっと準備会は中立の立場という当初の話を反故にし、れもたろに一方的に肩入れしている。
・犯人は不明だが荒野草途伸が犯罪者であるとの事実無根のデマが流布されている。
以上となります。

 ゆきゆき(神田雪絵)との件についてはまた別の話になりますし、さらに長い話となりますので、また私の精神が落ち着いたときに別途記したいと思います。