4年前のツイートで申し訳ないが
大学1年の社会学の授業で、慰霊の日当日でなくてもいいから県平和祈念公園かひめゆり資料館に行くよう課題が出て、HT君に車だしてもらうことになったが糸満の道わからんというので、誰か糸満のやつおらんかと探した結果見つかったのが、iAcn。
— IQの下がった荒野草途伸 (@xatosi) June 22, 2014
沖縄戦の歴史、沖縄の戦後史(占領史)、復帰後の歴史。戦前の歴史、まだ日本でなく琉球王国という独立国家だった歴史。今でも知らない人は多いけど、5年前に比べると少なくとも知ろうとする人は増えたように感じる。
先ツイの話。
自分が琉大物理学科に入ったのが1995年4月で、HT君というのは物理学科の同級生。で、彼は普天間高校の出身なんだけど、「高校までは慰霊の日は休みになるから、学校休みになってラッキーくらいにしか考えてなかった。いい機会だから自分も行きたいという事で、車出してくれることになった。県出身の学生でもそれくらいの認識が普通だった。
沖縄デマの少なからぬものが、沖縄在住者から発せられているのは、彼ら自身が沖縄の歴史を知らずに育ち、ここまで来てしまった証だろう。
10年ほど前の話ではあるが、「本土から来た観光客の方が(下調べするなどして)沖縄の文化や歴史に詳しい」などと揶揄されたものだ。
先ツイの話に戻る。
ひめゆり資料館は観光ルートに組み込まれているから土産物店が多くて、その中には米軍払い下げ品を売る店も混じってて、米軍の迷彩服やヘルメットを売ってた。
牧志やコザならまだしも、ひめゆり資料館の前で。
それが当時の沖縄の姿だった。軍用地料や基地従業員で生計を立ててる人も多く、米軍基地容認派は今から考えると信じられないくらい多かった。
その空気がひっくり返ったのが、同年9月末に起きたあの事件。これもまた、一つの歴史である。どれだけの日本人が知っているだろうか?
書いてて気づいたが、今の大学生は、この事件が起きたときまだ生まれてすらいない。