書く勢いのあるうちに書いておく。眠いけど。
ふとしたことで、なんでここにたどり着いたのかも覚えてないが、「結婚の条件は「三高」から「三低」と「三手」に」という記事を見つけた。
まあ、あのバブル期を象徴する言葉の一つ「三高」は、男性からはものすごい反感食らってましたからねえ。
当時自分はまだ高校生だったから、「あー、自分も将来ああいう風に女性から対象外として蔑んだ目で見られるんだ」と、鬱になっていたものです。うん。「三高」なんて目指す来、さらさらなかったし!て言うか現実問題として、現役で国立大学入るのも無理だったのに。
それと比べると、今回のは自分にとっては、随分敷居が低くなったように思える。
「三低」(低姿勢、低リスク、低依存)。
低姿勢:
自分は、基本他人に対しては低姿勢のつもりだ(ネットでしか荒野草途伸を知らない人には信じられないかもしれないが)。少なくとも女性に対してはとにかく低姿勢。これは趣味も入ってるからね、全然苦じゃない。っと、ちょっといらんこと口滑らせちゃったかな?
低リスク:
低リスクを何度変換しても「定理スク」になってしまって「そりゃスク水の一種なのか、確かに俺はスク水は好きだが」とか言い出しそうになったが、今の話題とは全然関係ないのでやめる。
・・・とまあ、こんなことを口走る男ってのは、女性にとってはきっと「付き合うリスク」ってのを考えてしまうんだろうなあ・・・。
低依存:
「何に対しての依存なのか」ってのが、よくわからんね。それによって随分回答が違う。
家事とか生活とかお金とか、そんなものを女に依存してるような奴は、そりゃ嫌われて当然だろう。そういう意味での低依存なら、たぶん問題無い。
問題は、「精神的依存」だな。正直、もしこれが「ダメ」って話になったら、かなりきつい。て言うか、「精神的依存が出来ないならそもそも恋愛する意味無いんですけど」って話になっちゃう。ぶっちゃけ、好きな人に身も心も委ねてしまいたい、ってのが自分の願望だから。それがアウトってんなら、二次元の方が9999無量対数×9999無量対数マシだよ。
・・・どうやら自分には、「三低」はちょっと敷居が高いようだ。
そこで、「三手」の方を検証してみることにする。
手伝う(家事):
手伝うとか以前に、一人暮らしで家事は一応やってるつもりだからなあ。世間の話を聞いてると、この「つもり」が問題らしいんだけど。
まあ、出来ないことは全然無い。て言うか、自分が全部やってもいい。その分相手に求めるものは大きくなるけど。
手を取り合う(理解と協力):
これはむしろ、是非したい。手に手を取り合って、いろいろクソ下らない馬鹿なことして駆けめぐり、石投げられても一生に逃げたい。
・・・でもそれって、「恋人」である必要があるか・・・?
手をつなぐ(愛情)
そういえば、この間職場結婚を決めた自分の上司(歳は同じ)は、新年会で移動するたんびに手繋いでたっけなあ。そういえば、「デートの時手を繋いでいれば、お兄ちゃんでも人混みの中で相手とはぐれたりしないよ」って妹にアドバイスされたことがあったっけ。で、自分が異性と手を繋いだのなんて、小学校の時以来だ。この間の人生初デートだって、手は繋がった無かったしね。しかも5日後にふられたし。あー、イヤなこと思い出した。
ところで、手繋いだらセクハラで訴えられるとか、そういうことは普通無いんだよね・・・?
結論:
三低は、ちょっと自分には厳しい。リスクとか依存とか。
て言うか、これはもうお互いの価値観の問題になってくると思う。価値観が合うならば、逆にあんまり気にする必要もないことだと思った。
三手は、まあ出来そう。手を繋ぐのは恥ずかしいけど、付き合うんだったら、それくらいはするべきだよね。うん。わかるよ。頭では。(オイ)
でもさ。ここで、敢えて言いたいのはさ。付き合うとか付き合わないとか相手の為に努力するとか、そういうの以前にさ。
出会い自体がないんだけど。特に、プラチナクラス2/2付参照。
正直これが一番納得いかないんだよなー。
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三低と三手が要らしいですよ、つよしさん
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