荒野草途伸ルート >> 日常の愚痴 >>怒濤の三日間そしてくさとし36歳→そして約2ヶ月が経過した

怒濤の三日間そしてくさとし36歳→そして約2ヶ月が経過した

 
 大学4年の時、卒研指導教官によく「人生は30からだ」という事をよく言われました。当時は「そんなうまい話が…」と思い、30過ぎた頃には「あれは、裏を返せば30過ぎたらもう後戻りできないって事だよな」と思っていました。
 でも。ロスタイムの分は延長できるのかな、と今は思っています。自分、やたら人生のロスタイム多いですしね…。
 
 
 さて。昨日2011/3/27を以て、荒野草途伸は36歳になりました。
 「くさとし28歳」とかアホなページ書いてた頃から、もう8年経つわけです。…あれからあんまり成長していない気もしますが。少なくとも精神的には。
 
 
 ところで。昨年秋に荒野草途伸が沖縄県知事選を口実に帰沖した際に、IS君を押しのけて大親友のポジションを狙っている(という荒野草途伸の主観)、UY君が、「3/27に結婚式やります」等と言い出しました。
 またなんて日にやりやがる、と思いましたが、彼は荒野草途伸の誕生日を知らなかったので、仕方ありません。別に、UY君に意地悪していたわけではないです。UY君に限らず、荒野草途伸の友人で誕生日知っている人は、殆どいないはずです。誰にも教えた覚え無いですから。だって祝う気無いどころかむしろ来て欲しくない位なのに、何でわざわざ他人に教えるんですか。
 
 そんなわけで、ブルーデイのはずの3/27はハッピーデイにしなければならなくなりました。…これも精神の鍛錬です。人生何事も勉強です。
 
 
 
 
 ここまでは、昨年の話です。その後いろいろあって、詳細は書きませんが上条冬馬ばりの不幸続きで、2月末にはついにモチベーション0という状態にまで陥っていました。
 が。3/25の金曜日、それまで夢物語止まりでしかなかったことが、実現できそうな見通しが立ちました。まだ100%ではないので内容は書きません。書いたら誰かに邪魔されるかもしれませんし。自分は、知らない間に見えない敵を作ってしまう人間だと思っているので。36年も生きていれば、どれだけの敵がいるかわかったものではありません。
 とりあえず、人生の方向性が変わる出来事だ、とだけ書いておきます。6年分のロスタイムを回収するときが来たのかもしれません。
 
 
 そんなわけで、3/26土曜日には沖縄行きの飛行機に乗るのでその準備をしなければいけないのに、両親と話し込んでしまい、結局準備は翌日に持ち越しになってしまいました。午後の飛行機を取って正解でした。
 
 
 なので、午前中はバタバタです。飯も食わずに家を出て、電車の中で既にグッタリ。それでも、予定より1時間早く中部空港に着いて、チェックイン手続きをしたところで、カバンが一つ無いことが判明。
 劇場版少女革命ウテナの「鍵がない!」という台詞を思い出して「鞄がない!鞄がないと飛行機には乗れないんだ!」と叫び出したくなりましたが、そんなアホなことをしている暇があったらさっさと駅に戻るべきです。
 幸い、鞄は駅で預けられていました。指定席券があったので、身分証明も何も無しで鞄を受け取ることが出来ました。
 
 時間があったので、数名に何かお土産いらないかとメールを投げたら、iAcnから「中日スポーツが欲しい」という返信。
 すごい安上がりです。というか、ANAのEdyカードで買いたかったので、むしろそんな安くては困ります。(ANAのEdyカードは、200円単位でマイルが付く為、100円だとマイルが付かない。)
 結局中日新聞を一緒に買うことにしました。朝日や毎日じゃ名古屋土産とはちょっと言えないので。日経は沖縄で普通に買えるし。
 
 
 飛行機に乗ったら、出発する前に既に意識不明。気がついたら、窓の外に糸満市街地が見えていました。iAcnの生息地ですが今回は行く予定がない糸満。そう、予定はなかった、のですが。
 
 

(↑以上、3/27の帰りがけに書いていたのだが、ここまでで力尽きた。以降は2ヶ月近く経ってからの文章である)
 
 
 予約していた「ホテルリストルアジア」という宿に着いたら、何故か予約が入っていないというとんでもないことが判明。楽天トラベルで予約して宿泊料金も支払い済みなのに、一体どういう事かと問うも、回答が要領を得ない。とりあえず空き部屋はあるから宿泊は可能だというのだが、料金を請求してくるので料金は支払い済みのはずだといったら、そんなもの確認できない支払った証拠を見せろ等とほざき出す。
 さすがにブチ切れて、宿を飛び出してしまった。こんなおかしな宿、いくら何でも泊まるわけにはいかない。
 
 ちなみに、この後楽天トラベルにこの件についてクレームを入れたら、「宿側と主張が食い違う」という理由で、事実上相手にされなかった。予約台帳(つっても普通のノート)に名前が載ってないのは目の前で確認したし、支払い済みの宿泊料金を要求されたのも事実である。宿が嘘ついてるのは明らかなんだけど、それをよく調査もせず対応できないなどと言うのは、ある意味「客が嘘ついている」と言ってるのと同じなわけで。楽天トラベル側の対応も正直頂けない。
 ただのクレーマーだと思われてるのか、それか会議が英語だから社内の意思伝達が十分でないのか、その辺はわからないが。とにかく不愉快極まりない。
 いっそ訴訟を起こしてやろうかと思ったが、先日宿泊料金が返還されてしまった為、慰謝料だけでは訴訟理由として弱いので、これは諦めることにした。
 しかし、先日Twitterのログを見返していたら、この1年あまりで楽天トラベル以外にも楽天グループに関する不平不満がずらずらと出てきていて、「こら楽天グループ全体が本気であかんな」と確信した。
 とりあえず、今後楽天グループは一切利用しないことにした。ただの感情論だけで無く、こんなにトラブルが多いようでは、利用するのにリスクが高すぎる。
 楽天トラベルは旅の窓口時代以来10年近く利用してきたのだが。残念ながらお別れだ。
 
 話を3/26に戻そう。
 
 これから宿探すのかー、予想外の出費になるなー、と思いつつ、念のためiAcnに泊まれないか訊いてみようと電話したら、状況を説明しただけで「うちに泊まれ」とのご返答。
 なんでも、つい三日前に事情があって空き部屋が出来たばかりだそうで、泊まるだけなら全然問題無いとのこと。糸満だけど、どうせiAcnも結婚式行くんだし、ある意味むしろ都合がいい。
 
 
 とにかく、宿確保。ということで、予定通り新都心にある行きつけの美容院(前の会社にいたときに、「改造計画」の一環として連れて行かれた美容院です)に行くことにしました。
 担当の美容師さんが、やたら落ち着いた服着てるなーと思ったら、おめでたでした。12月になんかあったらしいです。こっちはトラブル続きで神経すり減らしていた頃に、美容師さんはハッピーエンドイヤーだったらしいです。
 まあ、他人の幸せを妬むほど、荒野草途伸も落ちぶれてはいませんけどね。そもそも12月なのにギャルゲーをやらなかった自分が悪いのです。自業自得です。
 …最近お薦めのギャルゲーって、何でしょうね。ここ数年、雑誌とか見ても、心そそられるものが全然無いんですけど。
 
 
 それはどうでもいいとして。iAcnと待ち合わせの間に、ダイソーで生活物資の買い込み。沖縄のダイソーはりうぼうやサンエーに併設されてる関係で、Edyが使えるのです。品揃えもいいし。サプリが100円で買えるのは有り難いですよ。
 
 その後iAcnと合流し、iAcnもダイソー行きたいというので暫し待って(そういう事は先に言ってくれ、頼むから)、AS君に連絡を取って迎えに行く為に久茂地まで戻って(土曜日の夜なのに仕事中だった)、また新都心に戻って、牛角でお食事。
 「今は消費して経済を回すことが大事だよね」とか知ったかぶりな事を3人で言いながら、消費に貢献してるかどうか微妙な値段の品を適当に注文。
 日本人は長らく、「貯蓄は美徳で消費は悪」という戦時中の大日本帝国政府のプロパガンダにずっと束縛されてきたわけだが。東日本大震災でようやくこの間違った意識も是正されそうだ。不幸な出来事が無いと社会を是正できないのは、日本人の欠点だと思う。
 
 AS君はこの後もまだ仕事だというので、また久茂地で下ろして、その後糸満のiAcn宅に。
 宅というより邸と言っていいレベルの大きな家であるが。
 そういえば、親父さんが家の名義をiAcnにしたいと言い出しているとかいう話があったが、あれはどうなったんだろう。たぶん親父さんとしては、生前贈与のつもりなんだと思うんだけど。iAcnとしてはそれを受け取ってしまうと家を継がなければいけなくなるので嫌がっている(iAcnは弟に継がせたいらしい)、という話だったと思うが。
 
 まあ、そんな家庭の事情に首を突っ込める立場ではさすがに無いので、とりあえず普通に挨拶だけしておく。手土産がダイソーで買った100円ドリンクというのが頂けないが、急ぎだったから仕方あるまい。
 
 部屋に通されて、暫しiAcnと歓談。iAcn所有の32インチLEDTVで、本物のHD画質というものを体験。画素数が多いので、普通の40インチTVよりも画質が良いのだそうだ。
 「32インチにしてみたけど、何かSD画質でも大して変わらないよなあ」と思っていたのには、こういう理由があったのかと納得。
 
 その後、iAcnが牛角にPHSを忘れていることが判明し、彼は慌てて取りに行ってしまった。
 
 その間に自分は荷物を確認。ここで自分も大変なことに気づく。帰りの飛行機で使うはずの、ANA株主優待券が、無い。
 よくよく思い出してみると、確かに鞄に入れた記憶も、無い。
 またしても世界を革命する力の発動。「株主優待券が無い! 優待券が無いと飛行機には乗れないんだ!」いや無くても乗れるが、通常料金がかかってしまう。
 とはいえ、通常料金で乗る他に手段は無い。泣く泣く予約の取り直し。ここで気づく、ANA満席。
 翌日には、どうしても外せない用事がある。神戸便に乗って大阪で一泊してから翌朝の始発で名古屋に向かうという、金銭的には最悪のケースを採らないといけないのかと、ANAのロゴマーク並みに青ざめる。
 それよりは披露宴を中座してJAL便で帰る方がマシかと、JALのページをチェックしてみたら、1月に予約したときには存在していなかったJTAの19時の便が。空きはたっぷりある上にJALカードなら若干安くなる。
 「いやっほーぅ、JTA最高!」と叫びたくなる程であった。
 ちなみに、今は沖縄−中部便は全部JTA運行になっている。まあ、15年前まで沖縄−名古屋便はずっとそういう体制で、何故か「JTA名古屋−山形便」というのまで存在していたのだが。どういう理由か知らないが、JAL運航に変えられてしまった。
 それが元に戻っただけの話といえば、それまでだ。
 
 とにかく、帰りの便も何とか確保。出費は増えたが、帰る時間も1時間遅く出来るので、二次会も長めに滞在できる。ある意味結果オーライ。出費は増えたけど…。まあ、「今は消費して経済回さないといけない」から、そういう理由で善とする。
 
 
 
 その晩は、久々に良い夢を見た。本当に、何年ぶりかと言うぐらいいい夢だった。学生時代にIS君に紹介された女の子が実は近所の幼なじみで云々といういかにもギャルゲー的展開の夢だったが、まあ夢だから問題無かろう。
 ちなみに後日この話をIS君にしたら、彼はその女の子のことを全然覚えていなかった。
 
 
 翌日。というか、床に入って時点で既に日付は変わっていたのだが。荒野草途伸は36歳になった。
 自分の父親が36歳の時、自分は既に12歳。小学校を卒業しようかという年齢だった。その頃には既に右翼から左翼への思想転向も済ませていた。その当時から、自分の精神年齢はあまり変わっていない、というか当時の方が高かった気すらする。
 
 
 iAcn宅で朝食。おいしかったのでつい全部食べてしまったが、今の自分は一日一食しか食べられない状態だという事をすっかり忘れていた。おかげで、午後の披露宴の食事は一口も入らなかった。
 お母様からはまたいつでも泊まって良いという有り難いお言葉。これからちょくちょく沖縄に戻ることになる予定なので、有り難い話なのだが、場所が場所(糸満でもかなり田舎の方)なので足が不便だし、仕事が終わった後の最終日に一泊、とかいう事になるか。まあ、そのくらいが節度としても丁度良い感じだろう。
 
 
 朝9時に出発。自分は、出るのは「披露宴」だけで、「結婚式」には出ないものとばかり思っていたが、どうやら学科の連中はみんな出るらしい。自分だけ情報が伝わっていなかった。まあ学生時代には日常茶飯事だったなと、特に気に留めないでおく。
 
 結婚式は、人前式なのに何故か会場はチャペルという、ある意味よくわからないシチュエーションだった。さすがUY君、普通じゃ飽き足らない男だ。俺さえいなければ、きっと君が学科でトップの座に君臨していただろうに。それはきっと、とってもとっても不名誉なことだったろうけど。
 
 披露宴会場では、沖縄の結婚式では恒例(沖縄流結婚式のスゝメ参照)の余興の練習に加えて、自分はUY君からバックアップPCの準備(新婦がPowerPointで何か演出する事になっていた)を依頼されていたので、その関係でバタバタと走り回る結果になってしまった。結局UY君のPCは問題無く動作したのだが、式場のスタッフがよく理解していなかった為に、結局本番時まで自分が動き回ることになってしまった。…まあ、無事終了したから、良いだろう。
 
 ウチら学科連中では、披露宴ではその場で現金を集めてお祝い品として持って行くという慣習があるのだが、そのとき自分は手持ちが無かった。何故かというと、余分になったANA優待券をTN君に売却して、その代金を会場で貰うことになっていた為である。
 ところが。TN君に請求したら、「金無い」とか言いだしよる。…代金は結婚式の時につったじゃん…と言いたかったが、言い出せず、結局手元の全有り金1856円(本来は2000円)を出してその場は凌ぐことにした。
 TN君にはその後、二次会の費用を立て替えさせた(本来の金額の半分以下だったが)ので、まあチャラとしよう。TN君の結婚式(彼は福岡在住)で祝儀1万円しか出さなかったという引け目もずっとあったし。
 
 
 
 二次会で、新郎新婦が来るまでの間に、学科連中に今後の進路について報告。TN君がえらく感激して、何が何でも応援したいということを言っていた。応援するより前に払うものちゃんと払ってくれよと突っ込みたかったが、人の好意に水を差すのも何なので、黙っておいた。
 新郎新婦の到着がだいぶ遅れたので、結局二次会本番としては大した時間いることは出来なかった。というか、当初予定通りだったら新郎新婦が来る前に帰らなければいけないところだった。 
 
 帰りは、GCさんがNCさんを空港まで送っていくというので、それに同乗させて貰うことにした。どうでもいいがGCさんは大学4年の終わりになって初めて会話をしたくらい関わりが無かった人なので、未だにどういう人なのかよくわかっていない。
 車中の会話で、学科女性陣のホンネというものが少し垣間見えたような気がする。もちろん、それはここでは敢えて書かない。女性を敵に回さない、というのは小5以来の自分の人生訓なのである。
 
 
 
 帰りの飛行機では、この文章の冒頭部分を書いていて、中部空港からの電車の中でも書いていたのだが、途中で力尽きてしまった、というのは前述の通りである。
 後の記憶は、もう既に無い。2ヶ月も前のことを覚えている記憶力は今の自分には無い。36歳にもなったら、記憶力など当てにしてはいけないのである。
 
 
 
 そしてその後の自分の「進路」であるが、思い通りとは行かないが曲がりなりにも進んでいる、と言ったところか。て言うか正直に言うと、ちょっと遊びすぎた。
 
 
 まあ、長い人生、遊んでるぐらいが丁度良いんだろうけど。歳食ってから遊んでも、なんだか面白くなさそうだし。
 結婚? いや、今は本気でそういう願望無い、と言うかむしろしたくないです。二次元は関係ないです、念のため。
 
 
 
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