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沖縄流結婚式のスゝメ

 
 一生に於いて一度は経験しておいた方がいいものの一つに、沖縄の結婚式は入ると思う。自ら主役になるというのももちろん良いものだが、ただの一参加者としてそこに入るだけで、十分な感動が味わえるものである。
 今回は、先日筆者荒野草途伸が参加した、大学の同級生A君とその伴侶Mさんの結婚式の様子を追う形で、沖縄の結婚式というものを紹介してみたいと思う。
 
 
 その前に、少しだけ背景設定について説明しておきたい。このA君というのは、物理学科48期生の年次長をしていた人であり、荒野草途伸の文書に良く出てくるiAcnとは別人である。年次長というのは、もしかしたら琉大物理学科独特の制度なのかもしれないが、学科の年次全体を取り仕切る、要するに学級委員のような役職である。
 A君は、この年次長を2年次・3年次の計2年間つとめた。通常というか例年は、この年次長の役職は1年次の時に選出された人がそのまま4年間やるものなのだが、我々48期生は、あまりにもあんまりな面子が揃いすぎていたため、最初の年次長はその心労と重圧とバイト疲れと酒の飲み過ぎから、1年で引退してしまった。A君は、その後を引き継いで年次長をやっていた人なのである。ちなみに現在は、某高校の理科教員をしている。
 とまあ、A君とはそういう人であり、また琉大物理学科48期生とはそういう集団なのである。以上、事前説明終わり。
 
 
 さて。まずは、式当時の約一ヶ月前から。そう、沖縄の結婚式は一ヶ月前から始まる。これは、主役二人の話ではない。一般参加者の話だ。沖縄の結婚式はいわば全員参加型であり、新郎新婦の友人・同僚は式本番に於いて何某かの余興を行うことが通例となっている。そのため、関係者は約一ヶ月くらい前からその準備のために時間を費やす。会社・団体によっては、そのための休業は公休扱いにするところもあるくらいだ。
 無論、県外から来る人等はこのようなことは無理である。なので、そういう意味では厳密に全員参加型とは言えないかもしれない。だが心情的にはきっと同じなのである。それに、わざわざ飛行機に乗って結婚式に出席しに来るということ自体、一種の余興と言えるだろう。なので、基本全員参加という事に変わりはない、そう言っていいだろう。
 そういうわけであるから、我々琉大物理学科48期生有志も、約一ヶ月前から土曜の夜に集結していろいろやっていた。浦添市の運動公園の駐車場で「長州小力パラパラ」の練習をしていたのであるが、30前後のどちらかというとむさい男の集団が夜の駐車場でパラパラを踊る姿は、なかなかに壮観であっただろう。丁度その頃ヤクルトスワローズがその運動公園でキャンプを張っていたので、その見学者に見つかるのではないかとか警備員に不審者として認識されて全員浦添警察署に連行されはしないかとか、ドキドキしながらの練習であった。
 
 
 そんな風に準備万端整えた2月吉日。式は午後からであったので、その前に最終練習をしようと10時集合の取り決めをするも、10時半に集まったのはわずか3人。ちなみに筆者はその3人に含まれていたが、革靴とスニーカーを間違えて履いてきてしまい履き替えに家に戻っていたので、結局再合流したときは11時になってしまっていた。
 そしてそんな頃にはもう他の集団がリハーサルを始めてしまっており、自分達が練習を始められたのは受付開始10分前。しかもその時初めて舞台上での並び順が決まるダイナミックぶり。これでいいのか? という疑問を残しながら、いったん会場の外へ。
 
 場外には既に、多くの出席者が集まり始めていた。そして何故か、制服姿の高校生が数名。会場がホテルなので修学旅行生でも迷い込んできているのだろうか? と考えていると、「物理学科、余興参加者控え室へ移動」と告げられる。ついて行くとそこは階段の踊り場。控え室じゃないし。受付時間過ぎてるんだから、そんなところへ行くくらいならさっさと会場入ればいいのに。と思ったのは自分だけではないはずだが、何故かみんな動かない。48期生は結束力が強いのである。
 
 
 そして我々は、開始直前になってようやく受付に赴いた。このとき出した祝儀は1万円。県外と比べると破格というか非常識に思えるかもしれないが、これが沖縄の結婚式における友人の祝儀相場なのである。「30過ぎたのだからもう少し出してもいいのでは?」という提案は、却下されてしまった。
 ちなみに4年前、やはり同じ物理48期生の結婚式に出席した際は、新郎が「100ドルもあれば十分です!」と言ったので、私は銀行で100ドル札に両替を行って、祝儀袋に入れて渡した。その1件はいろんな意味で人々の心に残ったらしい。
 
 
 式開始。新郎新婦は琉装で登場。念のために言っておくと、沖縄の結婚式がみんな琉装で行われるわけではない。和装+洋装か、琉装+洋装という選択になるようで、実際彼らも、和装とどちらにするか迷ったと後で言っていた。だが、琉装で良かったと筆者は思う。何故ならあまりにも似合いすぎていたからだ。
 
 式は約3時間。県外の他の結婚式と比べてこれが長いのか短いのか、実は私は沖縄以外の結婚式は実際に出席したことがないので、わからない。おそらくはこんなものなのであろう。そして始まりも、おそらくは普通の出だしであった。上司による挨拶。新郎が高校の教員であるので、上司は校長先生。長い。
 それが終わったと思ったら、今度は教頭による乾杯。これまた長い。プログラムを見たときに覚悟は決めていたのだが、しかし途中でうんざりして、話など聞かずに意味もなくテーブルに用意されていたレンズ付きフィルムで遅れて来ていない奴の席に置かれた名前を写真に撮ったりしていた。
 こればかりはどこも変わらないようだ。
 
 出席者は約300名。県外に比べると、文字通り“桁違い”な人数である。が、しかし沖縄ではこれが普通である。人によっては4〜500名集めるらしいから、それと比べればむしろ少ない。
 だいたい半分近くは親戚関係のようで、残りが友人知人といった人たちになるようだ。まあ友人の方は、小中・高校・大学・職場と20人づつ呼んでも80人、実際にはそれ以上。×2で160人は軽く超える。そして親戚も、沖縄では親戚の範疇が広いので70人くらいは集まる。×2、140人。計300人。従兄弟のはとこの親戚の赤の他人まで呼んでたら、そりゃあ500人くらい来るだろう。
 祝儀が一人1万円で済む理由が、おわかりいただけたであろうか。
 
 そして余興である。プログラムによると、こんな演目があった。
・新婦友人によるフラメンコ
・新郎友人(有名らしい)によるリサイタル
・新郎同僚による“武勇伝(暴露話)”
・新婦友人によるダンス
・新郎友人によるダンス(←物理48期生はこれ)
・新婦友人、並びに新婦自身によるコーラス
 
 
 ダンスのあとにまたダンス。しかも、新婦友人の方はダンススクールがどうのとかある。一種凹むが、しかしまあなるようになるしかないさと腹をくくり、ただ式を楽しんでいた。
 他人の余興を見るのは楽しい。元より新郎新婦が出席者に楽しんでもらえるようにと趣向を凝らした式であり、中にはそれに連動する形で行われる余興もあったためだ。しかし。であればこそ、我々は大丈夫であろうか。あのグダグダの集団が、式を台無しにしてしまいはしないか。
 
 そう案じている内にも、時は無情に過ぎてゆく。否しかし、この表現は正確ではなかった。何故なら、案じている者など殆どいなかったからだ。
 それどころか、こんなことをしている余裕すらあった。余興の中で「あっくんかっこいー」(※A君は同僚にあっくんと呼ばれているらしい)という台詞がしきりにでていたのを、物理学科のiAcn(学科では彼があっくんと呼ばれている)がにやにやしながら聞いていたところを別の席にいたUT君がわざわざやってきて「何ニヤニヤしてんだ、お前の事じゃないぞ」と吊し上げを始めたのだった。UT君は物理学科48期生の中でもUY君と双璧を誇る毒舌家であり、そのまま放置したらiAcnが凹んでしまうことは明白であったので、普段なら焚き付ける立場にある自分が敢えて止めに入った。
 ただまあ、これくらいのことはいつも通りといえばいつも通りである。そう、奴らは平和ないつも通りだったのだ。
 
 ひとしきり飯を食い終わり、自分達の前の演目が始まる直前に物理学科48期生達は一斉に席を立った。だがものの数分もしないうちに、何名かは戻ってくる。「上着着用、ネクタイは不着用」という服装が周知徹底されていなかったためだ。
 
 そして本番。整列に手間取っている間に、幕が開いてしまう。ステージの上、そこから見える約300人の参加者からは、その時点で既に不安の色が見て取れた。そしてなる音楽。振られる腰、舞う両手。筆者自身もそのときには踊るのに必死だったので、そのときの我々の様子がどんなであったか、正確なことはわからない。だが、間違いなく自信を持って言える。あれはパラパラではなく、バラバラであったと。
 曲が終了。だがまだ最後の演出が残っている。全員中央に集結して、段ボールに一文字づつかかれた「結婚おめでとう」の字を掲げ、みんなでそれを叫ぶ。
 「婚」の字が逆さまだった。
 しかも、それで終わりであるのに、なかなか幕が下りない。30秒あまりの間、みな固まったまま。「婚」は逆さまのまま。空気を察した元副年次長で今回のとりまとめ役であるO君が、咄嗟にマイクの前に立ち、簡単な挨拶をして、ようやく幕は下りた。
 
 複雑な高揚感が、一同を包んでいた。ステージから楽屋を抜けて出て行くときに制服の高校生の集団がいたのだが、それを気にかけるまもなく一同は外へ。そして会場には入ることなく、ホテルのロビーで言葉少ない反省会。というより、気分を沈める必要があった。
 ようやく落ち着いて会場に戻ったときには、既に新郎新婦の「思い出のスライド上映」が始まってしまっていた。一同、神妙。
 
 上映が終わり、幕が下りる。しばしの時が経ち、ふとステージを見ると、制服姿の女子高生が一人、壇上の隅に。先刻から会場周辺をうろついていた、あの子達の一人のようだ。
 彼女は言った。「O先生、Mさん。ご結婚おめでとうございます。私達、1年6組は・・・」
 どうやら、プログラムにない予定外の乱入らしい。やっているのは、A君が担任で受け持っているクラスの生徒のようだ。幕が上がり、男女の高校生の一段が姿を現す。なんというか、良く言えば今風の高校生達だ。そんな彼らが、今にも踊り始めそうな体制でずらりと整列している。
 これはもしや・・・! と感づいた私は、隣の席にいた大親友ISくんに話しかけた。
「おい。これ、自分達とネタかぶるんじゃないか?!」
「・・・だろうな。だけど、もうどうしようもないだろ。」
 そして曲がかかる。曲目は違えど、やっていることはやはり自分達と同じ、パラパラ。敢えて言えば、自分達よりはうまい。
 物理学科一同、唖然としながらステージの方を見続ける。新郎もまた、似たような気分でステージを見ていたらしい。
 そして演目が終わるや否や、司会がこんなことを言い出す。
「O先生のクラスのみなさんが、飛び入りで参加してくださいました!皆さん盛大な拍手を! ・・・ところで私、生徒さん達がダンスをしている最中、ふと見てしまったのですが・・・。O先生が、なにやら目の中に光るものをそっと拭き取っている姿を見てしまったのですが・・・!」
「違います。汗です、汗です。」
 A君は必死で汗だと言い張るが、司会は聞く耳持っちゃいない。ここにあっというまに、美談が一つ作り上げられてしまった。そして、一度貼られたレッテルは、簡単にははがせないのだ。それが悪しきものでも、良いものであっても。彼には、「生徒のためになく良い先生」というラベルが付いてしまった。後に彼は四次会で、そのことについて盛んに弁明をしていたが、その内容は敢えて書かない。美談は簡単に壊せるものではないから。
 
 そして、いよいよ大取り。新婦と友人一同による、フルコーラスだ。新婦は幼少の頃からずっと音楽をやってきた人であり、この式でも得意の歌を生かして式を盛り上げようと企画していたらしい。
 新郎新婦席から反対側にあるステージまで、新郎が新婦の手を取って導いていく。新婦が壇上に上がり、手を挙げる。一同の視線は、新婦に釘付け。だがそのとき、私の目は新郎に向けられていた。用の済んだ新郎は、そんなに急がなくてもいいのにというくらいそそくさと、楽屋に逃げ込んでいった。
 そして暫し、彼女らの歌声に聞き入る。キリスト教の賛美歌だろうか。丁度コーヒーが出され、まるで今高級な喫茶店にいるような感覚に陥る。
 
 そしていよいよラスト。かちゃーしーで締めくくられる。かちゃーしーというのはリズムに合わせて適当に手を振って踊る、沖縄の民間舞踊である。決して難しいものではない、初めてでも出来る。パラパラより簡単。
 そしてひとしきり踊り終わると、新郎の友人(中学の友人から大学の同級生まで)が一斉に新郎に襲いかかり、胴上げを始めた。こう言ってはなんだが新郎は決して軽くはないので、胴上げには少々手こずった。だがそれでも隙あらばとばかりに何度も胴上げは繰り返され、ステージの幕が下りるまでそれは続いた。
 
 
 
 そして結婚式、A君とMさんの結婚式、そして僕らの結婚式は終わった。否、正確にはこのあと4次会まで続いたのだが、その辺はまあ、よりプライベートな部分が濃くなるし、割愛しよう。 
 とにかく。「沖縄の結婚式はこんなものだ」ということは、十分伝わったかと思う。
 これを呼んだ皆さんも是非、機会があれば沖縄で沖縄流の結婚式を挙げてみていただきたい。何も沖縄出身である必要はないと思う。全然関係ない県から、親戚と友達を呼んで、加えてその日に作った「沖縄の友達」を入れて。300人規模の結婚式をやってみてもいいのではないだろうか。
 出来る。きっと出来るはずだ。
 
 
 そんなことを思う、初春のある日であった。
 
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