ひめゆりの影響
共産党による影響
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ひめゆりの塔という映画がある。あまりにも有名だ。過去三回くらい制作されたそうで、私が見たのはおそらく二作目だろう。小学校四年。TVでだった。
詳しい映画の内容は省こう。冗長になるし、おそらく多くの人は何らかの形でストーリーを知っているだろう。この映画のワンシーンで記憶に残っているのが、米軍のグラマン機が機銃掃射で洗濯中の女学生を撃ち殺す、という場面である。
前述の通り、私の心の中には深く反米思想が植え込まれている。三つ子の魂百までというくらいだ。三つではなかったが、おそらくこれは一生消えることはないだろう。当然、小四の当時にもこの反米思想が生きていた。そのアメリカが、こともあろうに洗濯中の女学生を撃ち殺した・・・!
私は切れた。そして、右翼になった。日本の再軍備と日米再開戦を唱えだしたのだ。とはいっても、なにぶん小学生のことだからろくな知識も根拠も持ち合わせていないし、はっきり言って軍記物や戦艦プラモに興じる普通の小学生とどこが違うんだ、というかんっはあっただろう。しかし本人は大まじめだった。
某アニメ風に言えばセカンドインパクト。いやまさに180度の転換であった。
今でもそうだが、私は体育とかスポーツとかいうものが嫌いだ。日本の再軍備を唱えていたような人間が体練を嫌うとは何事か、と思うかもしれないが、まあ一種の性格のようなものだから仕方がない。しかし、私の住んでいた某A県は現在に至るまで軍国主義教育の色濃く、貴重な休息時間に「外で運動しろ」という無謀な命令を突きつけてくるのだった。仕方なく私は聖地・図書室に逃れ、読書にいそしむ毎日を送っていた。
図書室に逃れた人間は外に連れ出さない、というのがルールだった。ところがある日方針が変わったのか、週番(権力の手先)が図書室にまで乗り込んでくるようになり、小学校の図書室は断末魔の叫びあふれる修羅場地獄絵図に変貌した。私は廊下の脇に積み上げられている整理中の本の山に目を付け、その中に身を隠すことにした。
そこで私は様々な本を読んだ。書棚に開架されない貴重な資料がそこにはあった。そしてそこで、私は真実を知ったのだ。
前述のように私の心には反米思想が横たわっている。そして、そのアメリカに戦いを挑んだ日本は正義の国だと思っていた。ところが、私が手にした書物の数々には、日本軍が犯した愚劣な悪行の数々が記されていた。私は悩んだ。アメリカはもちろん悪。しかし、それに戦いを挑んだ日本も悪。悪が悪と悪の戦いを繰り広げる・・・・正しいのはどっちだ。今でこそ「どっちも悪い」という結論を出せる事柄でも、当時の私にとっては大問題だった。
そんな折り、当時の中曽根首相が電撃的に衆議院を解散した。1986年の衆参同日選である。町中に選挙ポスターが貼られ、通学路は色とりどりだった。そんな中に、私の目を引いた看板があった。大人背くらいの高さがあり、日米両政府への批判を絵文字で書き連ねた看板だった。いわゆる、「おはようございます」という文の「は」を葉っぱの絵で描いたり、「ます」を魚の絵で描いたり、というあれである。見方によってはずいぶんふざけた看板だが、小学生の私に訴えかけるには十分な効果があった。それが、共産党の看板だった。
私の迷いは吹っ切れた。「日本もアメリカも敵である」という、確固たる信念を得ることができた。同時に私は過激派を目指すようになったのだが、これは一般的日本人の大多数が抱いている「共産党」=「左翼」=「過激派」という誤った連鎖的誤解によるものである。まあこの目標は、その後「内ゲバ」という言葉の意味を知ってから消えたのだが、その間私は過去にも先にも例がないほど猛勉強した(と自覚している)。まあ、人生なんであれ目標を持つというのはいいことだ。