荒野草途伸ルート >> 日常の愚痴 >>手遅れになっちゃったけど

手遅れになっちゃったけど!

 
 
 長崎の12歳殺人犯事件が念頭にあって、こういうタイトルになっている。もっと早く言い出していれば事件が防げた、というわけではないだろう。しかし、何もしない何も言わないでいたという、社会的責任感の欠如は、非難されても致し方ない。ならばせめて、今言うことが大事なのではないか。そんな心境で、この文書を書いている。
 
 
 
 今の日本の教育に、最も欠けているものは何だろうか。
 愛国心? 道徳? 人間性? 国際性? 英語? 数学? 起業精神?
 全て、否である。いや、異論は受け付けない。否なのである。上記教育が必要かどうかという議論とも違う。今の日本において、最も必要とされつつも、全く行われていない教育分野があるからだ。それは、法律である。
 
 これを読んでいる人の大半は、日本国で教育を受けているであろう。中には形だけ中学校を出ただけで後はおしまい、という人もいるのだろうが、そういう人もちょっと黙って、考えて欲しい。我々は、法や法律とはなんなのか、一言でも教わっただろうか。学校教育の内容に、具体的な法律・法制度を教えるものが、どれだけ含まれていただろうか。
 特に、我々が安全な社会を築き生きていくために必要不可欠な、刑法・民法について教わった人間が、誰か一人でもいるのだろうか。
 私個人の記憶によれば、中学の公民で家族法(民法の内戸籍や家族制度について定めた部分)に関する部分を学んだ記憶があるに過ぎない。民法のうち残る財産法や、刑法については、義務教育課程はおろか高校教育でも学んだ記憶がない。
 と、ここまでで、これが現在の日本の法律教育の実態である、という前提で話を進める。もし、実態と違う、これは極めて特殊な例だ、というのなら、是非一報いただきたい。何しろ私はこの20年近く、小学校という場所は軍国教師が支配する自我喪失人間製造所だと思っていた人間であるから。
 
 さて。
 
 「法治国家」という言葉があるように、法や法律は、国家や社会の礎となるべき存在である。日本も、一応名目上は法治国家である。実態は法制度や裁判に感情論を持ち込むなど、人治と言わざるを得ない部分がかなり残っていて、それで社会全体がおかしくなってしまっている部分もあるが、それでも、少なくとも建前上は、文明的法治国家である。
 ちなみに、最近なのか昔からなのか知らないが、この法治国家という概念自体に異を唱えるおかしな連中もいるようだ。そういう連中には是非、法に変わる新しい国家統治概念を生み出していただきたいものだ。よもや全てを人治に戻せ等と言い出すつもりではあるまい。1億以上もの国民を、一体どうやって人治で統べろと言うのか。
 
 話を本題に戻すと。法治国家であり、同時に民主国民主権国家である日本では、当然全ての国民が自分達を統べる法律なる存在を熟知し、それを守ろうという順法精神を身につけているはずである。これは遺伝子レベルで刷り込まれているものではないので、生まれてきた子供には大人達が責任を持ってこのことを伝え教えていっているはずである。
 
 ところが。現在の所、公的なルートでそれを伝え教える術は、この日本社会には存在しない。
 では、非公式なルート、家庭教育や地域教育によって教え込まれているのか。そうなのであろう。小学校の高学年ともなれば、殆どのガキどもは殺人罪というものを知っているし、14歳未満は何しても無罪放免というある意味いらんことまで知っている。
 
 ではこの現状のシステムは、一応伝えるだけは伝えているから問題無いのか。そうは言えない。何故なら、地域や家庭における「教育者」は、決してプロの教育者ではないからだ。上辺だけの、それこそ法律の文言そのままを教えることは出来ても、その意味するところや、何故そういう法律が存在するかといったところまでは説明できないからだ。
 例えば、よくある質問とは言えないが感受性の高い子供なら抱きかねない「何故人を殺してはイケナイの?」という疑問に、大人はどう答えるであろうか。「法律で決まっているから」と答えておけば、とりあえず正解である。(この正解も出せない人間が実際には多いようだが)。
 しかし、ここでさらに、「どうしてそういう法律があるの?」と訊かれたら。これはもう、親や近所のオジサンの扱える範疇を超えてしまう。歴史的経緯にしろ哲学的意味にしろ、大学の法学部でも出ていなければ答えられない内容、専門家の範疇になってくる。そして、多くの親は専門家ではない。
 
 こういった専門的且つ必要不可欠な事柄を教えるために、学校教育制度は存在するはずである。にも関わらず、法律教育が義務教育課程の中に組み込まれていないのは、どうしたことであろうか。
 前述のように、日本の法治国家は上辺だけで、実際には政治の実権を握るものからして人治主義者であるが為に、法律教育というものが公教育の場から追放されてしまっていたのだろうか。実際、少年犯罪が起きるたびに、言われるのは「道徳教育の充実」ばかりである。
 道徳はあくまで自己規範であり、社会規範ではないし、普遍的価値観ですらない。それ以前に、専門的事項ではない。それこそ、地域家庭において教え込まれるべき事柄である。
 
 法そのものが、軽んじられている。そんな社会になってしまったということだろうか。
 とかく感情ばかりが尊ばれ、理性が軽んじられる世の中である。そして忘れられがちな事実が、理性もまた人間性の一つということである。法というのはある意味、客観化された人々の理性とも言えるものであり、それが軽んじられているということは、乃ち人間性そのものが否定されているということである。
 翻って、昨今の犯罪の数々。どうしてこんなことが起きるのか、答えは明白ではないか。人間性の象徴である法を軽んじ、継承することを怠った社会で、非人間的なことをしでかすものが出てくるのは、それは至極当然のことといえるのではないだろうか。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−− 戻る