確かに今の教育の荒廃の一端は、彼らにある。文部省が民族派の恥知らず議員によって支配されれば、雇われ集団である日教組が何を言おうと、そのおかしな考え方が教育現場を席巻する事になる。その結果、今の若い人間は、利己的で感傷趣味な、とても世界で戦う事の出来ないものの考え方をするようになってしまっている。だが、考えてみよ。教育とは誰が行うべきものか?それは社会全体、国家全体で行うべきものである。然るに、これを理解していない人間が多すぎる。教育は教員が行うもの、それを指導するのは文部省、一般市民は無関係、無関心でよい。この姿勢こそが問題なのだ。教育が学校でしか行われないが故に、おかしな思想を持った人間のおかしな教育を許す結果になってしまったのだ。このことを私たちは、肝に銘じなければならない。