荒野草途伸ルート >> 日常の愚痴 >>怒濤の三日間そしてくさとし36歳→そして約2ヶ月が経過した

1ヶ月ほど前に福島に行ってきたのですが、正直何を書いて良いのかわかりません。

 
 
 とりあえず、タイトルの通りです。
 6月の前半に、1週間弱福島県に行ってきました。当初は、現地で日々日記みたいにレポートを書いて上げていくぐらいのつもりでしたが、いつもみたいなふざけた調子で文章書くような状況では無いという事に気づき、じゃあどういう風に、そもそも何を書けば良いのかと悩んでいるうちに、1ヶ月が過ぎてしまいました。
 さすがにこれ以上放置すると自分の記憶が劣化するので、とにかく書ける事だけ書いておこう、という事で、やっと一太郎のファイルを開きました。
 
 考えもまとまってないですし、ぶっちゃけつまんない話になるかと思います。にも関わらず、今回ばかりは多くの人に読んで欲しいという、矛盾した行動を取ってしまっていますが、どうかご容赦下さい。
 

 まず、100%事実である「自分が取った行動」から書いておこうと思います。
 
  • 出発前
     名鉄観光に電話していわき市ボランティアバスを予約。長靴やスコップ等作業に必要なものや、万一に備えて一週間分の食料医薬品生活物資等の確保に奔走(これだけで結構疲れた)。瀬戸市社会福祉協議会でボランティア保険に加入。猪苗代町に宿を確保。
  • 6/4(土)
     出発。
     終了間際の高速休日千円を使って、一晩かけて福島まで行く事にした。上信越道経由で行くつもりが須坂JCTで曲がり損ねてしまい、軽くパニックになるが、そのまま降りずに直進して北陸道から磐越道を通った場合のガソリン代が、一旦降りて千円払い直すよりは安上がりと計算して、北陸道経由で行く事に。0時過ぎに五百川PAに到着。翌朝郡山駅8時集合な為、ここで時間まで車中泊。
  • 6/5(日)
     郡山駅7時着。ここから、いわき市ボランティアバスに乗り込む。駐車場が遠かった為、結局手続き自体は少し遅れ気味に。
     10時頃にいわき市の作業場所に到着。集積されたがれきの量に圧倒される。このがれきを分類し、特に貴重品や思い出の品が無いかを判別し、ゴミは重機で運び出せるようまとめていくのが仕事。
     こんなの一日で終わるわけがない、と思ったし実際終わらなかったが、自分が予想していたよりは片付いた。
     雨が降りそうになった為、予定より早く撤収。スタッフの人に、一週間宿を取ってあって翌日以降も作業できる旨伝えたが、いわき市では平日は一般のボランティアを募集しているかどうか微妙という回答。どちらかというと北部の新地町や南相馬市なら一般のボランティアも受け付けているという情報を得る。
     バスに乗り込んでしばらくしたら一挙に疲れが吹き出してきて、気がついたら郡山駅という状態だった。
     何とか車まで着いたが眠くて明らかに安全運転できそうにないという状態。が、宿にチェックインしなければならないので、この日ばかりは何が何でも猪苗代町まで行かなければならない。買い込んだドリンク剤が早速役に立つ。
     宿で若干いろいろあったが、今回はそれは割愛。宿ではネットが一切繋がらない(これは事前にわかっていた事ではあるが)為、情報収集は出来ず。
  • 6/6(月)
     予定は全くの未定だが、とりあえずネットに繋げる為WILLCOMの圏内まで移動。(E-mobileが繋がるとばかり思っていたのに、全く繋がらなかった。)
     とりあえず南相馬市原町区が割とたくさんの人数を募集しているという事がわかったが、ナビで時間計測をしたらすぐに出ても着くのは昼過ぎになってしまう事がわかった為、この日は猪苗代観光に充てる事に決定。
     猪苗代湖岸や磐梯山付近を適当に廻ってみた。帰りがけに、牛乳と卵を購入。
  • 6/7(火)
     この日は南相馬市行きで決定。9時に着く為には5時には宿を出ないと行けない為、4時半起き。ただでさえ全く未知の道なのにナビが無茶苦茶なルート提示ばかりする為かなり混乱したが、何とか9時過ぎに到着。初めてという事でオリエンテーションを受けるが、自分以外に一人しかいない。この時点で、他のボランティアの人たちはほぼ全員が受け付け終了して作業割り振り済みだった。ここで、写真撮影厳禁という事も含めて、いろいろと諸注意を受ける(この辺りは後述)。
     オリエンテーション終了後、作業割り振り。とりあえず、泥かきの作業がまだ人手が足りないという事で、泥かきに志願。
     市内の農地の用水路が、津波で泥に埋められてしまっている為、それのかき出し作業。水分を大量に含んでいる上に側溝自体が狭い為、非常に疲れる。
     15時だったか16時だったかに作業終了(既に記憶が無い)。帰り際池のような場所が散見されたが、あれは本来水田で津波で池になってしまってそのままなのだと説明を受ける。
     帰り道はまたナビがとんでもない山道を提示した為、ただでさえ疲れているのに余計疲れてしまう。19時頃にやっと福島市内に着いた為、休憩がてら吉野屋で夕食。何とか運転できる状態になった為高速に乗ったが、この後の記憶は、全く無い。何時に宿に帰り着いたのかも記憶にない。おそらく部屋に入ってそのまま寝てしまったものと思われる。
  • 6/8(水)
     気がついたら昼過ぎだった。目は覚めたものの体が全く動かず、16時過ぎにやっと動けるようになる。前日の荷物をチェックしていたら、洗濯しないと服が足りなくなる事が判明。どのみちネットに繋ぐ為に市街地に出ないと行けない為(ボランティアの募集状況は日々変わる為、事前チェックが必要)、疲れていたが車で市街地のスーパーまで行く。
  • 6/9(木)
     寝過ごしてしまい、起きたのが5時過ぎだった。急いで出たものの、福島市内で通勤ラッシュ時間と思い切りかぶってしまい、南相馬に着く頃には10時前になっていた。この時間だともう作業はあまり残っていないと言われるが、回収アルバムの整理作業が残っているという事でそれに志願。直後にたまたま南相馬は初めての学生さんが来た為、待機。この時点で既に疲労感が出ていた為、丁度よかった。
     作業場所が近い為、2人で徒歩で移動。前日は気仙沼に行ったがそちらはまだ辛うじて道があるような状態だったという話を聞く。
     作業自体は、半乾きのアルバムの写真を一旦はがして埃などを取り払い、完全に乾かして戻していくという、単純作業。だが、なかなか進まない。それでも昼食までは何とか作業が進んだものの、午後からは10分置きに自主休憩を取るような状態に。結局、アルバム1冊を完了させる事も出来なかった。
     翌日はもう帰る予定になっていた為、せめてこの辺の特産でも買っていこうと、スーパーに寄ってみる。ここで、仕事関係で鬱になるような電話があって、相当に意気消沈。帰りのガソリンスタンドにクレジットカードを忘れるという大失態を犯す。
  • 6/10(金)
     この日は最終日で帰るだけ。とはいえ、高速のICを降りる時点で土曜日の0時を過ぎていないといけないので、出るのは昼過ぎになる。ので、しばらく宿でゆっくりしながら荷物を片付けようと思ったら、早く精算してくれという電話。仕方ないので10時前に宿を出る。
     時間つぶしがてら寄ったスーパーで、クレジットカードが無い事に気づく。1時間ぐらい必死に考えた挙げ句、最後に使ったのがガソリンスタンドという事を思い出して電話してみたら、カードは確かにあるが担当がいないので受け取りは15時以降になると言われる。ただでさえ逆戻りになるし、受け取りに行けないかもしれない旨伝えた後、たまたま妹から宮城にボランティアに行く旨メールが来た為やりとりしていたら、結構な時間が経ってしまった。さあ出発しようかという時にガソリンスタンドから電話がかかってきて、カードを取りに来てくれと言われる。受け取れるんだという事を確認した上で高速飛ばしてガソリンスタンドに着いたら、カード会社に確認したら渡すなと言われた等と言い出す。そんなもの確認してから電話してきたんじゃ無いのかとさすがにブチ切れそうになったが、怒ったところで状況が変わるわけではないし、そもそもカードを忘れたこちらに非があるので、車に戻って気分を落ち着けてから、自宅に向けて出発した。
     この時点で15時頃だった為、高崎近辺で凄まじい眠気が来てしまったが、休憩できるPAが全然無く、やっとPAに辿り着いたと思ったら一つ手前のICで、千円どころか通常料金を払わされる羽目になってしまった。さすがに頭に来たので横川SAで再発防止策を文書で提示するよう投書しておいたが、一ヶ月以上経った現在に至るまで何の回答も無い。
  • 6/11(土)
     結局、予定より12時間以上遅い15時頃に、やっと自宅に帰る事が出来た。
  •  
     ちなみに、この後体調が悪いのが全然治らず、そのまま現在に至る。
     
     

     次に、「文章を起こすのを迷った理由」を書いておこうと思います。
     
     元々日記形式で毎日アップロードする予定が出来なかったのは、予想以上の疲労によるものだった。が、帰ってから書く内容そのものに迷いが出てしまったのは、前述の南相馬で受けたレクチャーで、認識が180度変わった為である。
     そもそも南相馬市で写真撮影厳禁になっていたのは、以前県外から来たボランティアが作業現場の写真を撮って自分のブログにアップしたところ、たまたま写っていた家の持ち主が「何で勝手に撮るんだ」と抗議してきて、かなり深刻なトラブルになった為、ということであった。
     確かに、他人の家を勝手に撮ってネットにアップするのはいただけない行為であるが、しかしその話を聞くまで自分はその事を失念していた。しかも、現地の人達は被災して普通の人より心がすさんでいるのである。写真に限らず無神経な行為は絶対にしてはいけない、と思うと、自分がこれまで書いてきたようなノリで文章を書くなど到底出来ないし、内容も慎重を期さないといけない。と思うと、もう何も書けなくなってしまった。
     
     さらに、同じ南相馬で、避難所暮らしをしながらボランティアに来ている現地の人が、「風評風評言うけど、実は風評じゃ無い部分もあるのよね…」とこぼした一言が、すごく心に刺さった、という事もある。
     そもそも自分が福島行きを決めたのは、あまりに酷い風評被害を少しでも何とかしたい、という思いから始まってのことであった。しかし、その風評と言われている事が実は事実であったとしたら、それを糾弾する事は却って地元福島の為にならないのではないか、という疑問もわいた事もある。
     猪苗代町のある店で、「会津地方は地震の被害も全然無いのに、観光客が全然来なくなった」とこぼす一方で、「郡山から向こうは絶対行ったらいかんよ」という事を言われて、「自分昨日いわき市に行ってきたばっかりなのに。風評被害というのはこうやって生まれるんだな…」と思ったものだが。現地で買った新聞や、その後の報道などを見ていると、本当に何が正しいんだという気持ちになってしまったのである。最も、マスコミの言う事なので鵜呑みにしてはいけない、という部分は確かにあるが。
     
     本当に、何が正しいのか全く判らない、というより、そもそも正解なんて無いんじゃ無いか、という思いにすらなるのである。
     復興方針を巡って宮城と福島の知事が激しく対立していたのも、結局の所「正解なんて無い」というところから来ているのでは無かろうか。
     
     とは言え、「何も書かない、口をつぐんでしまう」という事はもっと良くない事だと思い、もしかしたら猛批判を食らうかもしれない事も覚悟の上で、自分が書いても良いと思った範囲内で文章を起こす事を決めたのである。
     
     
     とりあえず、「言い訳」はここまでとします。
     
     

     以上のような理由から、総括とか結論とか、そういうものはとても出せません。
     が、差し当たり抱いた感想とか所感といったものは幾つかあるので、一応書いておこうと思います。無論、正しいとは限りません。
     
  • いわき市のボランティアバスの事前レクチャーで、「無理は絶対にしない事」と言われたが、これは本当にその通りだとわかった。幸い自分は現地で倒れる事は無かったが、今思えば後半はいつ倒れてもおかしくない状態だった。「撤退する勇気」というのも大事なんだ、という事がわかった。
  • 上で「正解は無い」と書いたが、これはボランティア活動に限らず、今回の震災や原発事故への対応や復興策全般について言える事だと思う。だがそれを理由に議論を停滞させてはいけないわけで、むしろ何でも良いから試してみる、位の勢いで議論していくべきだと思う。それなのに、非協力的どころか妨害すらする国会議員集団がいる事には、落胆せずにはいられない。特に、震災・原発対応を政局に利用した挙げ句、震災復興法案への協力の条件として、震災と全然関係ない民主党の政策の撤回を求める自民党・公明党は、本当に最低だと思う。人として。こいつらの事は、さすがに徹底的に糾弾してやりたい。
  • 泊まった宿の奥さんが昔からボランティアをやっている人で、「ボランティアは義務づけるべきだと思う」という事を言っていた。昔からこういう事を言う人は結構いるが、自分は義務化には絶対反対である。元々、義務化したらボランティアじゃ無いじゃん、という理由から反対ではあったのだが、今回の経験で「義務化したってやりたくない人間は結局嫌々やるだけだし、そうなると受ける側としても気分を害されるだけでは無いか」という事に気づいた為である。義務づければ人の心も変わると思っているのなら、それはとんでもない間違いである。
  • 上とも絡むが、「ボランティアに行く人間は正しくて、行かない人間は正しくない」何て考えは間違いである。人それぞれ事情や能力に違いがあるのだし、「自分にやれる事」をやっていけばいい話なのである。消費して経済の活性化に貢献するだけでもいいのだ。
     ただ、やれる事があるのにやろうとしない人間はただの自己中であり、そういう人間を擁護する気は毛頭無い事は、敢えて申し添えておく。
  • この半年程で、日本人は意外に無知なんだという事が良くわかった。Twitterでも書いたが、無知そのものを責める気は無い。が、知らない事を知ろうとする努力すらしない、そういう人間があまりにも多すぎるのは、残念でならない。
  • 社民党は旧社会党時代から反原発で一貫しているので、今掲げている即時撤廃という主張自体は、個人的には現実的ではないと思うが、政策の一貫性という意味では全く不自然では無い。
     一方、共産党は昔は核兵器と平和利用は別という事で原発容認だったのが日本の原発の管理体制のずさんさから批判派に転じて行き、3.11直後は原発からの段階的撤退という現実的な主張をしていたのが、最近は即時撤退にシフトしていっているように見える。菅首相が脱原発路線に転じた事に対抗して主張を先鋭化させているのかもしれないが、ブレない事で定評のある共産党がこういう事をするのは、支持者として正直残念だ。
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     さて。前述の通り、今回の福島行きの当初の目的が「風評被害打破」だったという事もあり、現地では努めて福島県産品を買うようにしていた。無駄にいちいち写真を撮っておいてあったので、一応列挙してみます。
     
    フルーツ牛乳とコーヒー牛乳
    牛乳、というより乳製品。
     
    アスパラガスアイス
    アスパラガスアイス。アスパラガスはこの辺の特産らしい。磐梯山麓のドライブインで売っていた。ちなみに、味はまごう事なきアスパラガスの味だったが、しかし決して悪くは無かった。
    1L牛乳。
    いわゆるいちご牛乳と、普通の牛乳。ちなみに酪王牛乳というのは、地元ではおいしいという事で有名なメーカーなのだそうだ。沖縄で言う宮平乳業みたいなものか?
    ライスチョコ
    いわゆるライスチョコ。五色湖の土産物売り場で買った。
     
    酪王乳業のカフェオレ
    酪王乳業の、カフェオレ。
    ハイカフェオレ
    ハイカフェオレ。普通のカフェオレとどう違うのかいまいちよくわからなかった。
     
    会津産のたまご
    商品名通り、会津産のたまご。これは美味かったが、3日で6個片付けるのは結構きつかった。
     
    ヨーグルト3種
    ヨーグルト3種。ちなみに両端にあるヨーグルトは飲むタイプとして売られていたが、飲むどころか中身を出すのにも苦労するような代物だった。
    会津中央乳業
    会津中央乳業。牛乳メーカーは結構多いみたいだが、朝並んでいたものが夕方には完全に無くなっていたりと、なんだか不可解だった。
    蕎麦3種
    蕎麦3種。どれも美味かったのだが、家に帰ってから母親が知らない間に茹でていたので、特に左右の2つはどっちがどっちだったのかわからない。
     
    南相馬うどん
    唯一入手できた南相馬市の特産品。
    特濃3.5牛乳
    特濃というだけあって確かに濃かったが、帰る前日に買ったので処理する為に急いで飲んだのであまり味わえなかったのが残念だ。
    福島県産野菜
    福島民報だったが福島民友だったか忘れたが、現地紙の投稿川柳に、風評被害のおかげで福島県産野菜はむしろ大人気という事が謳われていた。
     
     
    和紙アイス
    和紙アイス。和紙が入っているのでは無く、「和紙の原料である楮の葉っぱ」を使ってある、という事らしい。前述のガソリンスタンドの件で気分を落ち着かせる為に買った。
     
     
     
     
     あと、本当は笑える話とかも幾つかあったんだけど、何かもう今回は自粛させて下さい。
     
     
     
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