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正直五輪に興味はない

 
 今日からアテネ五輪が始まっているらしいのだが。はっきり言って、全く興味が持てない。
 いや、興味が持てないのは何も今年に限ったことではなく、この10年以上オリンピックの開催地すら思い出せないくらい関心はなかったのだが。今年は、そういう関心がないというレベルを超えている。好きか嫌いかと問われたら嫌いと答えるレベルだ。
 
 なんでそんな風に思うのか、よくわからない。
 スポーツに関心がないのは昔からのこと。日本が勝つと掲げ演奏される旗や歌が嫌いというのも、昔からのことだ。スポーツ選手という存在が身近に感じられないというのも、又然り。強いて言うならば、ここ数年、元五輪選手が自民党から選挙に出るケースが相次いでいると言うことだが、これとて決定打とは言えないだろう。
 
 五輪に感動が見いだせなくなった。これが一番大きいのだろうか。ここ数年の五輪にも、もはやそういうものを殆ど期待しなくなっていたのが、今回とうとう期待値0にまでなったと。そういう事なのかもしれない。
 
 だとしたら、これはもうどうしようもない話だ。感動を生み出す為に八百長をやれというわけにも行かない。そもそも、自分一人ぐらいか五輪に否定的な思いを持っていたところで、大勢に影響はないだろう。むしろ放置しておいた方が余計な手間がかからなくていい。
 たとえ自分一人じゃないとしても、何か不都合があるだろうか? 困るのはせいぜい、五輪のスポンサーとTV局、そしてオリンピック委員会ぐらいなものだ。いや彼らにしたところで、関心を持てない人間はさっさと切り捨てて、関心のある人間だけで大いに楽しむという方針に切り替えれば、そんな不都合はないはずだ。変に商売っ気だの国威発揚意識だの出さなければ、全く問題は無いはずなのだ。
 
 遠い異国の地で、自分達にとって関心の持てないお祭りをやっている。そんな意識を持つ人間がいるのは、決して不自然なことではないだろう。この国はもう、大きくなりすぎた。全てにおいて一致団結するなど、もはや不可能なのだ。戦争にしろ、経済建設にしろ。
 そんな幻想を抱くよりも、立場の違いを認識した上で互いに損にならない方法を模索していくことの方が大事なのだ。そうしなければ、内紛で結局滅びてしまう。それに、小さな社会というのは小回りがきく。変化に強くなると言うメリットも、生まれるはずだ。
 
 
 と、随分話が大きくなってしまった。そんな話がしたかったんじゃない。ただ、「五輪? フーン。」と言いたかっただけだ。
 さて。ついでに言うと今日から夏混みが始まっている。東京有明の地で、一般人にとって関心の持てないお祭りをやっている。そんな意識を持つ人間がいるのは、決して不自然なことではないが、自分はどうしても関心を持ってしまうので、明後日辺りにでも行ってくるとしよう。
 
 
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