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我が信念とのジレンマ〜AIR映画化

 この歳になるまで、映画館というものに行ったことがない。

 二十歳ぐらいまでは、それに特に明確な理由があったわけではなかった。どういう訳か、行ったことがなかった。小3か小4ぐらいの時に、父親が地元の映画館に連れて行ってくれようとしたことがあるのだが、場所が解らず右往左往した挙げ句二人とも疲れて帰ってしまった。
 商店街の中の、パチンコ屋の二階というわけのわからんところにあったから、それも仕方有るまい。その映画館も、自分が浪人している頃に潰れてしまった。

 二十歳になって、大学に入った。新聞の映画情報を見ていて、ふと思った。
「この20年間、映画館に一度も行った事無いけど。これって一つのステイタスだよな」
 どちらかというとダメステイタスだが、当時の自分にそんな感覚はない。それを自分の売りとすることを決定してしまった。
「しかし。ただ行ったことがないというだけでは、あまり価値が高くないな・・・」
 そう考えた自分は、「初めて行く映画館は、好きな人と行くことにしている」という自己信念を、新たに定義したのだった。

 そして、それから9年が経った。未だに映画館には行ったことがない。

 しかもその9年の間に、Kanonを知り、それをきっかけとしてギャルゲーの世界にはまるなどして、映画館に行く可能性は低くなる一方であった。
「もう自分は、一生映画館に行くことなど無いのだろうな」

 そんな事すら思い始めていたある日のことであった。

「AIRが映画化される。」

 何故だろう、涙を流したい気分になった。嬉し涙。そして、悲しみの涙。
 選択肢は二つ。己の信念を捨て、一人で映画館に行くか。鍵っ子であることを捨て、劇場版AIRは見ないか。
 どちらにせよ、過酷な選択である。世間的にはどうでもいいことだという事実が、より精神を圧迫する。まだ、時間はある。だがいずれは、どちらかに決めなければならない時が来る。

 現実は、どこまで行っても厳しい。
 現実は、どこまで行っても厳しい。

 
 
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